29 インハンド


 1


「待たせてすまない」

 黒塗りのセダンが、重たく弾みをつけながら沈み込む。後部座席のドアが閉まるとともに、その姿は外側から窺い知ることができなくなる。

「7分押しで話はつけてあります」

「そうか…連絡ありがとう」

 ブレーキランプが短く発光したあと、なめらかに車が走り出す。TWIST本部長・倉敷丈治はここのところ忙しさを増していた。未だ完遂の日を見ないステラシステム関連のさまざまな協議、ヴォーグとの戦いの激化、そして南城たちがその素性を明かしたことも少なからず影響してのことだ。そんな今の彼らにとっては数分の遅延も重大だが、次の訪問先の主催者は幸いにも寛容だったようだ。

「……それより本部長、これを」

 ハンドルを握る本部長補佐・筑波が、ボイスコントロールで倉敷にあるデータを送る。IPSuM Goが公道で使用できるのと同様、道路交通関連の法規改正により、運転中でも視線の移動を伴わないジェスチャーコントロール系の操作と、運転を阻害しない範囲でのIPSuM Lens着用・展開は容認されている。

 データを受信すると、倉敷はIPSuM Lensにその情報を表示して確認した。筑波はバックミラー越しにその所作を確認する。

 移動の時間にも限りがある。まして本来の予定をやや押し、先を急いでいる今であればなおさらだ。しかし、それは筑波としては一刻も早く倉敷に伝えるべきだと判断した情報であり、目の当たりにしたところで倉敷もその判断に異論を持たなかった。あらかた目を通したことを察知し、筑波の口が開く。

「メディカルチームからの報告ですが……危険な匂いがします」

「……ああ。機動室には?」

「杏樹さんには既にお送りしました」

「うむ。近く、直接話したい。ひと段落したら、すまないが機動室へ向かえるかな」

「そのつもりでいて欲しいとも、合わせてお伝え済みです」

 さすがだという表情で倉敷は微笑んだ。しかし、すぐさまその表情は再び深刻なものへと戻る。


 この時すでに、倉敷の中にはある”最悪のシナリオ”が浮かび上がっていた。


 ◇


「薬物を…?」

 その情報を受信した杏樹は、筑波に礼を言うとすぐにメンバーを召集し、共有した。

「ええ……しかも全員ね」

 “全員”。その括りは、ここ最近ルナローブ購入・所持・使用未遂で摘発された者たちのことだ。

 捜査機関も、ただ指をくわえてステラシステムの活劇を観ていたわけではない。度重なるローブ犯罪に対し、検証を重ねて捜査体制を最適化し続けてきたのだ。そのおかげで幸いにも、TWIST出動に至る前に阻止される事件も増え始めてきている。先頃ビートルローブの一件で窮地に立たされていた機動室が、それ以上に追い込まれずに済んだ一因もここにある。捜査機関の進化がなければ、どこかでまた別のローブ犯罪が同時に発生し、機動室は対応に追われてパンクしていたかもしれない。

「確かに、今まで鎮圧してきたローブの装着者の中にも、かなり参ってた奴もいた。でも……」

「こうも連続するのは不自然だな」

 南城、滝沢も不信感をあらわにする。ルナローブ絡みの検挙者から連続しての薬物反応検出。きっとただの偶然ではない——そんな推理が皆の脳裏に浮かび上がる。

「今みんなが考えているであろうことを決定的にする情報があるわ……薬物の入手経路までもが、全員一致しているの」

「じゃあ決まりだな。その薬物取引と、ここ最近の一定数のローブ販売が、どこかで密接に繋がってんだ」

 やられたな〜、と対馬は顔を歪めた。差し詰め、双方の販路拡大が目的か——いっそ抱き合わせで販売していた可能性さえある。

「でも…」

 そこに一石を投じたのは、意外にも根室だった。

「ヴォーグほどの企業が、そんなマーケットと繋がって、メリットはあるんでしょうか」

「というと?」

「だって、これだけ疑われてても未だに立入捜査ができないくらい、黒い繋がりで守られてる企業ですよね。わざわざ薬物まわりのコミュニティに頼らなくても、充分すぎるほど大きなネットワークが、もうすでにあるっていうか」

 根室のいうことにも一理ある、と杏樹は耳を傾けた。いわば業界最大手のカーディーラーが、町内会に売り込みに来るはずがない。

 その売人、ないしはマーケットそのものに何か秘密があるのか、取り扱っている薬物自体が特殊であるか。あるいはヴォーグや売人の手を離れた第三の領域で巻き起こった現象なのか——。

