34 街は泣いている


 1


 絶対に家から出ないこと。

 南城が、瀬奈と渡嘉敷に送った、現時点で最後のメッセージ。

「……李人」

 その通りに、瀬奈は自宅にこもり、窓から空を見上げていた。曇天というほどではないのだが、心なしか少し街全体が暗くなったような気がする。

 それっきり南城との連絡が取れなくなった理由は、ふたつある。

《現在、主要携帯キャリア各社、その他大手通信業者のほぼすべてのネットワークで障害が発生しています》

 ひとつは、彼が文字通り"仕事"に出かけたため。

 もうひとつは、街宣車によってそのようなアナウンスがなされている通り、通信そのものが不能となっているためだ。

《大変危険ですので、不要不急の外出は控え——》

 電話、インターネットはおろか、テレビやラジオも封じられている。ここまで大規模な障害は、多くの人にとって初めてだ。

「南城これ……大丈夫なのかな〜……やばいよな〜……!」

 そわそわと、彼もまた自宅で待機する渡嘉敷。屋外から、大きな物音や、混乱が少しずつ伝わり始める。街は、普通じゃなくなっている。

「頼む……生きて帰ってきてくれ……!」


 人々の願いが行き交う空を、四体のステラが横切ってゆく。


 ◇


《現在都内全域で電波障害が発生中》

《ヴォーグ社による大規模ハッキングが原因で間違いないわ。何が起こるか分からないから、充分気をつけて》

 マスク内に絶え間なく響く通信音声は、TWIST専用の極秘回線を使って届いているため、外的影響をほとんど受けることはない。

 問題はそれを受け取る身体の方にあった。聞き慣れたはずの声の数々が、スムーズに頭に入ってこない。スーツの持つ強烈なエネルギーに、身体が着実に疲弊してきている証左だ。

「気をつけてってのは、ぼちぼち聞き飽きたなあ、杏樹さん」

 冗談で切り返すセルリアンだが、その声には疲労の色が滲んでいる。マスクの中も脂汗でじっとりとしているし、他三人にもそれらは現れ始めていた。

「みなさん……まだ大丈夫ですか」

「七尾、お前に一番聞きたいよ。病み上がりだろ」

 少しずつ四人の高度は下がっていく。目的地が近づいてきているためだ。ホワイトの冷気攻撃により命の危機に瀕した七尾の健康状態が最も危ぶまれることを指摘しながら、ジェイドはそのままローズにも体調を尋ねた。

「俺か? 俺はまだまだいけるよ。リスキーなスーツってのは一回自社製品で経験済みだからな」

 笑えないローズの冗談だが、今聞く分には少し優しい。少なくとも彼がまだ戦える状態であると確認するには充分だった。

 そして、彼らの目の前に浮かぶ、あるひとつの物体。

「……あの空輸機」

「ああ。ビートルローブのばら撒き役だな」

 既に物騒な音や声、火花や爆発で混沌としはじめている街。あの空輸機は、もうローブを街に投下するという役目を終えて帰還するところだ。

「ローブの総数、概算どうですか」

《四千は確実に。ただ、全容はまだわかってません。五千……一万あってもおかしくはないです》

 人々を取り込むかのように装着させ、望まないサバイバルに駆り立てる。市民をふるいにかける目的で作られたローブなら、その数はもはや人口と同じ数こしらえていても不思議じゃないということか。

 眼下に見下ろす街路では、既にそのサバイバルが始まってしまっている。普段なら自分たちの周りだけで繰り広げられている光景が、今は街の至る所に広がっている。

 投下されたビートルローブはその時点で既におおよそ人型の形をなしていて、前面が開き切っている状態で自律推進している。逃げ惑う人々の背中にぴったりと引っ付くと、そのままロックをかけるかのように前面までその身を囲い込み、みるみるうちに精神を汚染しては戦闘マシンとして動き出す。

「うおりゃあ!」

 先陣を切ったのはローズ。スパーダ・ドーロをセントラルユニット接合部めがけて振り下ろす。ライノローブ戦の頃はセントラルユニットの切り離し方も心得ていなかったが、今や手慣れたものだ。

「やっぱりな。個々のスペックはそれほど高くない」

「あくまで同個体同士を戦わせるだけで、俺たちとの戦闘を想定していないだろうからな」

「でも……」

 四人全員が着地し、改めて街一帯を見回す。今やもう、スーツに食われず逃げ続けている人の方が少ない。そのおびただしいまでの物量に、うっすらとでも絶望感を覚えたことは間違いなかった。

