19 理想の戦士

 1


 どれだけ眩い都会の夜の中にも、照らしきれない闇は細く深く漂っているものである。

 眠ることのない喧騒を少しでも離れてみれば、人の生きる息遣いすら忘れさせるほどの暗澹たる静寂が、沈黙がそこにはただ佇んでいる。

「はあ……はあ……」

 点在する街路灯は頼りなく、肌を撫でる夜風は物寂しい。踏みしめるアスファルトですら、見下ろしたそれは、ただ深淵である。

「はあ……っ!」

 そんな深夜の街に音もなく駆け巡る電流から、誰を、誰が庇えるというだろう。

 突如としてその身を襲った出来事に、女性はうずくまって心を取り戻そうとしている。その少し先には、逃走し、もう彼女の視界からは消えてしまった男が一人と、それを追う得体の知れぬ人影が一つ。

「くそ…! なんなんだよ!」

 未遂に終わった今では、男が女にどんな危害を加えようとしていたのかはわからない。卑劣にも、不意に背後から覆い被さり、口元をガーゼで覆い隠そうと揉み合っていた時、その影は現れた。

 いや、それでは語弊がある。厳密に言うとその影は、現れてはいないのだから。男の愚行を咎め、牽制するかのように、突然周囲の電線や街路灯などの電気設備がバチバチと火花を散らし始めたのだ。その不気味さと得も言われぬ恐怖感に恐れ慄いた男は、女の体をかなぐり捨て、一目散にその場を走り去った。

「来んな! いい加減どっか行けよ!」

 もう一つ恐ろしいのは、その影が決して男を逃さずに、しかし追いつき切ることもなく、終わりの見えない逃走劇をただ続けているということである。

「くそ…もう…限界だよ……」

 その心の落伍を投影したかのようにもつれた足。暴漢はついにアスファルトに転倒する。肌を刺す夜風も他所ごとのように、冷や汗なのか脂汗なのかが、両手を広げて寝転がった男の肌いっぱいに滲んでいる。

 星のない夜空、そして薄暗く張り巡らされた電線を映し出す、男の視界。

 一拍ののち、そこにまた、見覚えのある火花が散り始める。

「ひっ……!」

 数秒間ショート音が続いたかと思うと、またも沈黙。

 静寂を破ったのは、男の胸ぐらを掴み上げては一気に90度その体を拾い起こした”影”だった。

「うわああぁっ⁉︎」

 なんの前触れもなく体を引っ張り上げられ、心臓が飛び出すような驚愕と、首の引き裂けるような激痛が男を襲う。

 目の前に現れた影の正体は、機械仕掛けの、しかし不気味なデザインをあしらった仮面だった。

「ルナローブ…! お前…お前も犯罪者じゃねえか!」

 やっとやっとで捻り出した男の叫びに、ルナローブはため息を吐くような素振りで首を斜に捻る。かと思うと、紙屑をごみ箱に放り投げるかのような無関心さで、男をアスファルトに捨ててしまった。

「ってぇ……」

「一緒にするな」

「……あ?」

 ついに声を発したローブ。その胸元まで掲げられた右手には、まるでソフトボールを握るかのように電気の塊が蓄えられている。

「お前みたいな犯罪者と……僕を一緒にするな!」

「ひっ…! おい! よせ!」

「お前なんかに…明日はない…!」

 振り下ろしたルナローブの右手——

「っ⁉︎」

 その軌道上に、一枚の金属板が差し挟まる。光を蓄えた右手は、がつんという鈍い衝突音とともにそれに阻まれ、押し返された。

 それは自律し、不規則に浮遊する盾。

「なんだ……! 誰のラジコンだ!」

 虚空に叫ぶローブの後頭部に小石がぶつかる。

 振り向いたローブの視線の先にいたのは、三体のバトルスーツ——ステラシステムだった。

「悪い。俺のラジコンだ」

「ジェリーローブ。着装端末犯罪鎮圧処理の特命により、お前を鎮圧する」

「覚悟です!」

 暗闇に光を放つ三色の視覚ゴーグル。ステラセルリアン、ジェイド、マンダリンの現着だった。


 2


 ジェリーローブという仮称は、例により機動室の事前分析から確認したルナローブの特徴に基づいている。

 以前から何件か届いていた、”電撃を操るローブ”の通報。白や青、オレンジなどが駆け巡る装甲の上に、マットな質感のクリアパーツが覆い被さり、時に触手のようなユニットの存在も確認されていた。

