13 ローブの約束

 1


「悪かった南城、俺たちが駆けつけていれば今頃…」

「三人のせいではないわ。機動室としても……対処のしようがなかった」

 ステラジェイドと、例の紺碧の武装者との戦い。状況終了後、滝沢と七尾、それに機動室全員の立会いのもと、ジェイドの視覚モニターをリプレイし、データ解析とヴォーグに関する推察が行われていた。杏樹の言葉通り、紺碧の武装者との邂逅は彼らにとってあまりにも突如のことだったため、機動室としても南城を動揺させてはまずいと思い一切の指示や干渉ができなかったのだ。セルリアンとマンダリンが加勢に至らなかったのもこのためである。

 現に、彼は強かった。天地ほどの差ではないにしろ、下手な刺激を与えて手を滑らせていたら、南城もただでは済まなかったかもしれないと思う程度には、だ。

「二人の会話内容もオペレーターの二人に聞き取って解析してもらったわ。根室くん、高槻さん」

「はい。まずあのスーツについてですが、プライムローブというのがヴォーグ社の新シリーズの呼称で、そのひとつである彼のスーツの名前がレイニー・ホリデイ……こう考えるのが自然かと思われます」

「同様に、南城くんの推測通り、他のカタカナ言葉は全て、今まで出現した一般販売のルナローブの名称である可能性が極めて高いものと」

 ベスト・スコアという名前は、話の内容からワスプローブの名前と察しがついた。追随するように、滝沢が推理を展開する。

「サイクロン・クラスターは……これはホッパーの名前か。勝ったことが驚きだっつってたしな」

「ええ。バック・ストリートの戦いは、俺が恥ずべき過去、と言ってました。おそらく、レイブンローブのことかと」

 ジェイドにスパークリング・ストライカーという個体名があるのと同様に、ルナローブにも名前が存在する。そしてそれを知っている彼は、ヴォーグ社の人間だと自称していたというではないか。

「で、スパーク…そのナントカってのが、俺と南城が赴任した当日に出てきた、あのレーザー野郎……」

 対馬もその表情に屈辱を浮かべながら、右の拳を左で受け止め唇を噛む。かねてより実地捜査員として様々な情報を地道に収集して周り、ヴォーグ社の悪趣味な開発者精神を目の当たりにしてきただけに、相変わらずタチの悪い連中だと悪態が漏れる。

 しかし、そんな対馬ですら掴んでいなかった様々な情報を手土産に、敵勢力の中枢に限りなく近い人物が、このタイミングでTWISTに自ら接触を図った理由や目的に関しては未だ多くの疑問が残る。

「…奴さん、自分の力を試してるみたいだったな」

 やはりアキさんは鋭い、と南城は思った。現に彼はその力を”確認できた"、"またお見せする”と口にしていた。

 それに攻撃があまりにも強烈で、しかし本気かというとどこか余裕を残しているようにも感じられた。いまひとつ掴みどころのないそのファイトスタイルは、フレキシブルであるとも、自身もまだ手探りであるとも取れた。

「その上で彼、ハウ・トゥ・サバイブは少々厄介、と言っていましたが……」

「ジャッカルのこと、でしょうね。現に厄介でしたし」

 葛飾の言葉に南城は続いた。恐らくルナローブについても多くの知識を保有しているであろうあの男をしてそう言わしめるということは、やはり一筋縄ではいかない相手だということか。少しずつ、しかし着実にその力を増しつつあるルナローブと、新たなる力・プライムローブ。機動室には奮起のムードと背中合わせに、小さなデカダンスの種が撒かれているような、微かな悪寒が同時に漂いだしていることにも内心全員気づいていた。


 2


 錆びた郵便受けたちは二階への階段の下に潜るように設置されており、湿った土とコンクリートの匂いが年中漂っている。

 築数十年と見受けられる集合住宅だが、昨今珍しく表札を律儀に呈しているのは"宇佐美"という一世帯だけだった。

「潮ー! いい加減ごはん食べなー! 冷めるよー!」

 夜も更け、小さな子ならとっくに寝るような時間になったが、宇佐美家の一人息子は未だに寝るどころか食事を摂る素振りすら見せずにいた。一室であげられる中年の女性の声は、簡素な窓ガラスを通り抜けて通路へ、時と場合によれば隣室までも漏れ聞こえる。

