14 うちの秘書ですが…


 1


「久しぶりだね、七尾くん」

 プライムローブ:レイニー・ホリデイとの衝突から数日。幸いにも新たなルナローブの出現はなく、この隙にとTWIST本部長・倉敷丈治はステラたちを労い、レイニーの報告を聞くため機動室を訪れていた。

 たまにしか姿を見せない彼だがその恰幅の良さは健在で、TWISTをまとめあげる威厳が全身から滲み出ているのだが、当の本人はというと相変わらずの朗らかな笑い声で気さくなトークを繰り広げていた。

「お久しぶりです!」

「どうかな、仕事の方は」

 七尾は相変わらずハードなトレーニングに精を出していたところだったが、彼女が機動室に赴任してから初めての倉敷の来訪とあって、喜んでトレーニングブースを飛び出してきたところだ。

「おかげさまでバリバリです! 最初は…少しご迷惑をおかけしちゃいましたが」

「少しどころかよ」

 七尾の頭を優しく小突いたのは滝沢だった。彼も七尾も、ここにいる全員が、倉敷自ら直々に選りすぐった各分野のエキスパートたちだ。

「なんだ、滝沢くんもだいぶ自由にやっていたって話だぞ?」

「……あいつから聞いたんすね」

 ちぇ、という顔で滝沢は笑った。あいつ、とは他ならぬ南城のことである。

「大丈夫だ、彼ならもうすぐ戻れる」

 というのも、南城は先の戦い以来機動室に戻っていない。

 先のレイニー戦で気絶してしまった後、彼は救護班により関連医療施設へ直接運ばれた。以前のホッパーローブ——レイニー曰くその名はサイクロン・クラスター——との戦いでは重傷の体を無理やり決戦へと引き摺っていったが、もうあのような無理は許されない。事件がない今だからこそ、十分な療養をというこれもまた倉敷なりの作戦だった。

「まあ、あいつのことだし、そこまで心配しちゃいないっすけど」

 ほんとかな? とでも言いたげに悪戯な笑みを浮かべた倉敷だったが、まもなく彼は自らのIPSuM Watchの通知音に呼び止められた。何やらメッセージを受信したらしく、思い出したように滝沢に声をかけた。

「ああ、そうそう。今日ここにきたのはね、ひとつ特別任務をお願いするためでもあったんだ」

 キョトンとする滝沢・七尾に、倉敷は彼らの視線を機動室メインルーム入口へと促す。時を同じくして開いた扉の向こうに姿を現したのは、見慣れない一人の小柄な女性だった。

「……?」

 女性はこちらへ淡々と近づいてくる。その途中、何かを察したらしい滝沢は大きく吹き出し、倉敷の肩をバシバシと叩き始めた。

「おいおい……いくらなんでも子供のお守りはまずいっしょ……! ぷふっ……孫すか? 姪っ子すか? 公私混同はダメだって倉敷さん……あはははうおっ⁉︎」

 一人大盛り上がりした滝沢だったが、倉敷を連打していたその腕は、他ならぬその小柄な女性に掴み上げられてしまった。

「本部長に気安く触らないでください! スーツの繊維にダメージが」

「は⁉︎ ちょっ倉敷さんこの子アイテテテテテ‼︎」

 掴まれた腕はそのまま赤子のそれのように捻られ、滝沢はそのままよろけて膝を折ってしまった。

「すごい……元自衛隊員を一瞬で……」

 驚愕する七尾が再び倉敷に目線を向けると、倉敷は困り半分に笑っていた。


 ◇


「TWIST本部長補佐、筑波樹里つくば・じゅりです。よろしくお願いします」

 バツの悪そうな顔をした滝沢と、相変わらずキョトンとしている七尾。ひとまずメインルーム内のラウンジに腰掛け、倉敷・筑波と茶を挟んだ。

「そうか、君たち筑波くんとは初対面か」

「あー、もしかしてあれか? 俺たちを一番最初に機動室に連れてきてくれた、あん時の」

 向こうから口を挟んできたのは、捜査資料の取りまとめに苦闘していた対馬だ。なんでアキさんが? と反応した滝沢に対し、対馬は相変わらずその呼び方に不満を呈しつつも、そうだよなと倉敷に同意を求める。

