12 雨よりも怪しく

 1


「……一般ユーザーに関する報告は以上です」


 雨ならば、傘を差せばいい。

 そう思っていた時期が、確かに彼にもあった。

 しかし、悲しくもこの世界には、止まない雨というものが存在する。


 人は誰もが、心の中に傘を持っている。


「それと…エモーショナルドライブシステムですが、臨床試験と最終チューニングが先日ようやく完了しました」

 頭の上で傘を叩く音が鳴り続けている間、人は孤独だ。

「今こそ、この私の身をもって、実機テストを」

 そして彼もまた、未だもうしばらく止むことのない雨の音を聞きながら、孤独にその身を守り続ける者のひとりである。


 片手で傘を差しながら、しかし、もう片方の手を彼はずっと持て余していた。


「……あなたならそう仰ると思いました、社長」

 今日、この日までは。


 雨宮大河あまみや・たいがはヴォーグ社の人間である。

 ルナローブの一般販売を経て、ヴォーグ社の次なるプロダクトを完成させる、決定的なピースを埋めた第一人者となった。28歳・ヴォーグ社中枢役員の彼にとってそこは闇の世界の中心であるだけに終わらず、テクノロジーの甲冑を纏った戦士としての、ある種の呪いを引き受ける場ともなった。


 2


 葛飾廉はTWISTの技術管理官である。

 普段はステラシステム管理庫とステラ出撃用ポートを兼ねたガレージルームに身を置き、メインルーム以外の場に自身の椅子を持つ唯一のメンバーである。いつ何時なんどきでも出撃に対応できるよう、そして強敵の出現に日々対抗できるよう研究に日夜明け暮れているとはいえ、トレーニングブースやリフレッシュスペース、メディカルケアマシンや各種データベースなど機動室のホスピタリティがフルセットされたメインルームに足を運ばないはずもなく、割合頻繁に他のメンバーとも顔を合わせては言葉を交わしていた。

「……ええと…?」

 その仏のような温厚さもすっかり皆に馴染んできたところだったが、同時にむしろ葛飾のほうが他のメンバーに驚かされることも多くなってきていた。打ち解け、信頼を寄せ合っている証といえば聞こえはいいのだが、如何せん誰も彼も個性的過ぎて困惑させられたり、刺激が強すぎたりと大変だ。この間は高槻がシャワールームを使った後、何やら急ぎの電話に呼び出されたらしくバスタオル一枚でメインルーム中をウロウロしていたし、その前は対馬がソファにどっかりと沈み込み大きないびきをかいて眠っていた。こういうのが世に知れるほうが、ホッパー戦の全機撤退なんかよりよっぽど炎上するのでは……と葛飾はヒヤヒヤしていたのだが、今日彼が目の当たりにした驚きはそれらともまた少し別種のものだった。

「大丈夫…ですか?」

「ああ、葛飾さん」

 どこか申し訳なさそうに挨拶を返すのは、ステラジェイド・南城李人。史上最初のステラシステム装着者として少しずつながら経験を積み重ね、今ではスーツ着用の負荷とも上手に付き合いながら思うように戦いを繰り広げることが可能となっていた。他の二人のステラ装着員が最初期の南城ほど装着負荷に喘がないのは、彼が蓄積した実戦データの応用の賜物に他ならない。

 そして今、彼はトレーニングブースを出てすぐのチェアに腰掛け、地べたにうつ伏せになったその女性が起き上がるのを待っている様子だ。

「だい…大丈夫……れすよお」

 女性の正体は、ステラマンダリン・七尾瑠夏。

 ベイエリア宇宙センターに所属し、若くして周囲の期待を集めていた優秀な研究員。持ち前のインテリジェンスと、明るく実直な人間性を買われ、戦略型ステラシステム・マンダリンの装着員に抜擢された。

 しかし初戦では致命傷を負わされ撤退。かねてより武力行使のイメージが強かったステラの戦いにおいて初めて導入された、戦術分析を主とする後方支援型のステラであるという特殊さが彼女の理解になく、その本領を発揮するに至らなかったためである。マンダリンの真の存在意義と自分が選ばれた意味を再確認し、三体のステラがそれぞれの使命を自覚した上でスクラムを組むことにより、強敵ホッパーローブは撃墜に至ったのであった。

