24 さらば滝沢亜藍



 1


 怪我自体は大したことないみたい、というのが高槻からの報告の一言目だった。

「頭の先から真っ直ぐ振り下ろされて……、衝撃も大きかったせいで幾分消耗は見受けられますが、幸い致命傷には至らず、数日中には復帰できると」

 ジェイド、マンダリンにより運び出されて戦線を逃れたセルリアンは、真っ直ぐTWISTのメディカルチームが待つ治療室へ。いつもなら杏樹だけが残って他のメンバーは各自の執務に戻るのだが、今回は誰もそのような余裕を持ち合わせてはいなかった。捜査に出ていた対馬も、戦況を見守っていた葛飾も、今は機動室で苦悶に心を奪われている。

 どちらかといえば吉報といえる報せを携えてきたはずの高槻も、おおよそ吉報を発表する人間の顔をしていない。

「…とりあえず、よかったですけど」

「滝沢さん……」

 ロビーの椅子に腰かけ、頭をうなだれさせる南城と、顔を曇らせる七尾。高槻、根室、そして杏樹の声は、届いているようで、どこか片耳から片耳へ抜けて行っている感もある。

「……少なくとも、あなたたちは自分のやるべきことを全うしてくれた。滝沢くんがこうなったのは、彼自身を含め、私たちの誰のせいでもないわ」

 他のメンバーまでもが思い詰め、前に進めなくなることが、最も危ぶむべき影響であると杏樹は知っていた。

 彼女の精一杯の慰めがロビーに零れたが、零れるばかりとしか言いようがない。

「……あの」

 ふと、初めての方向から声がした。

 五人が振り向くと、そこにいたのは筑波だった。

 滝沢が気がかりで飛んできたのだろうが、声はかぼそく、目も潤んでいる。

「樹里ちゃん⁉︎」

「対馬さんや葛飾さんと居ろって言っ——」

 言いかけて、南城は打ち切った。あの二人なら、彼女が現状に耐えきれないことくらいきっと察しがつく。それ故の優しさを受けて今ここにいるのだろう。

「…やっぱり、例の体調不良が……?」

 その可能性が高いでしょうね、と杏樹は頷いた。筑波にも、スイーツ店に並んでいた時の滝沢の苦悶の表情が記憶にある。

 以前から度々見受けられた、頭痛を主とする滝沢の体調不良。当の本人は気にかけられることを嫌い、触れられても雑に流していたが、今となっては先の戦いで突如として動きが鈍り力が抜けていったあの瞬間に紐づく要因はそれをおいて他に見当がつかなかった。


 その瞬間、鋭いフラッシュがいくつも、彼らの瞳を突き刺した。


 ◇


 ふかふかのベッドで心地のいいはずが、存外そうでもないことに滝沢はやや興醒めしながらの目覚めだった。

 ホテルなんかのラグジュアリーなベッドとは違って、その柔らかさの中には心地のいい香りがない。いや、無という香りがある、と言ったほうがいいだろうか。病院の匂い、と短絡的に言い表せるものとも少し違うのだが、少なくとも、得意な匂いではない。

 ビートルローブの斬撃があまりに痛烈だったこともあり、滝沢にはその一撃を受ける前後の記憶があまり残っていなかった。

 色々な光景がうすぼんやりと、スライドショーのように断片的に通り過ぎ、いくつかのそれを経てふと気づいたらこの病床であった。

「はあ……やっちまったわけね……」

 まず最初に彼を襲ったのは、”結果として今ここにいる”ことへの情けなさと、今までやり過ごしてきた自分自身のことがいよいよ限界を迎え始めている、という抗い難い悔しさだった。

 確かにメンバーたちが察しているように、体調は芳しいものではない。ただ、そんなものは個人の事情だ。職務、それも国を守る公務を前に、そんなものを免罪符にして逃げおおせても、自分に嘘をつくことになるし、現に身体が良くなるわけでもない。

