神様からの贈り物

女川 るい

神様からの贈り物

「いずれ死んでしまうのに、どうして人は生きるの?」


 この質問をしたときの親の顔がどうしても思い出せない。ただ父親は怒り、母親は泣いていたことだけは覚えている。どんな表情だったのかは覚えていない。私の質問に対するろくな返答がないということを確認したのちに、完全に親に対する興味を失っていたからだ。それ以降、親とはまともに会話をしていない。私がただイエスかノーを答えるだけのロボットになったからだ。


 私が生まれる前は、当然だが私という存在はなかった。何もない場所から私が生まれ、そして私という存在はいずれなくなる。つまり始点と終点で何も変化は起きていないのである。わずかな時間だけイレギュラーとして私は存在していたが、最後には何もない空間だけが残るのだ。初めと最後が一緒ならば、途中に何が起きようが関係ないのではないだろうか。たとえ私がどんな功績を残そうが、教科書に名前を残すような大発見をしようが、この数千年もの歴史の中では微々たるもので、結局は無駄なのである。


 ずっと疑問だった。どうして五十年以上も生きているような人間がこんなにも多く存在しているのだろうかと。十二歳の私ですらそのことに気づいているのに、いつまで人々は鈍感なまま生きているのだろうかと思っていた。有識者はそのことに気づき、素早く人生を終わらせた。織田信長は燃え上がる本能寺から逃げることはしなかったし、太宰治は何度も心中を試みた。彼らは気づいていたのである。人生に生産性がないことを。私もその一人であったから何度も命を絶とうと試みた。しかしそのたびに親に邪魔をされた。また、自分の想像していたほどの傷を負えないことも多々あった。人間というのは案外丈夫な生き物なのである。


 そして五回ほど自殺を試みたあと、私はとある施設に保護されて監禁されてしまった。身体を縛られたまま命の尊さ(笑)を学ぶビデオを見せられたり、薬を飲まされたりした。そのまま私は監視されながら成長していく。たまに自殺を試みるのだが、そのたびに監視の人に止められ、説教を受けたあとにあの監禁部屋に連行されるのだ。


 いつしか私は自殺をしようと考えることすらなくなっていたし、その頃には監視もいなくなっていた。今でも自殺をしようとすれば誰かに止められ、あの部屋に連行されてしまうのだろうか。今ではもうそんなことを試そうとも思わない。



 時は流れ、私は二児の父親になった。私の自殺衝動はもう表に出ることはなくなっていた。大人しくしていれば、私もそれなりに魅力的らしい。人生は長い。どんなことが起こるかわからないし、考え方も年月とともに変わっていく。今では死ぬことなんて微塵も考えないし、二人の息子が幸せになるまで死ぬわけにはいかない、なんて考えすら持ち合わせているのだ。どうか幸せになれますように。そんな祈りを込めながら、昼寝をしている二人の頭を撫でていた。


 しばらくして一人の息子が目を覚まし、もう一人の息子を起こさぬように静かな声で私に聞いた。


「お父さん。ずっと聞きたかったことがあるんだけど、聞いてもいい?」

「いいよ」

「いずれ死んでしまうのに、どうして人は生きるの?」


 気づくと私はパジャマ姿の息子を連れ出していた。玄関に無造作に転がっていたサンダルを履き、息子を抱きかかえ歩き出す。「お父さん。どこに行くの?」と聞かれても私は質問に答えずに一心不乱に歩き続ける。

 たぶん私はこの瞬間のために生きてきたのだろう。


 私は目的地に到着したあと、息子の質問に答えた。私の親とは違い、息子と真剣に向き合って。


「生きる意味なんてないよ。ほとんどの人間にはね」

「じゃあ僕も生きてきた意味がないの?」

「いやお前には生きてきた意味はちゃんとあったよ。お前の存在は神様からのプレゼントなんだ。このチャンスを私たちはきっと逃しちゃいけない」


 それが、私が息子にかけた最後の言葉だった。

 マンションの屋上にはサンダルが残されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神様からの贈り物 女川 るい @badeyes

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る