「キリがない……ですよね」

「多勢に無勢か」

「ひるむな! 俺たちの時間も限られてる! 一気に行くぞ!」

 セルリアンのかけた発破に乗り、四人が走り出す。

 ローズはそのままスパーダ・ドーロで次々にローブを捌き、ジェイドもまたSSジェイドブレードで同様に切り捨ててゆく。マンダリンとセルリアンは地上を少し離れ、ファンネルとマグナムによる遠隔攻撃でジェイドたちの進む道を空ける。

 身体が、少しずつ錆びてゆく感じ。

 次から次へとローブを捌いてゆく中で、アップデートプログラムにより蝕まれてゆく身体の状態を表現するには、これが最適なような気がした。

 振り下ろす腕はずきずきと痛むが、スーツ自体はその動きを鈍らせることはない。乗っ取られているわけではないが、アシストという名の呪縛が、彼らの戦いを緩ませない。その上、フルドライブし続けるスーツの中で、余剰エネルギーの僅かな逆流が静かに続いているのが、数値化こそされていないが体感でわかる。その影響もあって、どこまで行っても減退しない戦闘能力とは裏腹に、装着者たちの身体はどんどん蝕まれていった。生命維持機能を保証しない、とはこういう意味だったのか。

「やったか!」

 無心で剣を振るいながら、そんな自分の身体と対話していた南城だったが、気づけば付近一帯のローブを鎮圧することには成功したらしい。

「……いや」

《南の交差点です!》

 そんな安堵も束の間、警告通りの場所から次なるローブの波が押し寄せる。

「くそ、まだいやがった……」

「まあ、そりゃそうなんだろうけどさ」

 セルリアンとローズの辟易もよそに、獲物を見つけて勢いよく飛びかかるローブ——


 ——しかし、そのローブはひとつの大きな影によって、瞬きの隙間に爆散した。

「っ⁉︎」

 その影は、何の前触れもなく四人の目の前に現れ、片腕を振り上げてローブを弾いた、ただそれだけだった。


 身に纏うただならぬオーラを受けて、無意識のうちにジェイドはこぼした。

「——マスター、ローブ?」


 ◇


「——ステラシステム、試験機?」

 倉敷に導かれるまま、雨宮はTWIST本部の地下深くへと潜っていた。察するに、組織内でもごく限られた人間しか立ち入りを許されていないであろう場所だ。

 目の前に現れたのは、真っ黒な装甲が重厚に折り重なる、屈強なコンバットスーツ。

 パーツの縁には"SBZD-A001"との刻印が点在する。

 仮にもザイオン製品、ローブ、そしてステラに長く触れてきただけに、雨宮の目にもその違和感は明らかだった——現在稼働中のステラ四機には、"B00〜"というナンバリングが施されているからだ。

「お察しの通り、現在運用しているステラシステムは全て、厳密に言えば第二世代機なんだ。唯一の第一世代機にして、その規格外のパワーゆえにお蔵入りしていた幻のステラが、これだ」

 圧倒される雨宮に目をやって、君のことだからきっと好きだろうと思ってね、と続けた。

「……今も使えるものなのか、これは」

「もちろん。埃を払って、少し温めればすぐにね」

 それまでずっと、目の前にそびえ立つ黒いステラに向き続けていた身体を、倉敷はふと雨宮の方へ向ける。向けるやいなや、雨宮の両肩をその大きな手で掴み、半ば無理矢理に自分の方へ向けさせた。

「雨宮くん。今うちの四人が立ち向かっている最後の決戦に、もし君が力を貸してくれるというのなら、このスーツを貸与する」

「なっ……!」

 雨宮は絶句した。元はといえばTWISTをひたすらに妨害し、人命を脅かし続けてきたこの自分に、この男はステラシステムを貸し与えるというのか。

「……俺が裏切るとは思わないのか」

「どうして。私たちを裏切っても、君の夢は叶わない。それは君も、もう知っているはずだ」

 夢。

 いつからかわからないが、それは雨宮が自然と遠ざけてきた言葉だった。

「君自身の夢が明らかになった今、君が私たちを敵視する理由はないね? それと同じく、私たちが君を敵視する理由もない。本来技術とは、人と人とを、今と未来とを繋ぐものだと、私は思うからね」