 戦いが始まり、間近で睨み合ってみると、それらの情報は全て定かなものだったとジェイドにはわかった。

「ひったくりに万引き、暴漢、当て逃げ」

「ああそうだよ」

 まだいくつかの罪名を列挙してしかいないジェイドに、食ってかかるように返事をするジェリーローブ。SSジェイドブレードと、針のように硬化・直線化させた触手ユニットとの鍔迫り合いの中にその応酬はある。

「僕はそういう卑怯者を、柔軟に動かない警察に代わって粛清してる。それだって犯罪なのは知ってる」

 かぼそく見える触手ユニットの刃だが、SSジェイドブレードと拮抗する程度の強度は備わっていた。ぎしぎしと軋みあう音の中に、ジェリーローブの持論が漏れ出す。

「でもそんな僕にさえ、警察は手が付けられない。情けないと思いませんか?」

「あ。南城にそれ言っちゃうかー」

「地雷踏んじゃいましたね」

 援護射撃の姿勢をとっていたセルリアンが、そして暴漢を取り押さえていたマンダリンが、遠目でぼそっと呟いた。

 当のジェイドも、二人の懸念に違わず、やはりこう答える。

「…悪いな。俺も警察なんだ」

 えっ、とジェリーが狼狽えた瞬間を、ジェイドは見逃さなかった。

「今は出向中だけど…な!」

 クレシェンド的に強まったジェイドの語気と共に、SSジェイドブレードの切先がジェリーの装甲を斬りつけた。たまらずジェリーは、先の暴漢と似たような格好で転倒する。

 それを見届ける間もなく、ジェイドはゆっくりとジェリーに接近する。

「救いあげられない犯罪があるのも事実だ。でも!」

 抵抗するジェリーから飛んでくる電撃を、一切の隙を見せずジェイドは弾き返しながら進む。

「今目の前にある、お前という犯罪を、見なかったことにする理由にはならない!」

 ついにジェリーの抵抗も虚しく、ジェイドはジェリーの足元すぐ先まで辿り着いた。

 しかしジェリーの中にその瞬間うっすらと存在した予測をジェイドは裏切り、SSジェイドブレードを格納した。

「……ただ、悪いな、ってのは正直、本心でもある」

「え…?」

「警察が柔軟な捜査を行えない歯痒さは、まだわずかな俺の経歴の中でも、何回か感じたことがある。だから、お前みたいな人間が現れるのも、当然かもしれない……」

 ジェイドは——南城は——そう言うと、深く頭を下げて詫びた。

 そんなことをさせるつもりはなかったのにと、ジェリーの微細な仕草が、見えない表情に代わって確かに物語っていた。

「…でも、ルナローブの存在が、私的制裁が、許されないってこともわかってるんだろ?」

 ジェイドから、もはや攻撃の意思は感じられなかった。

 それを察知し、深くひとつ息をこぼすと、ジェリーローブはゆっくりと立ち上がった。

「…全て、わかってます」

「なら——」

「でも! ……僕も、僕もみんなを守りたいんです。誰にも守ってもらえなかった人が、僕の周りにはたくさんいるんです」

「なら尚更お前が取るべき手段は間違ってる」

「限られた手段でしか! ……人は守れないんですか? 僕は……じゃあ僕はどうすれば——」

「お前に悪意がないのはよくわかった、俺たちもお前を傷つけたくない、でもヴォーグは! ……あいつらは、そうはいかない」

 息を切らすほどの応酬の最後に、ジェイドの脳裏にはレイニーの姿が浮かぶ。ルナローブが自分の思い通りに動かないと知れば、すぐに製品を没収し、ペナルティを与えるのが彼らのやり方だとジェイドはジェリーに伝えた。