「ああ、そうそう。南城くんと対馬くんの赴任当日に、私たちが彼らを車で迎えに行ったんだね。その時のドライバーが、確かに彼女だったよ」

「対馬さん、お元気そうで」

 筑波は対馬に一礼、対馬もへこっと会釈を返す。全く見ず知らずの外様かと思いきや、そんな関係性が既にあったとは。滝沢はますます気まずくなった。

 と、ここで元々の話題が彼の脳裏に戻ってくる。

「で? その特別任務ってのと、彼女はなんか関係あるわけ?」

「いや…まさに彼女についての任務なんだ」

 聞くところによると、本部になんと筑波宛の殺害予告が届いたのだという。

 筑波には以前からとある”因縁の人物”がいるらしく、その人物に勤め先まで嗅ぎつけられてしまったのではないかと読んでいる。なにせ、他に心当たりがないというのだ。

「それは誰なのよ」

「学生時代の同窓生です。ですが……確証がない以上名指しにはできません」

 すっきりしない表情の滝沢に、おおかた察しはついているかもしれないが、との枕詞を敷いて倉敷は続ける。

「予告当日は、彼女にはホテルを用意して、厳重警戒を敷こうと思っている。そこで……」

「……ローブ犯罪の可能性も視野に入れて、ステラも配備しておきたいと」

 さすがだ、と滝沢の推察に倉敷は唸った。

「もちろん同性同士で、室内警護は七尾くんに頼んだ方がお互い気兼ねもなくていいかと思ったんだが……この手のミッションにおいては、精密性と柔軟性、防御システムまで併せ持つセルリアンが最適だと思ってね」

 気まずそうに滝沢を見る倉敷だったが、当の本人はあまり意に介していない様子だった。筑波をチラリと見ながら楽勝そうな笑みを浮かべている。

「なーに。俺は杏樹さんみたいな大人の女じゃないとときめかないから、そこら辺は安心しな」

 滝沢の目は明らかに、146cmしかない彼女の身長と、振る舞いに似合わぬ童顔を嘲笑していた。

「私がちんちくりんのがきんちょだっていうんですか⁉︎」

「いやそこまで言ってねえわ」

「言ってるようなもんです!」

 一触即発。お互い初手から第一印象は最悪だし、筑波も自分の容姿に関しては敏感なのだろう。二人は口喧嘩になってしまった。あわあわと困り顔を見せる七尾だが、倉敷は大口を開けて笑った。

「あっはっは。その調子なら、滝沢くんに任せて大丈夫そうだね」

「いやどこがだよ!」

 言いながら、おもむろに倉敷は帰り支度を始めている。その手には自らの荷物のみならず、筑波が持参していた事務書類の一部も集められていた。

「えっ、本部長…?」

「予告日は明後日だ。早速今日から、身辺警護を頼みたい」

「おいおい、まさか……」

 倉敷はすっくと立ち上がり、

「予告当日、ホテルまでは私が送り届けよう。その時にまた来るから、二日とちょっと、ここでご厄介になりなさい」

 とだけ言い残して去っていってしまった。

 筑波、滝沢、七尾の三人は硬直したままその背中を見送り、やがて呆然としたままへなへなと腰を下ろした。


「ああ、岡崎くん」

「本部長! お疲れ様です」

 帰り際、倉敷はメインルームを出てすぐの通路で杏樹と鉢合わせた。

「この間相談していた通りに、彼らにも伝えさせてもらったから、あとは手筈通りに」

「…わ、我々は構いませんが……本部長はよろしいんですか?」

 彼女はすでに、筑波の件を聞かされていたようだ。

 倉敷はくぐってきたメインルームの入口を振り返り、ゆっくり答えた。

「まあ、こんな事件があろうとなかろうと、いずれ彼女はここに連れてきたいと思っていたんだ」

 じゃ、と去りゆく倉敷の背中を、杏樹は眉を下げたまま見送った。


 2


 ヴォーグ社の門戸は、想像以上にオープンだ。

 デザイン性からか控えめではあるが”Vogue Inc.”とのディスプレイは堂々と鎮座しており、なんら後ろめたさを感じさせないビジュアルになっている。

「——では、お願いします」

 ジャッカルローブ:ハウ・トゥ・サバイブ。3Dプリンティングの応用技術で、視覚情報から物質をコピーし生成する能力を持ったルナローブ。装着者が”過度な自己改良、技術の許可なき応用などを禁ずる”という旨の規約に抵触したため、ペナルティを与えた上でスーツを回収、開発部へ返却した。もっとも、実際には予定していたペナルティをはるかに下回る量刑となってしまったが。

