第29話

 ショッピングモールというのだから買い物をするのは当然だ。映画の次は、オシャレなアパレルショップに来ている。人気店なのか、意外と大きな店だ。


「この服どうかな!」

「似合う」


 シャラン、と試着室のカーテンを開けて、姫が出てくる。僕は試着した服の感想を言うように頼まれた。次から次へと着替えては開け、着替えては開けを繰り返している。シャラン。シャラン。カーテンの音が何度も何度もする。


 ふと、神木さんを思い出した。カーテンの音が、保健室のと似ていたからだ。あの時の音に。あの、時……。


「ッ……」


 急激に体が熱くなる。なんで今思い出すんだよ。胸を触ったこととか。それの感触だとか。やめろよ。


 僕は額に手を当てる。そして『はあ』とため息をついた。他人から見れば、呆れているように思える僕の姿。そんなことなんてお構いなしに、姫は試着を続ける。


「この服は?」

「ん? あ……似合う……」


 少し反応が遅れてしまった。姫は止まらない。


「このアイドルみたいなのは?」

「似合う」

「このカッコいいのは?」

「似合う」

「これは流石にダボダボすぎるかなぁ」

「逆に似合う」

「もう、お兄ちゃんってば、『似合う』しか言ってないじゃん! もっと具体的に言って!」


 適当すぎたか。自分でも思う。ファッションにおいて僕は素人だから、全て僕が思っただけの感想しか出てこないぞ。エロい、とかがそれだ。だから期待しないほうがいい。


「だって本当に似合うんだもん」

「それは普通にありがたいけど!」

「じゃあ例えば、どんなところを言うの?」

「え? ま、まあ。体のラインの見え方とか。どこがどう可愛いのかとか。あとは、姫のことが大好きーって言うとか」

「おい最後。服じゃなくて、姫に対する感想になってんじゃねーか」

「えへへ!」


 えへへ、じゃない。そういう思わせぶりな言動は、あまり男子にはしない方がいいとおすすめしておくぞ。いや待てよ? もしかして、しつこく俳優に絡まれるのって、そのせいじゃないのか? 話しかけられるのが嫌ならやって欲しくない。今後が心配になってくる。


 やっぱり僕ってお兄ちゃん気質なのかな。そんなことを考えていると、隣の試着室から、


「……そうそう。うん、今、試着してるんだけどさ。これから食事をするつもりだから、白乃と黒乃は、私とパパのいるこのアパレルショップに集合ね。場所は分かってるわよね? はい、じゃあまた」


 という声が聞こえた。試着したの中のため、一人のはずだ。おそらく電話をしているのだろう。


 その声を聞いた瞬間に、僕の心臓が一度だけ爆発したように強く動いた。なぜならそれは、聞いたことのある声だったからだ。


 その声の主は、五十嵐姉妹の母親だったのだ。



 ****



「お兄ちゃん?」

「はあ……はあ……」

「具合でも悪いの?」

「いや、大丈夫。ほんの一瞬、目眩がしただけだよ。なんともないから」


 さっきの『バックン』という鼓動のせいで、少し息が荒くなった。そしてそれに動揺も重なる。五十嵐ママ、娘たちの名前呼んでなかったか? ということは、


 このショッピングモール内にいるということだ。少なくともこの店ではないどこかに。マズいぞ。いや、今もマズい。あの姉妹がいないだけで、今この店には五十嵐夫婦がいる。どちらかが僕と遭遇すれば、絶対に白乃に報告するはずだ。娘の彼氏が偶然いた、なんて、そんなふうに言うに決まってる。


 この店から出るべきか? だが、出たところで姉妹二人に遭遇してしまうかもしれない。こっちに向かってるんだぞ? その確率も低くはない。


「もしもし? あ、もうすぐ? オッケー」


 また五十嵐ママの声がした。


「ごめん、姫……!」

「えっ、ちょっ、お兄———ッ!?」


 シャラン、という音がする。その時の音は、僕が試着室に入った時に鳴った。それと同時に姫の口を塞ぐ。


 なんかこれも前にあったような……。


「絶対に喋っちゃダメだよ……?」


 姫はコクリと頷いた。ゆっくりと、姫の口にある手を離してあげた。


「パパ? ママってどの試着室に入ってるの?」


 この声は、白乃だ。危ない。店から出ようかと思ったが、なんてタイムリーな。隠れて正解だった。


「ん? ああ、それならあそこだよ」

「ありがと」


 こちらに来ているのが分かる。ん? 近くなるにつれて、複数の足音が聞こえてきた。黒乃も一緒か。


「すごーい。綺麗な洋服だね、お姉ちゃん!」

「そうね。……って、ん?」

「どうしたの?」

「いや、隣の試着室に置いてあるこのスニーカー、見覚えが……」


 それは僕のではなく姫のものだ。突然隠れたため、僕は靴を脱ぐなんてことはできなかった。


「あっ! 分かった! が履いてたのと一緒だ!」

「お姉ちゃん、あの娘って?」

「姫ちゃん」

「亜城木姫ちゃんが履いてたのを、お姉ちゃんは見たことがあるの?」

「うん、おとといロケ番組で見た。結構ラフな格好で可愛かった」


 履いて出演していたのか。このスニーカーで。それよりも、姫の履いていたスニーカーを覚えてるんだな。よく見てるんだな。


 いや、そんなことはどうでもいい。今近くにいると、この試着室から出られないんだよ。どうにかして……。


「お待たせ。これ、買おうかしらね」

「うん、いいんじゃないかな」

「あらそう?」


 やっと五十嵐ママが出てきたか。


「さあ、どこでご飯食べようかしらね」

「……」

「白乃? 何、ぼーっとして」

「いや、なんかがして……」

「なにそれ、お姉ちゃん怖い」

「いや! なんでもないよ! さ、行こ行こ!」


 段々と声が遠くなっていく。行ってくれたか。


 冷や汗が止まらない。ちょっとだけ、寿命が縮んだように感じた。マジで。

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