「……で、心に火がついたと」

 南城が聞いたことには七尾はその後、後方支援役であればこそ自分の身を自分で守り、前衛の二人がピンチの時には最低限動けるよう、やはり自分もフィジカルを鍛えておくに越したことはない、との結論に至ったという。

 ところが、少し前の南城同様、その鍛え方はやや度を越してしまっているようだ。

「ストイックというか、危なっかしいというか……。まあ杏樹さんは、そういう心がけならむしろ歓迎するとは言ってましたけど」

「しかし、無理はいけませんよ。へろへろじゃないですか」

「へろへろじゃらいれす‼︎」

 葛飾の心配にすぐさま七尾は反応し、なんならまだ鍛え足りないぐらいだと虚勢を張る。そんな七尾を見て、南城と葛飾は苦笑いを交わした。

「…まあ、本人がそう言っているなら、いいんじゃないですか。経験者ヽヽヽとして、適度な鍛え方を指南してあげれば」

「っちょ……! 葛飾さんも、結構言ってくれるようになりましたよね…」

 オーバートレーニングが戦いに支障をきたしたばかりの南城をつついた葛飾。以前からその表情の中に見られた穏やかさに加え、今では無邪気さというか、少しの悪戯心のようなものも見え隠れしていることに、南城は苦味半分、嬉しさも感じていた。


《緊急通報。ローブ出現です!》

 シャワーを使った後バスタオル一枚でメインルーム中を闊歩していたことでお馴染みの高槻が、機動室全体にアナウンスを響かせた。ステラシステム、本日も出撃である。


 ◇


「セルリアンマグナム〜⁉︎」

 集結した機動室メンバーは叫喚した。何を隠そう、今回出現したというルナローブの手には、RPセルリアンマグナム……に限りなく酷似した銃火器が握られていたというからである。複数届いた通報を細かく聞いてみると、アクションモードとタクティクスモードの使い分けに類する変形ギミックまで認められたというのだ。

「ったく、ルナローブってのはどいつもこいつも……何が何でも元自衛隊員をコケにしたいらしいな」

 先のホッパーローブ戦では鉄屑の寄せ集めで作った分身体に袋叩きを許し、今回は自身の武器を模倣されてしまったステラセルリアン・滝沢亜藍。赴任直前期は事務方に移っていたとはいえ、元を辿れば並外れて優秀な元自衛隊員であり、ハザードのプロフェッショナルとしては機動室メンバー中唯一にして随一のはずである。普段はキザで楽天的な振る舞いを見せるものの、戦いに甘さを見せた南城を導き、戦い方とその意味を七尾に説いた、この上なく頼もしい戦士であるだけに、ここ最近のルナローブの厄介さに抱く不服さもひときわのものがある。

「落ち着いて、滝沢くん。この模倣自体が、今度のルナローブの特性である可能性が高いわ」

「特徴的な耳の形やその他のフォルムから、今回のローブを便宜上ジャッカルローブと仮称します。現にセルリアンマグナムだけではなく、重機のモジュールや店頭看板の模型などあらゆるものを模倣しているようです」

 遠近距離両用の変形銃・RPセルリアンマグナムと、全身装甲の至るところに組み込まれた小型銃撃ユニット、そしてその装甲が部分的に分離、変形合体してできる四枚の自律シールド・RPセルリアンウォールズ。機動要塞さながらの武装力を誇るステラセルリアンだ。万が一それらをまるっきりコピーされては手強すぎるし、それは他のスーツについても言えることだと、根室の分析結果をステラの面々は注意深く聞いた。

「ただ、無制限にコピーして、それを自由に引き出せると言うのは都合が良すぎる。必ずどこかに隙があるはずよ。例によりジェイドが接近戦、セルリアンが遠距離から援護、マンダリンが戦略支援と周辺対応を担当。機動室ではマンダリンの収集データを参考にしつつ、引き続きローブの解析を続けるわ。——コード01!」

 杏樹により、ルナローブ犯罪鎮圧処理案件発生を意味するコード01が発令されると共に、ステラ装着員の了解の声が響き、まもなく機動室は行動を開始した。

 ステラマンダリンが配備されたことにより、機動室ではルナローブの分析や戦況の把握が一段と容易になった。開発チームからは”着る機動室”とも称されていたというマンダリン。配備された当初、オペレーターの根室と高槻は自分たちの仕事がなくなってしまうのではないかと戦々恐々だったというが、どちらかというとマンダリンと機動室は相互補完関係にある。