「ちっ……っせえな。天才的頭脳を持ってしても生まれてくる場所を選べないというのは悲しいよっと」

 白状な息子に用意されていた母の手料理は、虚しくも冷めてゆく。痺れを切らした母は食卓に残った手付かずのそれらにラップをかけ、盆に乗せて息子の部屋の前に置いた。

 彼の部屋は内開きなので、料理に気づいて手をつけるようとする時も危なくはない。それはいいが、味を占めてか食後の食器も同じように部屋の前に並ぶことになる。

 そこまでを見越してか、去りゆく母が直前に残していった鼻の溜め息。息子の耳はそれを確かに捉えていた。

「…今に、今に見てろ。僕だって好きでこんなところに閉じこもってるわけじゃないんだ」

 薄暗く清潔さを欠いた四畳半。広げられているのは大量の電子機器の部品と、ルナローブの装甲パーツ。

 ほんの数年前まではこうではなかったという母の回想と嘆きは、直接聞かなくても痛いほど響いていた。

 ジャッカルローブ・宇佐美潮うさみ・うしおは、デジタルガジェットや機械工学に深い造詣を持ちながらも、それを持て余しては独り手遊びを続ける、不遇の天才であった。


 ◇


 同じ夜でも、家族の存在すら疎んじて孤独に沈む者もいれば、パートナーと一献傾け、一日の疲れを癒やしあう者もいる。どちらも、同じ街のそう遠からぬ距離に共在する営みだというのだから、人間の生活とは不思議だ。

 晴れた夜はあえて少し窓を開け、夜空を眺めながら晩酌をするというのが、南城と瀬奈のお気に入りだった。

「ふーん。じゃあ、立派に先輩やってるんだね」

「まあ、滝沢さんは危険な現場のプロだし、歳上だし、俺の方が全然後輩って感じだけどね」

 瀬奈は南城の話にじっくり付き合いはしても、それが街や国の命運を左右する重大な特命であることを忘れさせるほどにリラックスした面持ちで受け止め、そして流す。TWISTでも比較的落ち着きのある南城ですら恐れ入るほど、大きな器で南城を迎える特別な存在だ。だから一切他言できない組織の話も、瀬奈にだけはこぼすことができる。

「ただ……最近入った七尾って奴がどうも、頑張りすぎちゃうタチでさ。いい子なんだけど、危なっかしいっていうか」

「ふぅ〜ん」

「…何」

「李人そっくりじゃん」

 俺と? どこが? と自分に人差し指を向け驚いてみせた南城。そう聞けば聞くほど、瀬奈は笑った。

「だって覚えてる? 最初のデートで気合い入れすぎて、李人の服装全ッ然似合ってなかったの」

「なっ……それは…」

「その後もさ、私をエスコートしようとして車に轢かれそうになったり、荷物全部持とうとして潰れそうになったり……っぷはははは…!」

「笑うことないだろお!」

 南城は顔を真っ赤にして反抗した。その赤らみがアルコールのせいではないことは自明だった。

「はははは……はーあ、ごめんごめん。だからあの時はよく言ってたでしょ? 別に李人は李人のままでいいんだよって」

 ただ、それらの思い出は南城もちゃんと覚えていたし、身の丈に合わない行動で押し潰れそうになっている七尾の姿はさながら当時の自分とも重なった。

 七尾も、七尾のままでいい。今度タイミングがあったら、そう言ってやろう。

 盃の底に残った小さな三日月を、南城はくいと飲み干した。


 3


「いや、七尾はそれでいいと思うぞ」

「えーそうですか? 私は納得できないです!」

 とはいえ、だ。

 だからってこんなしょうもないことに、こう呆気なくそのセリフを言ってしまうことになるとは思わないだろう。言いながらにして、南城は不服だった。

「いやいや、今のままでも充分だって。それ本気で言ってんの?」

 ブレイン担当とはいえ、フィジカルもちゃんと鍛えておきたいのだと豪語していた七尾。それ自体は良かったのだが、どうやら筋トレに割合しっかりハマってしまったらしく、体脂肪率がどうとかタンパク質がどうとか言い出し、しまいにはバラエティ番組でよく見る筋肉隆々の女性タレントの写真をトレーニングブースに貼り始めたのだ。