「そんな……そんな綺麗事で……」

 倉敷の手が、改めて雨宮の両肩をパンと叩く。

「そう思うなら確かめてみることだ。……きっと君の手だとしても、いや今の君の手であればこそ、彼らは快く借りると思うよ」

 奥歯に、両手に。

 ぎりぎりと力が入って、抜けてくれない。

 悔しさとも、恥ずかしさとも——喜びとも違う、むず痒い気持ちが雨宮を襲い、気づけばその瞳は一筋の涙をこぼしていた。


 2


 マスターローブ:レインボー・ゲート。

「あんたが……」

 ヴォーグ社の技術の結晶であり、テロ組織フロントの計画遂行のために用意された、ルナローブの王。

「フロントのリーダー、レオンだな」

 白い装甲の各所には、光の加減で七色を返すクリアパステルが差し込まれている。これほど美麗なビジュアルを携えたルナローブを、誰も見たことがなかった。どちらかといえば、その折り目の良さはステラシステムに近いとすら言える。

「……会えて嬉しいよ、TWISTの諸君」

 その口調は壮年の落ち着いた男性そのもの。全世界各地に戦火を放ち、今まさに首都をカオスに包み込もうとしている人間のそれとは、まるで思えなかった。

「もうやめにしないか、こんなこと。ヴォーグだってもうとっくに総崩れだ」

「ヴォーグがどうなっているかは関係がないな。あの会社は元々、我々の隠れ蓑として作られたものだからな」

「何……!」

 ステラの回線を通してレオンの声を聞いていた杏樹も、思わずデスクを叩きつける。今まで必死に対抗してきた敵勢力が、隠れ蓑? 傀儡? 踊らされていたのはTWISTだった。

「社長がどう言っていたか知らないが、あれだけ腕の立つ幹部をよく集めたものだ。時間稼ぎくらいには、なったな」

「あいつらさえ捨て駒だったっていうのか!」

 レオンはマスクの下で不敵に笑う。当たり前のことをわざわざ聞くな、という少しの苛立ちも含んでいるように聞こえる。

 契約は対等だ。

 契約行為、そしてその履行だよ。

 それぞれ佐渡と松雪の言葉だ。全く立場の異なる二人——しかしそのどちらもが実際にはフロントの思惑に振り回されていたに過ぎなかったとは。

「悪魔だ……。散々世界を荒らし回って、いったい世界の何を見てきたん——」

 言葉の途中に、レオン——マスターローブの姿が消える。現在のステラとも張り合うほどの超高速で接近し、ジェイドの胸ぐらを掴み上げた。

「がっ…!」

「人間の醜さ、だよ」

 その声は、威勢も威厳も、怒りも悪意もない。極めてフラットな語り口だった。

「大量化、複雑化を極めた大都市にローブを投入し、適性のある人間だけを生存させる、クリーンアップが私の夢だ。未来に生きる人間のための、テクノロジーの愛ある使い方だ」

「ふざけんな……そんなの、愛じゃない……! 科学者の傲慢だ!」

 どうにか腕ずくでマスターの手元を離れたジェイド。身体は着々と蝕まれているが、なるほど、これがなければ今頃マスターには太刀打ちできずに死んでいた。

「…綱海か」一方、マスターはジェイドからこぼれた"科学者"という単語に反応していた。「あのなりで、お喋りな奴だ」

 その言葉を流しながら、ジェイドは埃を払いつつ立ち上がる。

 あのなりで。

 側近であったはずの綱海でさえ、その言葉からは一定の距離を感じた。

「——確かに、あんたの見た人間の醜さっていうのは、本当かもしれない」

 装着者たちの脳裏に、様々な人の記憶が蘇る。生徒への想いゆえに力を求めた教師、一方的な感情に飲まれ脅迫に走った女性、歪んだ正義を執行しようと私刑に走った青年——。

「でも、ルナローブがそれを新しい悲しみで上塗りする力なら、ステラはそこからみんなを掬いあげて、やり直させる力だ」

「分からないな。やり直して気持ちいいのはそいつだけだ。それがこの星の、何になる」

「……あんたもあくまで、目指してるのは世界平和、って言いたいわけだな」

「解ってくれて嬉しいよ」

 言葉の終わり際にはもう、マスターは再び動き出していた。そのつもりではいたけれど、やはり戦うしかないのか。

 振りかざしたSSジェイドブレードだが、マスターの左腕で早々に受け止められ、すぐさま右腕がジェイドのマスクに打ち付けられる。その背後からSMローズシャフトを叩き込もうとするローズの動きすら読んでいたのか、ジェイドを討ち払ったマスターの身はそのまま流れるように翻り、空振りとなったローズの背中に踵を打ち込む。