「それは……そうかも知れませんけど……」

 ジェリーの右手がわなわなと震え出していることに、三人は数分前から気づいていた。今は正気を維持しているが、精神汚染はゆっくりでも確かに進んでいる。

《南城さん、彼にはあまり時間がないかもしれません》

「根室……そうだよな……」


「なーに立ち話してんすか? TWISTの皆さん」

 タイミングは最悪だった。

 軽薄で、ふわっと抜けるようなその声には、TWISTの全員に新鮮な聞き覚えがあった。

「三宅比呂……!」

 道の向こうから悠然と歩いてきたのは、黄金のバトルスーツ。アイル・コーポレーション製戦闘システム・アイルスタイル、その第一号機プリマヴィスタを装着した、同社社長・三宅だ。ステラと違ってその正体を公言している彼は、相変わらずマスクオフ状態での登場だった。

「お! ちゃんと覚えててもらえて嬉しいなあ。記者会見も見てくれてたんだ」

 図星なだけに、というかそれもどうせ彼の思惑通りであろうということに、ステラたちは不服げに沈黙した。

「それより、よくねえなあ。お国のお遣いともあろう人たちが、犯罪者とのんびりおしゃべりなんて」

「三宅よせ! 彼は今——」

「それとも何か? まさか取引でもしちゃってたわけ? 俺は何も見てないみたいなやつ? 嘘でしょ?」

 普通なら誰よりもまず三人が逆上したいような話し振りだが、今はそれよりもジェリーへの刺激になってしまうことへの懸念でいっぱいだった。

「まあ、何でもいい。あんたたちがその気なら——」

 プリマヴィスタのマスクが彼の頭を覆うと共に、その右手には斬撃武器スパーダ・ドーロが握られた。 

「ウチが始末するだけだ!」


 3


 徐々に徐々に早まったプリマヴィスタの足取りはやがて疾走に変わり、一直線にジェリーをめがけた。闘争反応をかき乱されたジェリーも、本能的に身構え応戦する。

 全身に複数本備わる触手ユニットが全て展開され、何本かはプリマヴィスタの足取りを阻み、もう何本かは硬直化して彼の装甲を破壊しようとする。甘い甘い、などとせせら笑いながら、プリマヴィスタはスパーダ・ドーロを振り乱し、自身を拘束する触手を問答無用に切断した。どうやらあの剣も飾りではないらしい。そのまま剣身に電撃を通わせると、プリマヴィスタの装甲を狙っていた触手との斬り合いに入る。

「電気がこっちまで飛び火すると危ない……七尾! そいつを警察へ!」

「了解です!」

 マンダリンはそう言うとPSマンダリンファンネルを展開。その多くを戦況分析のために現場に残し、自身の使役用に数基だけを連れて、暴漢を抱えたままマンダリンは飛び出した。

「滝沢さん、俺、あの社長が倉敷さんの言う通り、本当に命に見境のない奴だとは……最初から決めつけたくはありません。この戦い、ギリギリまで見極めてもいいですか」

「奇遇じゃん。俺もそのつもりだったよ。——機動室! 異論は?」

《ないわ。ただし、絶対に装着者を死なせないで》

 二人は了解、と声を揃えた。

 夜の僅かな明かりと、その身から溢れ出す電撃の飛沫によって、プリマヴィスタの装甲にあしらわれたスポンサーロゴが照らされ浮かび上がる。目を見張るほどの剣術の持ち主——というわけではなさそうだが、それでもプリマヴィスタの剣さばきには敵を圧倒して余りあるテクニックとパワーがあり、そして現にジェリーローブは形勢の大部分を奪われている。

