第3膳 旨い物を食べながらしかめ面を続けるのは難しい
顔合わせの舞台は知る人ぞ知る老舗の高級ホテル。
そのロビーの一角にある喫茶室。
じいさんはそこを二人の顔合わせの場として整えていたようだ。
「「…………」」
互いの名前こそ告げたものの、ふたりの"顔合わせ"はもうそこからずっと停滞している。
ちらりとロビーの時計を確認、そろそろ十分経過といったところか。
出方を伺おうにも相手の目をまっすぐ見つめることすらままならない。
……反射的にちらちらと視線を逸らしてしまう。
ちなみに北野さんはコンタクトにしたのだろうか?
今日はトレードマークの黒縁メガネはかけていない。
それにいつも無造作に後ろで束ねているツヤのある黒髪もふわりとセミロングに下ろしていて。
うっすらとメイクを施しているのか、垢ぬけた雰囲気が漂っている。
(あれ? 今まで気づかなかったけどこの子、すごい美人じゃないか)
……
そんないつもと違う顔を見せる北野さんと俺の間を満たすのは冷たい静寂。
まだ10月も半ば、冬本番には程遠いのだがこの空気の中では頼んだコーヒーもすぐ冷めてしまうだろう。
「北野さん」
「はい」
「ご趣味は?」
「読書……です。慶喜さんは?」
「同じく、あとは料理を作ること……」
――会話が続かない、先ほどからずっとこの調子だ。
わかってほしい、この気まずさを。
俺はクラスでも決して孤立しているほうではないと思っていた。
友人だって多いほうではないがゼロというわけじゃない。
でも、それは茶道部トリオ、その「余ったほうの男子」としてのポジションがあった上でのこと。
そして、美鈴を除いてクラスの『女子』とサシで向かい合った経験などほとんどない。
その事実に気付くのが少しばかり遅かったのだ。
まして、今回の相手は――。
(せめていつも通りの北野さんならまだ良かったのに……!)
大体、こういう時ってどこかの世話焼きオバサンが仲人として横についているものだろう?
色々軽妙なトークで場を盛り上げ、場を温めてから
『それじゃあとは若いお二人で』
とお膳立てしてくれるような流れじゃないのか。
ああ、せめてコーヒーではなくクリームソーダでも頼んでおけばよかった!
そうすれば糖分が脳に回ってもう少しハキハキ対応できたかもしれないのに。
「あの、すみません、お手洗い行ってきます」
空気に耐えきれなくなったのか、気分をリセットするためか。
北野さんが立ち上がり、頭を下げて洗面所のほうに消えてゆく。
(あ。足、きれいだな)
黒いミニワンピースからすらりと伸びた足に目が行く。
――胸打つ鼓動の高鳴り。
テーブルの上に置いてあるコーヒーにミルクと砂糖をたっぷりとぶちこむ。
会話をますます難しくする感情ごと押し流すように、一気に飲みほした。
よし!濃い霧が晴れるように……脳が活性化してゆく。
「うん、決めた! 考えるのはもうやめよう!」
許嫁は実はクラスの陰キャ仲間でした。
しかも黒髪ロングヘアの似合う美少女に変身していました。
ああ、文章にしてみると素晴らしいよ。
早馬あたりが飛びついて来そうなシチュエーションだ。
だが、一つ一つの要素が複雑に絡み合って無理ゲー状態を作ってしまっている。
クラスの陰キャが二人対面したところで会話が始まるわけもない。
女子の方がちょっとムリめの美少女になったのなら尚更だ。
そして、この話が順当に進めば俺たちはいつか結婚して子供を作る間柄となる。
それってつまり、俺がこの子と……。
……。
そりゃこんなところで二人きりでまともに話せるわけがないさ!
こういう時は……。
「少し早いけど、ご飯でも食べに行こうか?」
慣れない丁寧語も放り投げ、程なく戻ってきた北野さんに問いかける。
「え」
「おいしいものを食べれば明るい気持ちになれる……だろう?」
「あ、そうですね!」
これは祖父から教わった言葉だ。
そして、うちの会社の社訓でもある。
実際、おいしいものを食べながらしかめっ面をするのは難しい。
ちなみに本来の予定では――。
もしも来たのが年の離れた相手ならば、ここの二階にあるカニ料理屋に行くつもりだった。
無言でカニを食い続ければ、金銭感覚に不安を感じて諦めてくれるかもしれないと思っていたからだ。
でも、同級生の女子が相手ではそうもいかない。
高校生活はまだ二年半あるのだ。
その間、ずっとカニ太郎などというあだ名を背負って生きていきたくはない。
(それに……このまま別れるのイヤだろう? せっかくのチャンスだぞ)
――うるさい!
心の中の声に一喝しつつ、この辺り一帯の旨いものマップを頭の中に展開。
以前行った事のある、間違いの無い店をリストアップする。
ラーメン……否、もっとフォーマルなものがいい。
焼肉屋……否、彼女の服に匂いをつけてしまう。
(おい、結局乗り気じゃん!)
そういえばこのあたりに回らない寿司屋があったような。
高校生のデートには少し高いと思うのだが交際費という形でお金をもらっているので今回は遠慮しない。
「お寿司がいいかな、この辺りにおいしい店があるし」
「あ、はい……喜んで」
「今日は俺がおごるよ」
うつむいたまま席を立つ北野さん。
彼女のほうにも気を配りつつ、ゆっくりと俺たちはホテルのロビーをあとにする。
もし、この縁談がダメになったとしても……。
今日は一日まるごと無駄にしたと思われないように、せめて満足感だけでもテイクアウトしてほしい。
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