 動きが、流麗すぎる。

 流れる水のようだと思った。掴みどころがなく、それでいてしっかりと重たい。

 そのうちにRPセルリアンウォールズによって四方を囲い込まれていたマスター。セルリアンとマンダリンによる同時射撃はウォールズに反射することで乱れ撃ちとなり、ローズを踏みつけたままのマスターを全方位から攻撃する。しかしそれらを一切ものともせず、セルリアン・マンダリンと同じ高度まで浮上したマスターはそのまま二人を一蹴してしまう。

「くそ……マキシマム・ドリップ!」

「ヴィヴィッド・キャリブレーション!」

 落下するセルリアンがそのまま全身を広げ、隠し銃口からすべての弾丸を解き放つ。マンダリンのリモートアシストによって、それらはひとつひとつが追尾弾となる。

「喰らえ…!」

 上空へと描く無数の弾道は目標へと確かに到達こそすれ、その身から放たれたエネルギー波により見事なまでに振り払われてしまった。

「ぐあぁっ!」

 そのすぐ後、今度は翡翠色と黄金色の軌道がそれぞれ、左右の視界の端にちらつく。

「サイクロン・スカッシュ!」

「コルポ・ディ・フルミネ!」

 二方向からの挟撃。ジェイドとローズがそれぞれの剣を振るいながら急接近。一対一では今ひとつ届かない力の差も、同時攻撃なら埋められる。

「あんたの絶望を! 俺はわかってやれないかもしれない!」

 火花を散らしながら拮抗する、ふたつの刃と二本の腕。

「それでも! ……こんなやり方、絶対間違ってる!」

「そうだ! 人は変われる! 俺みたいにな!」

 ジェイドと、それに追随するローズの叫びが、両側からマスターを圧し潰す——

「何もわかっていない!」

 ——そう思いかけた時、やはりマスターは驚異的なエネルギー波を放ち、二人を振るい落としてしまった。それは今までで最も強い語気を纏った声だった。

 どさっという鈍い音を立てて崩れ落ちた四人。全員での連携攻撃を、しかもこれほど畳み掛けてなお、マスターのスーツには傷跡の一つも残せていなかった。

「——前言撤回だ。こんなスーツを打倒できなかったヴォーグの連中は、仕事を全うしたとはいえない」

 無情な呟きと共に着地したマスターは、興が冷めたように投げやりに歩き出す。期待以下だったこの戦いを早々に終わらせ、本来の目的の達成に専心しようという雰囲気だ。

 悔しすぎた。

 アップデートプログラムを実装し、その上でこれほど全力をかけても、マスターローブを倒せない。

 そして今、フルドライブしているはずのスーツが、動かない。あれほど身体をなりふり構わず引き摺り回したこのスーツが今、音をあげている。一時的なものだとしても、今動かなければ何もかも意味がないじゃないか。

 ここで、終わりなのか——


「レオンさん、お久しぶりです」

 男の声と、銃声。

 それだけで、マスターの不意をつき、その動きを止めるには充分だった。

「だっ…誰…」

 ゆっくりと振り返るマスターの後ろで、ジェイドはそう言いながらも、それが初めて聞いた声ではないような気がしていた。

「あなたの部下に、気に入っていたスーツを駄目にされた。請求書は、あなた宛でいいですね」

「……お前か」

 そこに立っていたのは、ステラシステム——のように見える、真っ黒で無骨なコンバットスーツ。マスクオフ状態のその顔は、ジェイドを含め誰にも見覚えのないものだったが、しかしやはりその声には既知感が否めない。

「……ステラジェイド。情けないですね、私の——いや、俺の心をあれほど魅了しておいて、その体たらくとは」

「あんたまさか!」

 部下に、気に入っていたスーツを駄目に——

 心をあれほど魅了しておいて——

「……本当の、レイニー・ホリデイ」

 言い当てたジェイドに、いたずらな、しかしどこか嬉しそうな笑みを浮かべ、男はマスクを装備した。

「今は、こう名乗ろう——ステラブラック、雨宮大河!」

 葛藤の末に、答えを、夢を確かめた雨宮。

「何の真似か知らねえけど、俺らも知らないステラを引っ張り出してきたってことは、倉敷さんの手引きだな」

「……助かるよ」

 彼はようやく初めて、自らの本当の名前をステラたちの前で名乗ったのだった。

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