11 弱くても勝てます


 1


「どうして命令を無視したの」

 杏樹がようやくじっくり七尾の話を聞き始めたのは、メディカルチームの手によって彼らが悲惨な戦場から回収され、容体の安定と事後処理の完結にひと段落がついた後だった。

「……すみません」

「私はあなたを謝らせたいんじゃないわ。失敗は決して罪ではないもの。……室長である私の判断を無視して、無謀な戦い方をするに至った理由を聞いてるの」

 あの杏樹が珍しく、いわゆる怒っている状態にある。官僚時代、理不尽や不正義が横行する男社会の中で毅然と自らの信念を突き通した数々の武勇伝は、何人もの人間が誇って語り継いでいる。しかしその強さの片鱗を目の当たりにするのは、最初期のメンバーである葛飾でさえ初めてのことだった。

「すいません……めちゃくちゃ仕事増やしちゃいました」

「同じく…。もう超情けねえよ」

 一番の痛手を負わされた南城、そして元自衛隊員の名誉を損なった滝沢もやはり忸怩たる思いだ。まずは葛飾に対しステラシステムの甚大な破損を詫びた。南城に関しては、出動前のあのオーバートレーニングも戦況悪化の一因と考えられる、と滝沢に指摘を受けたところだった。

「…よしてください。いつも言ってますが、私が無事に戻ってきて欲しいのはスーツじゃなく、装着員です。元を正せば、それこそが技術屋の仕事ですから」

 違いない、と再度深く頭を下げ、そのまま南城の目は遠巻きに七尾と杏樹の方へピントを合わせた。あんな無茶をするようなイメージは、赴任当初は全くなかったのだが。

「……あ」

「あ?」

「そうだ! そうですよ滝沢さん!」

「何が」

「出動直前に俺がかけたの覚えてます? 聞きたいことがあったんですよ」

 ああそういえば、と滝沢はうなずく。滝沢が七尾に告げた、あの意味深な警告の真意についてだ。

「くれぐれも命落とすなって——え、まさか滝沢さん、こうなることを予測して⁉︎」

「なわけあるか、これは偶然だよ。ただ……」

 滝沢も南城と同様、七尾と杏樹の方を向いて続けた。

「……まあ、ああなって欲しくなくて言った。それは当たってるな」


 ◇


 地下に人知れず存在するTWIST機動室。その特有のホスピタリティのひとつに、関連施設の屋上まで直通のエレベーターが用意されているというのがある。常に厳重なセキュリティに閉ざされた密室に身を置く彼らにとって、こうして夜風と月光に晒される時間は格別だ。かつて南城がジェイドの任命を引き受けるか否か葛藤した時、対馬に激励を受けたのもここだった。


 その格別にただ一人、しかし心から謳歌することはできずにだが、静かに身を浸している人影。IPSuM Watchのホログラムディスプレイ上で、ニュースフィードをスクロールするその指の動きは鈍い。

「だいぶ炎上してるみたいだな」

 全く予測しなかった、前触れのない男の声に、人影の正体である七尾の肩が跳ねる。振り向いた先にいたのは、エレベーターを降りた南城と滝沢だった。

『快進撃のTWISTに暗雲…新人戦士は素人同然』

『ステラ論争に再び火 経費の無駄? 市民激怒』

『新女性ステラ、戦闘力ゼロでも抜擢の”妖しい噂”』

 滝沢の言う通り、ニュースフィードの記事タイトルは散々な並びだった。

 三人総出で出撃しておきながら大敗を喫した、という不名誉。新たな戦士・マンダリンが”女性”であるゆえの馬力不足を敗因に挙げた批判。装着員の選抜方式そのものに疑念の矛先を向けた、ゴシップライクな憶測。

「…仕方ないです。私に力がないのは、本当のことですし」

 俯く七尾。

 それを見た滝沢。

 何かを意気込むと、少し声色を変えて七尾の隣に回り込む。

「なあ瑠夏ちゃん。説明できる? どうして自分が、マンダリンに選ばれたか」

 意表を突く問いを受け、七尾は猫のようにきょとんと目を見開いた。

 はっと大きく飲んだ息だったが、まもなく僅かずつ漏れ出していき、再び沈黙が戻ってくる。最適解が浮かばないのか、その表情は怪しく不安げに曇っていく。懸念した南城が、別に怒っているわけでも、責めたいわけでもないからねとフォローを入れる。

