30 白い闇
1
ローブ犯罪と、一見関係のない薬物売買との奇妙な関係性。それを繋ぐものは、奇しくもTWISTの上層組織・国家安全局に籍を置く者の思惑だった。
失望的な事実に、機動室は打ちひしがれる。
「呆れた」
ぽろりと吐き捨てられたのは杏樹の落胆。無理もなく、そして誰もが同意する感情表現だった。
自らの身の危険を感じたのか、すでに佐渡の行方はわからなくなっているという。その足取りは現在根室が追跡中だが、籍を置く場所が場所だ。尻尾が見えるのも時間の問題だろう。
「でも、なんでこんなこと……」
「どうせ美味しい契約のひとつやふたつ、見繕って丸め込んだんだろう。元々あちこちに通じてる会社だし、ほかの人間を新たに買うのも別に難しいことじゃないわな」
滝沢の推察の通りだろう、と倉敷も同意した。しかしかつて国家安全局に身を置いていた人間として、いま最も心を痛めるのは他ならぬ倉敷のはず——。
「本部長。きっとこのことが知れれば、世論は相当厳しいでしょう。……そのためにも、他でもない私たちの手で、事態を収束させる必要があります」
筑波の力のこもった言葉に、機動室メンバーも漏れなく同意する。落とし前、という言い方が最適だろう。上層組織とはいえ、身内の失態は自らの手で正す。それに、佐渡を捕まえることで、新たに得られる手がかりもそれなりにあるはずだ。
「なんたって、テロ組織も相手してるわけだもんな。変なことで足元掬われてる場合でもねえ」
「そうそう! 真実が闇に消える前に……頑張れ〜〜私のかわいい相棒〜〜っ!」
根室の両肩を揉み、はしゃぐ高槻の甲高いエールと腕力は、追跡作業に専心する根室の集中力を見事なまでに削いだ。
「そう思うならひとりにしてください……」
◇
「オートマティックドライブシステムの試験データ、見ていただけましたか?」
伊吹は不機嫌だった。
別に珍しいことではない。そもそもが生理的にあまり受け付ける方ではないこの鼻につく態度の雨宮が、部屋の扉を叩くたびに伊吹の苛立ちは急上昇するからだ。
「見ないわけがないでしょう」
「発動プロセスに問題はありませんでしたが……改良の余地は、大いにあるかと」
「だから見ればわかる」
ヴォーグにおける技術開発部門のヘッドは伊吹だが、それに対するキュリオシティは雨宮の方が強い傾向がある。それはある種の愛情と言っても過言ではないほどに。
一方で伊吹は、それが本職でありポリシーやプライドもあるが、その源泉は愛や情熱とは少し異なる印象であった。極めて内発的なモチベーションを指針にして動いている。雨宮もそう感じていた。
「……我々はもしかすると、立場を交換した方がうまくいくのかもしれませんね」
「冗談でしょ」伊吹は即答する。雨宮も、言い出した時には微笑んでいたが、すぐ真顔に戻って答えた。「冗談ですとも」
その時、ふと扉が開いた。ノックの音は……聞こえていない。
「冗談を飛ばし合う余裕があるんだねえ」
これほど気のままに入ってくる、そして雨宮と伊吹以外にこのフロアにいる、そんな人間はただひとり。
「松雪くん……帰ったのですね」
「あなたこそ、ここのところ随分余裕そうだったけど」
松雪壇(まつゆき・だん)。ヴォーグ社役員の最後の一人であり、作戦参謀である彼の風貌は、しかしこの三人の中では最も若くカジュアルで、その人物像も掴みどころがない。
「何せ、女の子とお茶をするくらいですものね」
「よしてほしいな。れっきとした仕事なんだから」
怪訝な表情を浮かべる雨宮と伊吹の端末から、ふとデータ受信音が鳴る。送信元は他ならぬ、松雪壇。
「……これは…⁉︎」
「あなた……こんなものを、どこで……」
絶句する二人の瞳に反射するディスプレイ。そこに映し出されているのは——
「……もちろん、お茶の席だよ」
ステラマンダリンの基礎データ、その一式であった。
2
「出してくれ」
男の足取りはどこか忙しなく、周囲をちらちらと気にしているようだった。
素顔を庇うように車に乗り込むと、黒のセダンが沈み込み、ブレーキランプが明滅して静かに動き出す。
「佐渡先生、よろしいんですね」
「当たり前だ。他にどうしようもない。……あとのことは、くれぐれも頼んだぞ」
「……お世話になりました」
ハンドルを握る秘書らしき男は、その男——佐渡を港まで送り届ける任を担っていた。
が、その任が最後まで無事遂行されることはなかった。
「っ!」
「なんだ!」
