28 素敵に騙して!


 1


 滝沢亜藍が陸上自衛隊横須賀駐屯地事務部からTWISTに異動となって、しばらく経つ。単純に神奈川県から東京都への引っ越しではあるのだが、取り巻く環境のあまりの激変ぶりに滝沢自身、そのシンプルな生活環境の変化を享受することがしばらくの間はできないでいた。そうこうしているうちに、先頃あのような大騒動に巻き込まれ——。

 しかし、そんな中でも一応、お気に入りの場所というのはいくつか見つかっていたらしい。諸々の事情が落ち着いた今、滝沢にとってはその楽しみをゆっくり満喫する束の間のひとときともなっていた。

 昼間なら、好みに合う古着屋、定期的に食べたくなる個人経営のレストラン、小さくても爽やかな空気を分けてくれる裏通りの緑道。夜なら、お気に入りのバーや……いや、まあ、そうでなければあとは草臥れてそのまま帰ることが多いだろうか。

 もちろん戦いは依然終わりの見えない状況だが、時にそうしたゆとりの中に身を置いて、心身の衛生を守ることもステラシステム装着者のれっきとした義務だ。


「……確かに。滝沢くんが贔屓するのがなんとなくわかるわ」

「いい雰囲気でしょ?」

 冗談のようなトーンでの誘いだったが存外、それは現実のものとなった。

 ついに滝沢は、杏樹とふたりでの飲みに漕ぎ着けたのである。

 杏樹が酒に強く、実に多くの酒の味を知っているとか、どういう店が好きとかいう前情報は高槻から仕入れてあったため、彼女を飽きさせない店選びという難題には熟慮を要したが、どうやらセレクトは的確だったようだ。店内を見回した杏樹の表情は満足と好奇で満ちている。

「さすがにもう大丈夫なんでしょう? 色々と」

「…まあね。杏樹さんには色々、悪かったよ」

 こうして酒の席に繰り出せたのも、ビートルローブの一件からしばらく経ち、滝沢が心身ともに落ち着いたからこそというのもある。今でもその話となればどうしても決まりの悪い表情とはなってしまうものの、あの日々が少しずつでも笑い話に、そして組織の現状もより良いものになっていっていることは明白だった。

