第7話

「……ったく白乃め、このキスマークどうすりゃいいんだよ。明日、周りに絶対変な目で見られるじゃないか」


 僕はスマホのカメラを使って、自分の首元を見た。内カメラにしているため、手鏡のようにして使用可能だ。するりとそのマークがある場所をなぞってみる。人の目につくかもしれない場所にある。


 さて、このキスマークはどう処理すべきなのか。だいぶ跡が残っていて、それに少し赤くなっている。


 いや、これホントにマジでどうしたらいいんだよ。僕は化粧なんて持ってないから、ファンデーションなどを使って、これを隠すような手段がない。いっそのこと、自分の肌と同じ色に限りなく近づけた絵の具を、直に塗ってしまおうか。一人でそんなことを考えていた。


 こんなに跡が残って赤くなるまで、僕の首元吸ってたのか。それに今日のお仕置きは、なんかいつもやってるのよりもエロくなってる。キスの他にもいろいろあるが、そのどれよりも今日は過激だった。


 首か。僕はまたなぞってみた。


 このままだと、僕の体を狙ってくるかも知れない。いや、もうすでに狙っているのか。まだ行動に移していないだけで、僕の上半身と下半身を隅々まで舐め回したり、あとは———


「童貞を奪ってきたりしてきそうだな」


 その言葉を口にして、ガチャリと自分の家の重たい扉を開けた。



 ****



 ただいま、と言ってみる。だが誰の声も返ってはこない。それも当然。僕以外にはまだ誰も帰宅していないのだから。父も、母も、誰も。


 いつも使っているカバンをソファに投げ捨てた。そして冷蔵庫の中を見る。中にはさまざまな食材が、大量に入っている。海外から取り寄せた珍しいものも、そこには多くあった。別に僕が買ったわけじゃない。僕にそんな財力持ってないし、仮にあったとしてもこんなに買わない。全て母のものである。


「はあ……。滅多に帰ってこないくせに、何でこんなに買うんだよ。消費期限とか、その他もろもろ、最終的に僕が処理する羽目になるの分かってるのかな、あのひとは……」


 ぶつぶつとものを言い、イライラしながら必要な食材を取り、台所の空きスペースに置いた。そして不満をぶつけるように冷蔵庫をかなり強く閉めた。静かな家の中で、冷蔵庫の、バァンという大きな音が響く。


 一人だ。学校でも、家でも。いつも僕は一人だ。昨日だってこうして一人で夜を過ごした。今日の朝だって、急いで朝食を食べたときも、僕以外には誰もいなかった。学校でも、昼食の時には踊り場に一人でいた。


 いや、その、神木さんとの一件はまた例外だ。あれに関しては、今日だけだと思う。明日にも、続けて僕に接近なんてことはしないだろう。


 とにかく僕はいつも一人でいる。一人……ぼっちである。そんなクソぼっちの僕は、こうしてぼっちで食事を取ろうとしている。そのためには、まずこれらの食材をどう料理するかだ。クッキング。ぼっちクッキングだ。


 なんかテンションをあげようとしているが、やる気が起きない。その原因はこの首元だ。非常に気になって仕方がない。スマホではなく、今度は洗面台でしっかりとした鏡を見る。なにかこれを隠せるものはないか、とその洗面台を探してみた。そこにあるはずの母の使用している化粧品たちは、洗面台につやができるほどに、綺麗に無くなっていた。化粧だけに。


 大体、母は仕事で家を留守にしている。仕事に行っているのだから当たり前だ。つまり全て母の手元にあるということだ。ファンデーションもそこにあるだろう。


 あ、そうだ。


 僕はあることを思いついた。そのあることとは、誰でも思いつきそうなことだ。とても単純でとても簡単なことである。


「借りよ」


 思いついたはいいものの『誰に』という疑問が湧いてくる。だがすぐに解決した。


 僕は家族全員で使用する、タブレットを手に取った。それを使って、チャットアプリでメールを送る。送信先は、僕がよく知っている人。僕にお仕置きをしてくる人の唯一の妹———黒乃である。


『久しぶり。急で悪いんだけどさ。ファンデーションって持ってる?』


 するとすぐに既読がついた。そして返信がくる。


『はい? 持ってますけど』

『貸してくれないかな?』

『え、先輩、ひょっとして化粧に興味があるんですか?』

『そうじゃないよ。僕、今ちょっとした緊急事態なんだ』

『は、はあ。でも私、今部活終わって学校から帰るところなんですけど……』

『僕の家に寄れる?』

『先輩もしかして……私をベッドに誘ってます?』


「ちげぇよ!」


 おっと。大声で思いっきりツッコンでしまった。それもタブレットに向かって。そのツッコミは、さっきの冷蔵庫みたいに、静かな家の中に響いた。


『寄れる? 寄れない?』

『先輩、スルーはひどいです』


 いや、してはないけどね。


『先輩の家ですか? はい。寄れますよ?』

『おっけー。ありがとう』

『でも、何もないっていうのもアレですねぇ』

『な、なに?』

『ですからぁ、なんでもいいので何かしていただきたいんですけどぉ?』


 なんで神木さんみたいな喋り方をメールで打つんだよ。まあ、何か企んでいる黒乃はいつもこんな風に喋っているから普通か。


 僕は少しの間考えた。たしかに、僕から何もやらないというのも嫌だな。黒乃はここへ寄ってくれる、と言っているが、それだとフェアじゃない。何かあげるものとか、僕ができることとかはないのか。


 そして、ふと台所の食材が目に入った。


『黒乃? 夕飯、まだだよね?』

『はい。そうですけど』

『食べていかない?』

『はい! 喜んで!』


 文面を読んで、大いに喜び、大いにはしゃぐ姿の黒乃が思い浮かんだ。


 さて、黒乃には、ここにある色々な食材で作る、異国の料理を食べてもらおう。別にお腹を壊すことなんて……まあ、そんなにない。


 僕はせっせと料理をする準備を始めた。

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