秘書が思い切り踏みつけたブレーキペダル。反動に跳ねたのち、フロントガラスの向こうに目をやると、そこにいたのはバーニア噴射で滞空する三体のステラシステムだった。
「お出かけ中悪いね、佐渡先生」
「複数犯罪幇助の疑いで、身柄確保です!」
ここで終わってたまるかと再びアクセルを踏みかけた秘書だが、それを佐渡は制止し、後部座席から降りた。
あまりの呆気なさに、秘書も、ステラたちも目を丸くする。
「……おお。潔いのは、いいことだな」
「感心してる場合ですか。なんでヴォーグに協力なんかしたんですか! 佐渡情報処理部長!」
ジェイドが佐渡を問いただす。臨時チームが収拾した数々の証拠がジェイドの懐には隠れているが、これを紋所のように突き出す必要は——
「……感謝の言葉はどうした?」
「何?」
——なさそうだ。一転して佐渡は真っ黒な笑みを浮かべ始める。
「TWISTのためじゃないか。君たちがより戦いやすくするために、遅かれ早かれ捕まるであろう薬物捜査対象者をヴォーグに……流した。捜査チームも手間が省ける、君たちも功績が増える、捜査対象者たちは君たちの技量をもってすれば百パーセント捕まる……。誰にも損失のない、最高のエコシステムじゃないか」
「のやろ……安全局の人間が言うことじゃねえ」
セルリアンの憤りには他二人も同意する。
「彼らの罪を未然に防ぐのが、可能な限り軽くするのが、俺たちの仕事じゃないんですか!」
「科技捜のガキが! スーツを着替えた程度で正義を語るな!」
さらに反論しようとするジェイドだが、掌を広げてセルリアンがそれを制した。ジェイドも、佐渡も不意をつかれる。
「あんた……ヴォーグにいくら積まれた?」
心頭に達する怒りを精一杯鎮静し、セルリアンが佐渡に問うた。
「あ?」
「確かにヴォーグが捜査情報を引っ張るのに、あんたは最適な人材だ。でもヴォーグだぞ? あんたごときの管理職に、対等な契約を持ちかけるとは思えないんだよなあ」
「自衛官崩れが、国家安全局を侮辱するのか。……契約は対等だ。病弱で机仕事しかできなくなった窓際自衛官が、妬みでものを言わないことだな」
以前ならここで手が出ていたであろう滝沢も、自分との折り合いをつけた今、煽られれば煽られるほどその怒りはすーっと冷めていく。佐渡に抱く感情が、どんどん無に近づいてゆく。
「お前たちの手を借りずとも、俺は俺の力で生き残るさ。そこをどけ」
ジェイドはその佐渡の言い回しが気になったが、すぐさまこの先を通すわけにはいかないと答えた。話のわからないやつだとか何とか言いながら、佐渡は後部座席に持ち込んでいたアタッシュケースを引きずり出す。
「……あんた自身もやっちまってたわけか」
悲しそうでも、悔しそうでもある静かなジェイドの声が漏れる。
そのアタッシュケースの中身は、彼らにとっては見飽きたものだった。
「凶器も使いようだ。お前たちには技術の本質がわかっていない」
少なくとも、ローブ犯罪が発生したばかりの頃は、もっとアタッシュケースの個数も多く、装着も各パーツひとつずつ着用する必要があった。
「科技捜が笑わせる。結局国家安全局の統制がなければ、」
しかし昨今鎮圧したローブの残骸からも葛飾が示唆していたように、その装着シーケンスは大きな変化を遂げていた。
「捜査も、まさに鎮圧もままならないだろうが!」
変形・展開機構が大きく進化し、そうして佐渡が口を動かしている間にもあっという間にスーツがその身を包み込んでしまった。まるで何かを見越しているかのような急激な進化だ。
「…なあ葛飾さん、ステラもああしてくれたら便利なんじゃねえか?」
《ふふ、検討中です》
◇
「……面白そうな遊びをしているじゃないか、佐渡英二」
その戦いをモニターしていたのは、機動室だけではなかった。
「僕も混ぜてもらおうかな」
3
ついに着装を完了した佐渡。彼の身に纏うスーツには"レオローブ:ブラック・サン"と刻印されていた。
「南城さん! ブレードでスピード勝負です!」
「心得た!」
マンダリンの分析結果をもとに、SSジェイドブレードを手にしたジェイド。一気に距離を詰め、素早い剣捌きでレオに先制攻撃を仕掛ける——
「うわっ!」
「南城!」
が、レオの全身から勢いよく炎が溢れ出し、彼を中心に渦を巻いて拡がった。圧倒されたジェイドは斬撃を制され、高熱回避のため再び距離を取る。
「真っ黒い…炎…!」
「厄介だな。ただの炎じゃない、超高温だ。迂闊に近づいたら——」