 街のセキュリティカメラや、関係機関のライブモニター、ドローンなどを介することで、周辺地区の安全確保とステラの実戦フィールド策定を行いつつ、ステラの視覚モニターから送られる映像を見ながら戦況をサポートしてきた機動室。広範囲にわたる安全確認やローブの大まかなステータスなどはサポートできても、リアルタイムかつ精細な情報はどうしても入手するのに限界がある。マンダリンは、目の当たりにしたその場の状況を即時分析することが基本的な役目であるため、その点では機動室を補い、広範囲を見通す目は従来通り機動室に委ねる。

 マクロとミクロ。ちょうど、高槻と根室が顔を合わせてまもない頃に話していた、二人それぞれの職務経験の活かし方の話にも似ている。よって、機動室とマンダリン、二つのアナライズは今や、ステラシステムにとっては糾える命綱となっていた。


 今回の現場はアーケード街のど真ん中。なんでも、ジャッカルローブはIPSuM製品を手がけるザイオン社のオフィシャルストアを襲撃して回り、在庫を荒らしてはIPSuM製品を強奪しているという。

「ジェイド、ブートアップ」

「セルリアン…ブートアップ」

「マンダリン、ブートアップ!」

 ガレージルームに備えられたステラシステム自動装着モジュール・コンバインステーションが彼らの音声コードを認証し、装甲合着シークエンスを滑らかに完遂。オンライン接続・セルフスキャニング終了後、アクティベーション完了のシグナルとして視覚部が発光する。

 そのままルーム奥に構えるシューティングポートからそれぞれスライダーユニットに乗り込み、シューターを超高速で駆け抜けてゆく。やがて充分な加速が行われたのち、スライダーユニットはシューターの途中でパージされ、以降はステラ背面のセントラルユニットと併設されたバーニアによる噴射で推進、付近の地下高速道路や地下鉄路線等に接続し、現場へ急行するのだ。

「空高く飛び回ってても、こっちに向けられてるとわかるもんですね、フラッシュって」

 高度を上げたところで、地上で瞬く機械の煌めきを見下ろしながら、ジェイドが呟く。少し前までは想像もしなかった景色に、今はもう慣れている自分がいると南城は苦笑した。

「本当だ! 今ぴかって光りました! ほらあっち!」

「うるせえな、全員俺撮ってんだから邪魔すんなよ」

「滝沢さん、その割に体曲がってますよ」


 3


 現場となったザイオンストアからは、破壊音と悲鳴が漏れていた。

 人々のガジェットライフの大部分を担うまでに発達普及したウェアラブルデバイス・IPSuMシリーズ。そのすべてを開発したのが、他ならぬザイオン社である。本社直営の公式販売店であり全国の主要都市に出店しているザイオンストアでは最新のIPSuM製品を直に触れて試すことができるほか、知識豊富な店頭スタッフによるナビゲートが特徴として知られていた。

 そんなスタッフ陣も今や、先に到着していた警官隊に促される形で避難し、混沌とした店内で対峙するルナローブと警官隊を遠目に見守るほかなかった。

「はぁ…最高だぁ…! ザイオメタルもZ4チップも、予想以上の収穫だ…!」

「それは結構だが、帰り道はないぞ! ここら一帯は完全包囲している!」

 厳しい目つきと大きな声でジャッカルローブに警告する警官隊。以前のウルフローブによるオフィス街襲撃事件の教訓を受け、今回はより堅牢な装備で出迎えているようだ。そして地上のみならず、ヘリやドローンで上空にも警備網が張り巡らされている。

「はぁ…。あのね、僕はね、忙しいんだ。この興奮が冷める前に、早く戻らなきゃいけないんだからさあ!」

「何を訳のわからんこと……うおっ⁉︎」

 警官隊の反論を遮るように、猛烈な突風が彼らを襲う。その正体は、ジャッカルローブのコピー能力によりその胸部に形成された巨大なサーキュレーターだった。刮目せよと言わんばかりに両の手を広げ、じりじりと店外へ前進し始めたジャッカル。

「退いてくれ」

 よく見ればサーキュレーターは背部にも作り出されており、徐々に徐々にその回転数を増していた。圧倒され、呆気なく道を開けさせられる警官隊。少しずつ宙に浮き始めるジャッカルの両脚。