「本当に心配したんだから。——組織のリーダーとしても、あなたの同僚としても」

「あのクールビューティの杏樹さんが、こんなふうにデレてくれるとは思わなかったなあ」

「コンプラ無視の軽口は相変わらずね」

 カウンター席の端から、杏樹、滝沢の順に腰掛ける二人。その会話に耳を澄ます者も、割り入る者もない。

 今なお終わらない戦いの渦中にこそあれ、束の間の癒しの場としてこの時間・空間は十二分だった——少なくとも杏樹は、そう思うことができた。

「南城の彼女さんも、立ち直ったみたいだし」

「しっかりした子だとは聞いていたけど……ますます頼りになるわね」

 使命の重大さを理由に、個人的に大切な人との関わりすら奪われてしまう……そんなことはあってはいけないと、内心TWISTの誰もが強く願っていた。

「俺のことも、もう少し頼りにしてくれていいんだけどなあ……ステラセルリアンとしても、それ以上にでも」

 グラスに口をつけていた杏樹は、瞼を閉じたままその手を止める。細くゆっくり開いた瞼から、店内照明の鈍い光を映した瞳が滝沢をするりと覗く。

 一分とも二分とも思えるような、数秒の沈黙が滝沢に降り掛かる。思いがけない杏樹の態度に、自信家の滝沢も思わず硬直する。

「……冗談は顔だけにして」

 が、そんなものはまるでなかったかのように杏樹は頬を緩めた。いつもの滝沢に似つかわしくないキョトンとした表情が、まもなく苦笑いに変わる。やはり相当手強いひとだ。

「それに、頼もしい存在は増えるわ。早ければ明日にでも」

「ん? それってどういう——」

 言いかけた話の中身のせいか、それ以外の理由でかは明らかでないが、杏樹はグラスに口をつけ、再び含みのある微笑みをたたえた。


 ◇


 同じ頃、南城はといえば多忙を極めていた。

「いや…悪かったって」

 何にかというと、主に"謝罪"にである。

「あのなあ、ゴメンで済んだら警察も科技捜もいらないの!」

 より正確に言えば、南城がステラジェイドだということを渡嘉敷に対してずっと黙っていたことへの謝罪だ。

 杏樹たちとは打って変わって、二人が腰を下ろすのは焼肉屋——の個室。一応、プライバシーへの配慮だ。もとい、焼肉というセレクトも渡嘉敷へのせめてもの詫びであり、会計もすべて南城が持つという話に端を発している。

「会社の人たちがステラ賛成だ反対だで盛り上がってさ〜なんて、何も知らずにお前にしゃべってたのが、ほんとアホみたいだよ」

 南城としても、渡嘉敷の憤りは尤もなものだと思った。その他大勢の一般市民と同じく、渡嘉敷もメディアを通じてステラの正体を知ったのだ。

 ——親友の口からではなく。それが問題だ。

「いや、心苦しかったよ——」

「ばっかやろ〜! 水臭えんだよ!」

 渡嘉敷は完全に酔っている。いつもはもう少しヘラヘラしているが、酔うと少し語気というか、全体的に威勢が強くなる。一応、旧知の仲として、南城はそのへんも承知していた。だから今日はそれなりの覚悟をもってここに来た。

「水臭えよ……俺に黙って……」

「渡嘉敷……」

「…確かにね? 俺もお節介っていうか、しつこすぎるかもしれねえけど」

「よせよ。大学の頃、内向きだった俺に、唯一付きまとってくれたのがお前だ」

 南城はしみじみと語り始める。渡嘉敷も、とろんとした目を卓上のどの皿へともなく向ける。

「……そうやって付き纏ってるうちに、よーくわかったよ。お前の強さも……寂しさもね」

 そうして渡嘉敷が、自分が南城のことを断じて放ってはおくまい、そう決意してからもう何年も経つ。大学の門を出て、それぞれの場所へ旅立ってからも気兼ねなく会える理解者は、たとえ朝イチでピンポン爆撃を仕掛ける奴であっても貴重なものだ。

「……今回も俺の悪い癖だよ。仕事のことを話したのは、瀬奈だけだ」

「瀬奈ちゃんも知ってたのかよ!」

「でもそれは、お前を巻き込みたくなかったからなんだ。どんどんよくわからない仕事に突き進んでいかなきゃいけない中で、お前にはせめて、普通の友達でいてほしかった」

 南城の憂いには、ステラのことを知った渡嘉敷と、ことと次第によっては友達でいられなくなってしまうのではないかという恐れも含まれていた。そして、異質な世界に引き込まれていく自分を、従来の何の変哲もない世界観・生活観に繋ぎ止めてくれる存在として寄せていた期待が、渡嘉敷に対してはあったのだ。

 まあ——

「俺がそんな理由で、お前に付き纏うのをやめると思うかよ?」

 あらゆる答えは、すべて明白なのだが。


「人の金で食う肉は美味かったなあ〜! ご馳走様!」

 渡嘉敷の暗雲立ち込めていた表情は、その後運び込まれてきた大量の肉によって、晴れて元に戻った。謝罪成功だ。

 口では清々しく下衆なことを言っているが、手洗い中の南城の目を盗んで渡嘉敷が彼の上着に万札を突っ込んでおいたことは、翌朝まで南城が気づくことはなかった。

「本当に大丈夫だな? 帰り道」

「あのねえ、俺を信用しろって話をさっき散々したばっかりでしょうが!」

 お見それいたしました、と南城は苦笑した。

「それより!」

「ん?」

「瀬奈ちゃん、大事にな」

 そう言うと渡嘉敷は、これまでも、これからも友達だ、と言って肩を叩いた。

「……お前に言われるまでもねえよ」


 2


 "SRSM-B004"。

 ステラシステムに与えられる型番は、コードネームと個体名のイニシャル四文字に、製造シーズンを表すアルファベット一文字、三桁の通番で構成されている。今日、機動室メインルームに堂々と運び込まれた新たなるステラシステムに刻まれた型番がそれだった。

