第10話

 第一中学の五十嵐姉妹。知り合いから聞いた話だが、その名は他校にも知れ渡っていたらしい。中学生の美少女姉妹。そんな子が自分の住んでいる街のどこかにいるとしたら、ちょっとばかり会ってみたい、と思うだろうか。


 二人は有名だった。そんな話が、僕の周りで広がっていた中学の時に、学校の正門には、白乃と黒乃の二人を、一目見ようと人が集まっていたことがあった。


 彼ら彼女ら……主に彼らだが、二人はそいつらに、まじまじと自分を見られているのが嫌だったのか、その時から、すでに仲の良かった僕に、協力を求めてきた。


 僕なんかでは、とても力になれるとは思えない。むしろ僕のせいで、彼女たちの株を下げているようにさえ感じた。二人は頑固な性格である。そんな僕の言葉など聞くなんてことは全くない。


 二人は、僕の腕に抱きつくようにして、そいつらの目の前を歩いてみせた。僕の両腕は塞がっている。


 すると白乃は、その状態の僕に囁いた。


「たっくんは、私を守ってくれるよね?」


 その言葉を聞いた瞬間に、僕の体温は急激に上昇した。なんだこの子は? 人を誘惑する術を知っているのか?


 その当時はまだ、仲の良い幼なじみ、くらいの関係性だった。それが、今のような関係になるだなんて、思ってもみなかった。



 ****



 白乃による、エアガン突きつけ事件(僕と白乃しか知らない)の数日後、とても印象に残っている過去を振り返りながら、僕は図書室の受付のイスに座っていた。無言で。


「……」

「この本を借りたいです」

『ピッ』

「来週までですね。はい、ありがとうございます」

「……」


 なにも喋ることはない。こうやって、図書委員の仕事をしている最中でも、なにも喋ることはない。簡単な作業のように、淡々と仕事をこなしていくこの僕の姿は、熱心にやっていると思われることだろう。


 ただ本の裏側に付いているバーコードを、お店のレジにあるリーダーで読み取るだけなんだけどな。簡単な作業のように、というか、簡単な作業なんだよ。イスに座りながらできるため、疲れる力仕事でもない。


 人がいない時は、自分も本を読んで時間を潰せる、素晴らしい委員会だ。図書室では静かに、という言葉がある。一人で静かに過ごせて、なんとも気が楽だ。


 僕が本を読んでいると、ガラッと扉が開いた。図書室に来ていた生徒たちは、本からその音の方向に視線を移した。僕も同じである。それに僕の座っている受付は、その扉のすぐ近くにある。


 ゾロゾロと人が入ってくる。この人たちは、僕のクラスの人間たち。いつも騒がしい人間たち。つまり陽キャの人間たちだ。


 はあ……。さっきまで良い空間だったのが、一瞬でそれが崩されてしまった。


 僕はまた本に視線を移す。そしてまたその陽キャ集団の方を見た。


 その集団の中に、神木玲奈がいた。僕は彼女を発見すると、すぐにサッと顔を横に向けた。咄嗟にそうなったのだ。


 その動きが目立ったのか、神木さんは僕の方をチラリと見た。一瞬、驚いた様子であったが、すぐに陽キャたちとの話に戻った。そしてそのまま奥の空いている席に座った。


 ……今、ニヤッとしなかったか? 気のせいか、顔も少し、ほんのりと赤くなっている。


 やばい。僕も自然と意識してしまう。あの一件以来、僕は彼女の顔がまともに見られない。あんな遠回しな感じで、告白してきて、いつものような接し方ができなかったのだ。そもそもあれは告白なのか?


 だが、僕は疑問に思う。あれは本当か、ということだ。


 彼女は告白される側だろ。それに陽キャである。あれが嘘である可能性も、なくはない。罰ゲームだとか、面白がってやっているのか、どちらなのか分からない。


 でも、そんなことをして、顔が赤くなるか? もしや神木さんは、僕という存在に、嘘の告白をしたということ自体が、恥ずべき行為だった、と思っているのかも。


 ……と、そんなふうに自分が意識していることを、脳内で必死に誤魔化していた。


 数秒後、さっきまでとは違って少し騒がしくなってしまった。教室ほどに人数は多くはないが、あの陽キャ集団が入ってきただけでここまでとはな。静かな方が好きな僕にとっては、最大の邪魔者となっている。


 そんな中で、こちらに向かって一人歩いてきた。神木さんだった。


 神木さんは、受付の隣にある席のイスを奪い、僕の真正面に置いて、自らが座った。そして、じっと僕を見つめてくる。当然僕は横を向いた。


「ねえ、松風ぇ? なんで横向くのかなぁ? アタシのことまともに見れないからとかぁ?」


 その通りだよ、クソ。ニヤニヤしながらそう言ってきた。


「松風ぇ?」


 無視しよう。そうだ。それが良い。


「松風ぇ? まーつーかーぜー?」

「チッ」

「え、今の舌打ち? 舌打ちしたよねぇ?」


 流石にうるさい、と思った僕は、自分の人差し指を口元に当てた。静かにしろ、というサインだ。


「あー、うるさかった? マジごめん」

「……」


 白乃はこの場にいないが、念のためなにも喋らない。それに、ここは図書室だ。マナーということもある。だが、僕は直接神木さんに、あの告白なのか分からないアレについて聞きたかった。


 僕は手元にあるシャーペンで、司書の先生にもらっていた委員会の紙に書いてみた。


『アレは嘘? 本当?』


 その紙を見て、神木さんは首をかしげた。なぜ口で言わないのか、と思っているようだった。でも、すぐに察してくれた。図書室でのマナーだと。白乃についてはなにも分かるまい。


「さあ、どっちなんだろうねぇ? 松風はどっちだと思う?」


 サラサラとペンを動かした。


『嘘』

「ふーん。嘘だと思うんだぁ」

「……」


 無言で、今度は首を縦に動かした。上下に。


「じゃあ、答えを教えてあげるから。……耳貸して」


 僕は、目の前にある神木さんの顔に、自分の耳を近づけた。うわぁ、なんかいい匂いする。そんなことを思っていた。


「……本当……だよ……!」


『ぐちゅり』


「———うわぁっ!?」

「松風! 図書室では静かに、だよ!」


 ニコニコしながらそう言って、彼女は集団のもとに戻っていった。


 ずっと静かにしていたというのに。僕は叫び声を出してしまった。だって仕方ないだろ。


 耳……舐められたんだから……。

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