26 ステラの選択


 1


 滝沢の家の明かりは、もう一週間と灯っていなかった。

 というのも、出頭・出撃がしばらく続いていたのと、かの日の事件である。そして、それを経て両腕の中に頭をうずめているばかりの今の彼にとっては、単純に明かりが必要なかった。

 IPSuM Watchは電源を落とされ、床の上に転がっている。

 素直になれないとか、自分の隙間に他人を立ち入らせないとか、何か別の自分を装うなどというのは我ながら困った——しかしそれなりにうまく付き合ってきた自負もある、他ならぬ自分の性分だ。

 だが、それも看過できないところまで来てしまった。仲間に心配をかけ、戦局を乱し、あまつさえ不格好にもその素顔を晒し、現にこうして欠落を作ってしまっている。

 そんな自分が許せなくて、身動きも取れずここに留まっているわけだが、いまこの自分だって許せるものではない。本当に仲間を想うなら、むしろ戻って戦うべきだ。もう同じ轍を踏むことのないよう、決意を新たに戦うべきだ——。

「………」

 思考が混線しては、それをすべて深いため息に乗せて流し、リセット。この繰り返しであった。

 ただ、身体が動くようなら外の空気を吸いに行く、くらいの建設性というか機転は残っていた。


 目深に被ったバケットハットと黒いマスクは、彼の素顔がいま世間の一部をざわつかせている滝沢亜藍だということを伏せるには充分な代物だった。よれた部屋着も相まって、その姿が陸上自衛隊の人間だなどとは誰の想像にものぼらない。

 川沿いの道をのっそり歩いていると、ランナーや自転車に次々と先を越される。落伍感に追い討ちをかけられる……わけではないが、なぜだか絶えずそれが気になった。

 自分が守った街、といえば聞こえはいい。しかし、同じだけ危うい。なぜなら今、彼はそれを放棄しているからだ。自分を許せる、何か僅かにでも取っ掛かりがあるなら、許してやりたいに決まっている。が、肝心のそれは、未だもってわからない。今自分にできることをやるしかない。でもそれを許せない。許せなければ、許すことはできないままだろう。

「えっやば! 結構かわいくね?」

「意外だよな〜、もっと厳しそうな人かと思ってた」

「こっちも結構イケメンだよな」

 向こうから、男子高校生が三人連なって歩いてくる。

 他人の画面を覗き見る趣味などないが、彼らが真正面に掲げて観ていたのは、IPSuM Watchから空間投影していたホログラムのニュース映像。目に入れないことの方が難しかった。

「………!」

 その映像に映し出されていたのは、ステラシステムの出陣の様子を、安全区域からズームしてリポートしているもの。

 ——そして、マスクオフ状態でローブと対峙する、南城李人と七尾瑠夏の険しい表情だった。

 


「おふたりの意思です」

 オペレーションのさなかにある機動室メインルームに、どたどたと慌ただしい足音が聞こえてきたかと思うと、扉の向こうに姿を現したのは失踪中の滝沢だった。

「意思って……どういう……」

 肩で息をする滝沢に、切実な表情で応えた根室。どのメンバーも、尋ね人が戻ってきてくれた喜びの高波をしかし懸命に堪えている顔だ。

 しかし、滝沢にしてみれば、根室の返答からだけでは南城らの思惑が読めない。つい先頃自分が犯したばかりの過ちを、何も自ら——

「自ら進んで、あの二人までもが追随する必要なんてない、と思っている顔ね」

「…杏樹さん」

 現れた杏樹の顔は曇っていた。

 彼の帰還を喜びたい。彼をけしかけてしまった己の強い言葉、その真意を伝え謝りたい。それを心の蓋で押さえつけて、目下の任務に専心する苦しさは滝沢もそれとなく察している。