 手がけているプロダクトの違法性や邪悪さにはまるで似つかわしくない、清潔で美しい真っ白の廊下。プライムローブ:レイニー・ホリデイの装着者にしてヴォーグ社の役員・雨宮大河はそんな社屋が嫌いではなかった。

「雨宮」

「…伊吹さん」

 手前から歩いてきた女性が雨宮に声をかけた。雨宮の表情はリラックスしているが、当の彼女の表情にはどこか猜疑心が見え隠れする。

「後始末はしっかりやってきたんでしょうね」

「当然です」

 互いの顔を真っ直ぐには見ずに歩みを続ける二人。徐々にその距離は近くなり、やがて、すれ違いざま。

「開発部のご事情ヽヽヽもありますからね?」

 そして互いに背を向け、二人の距離はまた離れてゆく。

「……」

 あらゆる足音を打ち消すカーペットで満たされた廊下。響いた最後の音は、伊吹と呼ばれたその女性の不快感を表す一息。雨宮の言葉は、伊吹がルナローブの開発セクションを司る人間であるということを重々承知した上でのものだった。


 ◇


「お前、本当にそんなんでいいのか?」

 あまりにも突貫だとは思うが、結局セルリアンによる筑波樹里護衛任務は開始してしまった。

 とはいえ彼女にもTWIST本部長補佐としての通常業務がある。機動室内の休憩スペースと応接間を兼ねるこのラウンジで、淹れられた茶もそのままに筑波は半端にしていた仕事に再び着手していたのだった。

「問題ありません。私、これがあればどこでも仕事できますから」

「そうかよ」

 平然とキーボードを叩く筑波に眉を吊り上げ、そいつは感心、と言わんばかりに息をついた滝沢。差し詰め喫茶店で仕事道具を広げるノマドワーカーみたいなものか。

 警護用のホテルを押さえ続ける難儀さと、機動室を隠れ蓑にすることの安全性と背中合わせの”機動室側のリスク”——場所を指定してこないあたり、向こうは探査能力を持つローブかもしれないからだ——も考慮し、やむを得ず前日までは機動室、当日はホテルというややスマートさに欠けるスケジュールとなったことには滝沢も一旦は理解を示した。しかしうろうろ移動するのもそれはそれでリスクだし、何より彼女のこういう不自由さだって——。

 しかし、こうなってみてふと気になる。機動室はステラをはじめとした現場仕事をメインとしているが、本部の仕事とは一体どんなものなんだろうか。

「機動室はステラの運用が主たる任務ですよね」

「うおっ!」

 筑波に話しかけられ、しかも胸の中で浮かんでいた言葉をそのまま音読されたような気がして、滝沢は狼狽した。

「…そうだけど。そっちは何してるわけ?」

「まあ、色々です。技術部門や医療チームとの連携、報道関係の対応、専門家を交えたローブ犯罪の分析……倉敷本部長はTWISTの顔として、国内外のあらゆる会合にも都度顔を出されています」

「結構、大変なんだな」

 先ほどの"そうかよ"とは真反対に、今度は滝沢も素直に感心してしまった。アバウトに裏方仕事全般かなというくらいで基本的に薄目で見ていたのだが、具体的に聞くとそれはそれでなかなか難儀そうだ。