「ステラローズ:スピリッツ・マイスターです」

「すごーーい!」

 ステラシステムの第四号機が、機動室に到着したのである。杏樹の仄めかしていたことの意味を知った滝沢は見事に驚愕したが、昨夜のこと自体誰にも話していない手前その反応は必死に押し隠された。

 かたや南城は二日酔いに伏している。はしゃいでいるのは七尾だけだ。

「最大の特徴は、史上初のヴァリアブルモデル……装着者を特定せず、あらかじめ認証したメンバーなら誰でも装着可能なことね。使用可能なスーツ数の不足や……縁起でもないけど、全装着員がダウンした場合に備えて作られたわ」

 確かに、縁起でもない。信用が薄れてしまったのかとも思う。だがレイブンやホッパーの戦いを思えば、あの時ローズがあったらと思えてしまうのも事実。画期的なだけに留まらず、残念ながら現実に一定の必要性があるのだ。

 ローズの名に相応しく、メインカラーはピンクゴールド。気品あふれる光沢が、どこか戦場には不似合いなラグジュアリーを醸し出す。

「ピンクかわいい〜! マンダリンと交換したいです!」

「そりゃマンダリンを乗りこなしてからだな」

「でも、例えばじゃあ、自分のスーツがダメになって、それでも戦力を補わなきゃいけないって時には——」

「ええ」南城の問いかけに、杏樹はシームレスに応える。「コレを着てもう一回出られる、ということになるわ」

 専用武器はSMローズシャフト。能力面で言えば高速移動を得意としており、目にも止まらぬ打撃攻撃を与えることができる——葛飾はそこまで説明して、しかし、と切り返す。

「本当は、これを一度も使わないまま、この戦いが終わるのがベストですけどねえ……」

 誰もが、その通りだと思った。浮かれていた七尾も葛飾の想いを噛み締める。

「まあ、今日はとりあえずローンチされました、というお知らせまでです。やむを得ず本当に必要になった時には、その時また詳しくお話ししましょう」

 そして、ジェイドたちと同じように、ローズはガレージルームのコンバインステーションへと格納される。

「まあ、ヤバくなったら俺の出番ということだな。いよいよ俺も装着か〜!」

「アキさんじゃシューターも出られないよ。バーニアの反動で腰やっちゃうでしょ」

 高槻のクールな突っ込みに、失笑とともにメンバーが散ってゆく。おいおいそりゃないだろう、と対馬は消沈した。


 3


 TWISTメンバーといえど、一般的な生活観を完全に失っているわけではない。

 確かに、杏樹や葛飾など、責務や職務を特に重たく抱えている立場のメンバーは、プライベートを犠牲にしている割合も高い方だろう。もとい、葛飾はそれがライフワークともいえるので、犠牲という言い方自体が適切でなかったりもするが。

 あとはオペレーターと装着員、そして実地捜査官だが、いわゆる現場係である装着員の方がプライベートを犠牲にしていそうに見えて存外そこまで大きな差はない。南城一人でやっていた頃は確かに過酷な局面もあったが、ステラが一機だけでない今、その負荷は特殊かつハードではありつつもかなり改善されている。

 オペレーターとなると代わりはいない上に、処理能力を考えると二人というのは必要最低限の人数だ。片方が休みの日にステラが出撃となると、不足分は葛飾が手を貸すか、最悪の場合休日を返上して対応にあたる。高槻がいつもヘラヘラしているのは、持ち前の性格というのももちろんだが、有事の対応が高負荷な分、平時の業務が他のメンバーほど課せられていないことも理由にある。