「ちょっと待ったあ!」

 声が降ってきた。間髪を入れず、ジャッカルの眼前に横一閃。脊髄に遅れをとった脳がそれを認識した頃には、胸部のサーキュレーターは真っ二つに両断され、鈍い音とともに墜落した。ジャッカルを斬りつけた刃は翡翠色の風、SSジェイドブレードである。

「ステラだ!」

「ステラが来たぞ!」

 ざわめく関係者と野次馬たち。ジャッカルが閃光の行き先に目をやれば、そこには着地の姿勢から立ち上がり振り返ったステラジェイドが凛々しく身構えていた。まもなくその背後にはステラマンダリン、ステラセルリアンも着地する。

「おおーっ! ステラ勢揃いキタァー! 生で見られるとは感激だなぁ…!」

「あ?」

 歓喜の声をあげたのは——他でもないジャッカルローブである。

「ただのIPSuM製品の寄せ集めに終わらず、戦闘と救助に最適化された専用プログラムとカスタマイズを搭載し、なおかつ必要な要素と強度を保持しながら空気抵抗を最大限に減らす流麗なデザイン…はあぁ、こんなのファン垂涎だよ」

 三人を前にして、早口のジャッカルは息を漏らしながら、カメラマンのように中腰でステラを見据えてはその輪郭を両手でなぞる。

「何こいつ」

「あれかもしれませんね……いわゆる、ステラオタク、的な」

 この場にも少なからず押し寄せた野次馬たちのように、激化するルナローブ犯罪と同時に、それを撃退するステラの勇姿に魅了されファンとなる市民も一定数存在することは、なんとなく機動室メンバーも認識してはいた。が、まさかそんな人間をルナローブとして相手することになるとは。心苦しいのではないが、なんとも複雑な気持ちだ。

「さあ、みなさん逃げて!」

「しかしまあ、チヤホヤされんのは嫌いじゃねえけど、せっかく買ったおもちゃで泥棒ごっことはしょうもねえ奴だな」

 避難誘導を始めたマンダリンの横で、セルリアンはローブを挑発しながら援護射撃の体制を整えた。RPセルリアンマグナム・タクティクスモードのスコープが光る。

「しょうもない? 僕がやろうとしていることは、いずれはステラも超えるクリエイティブだよ!」

 セルリアンの挑発が彼のプライドを逆撫でしたのか、逆上し襲いかかってくるジャッカルローブ。先のホッパーローブ然り、人間は自分の目的を否定されると怒りの炎が着火するらしい。

「うちの兄貴はな、そのクリエイティブの叶え方がダサいって言ってるみたいだぞ」

 セルリアンに続く形でローブを嗜め、ジェイドは再びブレードを構えた。

 ところが刹那、耳を刺すような鋭い金属音がけたたましく重なり合う。

「…って、おい! それお前‼︎」

 そう、ジャッカルローブはSSジェイドブレードをコピーしてしまった。耳元からセルリアンの通信が聞こえる。

《そいつ……視認したものなら何でも作れるらしいな》

 これで合点がいった。ステラに魅了された彼だからこそ、RPセルリアンマグナムを忠実にコピーすることができたのだ。

 しかし謎のままなのはその目的。ステラに憧れていながら、それを超えるほどのクリエイティブを叶えたい……そしてそのためのザイオンストア襲撃……。

「会社でも乗っ取るつもりか? それとも、何かの売り込みか?」

 ジェイドブレード同士という奇妙な鍔迫り合いはことのほか拮抗しあっている。外観のコピーが忠実なだけに、そのスペックも100%とは言わずとも高い完成度を誇っているわけか。IPSuM製品の違法改造品であるルナローブがステラを模倣するというのもなんだか脳内が混線しそうなおかしさだが、本家としてブートレグの勝利を許すわけにはいかない。

「どちらにしても……許さないけど…なあっ!」

 後方のセルリアンによる援護射撃も助けとなり、ジェイドはジャッカルのブレードを押し返した。勢いにやられて後方へよろめいたジャッカルだったが、すぐさま舌打ちをひとつ。

「こんなところで捕まってたまるか! 次に会ったらギタギタにしてやる!」

 捨て台詞ののち、ジャッカルは先ほどと同様のサーキュレーターを再度形成して浮上。すでに先の突風攻撃で離散し無防備となっていた空の包囲網を抜け、彼方へと消えてしまった。