「本気と書いて、マジです!」

「あれ目指してるってことだろ? マジでやめとけって。体壊すから」

「南城が言うと説得力が違うな〜」

 滝沢も茶々を入れる。いつまでそのいじりを続けるつもりなんだ、この人と葛飾さんは。

「とにかく止めても無駄ですからね。見ろや…私の筋肉…」

 鼻息荒く、七尾はその華奢な上腕を叩いた。

「…ぶっ倒れるか飽きるかするまで、やらせるしかないんですかね」

「そうだな。意外と続くかも知んないしなあ、誰かさんより?」

 奮起する七尾をよそに、悪戯な笑みを浮かべ南城の脇腹を突いた滝沢に、南城は憤懣やるかたない様子で頭を掻いた。


 ジャッカルローブの再出現を知らせる警報音が機動室中に響き渡ったのはその直後のことだった。


 ◇


「まーたザイオンストアにちょっかいかけてるらしいじゃん?」

「何がしたいんでしょうね、あいつ」

 戦闘機のパレードにも似た、三体のローブの空飛ぶ姿。その序列はジェイドを真ん中に、進行方向左がマンダリン、右がセルリアンと概ね相場が決まりかけていた。

「現着まもなくです!」

 マンダリンの声に、ジェイドとセルリアンが進行方向へと視線を戻す。

 しかし、向こうに見えた現場の様子に、彼らは目を疑った。

「なんだよあれ…どういうことだ?」

「機動室!」

 彼らが目の当たりにしたのは、ジャッカルローブが既に戦闘状態に入っている様子だった。

《ジャ……ジャッカルローブ、例のプライムローブと——レイニー・ホリデイと、交戦中!》

 この間はジェイドの喉元を捉えたレイニーの斬撃武装・アンブレラが、今はジャッカルの擬似ジェイドブレードと競り合っている。甲高い金属音と火花の破裂音がショッピングエリア全体を支配し、あたりは騒然としていた。一体どういうことなのかと戸惑いを露わにしながら、三体のステラは距離を維持したまま一旦空中で観測を続ける。

「……やはり危険域まで達していましたか。この出力は異常です」

「ふざけんなよ…! あんたがやれって言ったんだろう!」

「はて。私はなんと言いましたかね?」

 両脚にクロスカントリー車の大きなタイヤをコピーし、ジャッカルは急加速・急展開で距離を離す。その機動力は今まで見たルナローブを遥かに凌ぐものだとステラたちにも容易に感じ取ることができた。

「…覚えてないのかよ…! コレを使って、僕の才能を爆発させろって、そう言ったんじゃないか!」

「では覚えていませんか? 私はあなたに、電子契約書への同意も得ているはずです」

 まるでレイニー・ホリデイの発言に連動したかのように、ジャッカルローブの視覚モニターに無数の警告ポップアップが浮かび上がり、間も無くその視界は真っ赤に染められる。

「うっ…うわあああぁ⁉︎」

 狼狽し、バランスを崩して尻餅をついたジャッカル。”Serious violations:Unauthorized system customization or revision”と記された無数のポップアップは音や点滅でただならぬ気配を演出している。

「ルナローブは我々ヴォーグの所有物にして、最高の科学芸術です。そこにユーザーが無断で手を加えることは、重大な規約違反となる」

 そこに、弾道。

 レイニーの全身を覆い隠す紺碧の装甲、その肩パーツに、RPセルリアンマグナム・アクションモードの銃撃が命中し、レイニーの姿勢ははすになる。

「よその品もん改造して、所有物だの芸術だの、言ってて恥ずかしくねえか?」

 声の主は、地上に降り立ち中距離で発砲を仕掛けたステラセルリアンだった。追随するようにジェイドとマンダリンも降り立ち、レイニー・ホリデイを睨む。

「どうでしょう? この世に完全なオリジナルなど存在しない。IPSuMもルナローブも、これまでの科学技術の歴史に立脚している点では同じですよ」

 肩を払いながら、駄々をあやすような悠長な口調で反論するレイニー。そういう問題じゃないだろうと、仮面の下の滝沢たちは困惑と遺憾の表情だ。

「…そのローブをどうするつもりだ?」

 ジェイドは問うたが、すでに合点はいっている。この状況、要するにレイニーは"重大な規約違反"を犯したジャッカルローブを断罪しようとしていたわけだ。確かにジャッカルもあれだけのトリッキーな能力をフルパワーで使いこなすには、システムにもかなりのパフォーマンスを要求しているはずだ。

「ステラジェイド、またお会いできて光栄ですよ。それも今回はお仲間も一緒でね」

「はぐらかすな! こっちは大真面目に聞いてる」

 ジャッカルの装着者は、そのパフォーマンス力を改造によって自ら補強していた。そしてそのためのパーツ集めが、これまでのストア襲撃の最大の目的だったわけだ。

「私も大真面目ですよ。今から彼にペナルティを与えなければいけないんですから」

 その直後、三人の前に突如濃い霧が発生する。

 雨の名を冠する彼の、得意の能力と窺えた。マンダリンがPSマンダリンファンネルを高速周回させ霧払いを試みるが、その霧は普通ではない。どこか重たく、彼らの動きを鈍らせる何かを含んでいる。やがてファンネルも撹乱され機能停止してしまった。

