第9話

 ファンデーションをつければ、いい具合に、跡のできたキスマークを覆うことができた。それも二つ。


 僕はそれを少し気にしながら、予鈴のチャイムが鳴る前に教室に入った。自分の席についた直後に、全身をリラックスさせる。


 はあ……。学校に来るだけで、どうしてこんなに疲れるのだろう。白乃と一緒に登校するのは、昨日に引き続き二回目である。


 それが一番の原因だ。隣で歩いていると疲れてしまう。


 僕はぼっちだ。これはどんなに抗おうと、決して拭うことができないステータスだ。完全なる日陰者。そんな僕は、人の注目を浴びるのが大の苦手だ。視線とかをかなり気にするタイプである。


 白乃はクラスが違うため、そこまで詳しくは知らないが、おそらく陽キャのグループに分類されることだろう。可愛くて綺麗で、運動ができて、なおかつ勉強もできる完璧人間。彼女を知らない人など、僕の通っている高校では誰もいないと思う。


 そういう人間が僕の隣で、ニコニコ笑顔で歩いているのを見てみろ。男性諸君は、皆僕に対して、怒りと嫉妬の念が込み上げてくるはずだ。


 ……と思うだろ? 残念ながらそんな人は少ない。


 考えてみてほしい。僕は隠キャのぼっち。姿を見ても、それは分かるほどだ。冴えない、地味、友達いなさそう。


 釣り合うか? 全く釣り合わねーよ。だから安心するのだ、男性は。


 とにかく僕は、白乃が隣にいるだけで疲れてしまう。正直なところ、これから毎日一緒に登校するのは、僕は嫌だった。


 ……嫌、か。僕は、そう思うようになってしまったのか。僕の初恋の人に、そう思うようになってしまった。僕の彼女である人に、そう思うようになってしまった。


 まさか、僕は……白乃のことを……。


 僕は、僕の中にある、白乃に対する今までの認識が、段々と変わりつつあることを、考えているうちに悟った。


 悟って、しまったんだ。



 ****



 今日は一人で過ごしていたかった。昼食の時も、授業中も、静かに一人で。でも、それはいつも叶わないのだ。白乃は『今日こそは!』と言うように、僕を生徒会室に、昼食を一緒に食べるという目的遂行のために呼び出した。


 二人っきりのこの空間。何か他の場所にいるような感覚だった。


「たっくん! 未来のお嫁さんとご飯だよ! 嬉しい? 私はとっても嬉しいよ!」

「う、うん。嬉しいよ……」


 僕が濁すように言うと、白乃は頬を膨らませた。


「むむう! もっとハキハキしてよ! はいっ、もう一回!」

「ぼ、僕もうれしいよ!」


 えへへ、と笑ってみせる白乃。それは純粋な笑顔だった。いつも僕を監禁して、何か企んでいそうな笑顔とはかけ離れたものだった。


「それよりもたっくん? 今日はどんな女とおしゃべりしたのかなぁ? 教えてくれる?」


 いきなりそれかよ!


「神木さん? 氷室さん? ましてや三年生かなぁ? 逆に一年生なのかなぁ?」


 さっきまでの笑顔はどうした。白乃は小首を傾げて、ニヤニヤしながらこちらを見てきた。返答次第では、今ここで、監禁まがいのことを行うだろう。


 でも大丈夫。僕は今日、一人で静かに過ごしていた。いつも一人だがな。神木さんは、あの一件の後、なんだか関係が気まずくなっているため、授業中のちょっかいはなかった。それは僕としてはすごくメリットとなっている。


 そう! 今日の僕は、誰とも話していないのだ! だから監禁されることもない! 理不尽なベロチューを喰らうこともない! 無理やりキスマークをつけられることもない! なんとも素晴らしいことだろうか。


 僕は自慢げに白乃に報告した。


「僕、誰とも話していないよ?」


 白乃は目を丸くした。相当僕の言葉が信じられなかったのか、少し戸惑った様であった。この白乃はレアだな。普段の完璧美少女とはまた違った可愛さがある。


「え、え? それ、本当に? そう……今日は誰とも……」


 すると、何故か白乃は、自身のカバンをガサゴソと漁り始めた。何か探しているのか? でも、何を?


 探していた物が見つかったのだろう。白乃は、カバンの中に突っ込んでいた手を動かすのを止めた。


 そして僕に近づいてくる。その手には、何やら黒くツヤのある物が握られていた。


『カチャッ』


 その拳銃型の物を僕の顎に突きつけてきた。


「エアガン? どうして学校にそんな物を持ってくるんだ? 危ないだろ」

「ふーん。驚かないんだね」


 そりゃあね。毎度毎度、突然ベロチューされてますからね。というか、あっちの方がびっくりする。


 白乃は、エアガンを顎からキスマークが付いているあたりにまで、下におろしていった。手錠とはまた違うひんやりとした冷たい感触だった。


 白乃はエアガンを突きつける理由を説明する。


「たっくんが本当のことを言っているのかどうなのか知りたいの。でも、たっくんは度胸があるからこんな物じゃ、全然怖がらないか……」

「多少はびっくりしたよ。でもベロチューほどではないさ」

「ふーん。でも、やっぱりたっくんは日頃の行いが悪いから信用できないなー。そうだ! 何か証明してくれるような物を用意してよ!」

「い、いきなりだね。そんなのが急に見つかるわけないじゃないか」

「できないのなら、今日も仕方ない、監禁かな」

「わ、分かった分かった……! と、とりあえずエアガンを下げようか」


 すると素直に白乃はそれを下ろした。ひとまず安心。ぶっ放されなくてよかった。下手すりゃキスマークの他にも跡のできる羽目になってたな。


 口に手を当てながら、数秒考えてみる。


 うーん。あれやるか。


『ギュッ』

「え、」

「これで、信じてくれる?」

「えへへ。うん、信じる」


 ハグというのは愛情表現だと言われている。でも僕の場合はどうだろう。目の前に、なんのためかは分からないが、生徒会で使うであろう鏡がある。そこには白乃を抱きしめている僕の姿が写っていた。


 僕は、僕の顔を見た。そして疑問に思う。


 僕が白乃にしているこのハグは、本当に愛情表現なのか、と。


 僕は、またもや悟ってしまった。

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