第4膳 回らない寿司屋で回り始める運命
ホテルから歩いて五分。
飲み屋が立ち並ぶ裏路地に入ってすぐのところにその店はある。
ヒノキ造りの黄色が眩しい。
「へい、らっしゃい!!」
「先ほど連絡した
「あい、お待ちしておりましたー!」
元気で暖かい声に迎えられるように暖簾をくぐる。
店はかなり空いていた。
さすがに日曜の昼前から回らない寿司を食べようという客は多くはないのか。
せっかくなので職人さんのワザを間近で拝見できる特等席を――。
一枚板がつやつやに輝く木目の美しいカウンター席を選ぶ。
どうせ個室にしたところで会話が弾むというわけでもない。
椅子を引いて北野さんを座らせた後、自分もその横に着席する。
「コース、松をふたつ」
「はい! 毎度あり!」
さて、何が出てくるか……勝負。
今も不安げな表情を浮かべている北野さんにどうか少しでも笑顔になって帰ってほしい。
(そうすればもっと魅力的なのにな)
まずは一貫目――。
職人さんがぽんとカウンターの上に直に置いてくれたヒラメの握りを手に取る。
「え? お皿は……」
「ああ、この手の店はこういうスタイル多いんだ。最近は下駄の上に置く店も増えてきたけどさ」
その横で北野さんも俺のマネをするように、ネタに少しだけ醤油をつけておずおずと口に運ぶ。
「おいしい、ですね」
「うん、ホントにうまい――!」
口の中でふわりとほどけるシャリの感覚を楽しむように転がした後――軽く噛んで飲み込む。
個人的に、寿司は最も完成された料理の一つだと思っている。
新鮮なネタがもたらす甘味。
わずかにつけた醤油の塩味。
シャリに閉じ込められた酸味。
そして、それらがワサビの爽やかな風味で一体に調和し、えもいわれぬ旨味を形成するのだ。
あとは茶で口のなかを洗い流せば苦味……五つの味覚が揃う。
すべての
「兄ちゃん、良い食べっぷりだね!」
「いやいや、大将の腕がいいからです」
――この店の大将の腕前はまさに、そんな持論を再度、確認させてくれる。
それからもイカ、カンパチ、それにとろりと脂が乗った中トロ……。
俺たちはカウンターの上に並ぶ海の幸を次々と食べ進んだ。
特に甘エビは格別だ。
荒波に揉まれ続け、ついぞ大きく育つことのなかった者たち。
しかし、その小さな体には他のエビに勝るとも劣らぬ量の旨味がぷりぷりと凝縮されている。
それをひとくちで二匹まとめて頬張る贅沢さときたら。
ロブスターも伊勢エビもたぶんコレには敵うまい!
「甘エビ、大好きなんですね」
「ああ、たぶん一番好きなネタだと思う――北野さんは?」
「私はマグロが! とろけるような味わいがたまりませんよね」
そう言いながら今日はじめての笑顔を見せてくれた北野さん。
声が大きくなっていた事にはっと気づき、顔を赤らめるサマも可愛らしい。
(彼女は中トロが一番好きなのか、思っていたより肉食系なんだな)
次は肉料理の店を押さえてみるのもいいかもしれない。
そうすればもっと彼女の笑顔が見られるだろうか。
(な?いいだろ、こういうの)
――ああ、悔しいが認めてやるとも。
いつもより寿司がうまいのは、きっと職人さんの調子がいいというだけではなさそうだ。
八貫勝負、最後に現れたのはウニ軍艦。
キュウリをハケのように使い、醤油をつけて口に運ぶ。
コイツは
舌の上にふわりと広がる上品な、しかしボリュームのある甘味がたまらない。
だが、それは口のなかの温度にすぐに溶けて消えゆく儚き夢。
ああ、わかってる、分かってるとも。
どんな美味しいものも食べたら無くなる。
せめて余韻を楽しもう。
そう思いながらふと北野さんのほうに目をやる。
……なかなかウニを手に取る気配がない。
だが、こちらの視線に気づいたのだろう。
憂いを帯びた表情でうんとひとつうなずき意を決したように手を伸ばし……。
「北野さん?」
「ごめんなさい、正直ウニはあまり……」
そう、それなら。
「もらってもいいかな?」
「お願いします」
彼女が頷いたのを確認して彼女の前のカウンターに鎮座する二隻目に手を伸ばす。
大和に続いて
「ごちそうさまでした!」
手を合わせる。
そんな俺の顔を見て、くすりと微笑む北野さん。
「え?」
「ご、ごめんなさい、貴方の笑顔を見ていたらつられてしまって……」
はっとする。
そうだ、旨いものを食べながら、しかめっ面を続けるのは難しい。
先ほど自分自身で言っていたことだ。
そしてそれと同じぐらい、他人の笑顔を見つめながらしかめっ面を続けるのも難しいのだろう。
「正直、貴方のことはよく分かりませんでした」
俺だって北野さんのことは全然わからなかった。
分かったことと言ったらウニが苦手で、一番好きなネタが中トロということぐらい。
「でも……貴方が食べてる顔は大好きです!」
――!?
「あ、あの! 次もごはん、一緒に食べてくれますか?」
「ああ、いつでも喜んで!」
「よかった、この髪型とか……変じゃないかって思ってたんです」
「大丈夫、似合ってるから!」
でもそれでいいのかもしれない。
また次の一歩に繋ぐことができたのだから。
「北野さんと一緒だったからかな、俺もいつもより美味しかったよ」
店から歩いてすぐの駅のホームで互いに手を振って別れる。
(――どうだった?初めての冒険は)
ああ、こういうの悪くないかも、しれないな。
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