「あなたがいなければ、今のTWISTはもうTWISTではない。そうまで言える存在になったということよ」

「そんな…でもだからって…」

「だからよ。あなたと彼らを隔てるものがあるなら、なんであれ取り払う。それが願いよ」

「あいつらの……」

「いいえ」

 いいえ、の声の主は葛飾だった。

 ガレージルームから出てきて間もなく、彼は高槻に合図する。応えた高槻がメインモニターに映し出したのは、ガレージルームに佇むステラセルリアンのコンバインステーションだった。

「自分たち全員の、です」

「葛飾さん……セルリアン……!」

 南城が了承した七尾の案。それは二人も滝沢同様にその素顔を明かすことだった。滝沢の背負うものを少しでも減らしたいという思いはもちろん、彼らにとって自身の身元が明らかになるリスクよりも、滝沢を失うリスクの方が多大であるという判断だった。

 そして葛飾は、電磁波のことも滝沢に話した。経緯をなぞって話すうちに、やはり葛飾の唱えた説は当たっていたとわかったとともに、もうひとりで怯える必要はないとはっきりと滝沢に伝えることができた。

「…やっぱ敵わねえな、葛飾先生には」

「いいえ、言いたいことはいつもと同じです。自分に治せるのは……スーツだけ」

「ブートアップは?」

「スタンバイモードです。いつでもいけますよ」

 よし、と滝沢が大きく息を吐く。TWISTメンバーの気持ちを知った今の彼は、完全にギアが戻っていた。温度と輝度を取り戻したその瞳は、杏樹へ。杏樹が頷くと、滝沢も毅然たる表情のまま頷き、ガレージルームへと消えた。


 2


「これで…どうだ!」

 堅牢な装甲を全身に纏うビートルローブに対し、SSジェイドブレードよりもSSジェイドグリップの方が効果的であると判断したジェイドは、持てる限りのエネルギーを利き腕である右腕に集中し、打撃攻撃を繰り返していた。

 剛腕という名の弾丸、その弾道は、上空で戦況を俯瞰するマンダリンによって毎秒緻密に計算され、ジェイドのスーツとリンクすることによって物理的なアシストを行っていた。殴打する腕の動きが、ジェイド自身の攻撃意思を基としつつ、スーツによって僅かに瞬間的な軌道修正を加えられる。絶え間ない同期と多大な演算処理により多くのリソースを消耗する高負荷のタスクだが、敵が多数でない、かつジェイドとマンダリンしか出撃できない二人きりの今だからこそ取りうる策であり、今この手を使わない選択肢がなかった。

「なるほど…」

 その攻撃を受け続けているビートルローブが、ひたすら受け身に徹し、防御姿勢を崩せずにいるのがその証左だ。

「高火力・高防御力を誇るビートルの攻撃を受けて消耗するよりも、絶えずダメージを叩き込んで消耗する方が建設的と見抜きましたか……少しは学ばれたようだ」

 一歩引いてジェイドとビートルの様子を眺めていたレイニーが、得意げに捲し立てるような早口で現況を言語化する。

「…だが、今ひとつ足りませんね」

 長く攻撃を続けていれば、必ず粗が、隙が生まれる。

 一撃と一撃の間に空く隙間は、絶え間ないとはいえ、攻撃開始当初に比べれば遥かに粗大なものとなっていた。そこを見極めたビートルローブが、前触れなく、機敏にジェイドの懐へ入り込む。

「かっ……!」

 溜め込まれた一撃だ。衝撃は重低音となり、地盤の唸りのように響き渡って臨海公園を揺るがした。真っ直ぐに後方へ吹き飛んだジェイドは、転がり回って壁にぶつかり、大きな亀裂を入れた。

