15 愛とは決して後悔しないこと


 1


「行ったのね…」

 夕刻。機動室メインルームに、外出中だった杏樹が戻ってきた。額にうっすら滲む汗が、間に合いたいのは山々だったのだけど、という努力を物語っている。グレーのパンツルックはそのまま慌ただしくガレージのコーヒーサーバーへ早歩きした。

「ついさっきでしたよ」

「そう……」

「心配いらないと伝えてくれって、本部長が言ってました」

 キーボードを叩きながら、片手間的に返事を寄越すのは根室。対馬は外出、高槻は休暇——そして七尾、滝沢、筑波は倉敷の迎えによりホテルへと発った。機動室は閑散としていた。

「本部長がそうおっしゃるなら、いいんだけど」

 杏樹が安堵を示したのと同時に、コーヒーサーバーが唸り声をあげ始め、マグカップから湯気が立ち上る。

 今日に限らずここ数日何かと忙しくしていたため、杏樹は滝沢と筑波の様子をあまり見守ることができないでいた。筑波とは以前から面識があったが、滝沢のようなタイプの人間とうまくいくようにはまず思えず、初めに今回の依頼を聞いたときには相当懸念した。それも踏まえて心配無用と倉敷が言うならば、杏樹もその言葉を信じるほかにない。

「……あの二人、大丈夫かしらね」

 そうは思ったのだが、一応心の声を放り出してみた。空になった唇はそのまま、マグカップいっぱいのきめ細かな泡の中に沈んでいく。

「まあ、僕も不安でしたけど……でも大丈夫だと思いますよ。あの二人、気難しいもの同士なんですよね」

 身体に染み込んだ熱さと渋味と根室の言葉で、疲弊していた杏樹の頭がふっと冴え渡っていく感じがした。

「初日に比べたら、だいぶ仲良くなってましたしね」

 根室は穏やかな、しかしどこか悪戯な笑みを浮かべた。あの二人も、昨日の喧嘩を諌めたという高槻も、そして彼も。みんなここに来てから着実に、各々に必要な幅での成長を遂げている。

 私も——

「…よし。じゃあそっちは任せて、私は私の仕事をやらなくちゃね」

「えっ、もう休憩終わりですか?」

 全然余裕、とでも言うように笑う杏樹。マグカップの中身はもう半分と残っていなかった。


 ◇


 警護用車両は警視庁の協力により用意されたものだという。国家の要人を運ぶような大層なものではないながら、無骨なフォルムがどことなく事態の非常性を物語っている。

 ドライバーには警視庁の人員が擁され、倉敷と筑波は後部座席に並んでいた。

「不思議な気分だね、いつもハンドルを握ってくれている君と、こうして並んで乗るのは」

「そうですね」

《倉敷さん、お偉いのもわかるっすけど、あんまりこき使うと嫌われちゃうよ》

 三番目の声は、車内の音響システムから聞こえたものだった。この車両の真上に並走している二体のステラ、そのうちのセルリアンからの通信音声だ。

「私はいつでも自分で運転するつもりだけどねえ、彼女のこだわりなんだ」

「本部長補佐ですから。そのくらい当然です」

 セルリアンは苦笑しながら、補佐と秘書とごっちゃにしてねえかと呟いた。


 TWISTが押さえていたのは一見ありふれたグランドホテルだが、その設備には国内有数の高度なセキュリティシステムを備えており、TWISTの用意する警備力と合わせてかなりの安全性・秘匿性が担保されていた。

「室内にはあらかた必要なものを揃えてくれている。その分、ホテル内であっても移動は最小限に控えてほしい」

「もちろん、大丈夫です」

 ホテル内はフロント、エレベーター、別階の廊下に至るまで厳重に警備体制が敷かれている。筑波は私なんかの護衛にここまで、と困惑したが、彼女自身の人命が尊いのは大前提とした上で、目下市民生活に大きく影響するTWISTプロジェクトメンバーを狙われているということは組織、ひいては社会的にも大きな問題なのだ。

「こっちはオッケーでーす!」

 そして階下のエントランスにはマンダリンが、ホテル全体を包囲するようにPSマンダリンファンネルを展開してスタンバイ。通常、ステラシステムの最大稼働時間は4.5時間だが、今回はそれを上回る長時間の稼働になるため、マンダリンのセントラルユニットには電源車から給電を受けるための外部電源プラグが接続されている。