「いずれにしても、踏み入って捜査を行う必要があるわ。対馬さん」

「そうこなくっちゃな。機動室の強みはステラだけじゃねえってーの」

 袖を捲って肩を回し、対馬は意気込む。どことなく嬉しそうにも見える、と疑念の目を向けられたが、彼はすぐさま否定した。

「では、着装端末犯罪関連薬物売買実地捜査臨時チームを編成してください。コード03を発出します」

「いや長ったらしいな。ええと…臨時チームな! じゃあ、南城と根室!」

「えっ俺ですか?」

「僕そんな、現場は無理ですよお!」

 文句を言う二人に、つべこべ言うなと対馬は肩を組んだ。

「南城は警察官だから当然よ。元々俺の助手としてここに来るはずだったんだ、知らない仕事じゃねえだろ?」

「……そりゃ、そうですけど」

「根室、お前は今の推理がいいセンスしてた。俺が育ててやっから」

「そこ育てなくていいですよ〜……」

 げんなりする根室。まるで赴任初期の消極的な人格がまるっと戻ってきたかのようだ。まあまあ、面白そうじゃん、中の仕事は任せときなよ、とは高槻よりの激励だ。


 かくして、このヴォーグ犯罪と薬物との奇妙な関連性を探る、臨時チームが結成されたのであった。


 2


 七尾があの奇妙な男と出会ってから、すでに一週間が過ぎていた。

 先頃の激しい戦いにより出ずっぱりとなっていた機動室メンバーだ。ここ最近は特に、休める時に休まねばとペースを上げて休日を回していた。TWISTの就労形態はその職務上、旧来の土日休み型労働では成立しない。この一週間の中にも何度かまばらに休日を挟んできたし、メンバーが半数しかいないという日も稀にあるくらいだ。

 そして例のごとく、くだんのカフェにも足を運んでみてはいたのだが、あれっきり男は姿を見せてこなかった。

「やっぱりただのナンパだったんだなあ……変なの」

 それならそれで別にいいのだが——なんだろうか、この釈然としない感じは。霜の降りた朝のような煙たさと静けさは。

「変なのとは失礼な」

「うぅうわぁ⁉︎」

 大いに焦った。独白のつもりが、有声音でひとりごちていたらしい。それを聞きつけて真横に迫ってきたのは、噂をすれば例の男だ。

「しつこいですね……そういうのが変だっていうんです」

「あのあとも、ここに来てたのかい?」

「ぐっ……知りませんっ」

「図星だね」

 また会ってしまった。

 しかし、どこか馬鹿馬鹿しさというか、妙なおかしさがあって七尾は笑ってしまった。

「お茶する友達もいないんですか?」

「ふむ……そう言われると、そうかもしれないね」

「…まあ、お茶してる間だけなら、話し相手くらいはしてあげてもいいですけど」

 そうこなくちゃ、というような滑らかな笑みをたたえ、男は七尾の正面に着座した。


 話せば話すほど、七尾は男のことがよくわからなかった。

 普通、言葉を受け取るほどにその輪郭は明瞭になっていきそうなものなのだが、この男は説明下手な連想ゲームのように、エッセンスが増えれば増えるほどそのシルエットが不明瞭になっていくばかりで、その謎めいた雰囲気は不信感を誘うとともにどこか七尾の好奇心をくすぐってもいた。

 そして、男はよく笑う。笑うのだが、心のどこかしらはいつも笑っていないというか、言語化しがたい空虚感のようなものと常に隣り合っていた。


「……ところで、仕事は何をしているんだい?」

 ドキッとした。もちろん、ときめきの部類ではない。

 いずれ聞かれると思っていた質問が、そう身構えていたとはいえ実際に来てしまったからだ。

「あ、ええと……」

 いつもなら、適当に”公務員”で終わらせるか、素直にベイエリア宇宙センターと答えていた。現在も宇宙センターからの出向のようなものなのでそれでも間違いではないのだが、その辺は場合により使い分けてという感じだ。

 しかしそれも、ついこの間までの話。ステラの仕事が公になった今、七尾だって、南城たちがそうであったように、旧知の友人や先輩後輩からの驚愕と好奇の大津波に見舞われたばかりだ。

 この男、それを知らずに私に——?

 知っていて、それが理由でつきまとってきた線も考えていたくらいだったので、変な話少し拍子抜けしてしまった。男はこちらに関心を払ったまま、その腕に携えたIPSuM Watchで何やら見慣れない操作をしている。

 こういう場合、どう答えておけばいいだろう。公表したとはいえ、別にわざわざ自分から”巷で噂のステラ、あれ私なんです”とアピールする必要も意味もない。受動的に、あれなんですよね、と聞かれれば、そうなんです、と答えるだけだ。隠す理由も、今や持ち合わせていない。

 ……そうこうしているうちに、普通の会話では不自然なくらい、彼を待たせてしまっていた。完全に変な空気だ。どうしよう。どうしたらいい。

「ステラマンダリン」

「……!」

「……かな? ニュースで見た人と、顔が似てたんでね」

 七尾は自分では知らずにいるが、相当なキョトン顔をしていた。幸か不幸か、全て杞憂だったらしい。

 そうか。それとなく察しはついていても、であればこそ直接的に聞けないというパターンもあるか。確かに俳優さんを見かけても”〜さんですよね?”と疑問系から入ってしまう。それはある種の予防線だ。烏滸がましい例えになってしまったかもしれないが、そのくらい自分はパブリックな存在になってしまったのだという自負と配慮のもとで七尾は意識して生活しているということだ。これは勉強になった。