《ステラのスーツでも、長くはもちませんね》
言葉を紡ぐように、葛飾の説明がセルリアンに続く。
確かにレオローブの単純なスペックだけを見れば、マンダリンの導き出した通り、戦いの心得を持たない佐渡を早々に追い詰めて倒すのが最適解であった。しかしあらゆる能力値の差を焼き尽くすその炎の存在を鑑みるに、このままでは戦いにならない。セルリアンマグナムの銃撃も、あの炎に焼かれれば本人に命中する前に朽ちてしまうだろう。
「考えろ…何かあるはずだ…!」
「ほう?」じりじりとレオを見据えるジェイドに、レオが問う。「考えている暇があるのか?」
そのままレオは片手を突き出す。その腕に纏わりつく炎が蛇のようにジェイドに向かって吹き出し、やがて火炎放射そのものとなった。
「くそ!」
《気をつけて! 近づくのは危険だけど……距離を取り過ぎればその隙に逃亡される》
杏樹の警告に三人は歯を食いしばる。そんなことは明白——でありながら、成す術がないからだ。
「社長は!」
《呼んではあります!》
「役立たずのバカ社長が……」
直後、それはさすがに少し言い過ぎたとジェイドは反省したが、とはいえこの場にいてくれなければ戦力とは言えない。
どうする。どうする。
「おーい」
そこに、何とも気の抜けた声が聞こえる。
その場にいた全員が声のした方に振り向くが、最も露骨に反応を示していたのはマンダリン——七尾だった。
「なんだ…?」
「あなたは…!」
こちらに向かってこつこつと歩みを進めてくるその男の身を、爪先から首元まで外套が覆い隠している。唯一見えるその顔は、七尾の見覚えのあるものだった。
「楽しそうじゃないか。僕も入れてほしいな」
「……なんだ七尾、知り合いか?」
「カフェのナンパ…」
はあ? と戸惑う南城たちをよそに、七尾の目は男に釘付けとなる。
なぜなら、男が外套を脱ぎ捨てた——その下に隠れていた男の全身が露わになり、彼がプライムローブを装着していたことが明らかになったためだ。
「うそ……ヴォーグの、役員……?」
「黙っていて、すまなかったね——七尾瑠夏、ちゃん」
第三のプライムローブ、その名もホワイト・ギフト。それが彼の正体だった。
◇
そこは雨宮ですら踏み入ったことのないフロアだった。
ずっとこの会社にいながら、そんなフロアもあるものかと訝しみつつ、使者と思しき社員の案内のままに、エレベーターを降りる。
知っておいてもらいたいことがある。それが社長の誘いだった。ところがこのフロアは社長室でも何でもない。使用されていないフロアとして認識していた場所だ。
「失礼致します」
「おお。よう来たよう来た。座り」
朗らかな声が真っ直ぐに飛んでくる。関西弁を使うその男が、ヴォーグ社社長だ。弱冠二八歳にして様々なビジネスを成功に導き、自由を手にした今となっては会社経営にほとんど口出ししないスタンスを取っており、雨宮でも会う機会はほとんどない。
「久しぶりやなあ〜しかしな。聞いとるわ、雨宮くんの活躍ぶりは」
「光栄です」
「相変わらず真面目やなあほんま。ああまあほら、別に怖い話とちゃうからね。楽にしとって」
そういうと社長は、使者に合図を送る。何者かをここに呼び出す素振りと見受けられた。
「しかしまあ、ルナローブっちゅうのもなかなか面白いもんやな。ああ」
「社長はただの興味本位…と仰ってましたよね」
「まあ最初はなんでもそやからね? でもまあ、うまくいくんやったらそれが一番ええもん」
「相変わらず、お考えが前向きでいらっしゃる」
それは褒められとんのかな、と笑う社長。雨宮は社長専用のプライムスーツを用意しようと提案を持ちかけたこともあったが、結局今に至るまでそれは実現していない。好奇心は豊かにあり、ヴォーグ社の様々なビジネスアイデアの源泉とはなっているが、それを実行・維持することにはあまり興味がないようだ。それは実務とは明確な一線を引き切っているようにも見受けられさえする。
やがて、向こうから見えた人影に社長はころりと表情を変える。来た来た、と呟きながらゆっくりと腰を持ち上げた。
その視線の先にいたのは、二人の男。もちろん、初めて見る顔だった。その名を聞いて——
「紹介するわ。フロントのリーダー、レオンさん。それとお付きの、綱海快斗くん」
——雨宮は驚愕した。