「南城さん!」

「くっそ…」

 よろよろと立ち上がるジェイドと、その身を案じ着地するマンダリンに、今度はレイニーが直接語りかけた。

「その美しいお顔立ちを拝むことができて、最初は非常に胸躍ったのですが……今は残念な気持ちでいっぱいだ」

「こっちの台詞だ。あんたらのせいでまともに休みも取れないし、うちの技術屋もメンテ、メンテで日夜むせび泣いてる」

「ならばゆっくり休まれてはどうです……たった今から、永遠に!」

 レイニーの台詞に呼応し、再び動き出したビートル。

 しかし、程なくしてその歩みは止まった。

「何!」

 ——ジェイドたちにとっては馴染み深い、四枚の盾の妨害によって。

「悪いけど休みは無用だ。三人分、俺がたっぷり休ませてもらったからな」

「滝沢さん!」

 遠くからRPセルリアンマグナムを構えながら歩いてくる、ステラセルリアンの姿が全員の目に映った。そしてその顔は——マスクオフ状態で、素顔を見せている。

「貴様生きて——」

 声を荒げかけたビートルの足元に、すぐさま銃撃。動かずに少し待っていろと銃口が冷たく言い放っている。

「滝沢さん……おかえり」

「ずっと待ってたんですよ」

「悪い……お前らの顔見て、目が覚めたよ」

 綻んだ顔をすぐさま引き締め、セルリアンはマスクを装着。通信機能をオンにした。

「杏樹さん!」

《…!》

「あんた言ってたな。俺に残された選択肢は、何も戦うことだけじゃないって」

《……》

「嬉しかったよ。ありがとう」

《滝沢くん………!》

「ったく、言ってからビビるくらいなら最初から言うなっちゅーの」

 杏樹の真意ばかりか、その後の憂いまで滝沢にはバレバレだった。メインルームで額に手を当てて苦悶する杏樹だったが、内心は綻んでいた。高槻らも安堵を込めて、しかしついクスクスと笑う。

「とにかく……杏樹さんも、お前ら二人も、機動室のみんなも、今回は小っ恥ずかしいとこ見せちまった。本当に、すまなかった」

「恥晒しがのこのこ復職できるとは、生優しい組織でよかったですね」

 水を差すレイニーと、臨戦態勢のビートル。お前たちは何にもわかっちゃいない、という一声とともにジェイドは翻り、レイニーを鋭く睨みつけた。

「あいにく俺たちは望むところでね。……隙のひとつも見せやしない不器用な先輩が、ようやく人間臭いところを見せてくれたんだ。お前ら悪徳企業の歯車に、分かった口を叩かれてたまるか!」

 これまでにない、著しい憤りを露わにした南城。後ろでそれを聞いていたセルリアンは、改めて両手をぎゅっと強く握りしめた。

「黙りなさい。私は歯車ではない。ヴォーグという組織に求められ、力を手にした、れっきとした功労者だ!」

 不快感を露わにしたレイニー。ファイティングポーズをとっていたビートルの後頭部に手をかざすと、何かが認証され、ビートルローブのプログラムが反応する。

「お使いになるのですね、例の、伊吹様の」

「ええ……期待していますよ……!」

 何をする気なんだ、と不穏そうにその様子を見つめるステラたち。その眼差しに訴えかけるかの如く、ビートルローブのマスクに携えられていた角状のユニットが展開、さらに背部には羽のようなユニットが姿を表し、ゆっくりと全身が浮かび上がる。

「やはりここまで到達していましたね……オートマティックドライブシステム・テストモデル……」

 それはヴォーグ開発責任者・伊吹によるルナローブ自動運転システムの原型であり、装着者への半ば強制的なバトルナビゲーションだった。それを誇示するかのように、ビートルは急襲。それまで応戦していた、装着している幹部自身の肉体の動きとは、まるで雰囲気が違う。組み上げられたプログラムという名のレールを迷いなく走行する特急列車のように、迷いや躊躇を一切伴わない。

「くっ…!」

 間一髪で回避したジェイドだが、その矛先は自ずと、その少し先にいたセルリアンに置き換わる。現在のアクションの勢いを殺して再度体勢を整えるよりも、そのまま補足可能な別のターゲットへ向かった方が効率的・効果的という、極めて打算的なムーブだ。

「そう来ると思ってたよ!」

 しかし、対するステラもステラだ。全てに落とし前をつけ、新たなるステージへと進化を遂げんとする彼らに、迷いや躊躇はオートマティックドライブシステム同様なかった。瞬時にセルリアンの一歩手前にRPセルリアンウォールズが侵入しクッションとなる。しかしセルリアンへの接触は防ぎきれず、ビートルの勢いをウォールズで中和しながらセルリアンの全身で受け止める格好となる。