「な……なあんだ! 知ってるならそう言ってくれればいいのに……気ぃ使おうとして迷っちゃいましたよ」

「それは悪いことをしたね。でも違っていたら失礼だから、こう聞くしかなかったんだ」

「言っときますけど、仕事の話はできませんよ。国家レベルの秘密なんですから!」

 不穏から解放された七尾は、改めて得意げに胸を張った。

 それを見て、男はただ静かに笑っていた。


 3


 有言実行。疑惑浮上から数日後、倉敷と筑波はあらかじめ話していた通り、機動室に顔を出していた。

「お忙しいのに」

「いや、私こそ余計な仕事を増やしてすまない。だが……看過できない案件であることは間違いない」

「ええ。ローブ犯罪がいかに危険で未知の脅威とはいえ、既存の違法行為を甘く見たり、見逃したりすることはできません」

 厳格な表情と引き締まった声で、倉敷と意識を共有する杏樹。そして少しずつ、各々の作業に従事していた機動室メンバーたちがメインルームに集まっていった。

「対象者は八人。反応が出た薬物は、最近検挙率の高まってきている比較的新型の合成麻薬"シアン21"の派生品。対象者の諸条件ならびに薬物そのものに特筆した異常性は見受けられません」

 筑波が暫定の報告書を読み上げる。安価でありながら確かな”効能”を発揮するシアン21は警察内部でもよく名前の聞かれる代物で、薬物犯罪とはほとんど縁のない科技捜でもその名を知らぬ者はなかったが、それは同時に、既にマーケットが形成されていて入手も容易ということでもある。特殊な薬物を求める中毒者やコレクターによる企み、という線はまず消えた。

「申し訳ないけど、機動室で独自に入手できた情報はまだないわ」

「問題ありません。対馬さんたちが調べてるんですよね。……お戻りはまだで?」

 事実、三人の姿だけは機動室になかった。対馬、南城、根室は陽も沈んだ今なお捜査に励んでいる。臨時チームの稼働状況は連日こんな感じだ。

「私たちの方でわかっていることがもうひとつある」倉敷が声をあげる。「対象者たちにある、わずかな共通点……そして相違点だ」

 八人の対象者に共通していたのは、手に入れていたのが"ローブのスーツ"と"シアン21"のセットであるということ。そしてその期間が概ねここ三ヶ月以内に集中していること。そして——それ以外の全てにおいて、これといった共通点がないということだ。

「売人の特徴も照らし合わせましたが、複数人の像が浮上し、その上で規則性も見られませんでした。本人の犯行動機や生活環境、所属もてんでバラバラです」

 筑波の困り顔が、他のメンバーにも見事伝染する。

「当事者の特徴が一致しないなら……仲介人はどうでしょう」

 ぼそりと零すのは葛飾。黙って話を聞いていたかと思うと、ふとそんなクリティカルなことをぽろりと言う。本人にそんな意識はないだろうが、立派な彼の特技だ。そして——

「なんでいつもド真ん中を言い当てちゃうかな、葛飾さんは」

 最適なタイミングで、臨時チームの三人が機動室メインルームへ帰還した。やられた顔の南城と、ちゃっかり顔の葛飾が視線を交わす。

「何か、わかったのね」

「もうまさしく今言った通りだね。最悪の仲介人がいやがった……おっと」

 いつもやっているように乱雑に捜査資料を広げようとブリーフィングテーブルに手を掛けたところで、対馬の手が止まる。すんでのところで資料を懐に戻した彼の目は、反射的に倉敷に向いている。

「……倉敷さん。前職の人間関係に未練は?」

「ほお、対馬くん。紳士になったもんだね。……だが心配は無用だ」

 対馬のその心配りが、"最悪の仲介人"がTWISTの上層組織にして倉敷のかつての所属先・国家安全局の人間であるということの裏返しだと、誰もがすぐに察知した。それだけでも、驚愕の事実だ。このとおり国家公務の一端である着装端末犯罪鎮圧処理、その捜査対象者が同じ国家機関内部に存在するということは、完全にその威厳を喪失することになるからだ。遅かれ早かれ、この事実は社会的にかなり大きな騒ぎになるだろう。

「佐渡英二(さど・えいじ)。国家安全局、情報処理部長」

 倉敷の返事を聞くなり、手元にホールドしていた捜査資料を、対馬がぱらっとブリーフィングテーブルに広げた。

「こいつが、薬物捜査対象者のリストを、ヴォーグに流してやがった」

 資料に添付された写真には、浅黒く厳しい佐渡の表情。

 驚愕と失望に打ちひしがれた、機動室の沈黙。

 そして、佐渡の表情にはどこか、言語化しえない悲哀が漂っていた。

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