 答え合わせの時間が来た。あのな、と滝沢が切り出す。

「…マンダリンは、その戦闘能力を最小限までオミットして、浮いたリソースを全部情報処理能力に充ててる。それは知ってるよな」

 七尾はこくりとひとつ頷いた。

「つまりそれが、マンダリンの大事な使命なんだよ。スプーンで蕎麦食う奴いねえだろ?」

 事実、PSマンダリンファンネルの迎撃機能は、高度な演算処理を実行している最中のマンダリンを護衛したり、戦況をサポートしたりするための、あくまでも副次的なものにすぎない。ジェイドがSSジェイドブレードを握るのと同じ感覚で、彼女がファンネルを携えて実力行使に挑むというのがそもそもの間違いだったのだ。

『それぞれができることには限りがあります。各自、補い合って、市民を守り抜いてください』

 出撃前の葛飾の言葉が、ふと脳裏をよぎる。

「大前提として、七尾さんが余計な戦闘に巻き込まれないように俺や滝沢さんが立ち回るよ」

「でも、役割や能力をちゃんと弁えておかなきゃ、自分から両腕を広げて針山に飛び込むようなことにもなっちまう。そうなったら、俺らも助けきれねえってこと」

 七尾は、堪らず両目に涙を貯めたままうんうんと頷いていた。濁った音で鼻をすすったかと思うと、彼女もまた口を開く。

「わだじ……びだざんにひどいべえわぐを、うう」

 苦笑いしながら、滝沢がティッシュを渡す。

「…どうして自分がマンダリンに選ばれたか、もうわかるな」

 南城と滝沢が、二人で両側から震える肩を抱いた。

 性別など関係ない。まずもって馬力の問題じゃない。TWISTが欲しかったのは強靭な肉体でも、可憐な女性でもない。彼女の経験とポテンシャルに裏打ちされた、揺るぎないインテリジェンスなのだから。


「私……一緒に宇宙の仕事に就こうって、ずーっと一緒に頑張ってきた友達がいたんです」

 聞くに、親友は夢を追う途中で体を壊してしまい、彼女に全てを託したのだという。

 夢を叶えて憧れの分野で働ける幸せと、親友の無念を痛感し、以来彼女はどんな仕事にも全力で挑むことを誓ってきた。

「だから、ステラもあんなに全力だったんだな」

「まあ不思議だなとは思ってたよ。ただの研究員が急に犯罪取り締まれって言われて、その熱意がどっから来んのかってな」

「…でも、それだけじゃないですよ、ステラは」

 ようやく鼻水と涙が治まった、晴れやかな表情で七尾は月を見上げる。

「私の仕事は、他の誰かの夢を守れる仕事でもありますもん。今回の高校の生徒さんたちみたいに」

 彼女が選ばれたのはその高度なインテリジェンスだと確かめ合ったばかりだが、倉敷本部長に理由を聞いたら必ずしもそうは答えないかもしれない。

 このどうしようもない前向きさと、熱い誇りに惹かれたのだ…とでも。


 2


 束ねた資料を丸めて、ブリーフィングテーブルに小さく叩きつけながら話すのは、科技捜時代から見られる対馬の悪癖のひとつだ。

「装着者はこの高校の生徒、蓬田芳樹よもぎだ・よしき。あれっきり家にも帰ってないらしくて、警察の方でもこれから捜索するってさ」

 来るべき再戦。前回はたまたま運良く守られたにすぎない市民の安全のためにも、そして失墜してしまったTWISTの社会的信用のためにも、次は絶対に負けるわけにはいかない。機動室ではそれ以来綿密なミーティングが重ねられていた。

 本来、”次”などないのだから。

 そして蓬田芳樹なる生徒の存在が浮上したのは、オペレーター陣の功績だった。

「ありがとうございます、対馬警視。…高槻さんと、根室くんもね」

 時間はかかったものの声紋解析が成功し、対馬によって関係各所に共有されたのである。もちろんまだ断定とは言えず、あくまでも可能性論の域を出ないが、まさに家に帰っていないこと、以前から学校内で問題行動を何度も起こしていることなどからTWISTでも警察でもほぼ確定と見られている。

「それと、あの分身体ですが……」

 続いて手をあげたのは根室。最年少メンバーである彼も、すっかりその任務が板についてきていた。

「あれは元から用意されてきたものではなく、現場で調達した材料に組み立てプログラムを埋め込んで、自律的に変形させる仕組みのようでした。実際あの事件のあと、自分の車を見てみたらバラバラで、しかも車体の半分以上が失われているという教員の届出もあったそうです」