 実務に支障をきたしさえしなければ、取り立てて問題にする必要もない。それが滝沢の”自己診断”に基づく行動理念だった。

 滝沢は今回、その理念の維持に失敗したのである。

「なっさけねえなあ……ステラ最年長、自衛隊出身の俺が、こんな有様」

 滝沢は涙を流しているわけではなかったが、口から漏れ出す乾いた笑いは、かといって心から笑っている故のものでもなかった。

 自責、自嘲の念が渦巻いては鳴り止まず、滝沢は深いため息とともに、入り口に背を向けるようにして寝返った。


 まさにその入り口の方から、ロビーのざわめきが漏れ聞こえてきたのも、概ね同じ時だった。


 ◇


「ですから! こういうことはアポを取ってから来てください! 一般患者の方もいるんですよ⁉︎」

「カメラしまってください! 撮影行為は許可していません!」

 ロビーに固まっていた南城ら五人を、実戦の時から現場付近で見張っていたマスコミが追ってきて、突撃取材を敢行してきたのがその騒々しさの所以だった。

 幸いにもTWISTメディカルチームは都度要請を受けて最寄りの医療機関へ派遣されるタイプの組織なので、この取材によりTWISTの拠点や関係施設が明るみに出たことにはならないが、それ以前にここは一般の医療施設である。出歩いていた一般患者や看護師らが動揺、狼狽している。お構いもなしに、取材陣が口を開く。