 そしてウォールズの狭間からは、RPセルリアンマグナムの銃口が押し当てられていた。

「近えんだよ。離れろ」

 ビートルの静止とともに、一斉射。静止も束の間に一気に真反対へ後退させられるビートルの全身には、数えきれないほどの銃弾が降り掛かる。

「がっは……あああ……!」

 鈍い音を立て、転げ回って沈黙。所詮はテストモデルというべきか、このシステムを切り札に位置付けたのはどうやら間違いだったようだ。

「くそ……! まだ仕事は終わっていませんよ!」

「も…ちろん……」

「社畜に鬼上司め……。ビートル、せめて楽にしてやる」

 そう言ってジェイドはフルブラストモードを発動。両腕のSSジェイドグリップが目も眩むほどの輝きを惜しげもなく解き放つ。

「着替えな……それと……」

 耳を裂くような衝撃音とともに、よろめいていたビートルの全身装甲を一気に破壊。海へとこぼれ落ちていった装甲と、セントラルユニット。まもなく穏やかな水面から厖大な水柱が吹き上がり、虹を架けた。

「…この際だ。キャリアも考え直すんだな」


 3


「滝沢さああ〜んん……わあ〜ん……」

 機動室に戻ると、メインルームの扉のすぐ先に涙目の筑波が待機していた。表現を絶するようなぐちゃぐちゃな顔で滝沢に抱きつくと、メンバーの笑いが二人を包んだ。

「おぉおぉわかったわかった悪かったよ……っていうかお前顔面びっしょびしょ……いや鼻、鼻お前…!」

「まあとにかく、誰も欠けることなく一件落着、これに尽きるね」

「心配かけました……」

 一部始終は聞いた、と困った笑顔を見せた倉敷。大声で泣きじゃくる筑波を宥めながら、滝沢は倉敷にも詫びを入れた。

「人騒がせな話だよな〜。ちょっと押されてミスったからって、責任感じまくって音信不通って」

 茶々を入れたのは、ラウンジのコーヒーメーカーを勝手に拝借してくつろいでいた三宅。プリマヴィスタ出動には間に合わず、事件が収束してから駆けつけたのだが、顛末を聞いて一気に脱力し、この有様である。

「いじけっぱなしでスーツ自作して現場に殴り込む奴といい勝負だけどな」

 対馬の突っ込みがスパーダ・ドーロよりも鋭く三宅を突き刺し、痺れさせた。

「すぐにジェイドやマンダリンにも電磁波対策は適用できそうですよ。もちろん、プリマヴィスタにもね」

「葛飾さん……今回も名推理でした」

「ほんと、頭上がんないです」

 にこやかに南城と七尾を労う葛飾だったが、その柔和な表情はすぐさま真剣なものに変わった。

「……それと、電磁波の発生源たる技術……辿ってみましたが、やはりテロ組織の存在がありました」

 南城たちはごくりと唾を飲む。かつて海外派遣時に滝沢が遭遇した、世界各地を急襲する謎の組織……。滝沢がヴォーグと戦う中で同じ症状に苦しめられたことは、すなわちヴォーグ開発の裏にもその組織と同じ技術、あるいはその組織そのものが潜んでいることは明らかだった。

「彼らは今でも広い範囲で、もちろん日本でも活動を続けているようです……その名も、"フロント"」

「フロント……」

「どうやらIPSuMとローブをめぐる一連の問題は、ただの技術侵害では片付かなさそうです」

 感じ取っていた以上にスケールの大きな闇の雰囲気、その実態の一部に指先を触れたようで、南城たちは思わず自らの肌を撫でた。

 闇の企業ヴォーグ、そして破壊組織フロント。TWISTが立ち向かうものの大きさと恐ろしさ、その使命の重要性が、今一層その様相を明らかなものにした。

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