「ステラ対策のつもりで、校舎に入り込む前に車に細工しておいたってわけか」

 姑息な真似しやがって、と滝沢は悪態をついた。本体さながらのパフォーマンスでステラを苦しめた分身体だったが、すなわち鉄屑を丸めてできた自動人形に過ぎなかったというわけだ。そしてそうと聞けばこそなおさら、機動室内で最も実戦に近い環境に長く身を置いていた人間として、ローブからの敗走は滝沢にとってかなり屈辱的だったようだ。

「被害に遭われた方の車はどれも大型。分身体の生成に必要とされる質量を計測しましたが、軽自動車や普通車では足りない計算です」

「つまり、車をあらかじめ減らしておけばいいってことですか?」

 目を丸くして問う七尾だが、すぐさま南城が異を唱える。

「いや、結局何台も寄せ集めれば、あるいは車じゃなくても分身体は作れるはずだ。素直に迎撃策を練るべきだと思う」

「ええ、その通りね」

 杏樹がすかさず同意する。心なしか、その表情に憂いはなかった。

 なんのためにマンダリンが配備されたと思っているのか、とでも言いたげな表情で、杏樹は七尾に小さな笑みをこぼした。すでに杏樹も南城や滝沢と同様、彼女の胸の内を受け止め、再び信じ合うに至っていたのだ。


「…葛飾さん」

 ミーティングがひと段落し面々が持ち場に戻った後、南城はガレージルームを訪れた。

「やあ、南城さん。自分に何か?」

「ええ」

 南城の表情はどこか曇っている。というよりは、何かが喉の奥につかえているような顔だ。

「…これは、俺の勝手な仮説なんですけどね」


 ◇


 茶をしばき、軽食をとり、思索に耽る。

 そんな過ごし方はずっと昔からあるというのに、人々は今もその優雅さに、スマートさに憧れ、仕事道具を持って喫茶店に列をなす。

 角の席に座り、店内を見渡せばその仕事は色々だ。学生ならば勉学。若者ならパソコンを携える者も多い。手帳やノートに何かを書き連ねる者、本に齧り付く者もいる。

 人々は一体、どんな、誰を目指しているのだろう。

 窓の外を横切った美しい鳥を追って外へ出れば、人は鳥のこと以外考えられなくなる。馬も、魚も、花も、美しいものは限りないというのに。


「お待たせいたしました、オリジナルサンドでございます」

 ——否。

 自分もまた、同じような存在なのかもしれない。

 夢や憧れは時として、人を羽ばたかせる翼ともなれば、人を地べたに縛りつける鎖ともなる。

 オリジナル?

 そんなもの——

「…まあ、よしとしましょう」

 いけない。余計なことを考えすぎてしまった。心の煙を振り払うような手早い深呼吸のあと、物思いに割いた時間を惜しむように男は席を立った。

「エモーショナルドライブシステムに必要なデータは揃った。実機テストの準備に入りましょうか」


 出来たてのサンドに一口もつけることなく、男は店を出た。

 相変わらずそのスマートな身なりには似つかわしくない、大きく無骨なジュラルミンケースを携えて。


 3


 ホッパーローブ再出現の通報は、TWISTが想定していたよりも割合早く飛び込んできた。

 並走する三体のステラが目指すのは都心を少し外れた住宅地、その一角にある緑地だった。それもそのはず、くだんの騒ぎで高校は臨時休校。ローブの狙いが特定の誰かだとすれば、その人物の居場所がそのまま事件現場になる。

《学校のデータベースと照合した結果、この住宅地に居住している学校関係者は蓬田の担任、山内康夫やまうち・やすお。ベテラン教員ですがキャリア主義者で、問題のある生徒を受け持つことを毛嫌いしていたようです。趣味は手品……》

「いや、もう説明いいわ、大体わかった。いくらなんでもベタすぎんだろ」

「なんか昔”ごくせん”で見ましたね、そういうの」

 おおかた生徒と教師の間の摩擦、確執、それが高じて実力行使という王道パターンだろう。拍子抜けするような報告に、マスクの内側で滝沢と南城は極めて冷淡に応える。

「…まあ、ただ事情はどうあれ」

「仕事は全力でやる、ですよね! 滝沢さん!」

「わかってんじゃん。今日は頼むぞ、瑠夏!」

 環状線に沿ってカーブを描くステラたち。彼ら自身はもちろん、そのスーツもすでに修復が完了していた。


 ◇


「お、お、お願いだ! 落ち着いて、話を、話を聞いてくれ! 話せば……」

「話せば? 話せばなんだ?」

 緑地の面積は中程度で、木々も茂ってはいるが多くはないため、外側からも敷地内の様子は容易に見通せる。早々に異常を察知できたためか、近隣住民の避難も瞬く間に完了していた。