「なんだよ、これ…! 七尾! 何かわからないか?」

「分析不能……! 通信にも障害が……てい……です!」

《全機通信障害、フリーズ多数確認! 霧の成分や正体も不明です!》

《一体どうなって…!》

 ステラはおろか、機動室をも混乱に陥れるレイニーの霧。

 まんまと脚を止めてくれたと冷笑し、そのままレイニーは再びジャッカルローブのもとへと足取りを早める。

「なんだよ…! 金なら……そうだ違約金だよ! 払えば文句ないだろ!」

「我が社が金に困っているように見えますか?」

 片手を背後にやったまま、レイニーは無駄のない動きでジャッカルの装甲を斬りつける。跪き、やっとやっと起きあがろうとしたところに、大人しくしていろと言わんばかりにまたレイニーは剣を振るう。

「げほっ…げほっ…! 命は……命だけは……!」

「あなたは天賦の才に恵まれた……ですが少し、恵まれすぎたようだ」

 全てを諦め、張り詰めた肩を解き、マスクの中で目を閉じたジャッカル。

 肘を大きく後ろに引き、ジャッカルのアンダースーツ部分に狙いを定めたレイニーの姿は皮肉にも、さながらスピアを振りかざす西洋騎士の威風だった。

「っ…!」

 しかし、その腕をすんでのところで掴み上げ、剣を止めたその手。荒々しく、決死の覚悟を宿した武士の勢いがそこにはあった。

「………!」

「……………」

 レイニーの剣戟を制止したのは、ステラジェイド——否、南城李人であった。

「…あの霧がIPSuM製品のフリーズを誘発するプログラムだとよく気づきましたね」

「レイニー! お前……自分が何しようとしたか、分かってるんだろうな!」

 霧が作用している対象が彼らの肉体や精神ではなくステラシステムそのものだと察知した南城は、スーツの緊急離脱を発動させ、アンダースーツのみを纏った姿でレイニーに掴みかかっていた。その顔には、こうした万一の事態に備えて常備していた、素顔を隠すためのサングラス。

 しかし所詮は生身の人間の馬力。圧倒的にフィジカルを強化されたルナローブ——それもプライムローブを相手にすれば、南城が一捻りで振り払われることなど自明であった。

「南城!」

「南城さん!」

 動けないとはいえ全員が武装解除するのは懸命ではないと、セルリアンとマンダリンは緊急離脱を踏みとどまっている。霧の中で跪いたままの二人の声が聞こえるが、南城にそれを聞き入れる余裕はない。

「その洞察力と行動力……やはり私に相応しいのはあなただ、ステラジェイド」

「何……」

「それを確信させてくれたお礼に、彼へのペナルティは免除しましょう。ただし」

 レイニーが嬉々としてフィンガースナップをひとつ鳴らすと、ジャッカルローブの装甲が自動でパージされ、機能を停止した。さらにレイニーが何やら片手で軽妙なジェスチャーを見せると、力なく散乱した装甲はまるでその手に操られるかのように浮遊し、やがてはひとまとめにパッケージされてしまった。

「幸い、スーツは美品だ。回収させていただきますよ」

 立ち尽くす南城を前にしたまま、その装甲を手元に寄せ、軽い一礼を見せた。

「レイニー……お前は絶対、俺が着替えさせる」

「楽しみにしています」

 瞬きの間に、レイニーは姿を消した。最後の彼の一言からは、その口角に笑みを含んでいることが滲み出すようにわかった。

「南城大丈夫か!」

 背後から声がする。滝沢の声だ。レイニーの戦線離脱とあわせ、霧も晴れたようだ。セルリアンとマンダリンが鬼気迫る表情で南城のもとへ駆けつけた。

 鋭い目でレイニーを見据えていたその顔はふっと緩み、まもなく気を失ってしまった。滝沢はすぐさまセルリアンの機能で南城の健康状態を診たが、命に別状はないとわかった。

「…こちらマンダリン……南城さん、ジャッカル装着者ともに無事です!」

《了解。みんな無理しないで、そこにいて。メディカルチームに回収要請をかけてあるわ》

 ジャッカルの装着者・宇佐美は恐怖で正気を失い、ぽっかりと口を開いたまま自失している。混沌としたショッピングエリアには、普段のそこには到底似つかわしくない沈黙が漂っていた。

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