第5膳 夢幻の如く ~夜半にお茶漬けを啜りながら~

「夢か……」


 真夜中の自室でがばりと布団をはね除けながら目を覚ます。


 普通に考えたらあんなこと信じられるわけがない。

 俺に祖父の決めた許嫁が居たこと。

 顔合わせの場に出てきたのがクラスメイトの北野だったこと。

 おまけにあんな美少女だったとか……。

 彼女とふたり、美味しく寿司を食べる夢を見たのだ。


「ま、そんなことあるわけないさ」


 ベッドの脇に落ちていたものにつまずきそうになる。

 ああ、アレは良い店に行く時に着るジャケットとパンツ。

 今日帰ってから脱ぎ散らかしたまま、下着で寝てしまっていたらしい。

 つまり、昼のことは夢ではなく――。


 ……。


 時計の針を確認。

 午前1時を指していた。


「夜ごはん、食べ逃しちゃったな……」


 日曜の夜は使用人が居ないので特段の事情が無ければ夕食は各自で摂ることとなっている。


 だが、夜半過ぎ、こんな時間に空いている店などない。

 コンビニぐらいだが……。


「うん、ひどい顔だ」


 元々、早馬そうまほど男らしいイケメンというわけではないのだがそれを差し引いても寝起きの顔はなかなかヒドい。

 とてもじゃないが他人には見せられない。


 それに全身が痛い……きっと顔合わせのせいで筋肉がこわばっていたのだろう。

 家の庭を抜けていくのも面倒くさい。


 仕方がない、アリモノで済ませるか。


 冷蔵庫に冷や飯。

 それに父さんが晩酌のツマミとして漬けさせておいた大根とキュウリのピクルス。

 これもありがたく頂戴しよう。

 あとは戸棚にお茶漬けの素。


「ああ、決まったな」


 ――準備すること数分。


 さらさら。

 シャクシャク。

 ザラザラ……ばりばり。


 豪快に音を立てつつ出来立ての茶漬けをかき込む。

 真夜中のひとりメシなのだ、作法は気にしない。

 口の中を焼く熱も、目を覆う湯気も気にせずホフホフ息を吐きながら正面から挑む!


 ……あっという間に終わってしまった。


「味を変えてもう一杯、飲(い)っとくか」


 チューブのワサビを少し溶かし、コクを増した出汁を啜る。

 ただの緑茶がこんなにも旨くなるものなのか。

 そんなスープを吸って膨れ上がった米、そして具材のアラレの香ばしさがボリューム感を醸し出す。


 合わせるのは小気味よい歯ごたえのよく浸かったピクルス。

 その甘酸っぱさが茶漬けにまた、よく合うのだ――。


 さらりと二杯を平らげた丼を見ながらしばし、思慮にふける。


「――下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり、か」


 そういえば俺の大好きな戦国武将の織田 信長おだ のぶなが公も戦いの前には茶漬けを食べ、こんなことを言いながら出陣していたのだったな。


 現実にあんな波乱万丈な人生を送ってきた人たちがいるのだ。

 そう思えば昼みたいなことなんて珍しいことじゃないのかもしれない。


「北野さん……」


 うん、お腹も心地よく満たされた。

 寝室の床に脱ぎ捨てたジャケットを片付けたら、またベッドに戻ることにしよう。


 きっとほんの少しだけ先週までと色々なものの見方が変わった学校生活を送るために。



 ――――――――――――



 ――最初に異変に気付いたのは、特進クラスの教室に入る前だった。


「俺、アタックしちゃおうかな」

「おいおい! もうデキてるパターンだって」

「もう彼氏に頂かれちまってるだろ、誰か知らんけど」

「夏休み明けじゃねーんだぞ!」


 ザワザワと聞こえてくるクラスメイト数人の声。

 その内容がいつもより少し不穏だったから……。



「お、ヨシノブじゃん」


 そして、そのうちの一人、早馬に呼び止められる。


「おはよう早馬、何があったんだ?」

「ああ、それがな――北野が」

「北野さんが?」

「……変身した」


「変身?」

「ああ、第二形態!」


 ふむふむ、第二形態。


 ――え!?


 胸騒ぎを覚え、教室内に飛び込む!

 見慣れたクラスのはずなのに、いつもと雰囲気が全く違う。


 ざわついた空気。

 その流れはすべて、一人の女子生徒の席のほうに集中していた。


 北野 明里きたの あかり……そう昨日、俺と一緒にごはんを食べると約束した相手だ。


 ふわりと黒い髪を舞い上げながら席を立ち上がった彼女。

 ぷるぷると震える小さな肩。

 トレードマークの黒縁メガネを失ったきれいな目から強い怯えの感情が伝わってくる。


 この場の異様な雰囲気に耐えかね、逃げるように、縋るように……。

 たぶん、このクラスでも唯一の知人である俺の席を目指してくる。

 さりとてその程度のことで視線を振り切ることなどできようはずもなく――。


「お、おはようございます、昨日はありがとうございました。千寿せんじゅさん」

「お、おはよう……」


 ホームルームまでまだ20分以上もある……。

 この空間には耐えられそうにない。

 ――思わず北野さんの手を引いて教室を走り抜けた!

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