「話せば、わかる! 私も、私なりの——」

「ならどうして最初から話そうとしなかった! 本気で苦しんでいた時の僕と!」

 必死さに裏返る山内の命乞いと、ホッパーローブの悲痛な怒号が付近の住宅に反響する。右腕で襟首を掴み上げ山内の足を浮かせるさまは、先の戦いでマンダリンの必死の猛攻を制した時と同じだ。

「こういう、ほらこういう目にさ、毎日毎日遭ってたんだよ僕は……あんたら大人が止めてくれるのをずっと待ちながら!」

「うっ……ぐう……」

 窒息に顔を真っ赤にする山内。掴み上げる右腕に、さらに左腕を添えようとしたホッパーローブだったが、次の瞬間背後に受けた銃撃によりそれは阻止された。

「……来たな、ステラ」

 RPセルリアンマグナム・アクションモードの銃口を向けながら、にじり寄るステラセルリアン。そして別方向からステラジェイド、ステラマンダリンもそれぞれ接近するのが確認できた。ローブの右手は気を失う寸前の山内を粗雑に放り投げる。

「進歩がないなあ。また蝗害に遭いに来たんですか? 痛かったでしょ?」

「ああ、相当効いたよ。だからますます捕まえたくなった」

「しつこいなあ…!」

 発破を掛けたのはジェイドだった。怒りに首を捻り、まもなく駆け出したローブ。ジェイドはSSジェイドグリップを発光させ、ガードを取りつつ応戦する。

《ホッパーローブ、かかりました》

《南城くんを剥がさせないで!》

 杏樹の思惑に抗うかのように、付近の住宅のガレージから次々にローブの分身体が飛び出してきた。今回は三体。前回より一体少ない。

 緑地の端の方へ戦いの場を移し、本体と睨み合うジェイドと、山内を間に挟んで背中合わせに身構えるセルリアンとマンダリン、という図式が出来上がっていた。分身体のうちの一体はジェイドと戦う本体に加勢しようとしたのだが、すんでのところでPSマンダリンファンネルとRPセルリアンウォールズがそれを阻止した。全四基あるウォールズは一体につき一基が、全十二基あるファンネルは一体につき四基が張り付いている状態だ。

「なるほど……分身体を引き受けて、僕を確実に仕留めるつもりか。でも、あの二人で分身を止められるかな」

「きっと止めるさ。そして俺も、お前を止める! 杏樹さん!」

《頼んだわ。フルブラストモード、全機承認!》

 全てのステラのフルブラストが承認された。

 堰を切ったようにマンダリン、セルリアンへと襲いかかる分身体たち。すぐさま、マンダリンはバーニアを起動して垂直に上昇、そのまま浮遊する。残されたセルリアンは、持て余していた残り一枚のウォールズを山内の保護に専念させ、最初に接近してきた分身体をキックでいなす。

「四時!」

 それはマンダリンの声。キック後の体勢のまま、セルリアンはノールックでマグナムを自らの右肩へ乗せ、右後方から迫りつつあったもう一体の分身に銃撃を命中させた。そのまま今度は視界左方から迫っていた分身体を目掛け、全身各部に搭載された装甲組み込み型銃撃ユニットのひとつを発砲。ノーモーションでの銃撃に意表を突かれ、あえなく分身体は地に伏した。

「八時!」

 一旦の沈黙もすぐさまに破られ、再び動き出す分身体。そうだ。前回だってこんなに簡単に倒せる相手じゃなかった。反撃に出んとした分身体をすかさず七尾が察知し、セルリアンの迅速な銃撃で致命傷を与えることに成功した。

 これこそがマンダリンの本領。機動室では拾いきれないリアルな敵の挙動や変化、戦況のコントロールが可能であり、自らの戦闘以上に他二体のアシストとナビゲートにおいて最も活躍する、まさに”着る機動室”という呼び名に相応しいステラだ。

「滝沢さん! 二番目の分身体に高エネルギー反応……七秒以内に自爆です!」

「なっ、自爆だ⁉︎」

 思ってもみないマンダリンの警告に、すぐさまセルリアンは距離をとる。さらに、ダウンしていたもう一体の分身体を掴み上げ、自爆の兆しを見せた分身体へと投げ飛ばし激突させてしまう。まもなく、反撃を封じられ致命傷に伏している一体を残し、二体は轟音と爆炎の中に燃え落ちた。

