第九話

 濃密なスモークが覆い尽くし、白いカーテンに包まれた。

 襲撃者たちの戦闘車両は、その白煙の中で停止し、エンジンの低い唸りだけが響く。視界は完全に奪われ、目の前にいるはずの敵の姿はおろか、自分たちの仲間の車両さえも見えなくなっていた。


 クラウンは、歯を食いしばりながら前方のディスプレイを睨んでいた。

 だが、

 そこに映し出されるのはノイズと乱れた信号だけ。

 御器囓ごきかぶりから放たれたスモークと、さらに散布されたチャフが完全に情報共有能力を奪っていた。


「何も、見えん!」


 焦りの声を上げる。

 スモークの中では、目隠しをされたまま戦場に放り出されるようなもの。誰がどこにいるのか、誰が攻撃してくるのか――何もわからない。

 クラウンの手のひらには、冷や汗が滲んでいた。

 彼は理解していた、この状況がどれだけ危険かを。

 情報がなければ戦えない、それは戦場の絶対的な真理。

 見える敵なら、対策も練りやすいし、反撃も可能だ。だが、今は見えない。それが何よりも精神的に重い負担を彼らに強いていた。


「致命的だな、情報共有ができないのは」


 クラウンの思考は止まらない。

 チャフの影響で、仲間同士の通信すら途絶えがちになり、今この瞬間、何が起きているのか全く把握できない。恐怖が次第に増幅していく。スモークの中で、誰もが自分の隣にいるのが味方か敵か、確信が持てなくなっていた。


「このままじゃ。同士討ちも、起こりかねない」


 クラウンは自身の胸に広がる不安を抑えきれなくなっていた。

 幾度となく戦闘を経験してきたが、これほどまでに視界を奪われ、情報も断たれる状況は初めてだった。

 このままでは誤射しあう光景が、それは地獄。


「通信を最優先に復旧しろ、なんとしてもだ!」


 このスモークの中で、敵が攻撃してくる前に、仲間同士が誤って砲火を交わしてしまうかもしれない。今、最も恐ろしいことだ。もしもそうなれば、戦力は瞬く間に半減し、敵の思惑通りになる。

 クラウンの胸は、不安と焦燥で締め付けられていた。


(消えろ、早く、消えろ、速く、この煙)

 

 心の中で自分に言い聞かせながら、ディスプレイに映るノイズに苛立つ。見えない敵との戦いが、これほどまでに恐怖を呼び起こすものだと痛感した。

 クラウンは必死に精神を保とうとするが、それでも心の中では明らかに動揺が広がっていた。目に見えない敵の恐怖。視界が奪われることで、攻撃の予兆が掴めず、いつどこから襲われるかもわからない。心理的な圧迫が、じわじわと彼の神経を蝕んでいく。


「見えない、敵」


 クラウンは拳を強く握りしめた。

 敵の姿が見える戦いならば、対策も打て、迎撃もできる。

 しかし、

 この視界不良の中では、何もできない。闇の中で手探りをしながら、自分が次に攻撃される瞬間を待つしかできない。

 精神的負担が膨れ上がる。

 視覚的な情報が欠けることで、部下たちの中には恐怖が広がっていることも判る。彼らの顔には明らかに焦りの色が浮かんでいた。指揮は維持しているものの、誰もがこの不安定な状況に心のバランスを崩しかけている。


「こんな状況が長く、続けば、続くほど、不利になる」


 クラウンはそう感じていた。

 見えない敵と戦うことが、精神にこれほどまでの負担をかけるとは予想外だった。常に背後から何かが襲いかかるかもしれないという不安感が、思考を麻痺させ、判断力を鈍らせる。味方同士が次第に疑心暗鬼に陥り、一つのアクションでパニックが広がることが、一番恐ろしかった。


「見える敵の方が、はるかにマシだ」


 その一言が、クラウンの心の中で繰り返される。

 視界が戻り、敵が目の前に現れれば、迎撃する準備はできている。だが、今はそうではない。彼の頭の中には、最悪のシナリオがいくつも浮かび上がっていた。


「ハレテくれ」


 彼の胸を締め付ける恐怖感は、時間が経つごとに増していった。果たして、彼らはこのスモークと混乱から抜け出せるのか。見えない敵の恐怖は、容赦なく彼らを追い詰めていく。




「晴れるぞ、注意しろ!」


 声が震える。

 彼の目の前には、ようやく視界が回復してきたが、空間に対する漠然とした恐怖が押し寄せていた。


 御器囓ごきかぶりの存在が、白煙の向こうから姿を現した。

 高まるエンジン音は、獣が咆哮しながら飛び出してくるかのように、荒々しかった。真っ白な六輪駆動の巨大な戦闘装甲車が砂煙を巻き上げながら、猛然と襲撃者たちの車両に向かって突進してくる。