「私刑に勤しんでるルナローブがいる……そんな話だけは聞いてたけど、まさかなあ!」

「何がだ!」

「はあっ!」

 スパーダ・ドーロには、やはりジェリーの触手ユニットでは抗いきれないらしい。ついに携えていた全ての触手ユニットを切断され、ジェリーは事実上の丸腰となってしまう。

「——クラゲだからって、まさかこんなに骨のない奴だなんてな」

 斬撃の軌道は稲妻となり、ジェリーローブの装甲に袈裟がけの一閃。たまらずジェリーは勢いのままにごろごろと転げまわり、無力にも倒れ伏してしまった。

「もう終わりか…?」

 期待を裏切られたとでもいうような声色でプリマヴィスタがつぶやく。

 と、それを知ってか知らずか、ジェリーがのっそりと起き上がる。

「……くそっ」

「間に合わなかったか……そうだよな、瑠夏」

《精神汚染、閾値を超えました…!》

 現場に残されたPSマンダリンファンネルを経由し、暴漢を運びながらマンダリンが応答した。

 起き上がったジェリーは、身に纏う雰囲気をそれまでとは明らかに異にしていた。歪ながらも強固な正義感が支えていたであろう背中も、陰気に丸まってしまっている。

「そうですか。お目覚めってこと?」

 察したプリマヴィスタは依然としてへらへらとしているが、その手元には無造作ながらしっかりとスパーダ・ドーロが握り込まれている。いつでも来い、とでもいう構えだ。

「…っああ!」

 お望み通りにしてやろうとばかりにジェリーが飛びかかる。挙動も先ほどまでとは段違いだ。

 精神干渉作用はこのためにあるのかもしれないと葛飾は思った。機動室のモニター越しにでも、そのパフォーマンスががらりと変わったことは明らかだ。心の迷いや葛藤、逐一下される理性的な判断、過去の経験からくる予測や未来への懸念、その他のあらゆる可変的・不安定な要素の一切を取り払い、ただ純粋な戦闘マシンとしてのフル稼働を実現させるためのシステムなのかと。

「何だよ……出来るんなら最初から……そうしろって!」

 繰り出される雨のような連撃。応戦するプリマヴィスタはそう豪語しながらも、やや押され気味だ。暴走したジェリーの戦闘能力は、プリマヴィスタのそれをゆうに上回っている。形勢が一転したことを、プリマヴィスタはしかし受け入れようとしない。

《すごすぎる……あれじゃステラでも近づけません》

「くそ……! 野蛮な奴め!」

 根室をも驚かせる止めどない猛攻の嵐の中に、やっとの思いで隙を見出すと、プリマヴィスタはそこに全力を賭して抵抗。虚を衝かれたジェリーは身体のバランスを崩して後ずさる。

 少なからぬダメージを受けたプリマヴィスタは肩で息をしながら、虚勢を張るように装甲の汚れを手で払った。うなだれたプリマヴィスタの姿勢に、三宅比呂の狂気が宿る。

「気の狂った、犯罪者風情が……俺の傑作を穢してくれるな……!」

 と、ジェリーがその精神を食い散らかしてからの変貌に勝るとも劣らぬ勢いで、プリマヴィスタの纏う雰囲気も変わり始める。スパーダ・ドーロの鍔の部分に埋め込まれたエンブレムを、プリマヴィスタは自身の視覚モニターにかざす。眼前に剣を掲げた姿勢が数秒続くと、マスクとスパーダ・ドーロが相互に反応を見せ、纏う稲妻の輝きと荒々しさを数段引き上げたように感じられた。

「遊びは終わりだよ……!」

「滝沢さん、あれって——」

「まずいそ南城!」

 奮い立つプリマヴィスタにただならぬ危機感を覚えたジェイドとセルリアン。

 その予感は的中した。

「コルポ・ディ・フルミネ!」

 プリマヴィスタの発声とともに、その身を原点とした電撃の同心円が波紋のように広がり出す。

 “Colpo di Fulmine”、文字通り”稲妻の一撃”を表すそのフレーズは、いわば彼にとっての必殺技か。一定時間パフォーマンスを底上げするステラのフルブラストとは違い、決定的な一撃そのもののことを彼はそう呼んでいるようだが、この目で"その一撃"を見届けてしまうわけにはいかない、とジェイドたちは緊迫した。

 期が熟したとばかりに、蓄えた電撃を一気に剣身へ集中させ、そのまま走り出すプリマヴィスタ。

「やめろ! 三宅比呂!」

「よせ!」


 今、たとえそれが犯罪者の命だとしても、彼が自らの手にかけてしまえば、きっともう元には戻れない。当然、取り返しもつかない。

 そしてそれを現実にしかねない、荒ぶるほどの電流と、自身の精神干渉によりすでにスタミナを食い尽くされかかっているジェリーローブ。

「うおおおおぉぉ……!」

 スパーダ・ドーロの切先が、呆気ないほど流麗で、美しい軌道を描いた。

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