「はいはい、こっちもおっけえよ」

 気だるそうな声で追随したのは、筑波とともに部屋に入って側近警備を担うセルリアン。彼はステラをセーブモードに切り替え、マスクオフ状態で待機しているが、もちろん油断しているつもりではない。電源車の配備にも限りがあり、かつマンダリンのように常にネットワークをフル稼働させている必要もないためだ。筑波の部屋にはこの二人以外誰も入れない。

「予定時刻は明言されていないが、夜であることだけは示唆されている。各自精神的負担も大きいとは思うが、この卑劣な犯罪を決して許さないでほしい」

 全ての警護要員と二体のステラ、そして筑波の耳元に、倉敷の毅然とした声が届いた。

「まあ、そうは言ってもこの厳戒態勢だからなあ。どう頑張ったって、犯人も身投げするようなもんだろ」

「…慢心ですか?」

「事実だよ。…まあ見てな、南城がいなくても、最後までばっちりやり切って見せっからさ」

 セルリアンの素顔はいつも通り飄々としているが、筑波にとっては頼もしかった。


 ◇


 すっかり夜も更けてきた。

 PSマンダリンファンネルには依然なんの反応もない。屋内にも変化はなく、長い長い沈黙が続いていた。

「ラインナップが微妙だな〜これ。餃子とかないのか?」

「文句言わない」

 痺れを切らした筑波と滝沢は、ほかの警護要員には申し訳ないが、と食事をとっていた。リスクを最小限に留めるため、供給されているのは冷凍食品のみ。およそ高級ホテルで食べるものとは思えなかった。

「だいたい、餃子食べたらマスクの中臭いますよね?」

「舐めんなよ、マスクの中の空気は常に清浄されてんだ。どんな環境でも活動できるようにな」

 くだらないことを自慢げに話す滝沢に、筑波は呆れたように笑った。そんな彼女の手元には、プラスチックトレーに仕切られたふたつの焼きおにぎり。

「…犯人の心当たり、あるって話しましたよね」

「ああ」

「……同級生なんです、高校の」

 今まで軽率に口にすまいとしてきた秘密を、筑波がふいに喋りだした。

 聞けばそれは高校時代同じクラスにいた女子生徒だったという。初めの頃は仲良くしていたが、次第に排他的な交友関係を求めはじめ、彼女を独占しようとする言動が目立っていった。筑波の中では次第に”恐怖”が”友好”に勝ってしまい、折を見て絶交したのだという。

「…屈折してんな」

 まあ、あくまでも元々は友達だったわけだし悪く言う気はねえけど、と滝沢は付け加えたが、むしろ筑波はそれを庇うように、屈折しているのは事実だと答えた。

「…ただ、そんなのはいいんです。屈折って言ってしまったら、じゃあ私だって必ずしも真っ直ぐな人間じゃないでしょうし、それは誰でも——滝沢さんも、たとえ本部長でも」

「…だな」

「多分、それを強いられてしまったことが、つらかったんだと思います。ただでさえなりたい自分になれない、それがまだわからないあの頃の私に、外堀を埋めるようなこと、言わないでほしかった」

「……」

「もっと違う出会い方をしていれば、もしかしたら——」

 言葉を重ねるほど苦しさを増していく筑波の表情を見かね、滝沢は言葉を遮るようにすっと立ち上がった。

「…お前は合ってる」

「…え?」

 ゆっくりと窓の方へ歩みを進め、反射する自分の瞳をまっすぐに見つめた滝沢に、筑波の方へ振り返るそぶりは感じられなかった。

「どんだけ近くにいても、他人は絶対変えられないだろ。だから胸を痛めようが、なにか失くそうが、そのままじゃダメだと思った時には、自分を変えてくしかねえと思うよ」

「滝沢さん…」

「後悔先に立たずってやつだな。それもこれも、変えたきゃ今から変えればいいんじゃねえの?」

 筑波は、余計なニュアンスが乗らないよう、音のない溜息をひとつ大きくこぼした。こんな不器用な人に言われてしまうのもなんだか滑稽だが、それでも滝沢はなにか自分の中に埋もれていた大きくて小さないくつかのピースに気づかせてくれたような気がした。


 次の瞬間、部屋に大きく張られた窓ガラスが、耳を突くような破壊音とともに一瞬にして砕け散った。

 反射的に閉じた目と耳をそっと開くと、外していたマスクを装着し突如夜空へ飛び出したステラセルリアンの姿が、筑波の目に映った。

「滝沢さん!」

 割れた窓辺に駆け寄ると、滝沢の配慮だろうか、瞬時にRPセルリアンウォールズが窓がわりとでもいうように視界を塞いだ。その向こうにかろうじて見えたのは、セルリアンと火花を散らしながら激突する鋭利なシルエットだった。