「あれ! なんなんだ!?」


 一人が叫ぶ。

 彼の声には恐怖が滲み出ていた。目の前に現れたその車両は、想像をはるかに超える巨大さを誇っていた。六輪が独立して動く車体は、生物のようにしなやかに地形に合わせて上下しながら進んでくる。

 その姿は異様で、何か得体の知れないモノが迫ってくるかのようだった。


「強襲だ! 撃ちまくれ!!」


 クラウンが叫びながら、指示を出した。が、御器囓はすでに最高速度に達していた。巨大な戦闘装甲車が地面を蹴り飛ばし、重力を無視した加速力。

 その速度は、車体の重量に対して――驚異的だった。




 砂漠の広がる巨大な砂丘を背景に、御器囓は轟音と共にその姿を現した。

 目の前には襲撃側の車両が並ぶ、主砲、ミサイル、機関砲が宗一郎を狙っていた。彼らは全力で止めるべく――放つ、一斉に。


「数撃ちゃ、当たるって」

『悪い考えではない』


 御器囓のインターフェイスに表示された敵の攻撃パターンは、波のように次々と押し寄せてくる。

 ところが、

 宗一郎の次なる行動は、決定していた。


「飛ぶ」

『了解』


 クラッチペダルを踏み込み、アクセルペダルを煽った瞬時、飛行モードに移行した。

 エアフラップが展開され、砂を巻き上げながら車体が浮き上がる。

 ミサイルが着弾し、爆風が巻き起こる。が、御器囓はその爆煙の上空を一気に、飛び抜ける。


「サス、よろ」

『任せろ』


 地上に吸い付くように着地した。

 ハンドルを小刻みに動かし、車体を制御させた。飛行したことを忘れているのではないか? と思わせるように、何事もなく走行。


 狙って放たれる、砲撃。

 巨大な大砲が火を噴き、轟音と共に砲弾が飛来する。ただの戦闘装甲車なら回避不可能なタイミング。

 アクセルを一気に踏み込み、 車体が加速し、速度を上げる。クラッチを切り、右手でシフトレバーを操作しながら、ギアを落とした。

 車体は前方にある障害物を避けるように急激に傾き、重心を大きく移動する。

 六輪駆動の生物模倣バイオミメティクスシステムが、力強く反応し、砂漠の荒れた地形に応じた動きを見せた。

 砂を掴み、方向を変える。

 生き物がその身体を柔軟に使いこなすかのような、ダンス。で、砲弾を軽快な動きで、躱す。




「生け捕り、な。ヴァンケル」

『対戦車ミサイルを撃ち込んでおいて、今さらだと思うぞ。宗一郎』

「運のいい奴らだから、撃ち込んだ」

電磁加速砲レールガンを使用する』


 敵の動きが映し出されていた、ディスプレイに。

 サーマルイメージングが作動し、敵車両の表面温度が色分けされ、熱を帯びた部分が鮮明に映し出される。緑色で示された部分は、装甲の薄い箇所。

 その部分に照準が、自動的に合わさる。


『発射する』

「中にいるヤツに当たらないように、祈っている、わ」


 御器囓に搭載されている武装のレールガン。


 内部が鼓動するように脈打ち始める。

 生物の筋肉がエネルギーを蓄えるかのように、細胞状の組織が内部でプラズマエネルギーを吸収し、それを限界まで増幅させていく。

 神経信号が筋肉を収縮させるかのようにエネルギー伝達され、電磁コイルが生成するプラズマ。

 機械的な動作とは異なり、このプロセスは――生命のリズム。

 砲身内部は、生体組織と超軽量で強靭な素材を絡み合わせた特殊合金。その表面は、生きている皮膚のように微細な動きを見せ、外部の衝撃を吸収しつつ、内部のエネルギーを最大限効率的に伝達する。

 外部衝撃から守りつつ高速移動であっても、レールガンの性能安定と御器囓の劇的な反応速度に対応する。


『FIRE』

「当たるな、よ」


 轟音と共に弾体が放たれた。

 細長い弾体は、進行し、空気を切り裂いていく。超音速で飛び出した弾体は、一瞬のうちに敵車両装甲のもっとも薄い箇所に到達した。

 装甲を貫き、内外金属が歪み、火花を散らした。

 車両の被弾したところが大きく膨張し、炸裂音と重厚な装甲が崩れ落ち、飛び散る周囲に破片が。


 そして、車両の先頭部が砂漠にめり込んだ。


「死んだんじゃ、ね」

『エンジンルームを狙った、問題ない』


 車内の襲撃者たちが、外へ、外へ、と飛び出していく。


「ぉ。生きてた」

『問題ないと言っただろ』

「わるい、悪い。この仕事終わったら、アイス食わしてやるから」

『なに! あじ!?』

「ひ、み、つ」

『ぶーぅー。けち』

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