「なんつーか、癖の強え奴だったな」

「ええ。今時言わないでしょ、ギタギタとか」

「対馬さんみたいでしたねっ」

《聞こえてんぞこの野郎〜!》

 七尾の一言に思わず笑いが漏れてしまう滝沢と南城だったが、無事その会話は対馬の耳にも漏れていたようだ。

「げっ! じゃあ、俺ジャッカルの足取りを追ってみるわ。機動室、ナビよろしく」

「私も周辺の回復作業と誘導を手伝います」

 セルリアンはRPセルリアンウォールズを展開し、RPセルリアンマグナムをアクションモードに変形させて飛び出した。マンダリンも小走りで、破壊された店舗へ向かう。二人とも、実地捜査員として近くで活動しているであろう対馬から逃げるかのようにそそくさとしている。

「ふう。じゃあ俺は——」


「ではあなたは、私と少し話しませんか?」


 声が聞こえた。

 聞き慣れない、ドライで落ち着いた男性の声が確かに南城の鼓膜を震わせたのだが——

「誰だ!」

 いた。アーケードから街路へ出た少し先のところに、ルナローブのような…しかし、ステラのようでもある、謎の影が佇んでいるのが見つけられた。衝動的に地を蹴り、影へ接近を試みるジェイド。

「…あれ?」

 しかし、影が立っていた場所に行ってみると、もうそこには何もなかった。

 立ち尽くし、あたりを見渡す。モニターのソナーにも反応はない。

「ここですよ」

 今度は反射的に声のする方へ振り向いた。しかしそこに見たのは、ルナローブとステラシステムをちょうど折衷したかのような、見慣れぬコンバットスーツ。そして、彼の握る刃が自分の喉元を捉えているさまだった。

「……っ!」

 途端、自分が気軽に身動きを取る事ができない状況と悟り、ジェイドはフリーズ。

「サイクロン・クラスターを破壊するとは驚きでした。しかし、私のことはまだ捕まえられないようだ」

「あ?」

「バック・ストリートの時も見ていましたよ。あなたとしては、恥ずべき過去でしょうがね」

 男の言っていることは意味がわからない。ジェイドは、南城は困惑に返す言葉をなくしてしまう。

「まあ、スパーク・イン・ザ・シャドウの頃に比べれば、お互い進化を重ねてきたということです。……だが、ハウ・トゥ・サバイブは少々厄介ですよ」

「さっきからお前、何を言ってるんだ」

 まるでずっと前から知り合っているかのような口振りと、全く聞き覚えのない単語。そして謎に包まれた男の姿。押し寄せ、押し流さんとする勢いの理解不能な情報の波に、南城は静かに溺れかかっている。

「やだなあ。ベスト・スコアの残骸を回収して、勝手に調べていたじゃないですか。それでも白を切るんですか?」

「残骸……まさか!」

 TWISTが”残骸を回収”したといえば、高校教師・桜庭悟志の装着していたワスプローブのスーツだ。ベスト・スコア——すなわちそれが、あの個体に与えられていた名前だというのか。気づきとともに僅かに顔をあげたジェイド。その仕草に間髪を入れず、男の刃がジェイドの装甲を、首元から真っ直ぐに駆け降りた。

「があっ!」

 火花を散らし、尻餅をつくジェイド。たまらずSSジェイドブレードを取り出し、すぐさま男と剣をぶつけ合う。

「お前何者だ! まさか、ヴォーグの人間か!」

「ご名答。そしてこれも我が社で作った、私のオーダーメイドスーツ。似合うでしょう?」

「ふざ…けるな!」

 二本の刃は拮抗しあった末に擦れ合い、それぞれ明後日の方向へ力を逃すこととなった。互いに反動で少しよろめき、再び一瞥する。ネイビーカラーのスーツはセルリアンの青よりも深く、そしてどこか狂気を孕んでいる。

「あなたのおかげで確認できた。プライムローブは完成だ。レイニー・ホリデイ……この力、またすぐお見せしますよ」

 それが彼の最後の台詞だった。瞬く間——言葉に違わず、南城が動揺と緊迫に挟んだごく一瞬の瞬きの間に、男は姿を消してしまった。

 立ち尽くすジェイドに残されたのは、プライムローブ、そしてレイニー・ホリデイという不穏な単語と、土の湿ったような残り香だけだった。


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