「ルナ…ローブ…!」

 PSマンダリンファンネルにより一瞬の差でローブの飛来・急接近を検知したマンダリンが、セルリアンに緊急信号を送信。即座にセルリアンをブートアップした滝沢は部屋を飛び出し、ホテルに侵入する一歩手前でその急襲を迎撃したのだ。

 まもなく、二体がそのわずかな視界から姿を消したかと思いきや、ホテルの別部屋の方から衝撃と轟音が押し寄せてきた。

《ステラセルリアン、ルナローブと会敵。ともにホテルへ衝突・進入し、現在同階の大会場にて交戦中》

 すべての人員に与えられているイヤモニから、筑波の耳にも現状報告が届く。今の衝撃がまさに、彼らがホテルに突っ込んだ事によるものだ。戦いを見届けに行きたい気持ちでいっぱいだったが、それではこの作戦の意味がまるで失われてしまう。瞼をぎゅっと閉じて筑波はこらえた。


 ホテルの外観は醜く損なわれていた。セルリアンとローブが突っ込んだ箇所には大きく歪な穴が開いている。

「…私、応援に行ってきます!」

 電源プラグの接続を解除し、マンダリンも戦線に加わるべくエントランスから飛翔する。

 しかし、その行く手を阻む者がいた。

「ご機嫌よう」

「…!」

《マンダリン……、レイニー・ホリデイと会敵!》

 マンダリンの視覚をモニターしていた根室が緊迫した声色で放った。杏樹もその後ろから落ち着いて、とか相手にしすぎないで、などと言っているが、虚を衝かれたマンダリンは蛇に睨まれたように硬直してしまっている。

「…なんの用」

「決まっているじゃないですか。ジェイドに会いにきたんですよ」

「おあいにくさま、今日はいませんよ」

「ふうん。ステラにも休暇あり、ですか」

 さすがは国家公務員だ、とかなんとか笑いながら、レイニーは退屈そうに、しかし慣れた手つきで専用武器アンブレラをくるくると回し鞘に収めた。

「ディナー・ショーの装着者は聡明ですね。ロレンチーニソナーをフル活用している」

「はあ?」

「"技術は愛を形にするためにある"……彼女とディナー・ショーの出逢いは運命的と言っていい。ご武運を」

 奇妙な言葉を遺したいだけ遺し、レイニーは忽然と姿を消してしまった。

「…ふう……なんなのよ……」

《七尾さん、お疲れ様です…!》

「ありがとう……。さっきの、聞こえてました? 滝沢さん!」


「樹里を! 樹里を出せ! 早く出せ!」

「ああ……聞こえては…いたんだけどさあ!」

 同じ時、セルリアンはローブ——その名もディナー・ショー——との接戦に息を切らしていた。一切の躊躇なく、全身に備わる鋭利な装甲を振りかざして迫るローブに、セルリアンの足は僅かずつながら後退していた。

「鮫だろ! 杏樹さん!」

《さすがね》

 間に挟まれた根室には、二人が何を言っているのかわからなかったが、すぐさま杏樹が補足する。

《ロレンチーニ瓶。鮫が持つ、磁場を感知する感覚器官よ》

《それでこの場所がわかったんですね!》

 予告状にも場所を明示しなかったのも、当然。どこにいようとも、来られるからだ。

「ぐあぁっ!」

 しかし謎が一つ解けたのも束の間、隙を突かれたセルリアンは会心の一撃を受け、大会場のカーペットに投げ出された。

「…間違いねえ。こいつは筑波の同級生だ」

「聞いたのね……樹里から……樹里はいるのね……!」

 獣のように腰を落とし、鮫さながらの鋭利なカッターを両腕に光らせ問い詰めるローブ。これは間違いなくシャークローブとでも呼ぶべきスーツだろう。

「樹里を……出せええぇ!」

 仰向けになっていた体をようやっと起こして座り、右膝を立てたセルリアン。その膝にRPセルリアンマグナム・アクションモードを握った右腕を乗せ、冷静に一発、打ち込んだ。

「っ!」

 たった一発だが、バランスを崩し時間を稼ぐには充分だった。のっそりと立ち上がり、杏樹へフルブラストモードの許可を求める。杏樹はこれを即刻許可した。

「マキシマム・ドリップ」

「うわああああっ!」

 半狂乱で襲いかかってきたシャークローブをじっと見据えたまま、セルリアンは唱えた。

「…誰も、他人を手懐けるようなことはできねえよ」

 その手に握られたマグナムが、そしてセルリアンの全身に隠された銃撃武装が、光を帯びる。

「思い通りにいかないから面白いんだろ」

 セルリアンの両腕がマグナムを構える。

「だから——後悔しちゃいけねえんだろ!」

 ついにシャークローブの刃はセルリアンの装甲を力一杯に斬りつけた。

 しかし、肩でそれを受け止めたまま、セルリアンは一切動じなかった。

 零距離でトリガーを引き、全銃撃武装が発砲。ローブは一斉掃射を真正面から受け、装甲を瞬く間に破壊されてゆく。低く構えたマグナムや全身装備からの銃撃は自ずと斜め上を目指し、その勢いに押し流されるかのようにローブも宙に浮きあがる。

「…滝沢さん!」

 まさしくその掃射の最中さなかに、マンダリンが現着。流れ弾が室内装飾を破損しないよう、ローブの背後にはRPセルリアンウォールズがバリアを構えていた。状況を速やかに察知したマンダリンは、PSマンダリンファンネルをローブとウォールズの間に滑り込ませ、レーザー光線を使ってセントラルユニットを剥いだ。


 鉛玉の雨が止むと、打ち上げられていたローブは大会場の床に打ち捨てられ、セントラルユニットはその頭上で爆ぜた。

「…任務完了。撤収作業お願いします」

 戦いの終わりを目撃したマンダリンは、すぐさま全通信網に通達。セルリアンにサムズアップを向けた。

 くたびれた、とばかりにセルリアンはマスクを再度脱ぎ、床にへたり込んでサムズアップに応えた。


「滝沢さん!」

 大会場の大扉が開き、またも滝沢を呼ぶ声が響く。女性に声をかけられるのは大好物のはずだが、今日ばかりは彼もうんざりしていた。入ってきたのは他ならぬ筑波だった。

「…おう。終わったぞ」

 しかし駆け込んできた勢いをすぐさま殺され、筑波の足は辿々しく歩みを止めた。その爪先にいたのが、やはり見覚えのある女性だったからだ。破壊された仮面からのぞく瞳は、かつて熱烈に筑波を見つめ続けた女子生徒のそれだった。

「樹…里……」

「…仲村さん……」

 か細い声で筑波を呼び捨てる同窓生・仲村夏海に対し、筑波は彼女をそう呼んだ。

「……ここまでやりきらないと……私、だめになる気がして……ごめん…なさい」

 筑波の心にいま、かつての恐怖心はなかった。仲村の言葉に俯いたまま頷いている。

「……私……どうしても樹里を……友達とは、思えなくて」

 そこから先の言葉は弱々しく、朦朧とし、筑波にも完全に聞き取ることはできなかった。身体が悲鳴をあげているのだと悟った彼らは、到着した救護チームにすぐさま彼女を引き渡し、搬送されるのをずっと見ていた。


 2


「…俺のいない間に、そんな事件が」

 数日後、南城李人は休養から復帰し、機動室に戻ってきた。もちろんまずはメンバーの手厚い歓迎を受けたものの、話題はすぐ筑波の事件に移った。

「まあ、ジェイドが出せなくても充分対応可能、ってことだな」

「滝沢さん…」

「すぐ調子に乗るんだから」

 突っ込む杏樹とともに顔をしかめた南城だが、しかしそれはそれで心強いとも感じていた。現にセルリアンとマンダリンは各々の能力をフル活用して先の事件を解決に導き、筑波の命も守っている。

「——で、その筑波さんは、今日は何用で……?」

 そしてあれ以来、筑波は本部での仕事が落ち着いた隙に、足繁く機動室に立ち寄るようになっていた。今日もまるで当たり前のようにラウンジの椅子に腰掛け、淹れたてのコーヒーをあおっている。

「私もTWISTの一員ですから。ここにいるのは普通のことです!」

 滝沢は具合の悪そうな顔で頭に手を置いている。偏屈そうな二人だが、その様子だと件の任務でその絆はよくよく深まったようだ。南城は小さく吹き出した。

「お前何笑ってんだよ」

「いや……滝沢さんも、可愛いとこあるなって」

 その一言を皮切りに、機動室はしばしの笑いに包まれた。傍らで冷静なそぶりを続けていた筑波だが、その表情は時折りマグカップに隠れて綻んでいた。


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