フロント。その名は知っていた。世界各地を襲撃し、勢力を拡大している国際テロ組織だ。であればこそ、自らの会社の、自らのプロジェクトの背後にその存在があったとはよもや思いもせず、青天の霹靂だ。
「……役員の、雨宮大河です」
「Freut mich, dich kennenzulernen」
「あっはは、レオンさんあきませんわ。ウチはローカルビジネスやもの、みんなジャパニーズオンリーですわ」
なぜ、フロントの人間が我が社と——当惑した心の波は落ち着かないが、形式的な挨拶をなんとか交わす。レオンは目深の帽子に季節感のないマフラーと、素顔を晒す気がまるでない。それでいて、社長との仲は良好、というか以前からの知り合いのようだ。
「失礼。レオンと呼んでくれ、宜しく」
ヴォーグのことで、私の知らないことがあるなんて。
「なんでも、これからひとつでっかいことやってみたい言うからね、ちょっと任せてみようかあ言うてんの」
「でっかいこと…?」
「ただ俺も今週から出張行かなあかんのよねえ。せやから雨宮くん、よう面倒見たってやっちゅう話」
「くれぐれも、宜しく」
屈強な身なりの綱海が、圧の強い挨拶を向ける。
おかしい。こんなの、望んでいた展開ではない。
ヴォーグが、テロリストと絡んで、何をしようというのか。
「私は……私は……!」
雨宮の中の歯車が、確かに狂い始めていた。
◇
戸惑いと悔しさに駆り立てられ、マンダリンはホワイトを引き受けると申し出、ジェイド・セルリアン・レオの戦局から距離を離した。
「なんで! なんで騙したんですか!」
マンダリンの動きは、そのスーツの通常使途を大きく逸脱する、荒々しいインファイトとなっていた。彼女がスーツの特性や役割を理解する前に見られた、あの無茶な戦い方がそのまま甦った形だ。
「やだな。騙してなんかいない。僕が一般人だとは一言も言っていないじゃないか」
「屁理屈ばっかり! 話してた時もずっとそうだった!」
PSマンダリンファンネルが乱舞し、無数の光線を直射する。ホワイトは結晶を象った打撃・投擲・防御武装グレイシアを振りかざし、その全てを弾き返してしまう。キリがないと悟ったマンダリンが一度動きを止めると、呼応するようにホワイトも静止する。
「……私に近づいたのは何のためですか」
「これを、もらうためさ」
ホワイトが目前に掲げた自身のIPSuM Watch——もっとも、これすら言わばルナ・ウォッチとでも呼ぶべき改造品だが——によりホログラム投影されたのは、他ならぬステラマンダリンのスーツ設計図だった。言われてみれば確かに、彼がWatchを操作する手が見慣れない動きをしていると感じた瞬間はあった。
《まずいわね……ステラのデータを抜かれるなんて》
《WatchからWatchへのハッキングは並大抵の芸当ではありませんよ……彼は相当なやり手です》
杏樹と葛飾の声がマンダリンの脳内にこだまする。その声に七尾を責めるようなニュアンスはなかったが、本人は平然となどしていられない。
愕然とするマンダリンを、次の瞬間大きな塊が襲った。
「きゃっ⁉︎」
音もなく、ホワイトがグレイシアを投擲、結晶の突起部分の間の窪みにマンダリンの首が嵌り、そのままマンダリンをコンクリート壁に激突・拘束してしまった。
「そういうことだから、もうルナローブはステラシステムを攻略したも同然なんだ」
「そん…な…」
「いずれはレイニーも、ブロッサムも、ひいてはすべてのルナローブがこのデータに基づいてアップデートされる。そうなれば……TWISTも終わりだね」
それぞれに異なる特性を持ち合わせるとはいえ、基本的には共通のフォーマットに則って作られたシリーズだ。マンダリン一体のデータから得られる情報だけでも、攻略には申し分ない。
その事実の恐ろしさが、少しずつにじり寄るホワイトから逃れられない現状への恐怖と重なり、マンダリンの呼吸は徐々に荒くなってゆく。
「やめて……やめて……!」
「いいティータイムだったよ」
「やめて……っ!」
「ごちそうさま」
コンクリート癖にマンダリンを埋め込み、食い込んで離さないグレイシアを、さらに押し込むことでマンダリンの息の根を止めようとするホワイトの腕。
「っ⁉︎」
その腕を払い除けたのは、猛烈に吹き荒んだ一迅の風——
「……あなたは……誰…?」
マンダリンの窮地を救ったのは、主を持たないはずの新型スーツ、ステラローズだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます