第6話

 なんだこれは。神木さんに抱きつかれているこの状況、なんだこれ。白乃がここに来るまで、ずっと続けるのだろうか。とりあえず一旦離れてほしい。


 僕は彼女の両肩を持って、少々強引に引き離した。神木さんはうろたえずに、またニヤニヤしだした。はあ……。いちいちやってるそれは何なんだよ。僕のことバカにしてるのか? それとも何か面白いことでもあるのか?


 なるほど。僕の反応を見て楽しんでいる。神木さんは、また躊躇なくハグをしてくる。そして僕は動揺しながら、人が来ないか警戒している。そうだな、特に警戒すべきなのは白乃だ。多分、今この光景を目にすれば……。


 背筋が凍るほどに恐怖を感じた。神木さんの柔らかな体の暖かさを感じ、数秒経ってから我に帰った。


「か、神木さん? 一旦整理しようか。話がめちゃくちゃ変な方向にそれている気がするんだけど? それと、抱きつくのやめてくれる? 困るから」

「んー? へぇー、困るんだー。ふーん」


 スッ、と今度は自分から離れていった。だが、それはほんの数秒の間だった。またすぐに、僕の後ろに手を回してくる。不意打ちは卑怯だ。


「神木さん!?」

「じゃあもっと困らせちゃおーっと!」


 そんな意味のわかんないことを言ってくる神木さん。僕にずっとくっつく彼女は、少し顔が紅潮していた。


「あのー、話を戻すよ? 僕が不良から女子生徒を助けたと。で、その時の女子生徒が神木さんだったということでいいんだね?」

「え? 違うよ?」

「いや、何が? 何が違うの? 僕、もしかしてなんか間違えた?」

「うん、間違えてる。その女子生徒アタシじゃない。アタシはそれを発見しただけ」


 ふむ。つまり、僕の早とちりだったというわけだ。ヤバいめっちゃ恥ずかしい。


 じゃあなぜ『やっと会えた』と神木さんは言ったんだ? それは本来、助けられた別の子が、僕に向けて言うべき言葉だと思う。いや、それもなんか恩着せがましいな。気が引ける。


 そしてもう一つの疑問。では、その女子生徒は誰だったのか。これに関してはお手上げだ。何も分からないのだから。それに、興味があるわけでも、それを知り得ないといけない状況でもない。そして、何より僕自身も別に知ろうと思っていない。


 それよりも、まずは目の前にいる暴走状態の神木さんを止めなければ。彼女をモンスター扱いして悪いが、抱きついてくる攻撃を、いい加減やめさせなければならない。


 僕は周りを警戒しながら、ハグしてくる彼女に聞いた。


「何でこんなことするんだい?」

「アタシね、強い男って、だーい好きなの。アンタって普段目立たないけど、実は喧嘩が強くてカッコいい。だからこうしていたいの」


 じゃあ僕がその『だーい好き』という部類にピッタリと当てはまるということか。いや、だからといって急に抱きついてくるのやめてほしい。僕はそう伝えた。


「嫌なの?」

「そ、そりゃあ、僕とこんなことしてたらウワサされちゃうよ? 付き合ってるかもって」

「へー、アタシの心配してるんだ。でも大丈夫、そういうウワサ、アタシはどんどん流しちゃっていいからさ」

「いや、僕は大丈夫じゃないんだよ」

「どうして? ぼっちの松風にとって都合が悪いことでもあるの?」


 ある。だってそのウワサが白乃の耳に入ると、僕は何をされるか分からない。付き合っている、とはっきり周りに伝えれば、誤魔化すこともしないで済むというのに。どうしてそれをしないのだろうか。彼女なりの考えがあるため、否定してはいけないが。


 すると、察しのいい神木さんは、すぐに核心をついてきた。


「松風って付き合ってる人いるの?」

「……」

「ふーん……」


 はい、バレた。絶対に感づいてるだろ、これ。神木さんは僕のことを細くした目で見てきた。監禁されるのが確定していて、やる気が起きなかった今日の僕ほどではないが。


「松風は好きな人いるの?」


 急にそんなことを聞いてきた。そしてふと白乃の顔を思い出した。当然、僕の彼女は白乃である。これ以外にいたことがない。だがどうだろう。僕は白乃のことをどう思っているのか。あまり深く考えたことのなかったものだった。


 僕は腕を組んで、うーん、と唸っていた。そんな僕を見かねた神木さんは、恥ずかしそうにして顔をぽりぽりと可愛くかきながら、僕の返答など聞かずに言った。


「アタシ、好きな人に意地悪したくなっちゃう性格なの。小学生みたいだよね。それも男子みたいだよね」


 神木さんはそのまま続ける。


「アタシが松風にちょっかいかけたり、迷惑だと思われるようなことをするのは、そ、そういうこと……!」


 そうか。そうだったのか。神木さんは、僕のことが……。頭の中でそう考えると急に恥ずかしくなってきた。僕は手で顔を覆った。そしてため息をついた。


 嘘、というか、罰ゲームとかでここまでのことはしないだろう。だから嘘だという可能性はない。はあ……。それは素直に嬉しいことだ。でも、でもな。それだと、困るんだよ。色々と。


 ん? 今、何か……。


「ま、松風! だ、だから、さ! その……」

「ちょっと待って、神木さん」


 誰かの声が聞こえてきた。この声を僕は毎日聞いている。この声の主は白乃だ。白乃がこちらに来ている。


 僕は神木さんの手を取ってその場から退散した。近くにある空き教室である多目的室に逃げ込んだ。二人だけでいるところを見られれば、多分今日の監禁中にしてくることは、これまでのよりも、もっと過激なことになってくるはずだ。だからこの場からすぐに逃げた。


「ちょっと、松か———ッ!?」


 少々無理やりだが、少し口を塞いでおこう。話し声で気づかれたらマズいからな。


「もう、たっくんは一体どこにいるのかなぁ? 今日はたっぷりお仕置きしてあげないと!」


 段々と声が遠のいていく。行ったか?


 ゆっくりと廊下をのぞく。そこには白乃の姿はない。あのまま階段を降りて行ったようだ


 ん? なんか手が熱い。僕は神木さんの方を見た。


 フルフルと震えている彼女。口元を手で押さえていても分かるほどに、顔が真っ赤になっていた。


 ……ごめんなさい。




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