「はあ〜……この時間が幸せなんだよねえ……」

 ずぞぞ、と豪快な音を立ててフラペチーノを啜るのは、気の抜けた表情で木漏れ日を浴びる七尾。窓際の席に座ると、こうして植え込みの雰囲気に癒される。ナチュラルテイストなこの喫茶店が彼女のお気に入りだ。

 元の職場であるベイエリア宇宙センターで、ともに切磋琢磨した親友との離別を強いられた彼女にとって、彼女の分まで出来うる努力をやり尽くすことはなんら苦痛ではなかった。しかしこうして定期的にガス抜きというか、一切の努力、使命、情熱、その他色々を一旦隅に置く休日もまた、彼女にとってやはり必要なものだった。弱冠24歳、ごく当然のことだ。

「もったいないなあ。それ、トッピングなしで飲むのが一番美味しいのに」

 それなのに、だ。

 今日の七尾はついていない。見ず知らずの男に声をかけられ、なし崩し的に相席に持ち込まれ、あまつさえ自分の注文に文句をつけられていた。たまの休みが台無しだ。

 今時ナンパなんて流行らないと思うのだが——とはいえしかし彼はどうも、ナンパというにも少し雰囲気が違う。

「どう飲んでも私の勝手じゃないですか」

「まあそうなんだけど、わかっていないなあと思ってね」

 気にせず飲みたまえ、とへらへら言いながら、男は椅子に沈み込む。

 さっさと立ち去ってしまおうかとも思ったが、今日は少し奮発しているし、このようにいい席も取れた。それを棒に振るのがなんだか悔しくて、余計なおまけが付いてきてしまった程度に考えて、せめて飲み切るまではここで過ごすこととした。

 快適な空間を求めてここに来ているのだから、不快になったなら立ち去るべき、というのが合理的に考えれば正解ではある。おまけに相手は間違いなく変人だ。しかし、危害を加えてきたり、どこかに連れて行こうという思惑も感じないため、そうすることも可能だったというところ。

 ただ、であればこそ自分に接触してきたことが不可思議でならない。いっそ、可愛かったから、とか言い切ってくれた方がむしろやりようもあったかもしれないのに。自惚れは好きではないし、彼女自身そういう自信があまりある方ではないので、その発想を深掘りすることはしなかったが。

「なんか用ですか?」

「用がなきゃ、こうしちゃだめなのかな」

「……普通は」

「普通って、なんなんだろうねえ」

 国語の成績はいい方ではなかったが、たぶん禅問答とはこういうのを指す言葉なんだろう。七尾は数ミリのため息をついた。

「なんで私のとこなんですか。他にもお客さん、たくさんいるのに」

「答えは同じだよ。全ては流るるままさ」

「はあ……」

「君はここ、よく来るの?」

 ええまあ、と流れのままに答えてしまってから七尾は脳内でああ失敗したと思った。そんなことを言ったら、またここで鉢合わせてしまうじゃないか。

「はは、答え方を間違ったって顔だね。心配しなくていいよ、別にナンパでもストーカーでもない。僕はただ、雪のように生きていたいだけなんだ」

 そうさっぱりと口にすると、男はまた椅子に沈み込んで楽な姿勢をとった。七尾の中に芽生えたほのかな罪悪感は彼女を責めたが、すぐさまそんな必要はないと我に返ったことでそれはかき消された。

 元々、比較的ひと懐っこい七尾だ。彼女自身人との出会いや交流は決して嫌いな方ではない——少なくとも三人の装着員の中では一番得意だろう。あの二人は今でこそ気心知れているが、そもそもが不器用すぎる。

 だからまあ、一期一会というと美しすぎるが、たまにはこういう奇妙な時間も悪くはないか——不思議なもので、七尾はほんのりそう思いかけてきた。


「…そういえば名前、聞いてなかったですけど」

「人に名前を聞く前に、君から名乗らなきゃ」

 前言撤回。空になったドリンクカップを手に取り、七尾は呆れ顔で席を立った。

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