 ステラの活躍があるのは、機動室のみならずTWIST全体が機能しているおかげ、ということか。

「そうですよ。だから邪魔しないでください」

 前言撤回。二、三罵ってから、滝沢はさっさと筑波の隣を離れた。


 3


 TWIST機動室の朝は早い。

 基本的にここが無人になるということはなく、最低でも誰か一人は当直で泊まり込んでいる。斯様な状況なので、夕べの担当は急遽滝沢に振り替えられたのだが——

「おはようござ……」

 高槻がメインルームの扉を開いた途端、騒がしい応酬が彼女の耳に突き刺さってきた。

「ダメに決まってんだろ!」

「滝沢さんに止める権利はないはずです!」

 翌朝も早々に、例の二人は口喧嘩をおっ始めていたのだ。思わず高槻は目蓋を絞り、苦悶の表情で首を震わせた。

「ちょいちょいちょい〜……朝から兄妹喧嘩は勘弁してよ〜……」

 いつもカラッと気持ちのいい高槻でも、さすがにこう面食らってしまっては顔にタテ線が入るというものだ。

「おお侑里ちゃん、聞いてよ。こいつこの状況で新作スイーツなんか食べにいきたいとか言い出しちゃって」

「なんかとはなんですか!」

 真面目でドライなイメージだった筑波が、耳まで赤らめて滝沢に抗議している。

「樹里ちゃん、スイーツが好きなの?」

「えっ……ええ、まあ……好きというか、少しマニアに近いというか」

「新作ってあれのこと? セレーネのフロマージュ!」

「はっ……! そうです! わかるんですね高槻さん!」

 筑波の様子を察した高槻がスイーツの話題を振ると、見事に筑波は燃え上がり、やんややんやとスイーツトークに花が咲いてしまう。完全に置いてきぼりを食らった滝沢はここにきてまたしても気まずさに襲われることとなった。

「——ですって、滝沢さん〜?」

 ひとしきり盛り上がったのち、高槻がその矛先を滝沢に向ける。

「紳士の滝沢さんが、女子の気持ちを踏み躙っていいんですか…? そんなんじゃ杏樹さんともお酒、合わないんじゃないかな〜?」

「おま、ちょ、それは待てって…!」

「私、滝沢さんがそんなに馬鹿じゃないって知ってますよ」

 高槻が悪どくニヤつく。

「そういえば杏樹さんの好きなお酒と行きつけのお店、こないだ教えてもらったんだったなあ……」

 滝沢の目がかっと見開く。赴任当日に叩いていた軽口、杏樹がタイプだというのはまんざら嘘でもなかったらしい。

「おいおい……」

 ハザードのプロフェッショナル、滝沢亜藍。高槻の悪い顔と、筑波の正義を振りかざすような視線に、出した答えは—— 


 ◇


 超人気スイーツショップ・セレーネは、機動室からは少し離れたサブカルチャーの街に立地する、パステルカラーのあしらわれた清潔な雰囲気の店だった。

 開店時間は10時30分。今日から発売の大注目メニューを求めて並ぶ上で、彼らの到着は決して遅すぎることはなかった。

「嘘だろ…? まだ8時半だぞ…?」

 ところが信じられない光景がそこには広がっていた。開店2時間前にして、すでに店前たなさきには長蛇の列。口当たりの良さとナチュラルな優しい甘味、ヘルシーな原料へのこだわりが特徴のこの店に絶大な信頼を寄せるファンがもっと前からひしめいていたのだ。

「あのさ……これ……並ぶんだよな?」

「並ばないわけないじゃないですか」

 そりゃそうかと肩を落としたのは、元自衛隊員、現着装端末犯罪鎮圧処理特命部のメンバー・滝沢亜藍。彼は今、護衛対象の同本部長補佐・筑波樹里の要望に添い、スイーツショップの列に並んでいるのである。

「ファンにとっては当たり前のことです」

「ちびっ子の割に高尚な趣味をお持ちで」

 お得意の軽口を叩いた滝沢を、すかさず筑波が物言いたげに睨みつけた。滝沢はしまったと言わんばかりに目線を逸らす。

 そう、滝沢は紳士的な振る舞いを約束する条件で、欲していた情報を入手したのだ。口約束だが、取引は取引。約束を破ればどうなることかわかったものではない。

 まあ、紳士であろうとなかろうと、取引しようとすまいと、容姿や嗜好を弄ることは基本的に頂けないのだが。これは昔から滝沢が周囲の人間から指摘され続けている悪癖だ。

「お菓子好きなら、アキさんと一緒だな」

「…対馬さんもスイーツを?」

「いや、どっちかっつうとあの人は駄菓子だから、しょっぱいのもよく持ち歩いてるよ」

 緊張と緩和を怒涛のように繰り返したおかげか、まだ24時間も共にしていない彼らだが、そのくらいの軽い雑談ならできるようになっていた。最初は鉄扉に閉じていた筑波の心も、今はガラス窓くらいにはなっている気がする。円滑な警護にあたっては、まして同じ組織の仲間なら、せめて網戸くらいにはなってほしいものだが。

