第18話

 保健室には、あまり行ったことがない。怪我なんてすることがないし、何より僕は、健康で健全な男子高校生である。


 そりゃあ体調を崩すことだって、僕にもたまにはある。熱が出たり、風邪をひいたり。あと、突然の頭痛にあうこともある。僕は健康であっても、完全無欠というわけではないのだ。


 これまでだって、学校を休んだことはほとんどない。早退したことは一度もない。


 そんな僕が保健室には来たというと、当然、保健部の先生たちは不思議がるものだ。それに神木さんと二人で、なんてそれを助長するはず。だから症状を色々聞かれた。


 神木さんはサボり魔のため、保健室の常連ということになっている。彼女の場合は、日頃から先生たちのお世話になっているため、症状を詳しくは聞かれていなかった。なんだか、ズルく感じる。


 結局僕は、神木さんが適当に言った『頭痛』ということにしてもらった。決して、嘘であるとは限らない。


 僕は昨日、姫との通話で、かなりの睡眠時間を奪われてしまった。僕が姫の話を聞いてあげていたのが原因なのだが、そのせいで授業中、少し頭が痛かった。神木さんは、よく人を見ていて、すごいと思う。すぐに僕の異変に気づいた。


 最終的に、僕は保健室で休んでしまった。今は、こうして神木さんとは別々のベッドで、寝転がって休憩している。僕の家にあるソファ並みの、フカフカで程よい柔らかさだ。寝ていて気持ちがいい。


『ガラッ』


 扉の音だ。先生は保健室から出たようだ。何か物を取りに行ったのだろうか。


 すると神木さんは、先生がいなくなったのを見計らって、自身のベッドの横に付いているカーテンを開けた。シャラン、という音と共に、神木さんは声を上げる。


「おーい、松風ー? そっちのカーテンも開けなさいよ。これじゃあ松風の顔が見れないじゃない」


 僕のところにあるカーテンを指摘してきた。当たり前だが、保健室のベッドの周りには、絶対に仕切りのようなカーテンが設置されている。神木さんのベッドにもあれば、僕のベッドにもあるのだ。


 神木さんの言っていることが、いまいちよく分からなかった。僕の顔が見れない、という部分だ。


「見れなくていいじゃん」

「見れないといけないの」

「なんで?」

「なんでって……それは……その……」


 言いにくいのか、神木さんは間を開ける。僕はその間、気持ちのいいベッドの上で目を瞑りながら、言うのを待っていた。


 あ、このベッド、ヤバいかも。気を抜いていたら、無意識のうちにすぐに眠ってしまいそうだ。


「ねえ、ちょっと松風! 寝ないでよね!」

「はい。起きてますけど?」

「だからカーテン開けてよ! アタシは!」

「あー、はいはい。分かりましたよ。開けます開けます……って、え?」


 はい? 今、神木さん、何かすごいこと言ってなかったか? 僕の顔が……、とか言ってなかったか?


 僕は本気で困惑した。


「え?」

「え?」


 お互いに同じ音の言葉を繰り返す。


「どういうこと、神木さん?」

「どういうこととは? え? もしかしてアタシなんか変なこと言った?」

「言ってたよ。『僕の顔が見たい』だった気がする」

「えっ———」


 神木さんがいるベッドの方から、なぜか『バフッ』という、鈍いような柔らかいような打撃音が聞こえた。


 かなり微かな声で、何かを言っている。自分で口を押さえているような声だった。そのため、モゴモゴとした、なんとも聞き取りづらいものだった。


「うぅ〜……! 恥ずかしい〜〜〜……!」


 ふむ。分からん。聞き取れん。


「え? なんて?」

「はあ……。もういいや、松風の顔が見たいから、早く開けてくれない?」

「え……」

「どうしたの? あれ? 松風ー? 大丈夫?」


 僕の顔が見たい、だと? なんの嫌がらせだ、これは。陽キャたちによる、何かの罰ゲームで、僕にこんなに恥ずかしいことを言え、と命令されたのだろうか。


 そんなことを僕は考えていた。その隙に、神木さんはベッドから降り、勢いよくカーテンをどかした。


「うおっ。何、神木さん?」

「……」

「僕、今頭が痛いから、神木さんの相手ができないんだ。ごめんね」

「……」

「神木さん?」


 ゆっくりと、神木さんは自分の顔を近づけてくる。それも、横になっている僕の顔に。そんな状況でも、僕の鼻にいい香りが差し込んできた。シトラスのような香り。神木さんは香水を使っているのだろう。


 僕の目の前には、あの神木玲奈の顔があり、目があり、鼻があり、口がある。少し紅潮していて、とても色っぽい。顔も整っているため、余計に僕の鼓動を早くさせる。


「松風……」

「ダメだよ、神木さん」


 何度も白乃に迫られたことがあった。どういう風の吹き回しか、僕にキスしようとしているのが分かった。


 神木さんの吐息が、僕の肌に当たる。もう少しで口がくっ付く、そんなところまできた。


『ガラッ』


 一気に緊張が走る。誰かが保健室に来たのだ。


 咄嗟のことで、神木さんは僕のベッドに潜り込んできた。見つからないように隠れている。彼女のプニプニとした肌の感触が分かる。自分から触りにいっているのではない。これは不可抗力だ。


 それにしても気になる。一体誰がここへ来たんだ?


「たっくん? 大丈夫? 保健室に行ったって聞いたんだけど」


 それは、僕の幼なじみの白乃であった。

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