「今回の敗因はなんだとお思いでしょうか」

「巨額の費用が投入されたと言われてる割に戦績があまり良くありませんが」

「マスクが壊されたところ撮れてますよー。元自衛隊横須賀駐屯地の、滝沢さんという方によく似ていますが」

 取材班は、ごった返し、詰め寄り、言いたい放題である。

 あろうことか、滝沢の顔までしっかり撮られていた。例によって、しっかり周辺に避難指示が発令されていたにもかかわらず、である。

「何度も言いますが取材は許可していません、お引き取りください」

「そうです! 今は人命がかかっているんです!」

「あなたたちの肩にも人命かかってるんじゃないですかあ!」

 ひとり、語気の強い記者がいた。杏樹の必死の訴えに、容赦なく反論を噛ませてきた。

 向けられるボイスレコーダーのひとつひとつが、心を刺すナイフのように突き出されて、ついに五人は言葉を失ってしまう。


「おーい」


 男の、頓狂なようで、しかし鋭い刃のようにびりびりと大きく響く一声で、場は一気に静まり返った。

「……滝沢さん!」

「出てきちゃった……!」

 まだ青白い顔を可能な限りに強ばらせ、病床から這い出てきた滝沢に、自ずとその場の全員の目線が集まった。

 しかし、お目当てのご本人登場にも関わらず、先程までの威勢はどこへやら、取材陣は総じて硬直・沈黙してしまう。

「……俺に聞きたいことがあるんだろう。関係ねえ奴らのこと、巻き込んでんじゃねえよ」

 浅い息のまま、滝沢はゆっくり、ゆっくりと取材陣の方へ接近する。

「今はこんなだけどさ……すぐに治して、相手してやるよ……」

 彼が抱いている感情の名前を、その場の誰もがそこはかとなく察知することができた。そしてそれは、一歩踏みしめるたびごとに徐々に大きく、強くなっていく。

「それなりの質問と…覚悟持ってこいよ分かってんのかおらあ‼︎」

 クレシェンド的に凄みを増した彼の言葉に、ついに取材陣は一蹴。ひとり残らずそそくさと背を向け、決まり悪そうに玄関から溢れ出していった。


「…けほっけほっ、ああ。病人に大声出させやがって」

「大丈夫ですか滝沢さん」

 糸が切れたのか、よろよろとバランスを崩す滝沢へすぐさま肩を貸す南城。親身な身のこなしとは裏腹に、滝沢へ向けるその表情は曇り気味であった。

「……顔、割れちゃいましたよ」

「関係ねえよ。耐えられなかったんだ……俺のせいで、お前らや病院の人たちにあんな迷惑」

「それはそうですけど…!」

「滝沢くん」

 杏樹が、一石を投じるように声を割り入れる。

「……おお、杏樹さん。わざわざ顔見にきてくれたなんて、嬉しいな」

「………」

「俺も頑張って、早く治さなきゃな。スーツのこと、葛飾さんに謝っといてよ」

 あくまでも、努めて気楽な素振りを見せる滝沢。

 しかし、杏樹の手が心なしか震えているように見えた気がして、七尾ははっとした。

「……体調が優れないことは分かっていたし、それが悪化しているのも知ってる…」

 …いや、急に杏樹さん何を——

「セルリアンを降りることも…!」

 ——そう苦笑いを浮かべた滝沢に主導権を持っていかれる前にと、杏樹は彼の言葉を寸断し、そしてこう続けた。

「……それも、これからのあなたにとって、選びうる選択肢のひとつなはずです」

 ロビーに再度、沈黙が流れた。

 さっきの沈黙とはまた別種の、重く、冷たく、むせるような静寂。

 とんでもないことを言ってしまったという眼で、南城たちは杏樹を見た。

 その全ての視線を払い除けるように、杏樹はその身を翻し、その場をつかつかと立ち去ってしまった。


 2


「そんな言い方、辞めろって言ってるようなもんじゃねえか」

 時とともに、滝沢の傷が癒えていくのと同じように、他のメンバーも少しずつ前を向いて自身の職務に再び取り掛かることができ始めていた。もとい、それは滝沢の回復傾向あってこそ、だが。

 しかしそれと、滝沢が完全復活を果たしメンバーもそれを受け入れる、という結末につながるかどうかは、今や彼らにとって全く別の問題となってしまっていた。

 杏樹はまだ、機動室に姿を現していない。

「滝沢さんでも……いや、年齢も経歴も三人中一番の滝沢さんだからこそ、それはこたえるものがあると思いますよ」

「うん。それになんていうか、杏樹ちゃんらしくねえ」

 葛飾と対馬は、杏樹が滝沢に投げかけたという言葉に納得がいっていないようだった。もっとも本質的な意味では、それは南城、七尾、高槻、根室、筑波も同じではあるのだが。

「ええ。杏樹さん、厳しいけど心はすごく優しい人ですし」

「自分も、滝沢さんにはむしろ発破をかけてあげたものとばかり思ってましたよ」

「…いや、でも、だからこそ…」

「ん?」

「…多分ですけど、ああ言ったのも、杏樹さん的には最大限の優しさだったのかなって」

 その実、南城の見解は的を射ていた。

 今や、ステラセルリアンの正体はメディアにも掴まれてしまっている。確たる証拠としては今少し弱いが、可能性論としての報道ならば連中としてもやぶさかではないだろう。

 ただでさえ大敗を喫し、重傷を負い、である。

 まるでルナローブやメディアによって自身のキャリアを全否定されてしまったような状態の彼が、再び戦線に復帰し、従来通りないしはそれ以上のパフォーマンスを発揮するのは並大抵のことではない。

「多分、不器用な滝沢さんのことだから、戦う以外の選択肢はなかったと思うんです。だからこそ、ああして誰かに諭されでもしなきゃ、滝沢さんは全てを失うまで戦い続ける」

 対馬も、葛飾も、なるほどと静かに頷いた。


「おいおいおい! セルリアンがやられたって本当かよ!」

 メインルームの入り口から、騒々しい男の声が飛び込んできた。

「社長……」

「おせえよバカ社長」

 三宅比呂が、セルリアンの一件を聞きつけ、駆けつけたのだった。

「それを言うなら若社長……いや」

「いやじゃないからね葛飾さん⁉︎ 迷わず若社長に訂正しきっていいんだからね⁉︎」

 例の如く切れ味の良い突っ込みを入れた三宅だが、その息はあがっている。同じ組織内ならばともかく、あくまでも連携しているだけの外部企業とあって、同じ戦線に立つ彼相手でも情報伝達にはややラグがあるらしかった。そしてわざわざ駆けつけてくれた三宅のことを、機動室の彼らも茶化しはしても拒みはせず招き入れた。


「……そうか、そんなにまで…」

「なあ、社長はどう思う?」

 現状をありのままに聞かされた三宅は、南城たちが想像していたよりも深刻な表情を浮かべた。摩擦も齟齬も超え、仲間となったTWISTのメンバーに、早々こんな事態が襲いかかっては、三宅も平然とはしていられない。

「どうって」

「滝沢さん、戻ってくるかどうか」

 三宅は顎に手を当てて、少し考えた。

「……ワンチャン、戻ってこないかもな」

 どう思うか、という実質二択の問いを投げ、然るべき二つの選択肢のうちの一つを選んだにすぎないはずなのだが、三宅の返答に三人ともぞっとしてしまった。もちろん誰もそれを非難などしなかったが、すぐさまその理由を尋ねた。