「…機動室は、楽しいですか?」

「あ?」

 不意に、筑波が問う。変な含みを持たない、直球な質問だった。

「ん〜……まあ変な奴ばっかだし、前の仕事よりは笑えるかもな。その分仕事は危ないけど」

「まあ、そうですよね」

「お前んとこはどうなんだよ。俺本部ってほとんど行ったことなくてさ」

「私も充実してますよ。尊敬する倉敷本部長の下ですから」

 お前も好きね、と鼻で笑う滝沢だが、その表情はどこか柔らかで、少なくとも卑下のようなものは感じられなかった。この人は悪い冗談や奔放な振る舞いで強引に距離を縮めようとするタイプだ。明るく楽天的に見せているが、その実コミュニケーションはあまり得意じゃないんだなと筑波は思った。

「…あの、トイレ、いいですか」

「お前ほんと警護対象って自覚ないのな」

「え?」

「お前が行くなら、俺が列に残ってなきゃだめだろ」

 事実、筑波はそこまで頭が回っていなかった。彼の言う通り警護対象であるという事実をすっかり忘れ、一人で化粧室へも自由に行けるつもりで言い出してしまっていたのだ。

「ぷっ……ふふふ……!」

「……」

 そして、自身のそのうっかりと、何より滝沢がしっかりスイーツのために並び順を守ろうとしていることに筑波はたまらなく可笑しさを感じてしまった。何を笑っているのかわからない滝沢も、静かに鼻から笑みを溢す。

「お前…普段からそのくらい笑えよ、鉄仮面みたいな顔してないで」

「大きなお世話です!」

 笑いも収まらないままに、筑波は滝沢の二の腕をグーで殴り、そのまま勢いで列を飛び出してしまった。おい待て、言ってるそばから、などと喚く滝沢を背に、しばらく笑みの余韻を残したまま筑波は走り続けた。


 ◇


「どこだろう…」

 空間把握があまり得意でない筑波は、化粧室から戻ってきたはいいものの滝沢の位置が思い出せず、最後尾から待機列を愚直にたどる形で元いた場所を探していた。

 得意げにハンドルを回す男性に対し地図を回して読む女性の図が風刺される昨今だが、そもそも男女の脳構造というか配線の違いがそうした得手不得手に作用しているのだと聞いたこともある。それを知って以来彼女は自身の空間把握能力の低さを恥じることをやめた。駅前のタロットや朝の情報番組の占いより、論文や検証事例を信じるのは彼女のかねてよりのイズムだ。

 元々自分でも頭が硬い方だという自覚はあった。昔からいわゆる”女の子らしい”と言われるフリフリやキラキラが大好きで、家の中には好きなだけ掻き集めていたが、それを身につけて表に出ることはなかった。キャラじゃない、から。

「………」

 自分のイズムと、そこから滲み出していった客観的な”キャラ”にそぐうように、おのずと自分の外観を調整してきた。だからスイーツ好きも公言しなかったし、シンプルで機能的な服ばかりを着た。

 それがいかに無駄な、いかにもったいないことであるかを痛感し、脱却したのは本当にここ数年のことだ。

「……」

 だから、滝沢の容姿やスイーツへのいじりには正直腹が立った。でも、あくまでも自分を確実に守りたいがためにああして今朝声を荒げたのだろうし、今もこうして頑なに列を守ってくれている。滝沢自身が決して好んで表に出そうとはしない誠実さや義理堅さのようなものをそこに感じ取り、彼はただ愚かで不器用なだけなのだと信じることができたのかもしれない。

「………!」

 少し油断すると、そんな小難しい方向にすぐ心が逸れてしまうのも、彼女の悪癖かもしれない。危うく滝沢の姿を見逃すところだった。

 ——なぜなら、彼はうずくまって身を小さくし、彼女が素通りしても声をかけられる状態になかったからだ。

「滝沢さん! ちょっ……大丈夫ですか!」

「……ああうるせえな。でかい声出すな恥ずかしい」

 存外、滝沢は軽妙な反応を示した。頭を押さえていた様子から、軽い頭痛にでも苛まれたのだろうと筑波は何も言わずに察知した。

「もう単独行動すんなよ。次やったらこの依頼自体白紙だ」

「…すいません」

 でも、でも。

 たかが頭痛で、しゃがみこんでしまうものだろうか。

 列を外れる前より少し白さを増したようにも見える、滝沢の横顔を筑波はただ見ていた。

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