「…だって、まあ俺は会ってまだ日が浅いから、あんたらほどはわかってやれないかもしれないけど、自衛隊で最前線張ってたんだろ?」

「…ああ。ここにくる直前には事務に移ってたみたいだけど、それまではトップクラスのエリート隊員だったって」

「それよ。エリート隊員が、なんの理由もなく事務室に籠るような真似するか?」

 確かに、と葛飾は頷いた。滝沢はセルリアンになってからも、自衛隊員というキャリアに自ら責任感を持ち、こと非常事態の場においては自分が一番の経験者であるからと、良く言えば二人の見本を買って出て——悪く言えば不必要な見栄を張って——いた。それは隊員時代の彼の人格や誇りが生き続けていることの現れに他ならない。

「滝沢は多分、その時から何かに蝕まれてたんだ。だから事務方に移っていたし、その余波がここへきて再び顔を出した」

「お前……馬鹿なフリして、意外と頭回るんだな」

 対馬のこぼれ出すような一言にむっとしつつ、三宅は続ける。自衛隊の最前線を降りた当時の悔しさを、せっかくの新天地でまたすぐ味わうなんて相当酷なことだ、と。そしてあいにく、馬鹿なフリのつもりもないとも。

「でも、今の滝沢にはあんたたちがいる。誰の何を優先すべきか、みっちり悩むはずだ」

「そしてその答えは、自分たちから教えてあげられることでもない……あくまで内発的なものだと」

 葛飾の補足に、三宅は頷く。

 近く滝沢の素性がメディアによって晒されてしまえば、芋づる式とは言わずとも他のメンバーの情報もより晒されやすくなるだろう。元々ステラ装着員が自らの正体を公開することを禁ずる規則はなく、明かすも隠すも自由ではあったのだが、明かすことをリスクと捉えるならば滝沢が取りうる最も有効な選択肢はひとつ。金輪際自分自身の存在をTWISTから切り離すことだろう。

「……俺は、そんなの嫌です」

「そりゃあ、追い出したい奴ぁいねえよ」

 俯く南城の肩を、対馬が優しく叩く。

 杏樹の投げかけも、滝沢の心の声も、三宅の推察も、どれも間違っていないと思う。だからこそ南城は、自分の無力さを痛み、極めて個人的な願望を口にするしかなかった。


 3


「失礼します」

 ヴォーグ社のオフィスは、今日も今日とて平然と割拠していた。

 ローブ開発担当責任者である伊吹沙羅のラボは、自身のオフィスを兼ねた広大な一室だった。

 不機嫌そうな目線を向けられた雨宮は、ちゃんとノックはしましたよと伊吹に返した。

「…それで、アルファタイプの試験運用は」

「問題ありませんでしたよ。むしろうまく行き過ぎている…と言っていい」

「……そう。それは、そうでしょうね」

 ちょうど作業の手を止めようとしていたタイミングだったのか、まだ湯気の濃いコーヒーを口に運びながら、伊吹は答えた。

 その答えの意味を、雨宮はすぐには察知できなかったが、いずれにせよ目下さしたる問題ではないだろうと開き直った。

「伊吹さんは、どうお考えで?」

「さあ。私には作り終えたものに割く時間も、余裕もないの」

「次なるひらめきに、もう夢中……ですか。さすが天才技術者らしい」

「何とでも呼んで。頭の中であとがつかえてる。これは揺るぎない事実だもの」

 雨宮を冷たくあしらうことに、伊吹はもう何の苦労も、躊躇もない。一方の雨宮も、これがデフォルトであると受容できていた。

「近く、次の機動実験があります。何か試したいものがあれば、ついでにアルファタイプに搭載してみては?」

 しかし、二人に共通していたことが一点だけある。

「……そうね。それも、手ね」

 二人とも闇より出でて、今さらなる闇を求めている、ということだった。


 ◇


 ある朝の機動室。

 空気式のドアがプシュー、と音を立て、メンバーを迎え入れた。


 空っぽのメインルームに佇むブリーフィングテーブルの上には、一通の封書が置き去られていた。

 それは、滝沢からの手紙であった。

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