「やった! さすが滝沢さんです!」

「お前がな。それより南城の方も見てやってくれ! あと一匹は俺ひとりでもなんとかなる!」

 滝沢に促され、ジェイドの方へ顔を向けるマンダリン。二人の予測通り、熾烈にぶつかり合う二人の姿がそこにはあった。


 ◇


「サイクロン・スカッシュ!」

 ジェイドが自身のフルブラストモードを起動したのは、杏樹により全機フルブラストモード発動許可が降りてからまもなくのことだった。SSジェイドブレードを展開していなければ、フルブラストの出力エネルギーは自ずとSSジェイドグリップに集中する。必要とするファイトスタイルに合わせて、フルブラストが応用できることが実証された。

 しかしこのローブ、不思議なほど強い。

 市民の安全を守る国家公務員としてはいささか不適切な表現だろうが、”今まで拳を交えたどのルナローブよりも歯応えがある”。先の戦いでは七尾の奮闘により一度は追い詰めるに至ったが、ファンネルをフルブラスト同然の回転数で稼働させたうえ、七尾自身も極限状態にあってようやくあの戦績だ。分身云々以前に、そもそも基本スペックが高いのだ。

 そして何より南城が感じ取っていた——先のミーティング後に葛飾へ意見を求めていた——のが、蓬田に”従来ほどの精神の混濁が見られない”ということだ。ゼロではないが、著しく凶暴化が抑えられている。

《南城くんの言っていた通りでしたね。先ほど自分の口から杏樹さんにもお伝えしましたが……、やはり彼は未だ正気を保っているようです》

「ええ。普通はもう、自分の目的もわからなくなってる……はずだし! そもそも戦況が…おら! 戦況が悪化したからって、冷静に撤退したりしないはず、ですから!」

 プライベート回線で葛飾と見解を交換し合う南城。合間合間に力むような声の弾みが入る所以は、話しながらもホッパーローブと拳を交え続けていることに他ならない。

《葛飾さんから聞いたわ。ただ、彼がまるっきりまともな状態であるとも言えない。気をつけて》


 止めどない拳の応酬は終わりを見せない。分身体を相打ちにさせたマンダリンの注意がようやくジェイドの方に向いたのは、ちょうどそんな機動室との通信が交わされて少し経った頃のことだった。

「南城さん!」

「おう! …な? 今回の分身はあんまり役に立たなかったみたいだぞ」

「くそ…!」

 屈辱に奥歯を軋ませるホッパーローブだったが、何かを思い立ち、不意を打って衝撃波を繰り出してきた。マンダリンをダウンさせ、ローブ撤退の隙を作ったあの時の攻撃と同じものだ。

「っああ!」

「また出た…私のトラウマ…」

 一旦上空から遠目に見守っていたマンダリンだったが、たまらずジェイドの方へ。最後の分身体を始末したセルリアンも、ジェイドを援護に向かう。派手に転げ回ったジェイドだったが、応援に来る二人の姿を確かめつつ体勢を戻す。

「早かったですね」

「マンダリンの……瑠夏のおかげだ」

 初対面時の容赦ない警告がまるで悪い夢だったかのように、二人は雪解けを迎えていた。もっとも、あの警告自体は本物だったのだが。

「どいつもこいつも…弱いものをコケにして……みんな苦しめ! 誰も彼も僕の苦しみを味わえば分かる!」

 ホッパーローブの怒号にステラが振り向く。その形相がいっそう険悪なものとなっていることは、マスク越しにもありありと伝わってきた。

「おお、なんだ…何をする気だ?」

 身構える三人が次の瞬間目撃したのは、力一杯に叫び出した彼から全てのスーツが分解・解除され、無数の小さなバッタ型ロイドとなって飛散するおぞましい光景だった。装着者——TWISTの解析通り、それは蓬田だった——は力なく倒れ、身につけていた装備という装備が全て変形し飛び出してゆく。

 セントラルユニットにあたるパーツだけはひときわ大きなロイドとなり、小さなバッタの群れを率いるコマンダーのような存在感を放っている。

「おいおい……面倒に散らかしてくれるな」

「好都合ですよ滝沢さん。セントラルユニットが撃ちやすくなった」

 違いない、と笑い、セルリアンはジェイドとマンダリンそれぞれと顔を見合わせた。

「お二人とも、いきましょう!」

 ステラ三体が意気込むと同時に、バッタの大群も一斉に襲いかかる。

 その奥で微動だにせず、指令の信号と思しき赤い光を放って鎮座するコマンダー。狙うべきはあいつだ。

「南城、行け!」

「ええ!」

「マキシマム・ドリップ!」

 SSジェイドブレードを握りしめ、バーニアで飛び出し先陣を切るジェイド。

 その後方でフルブラストモード”マキシマム・ドリップ”を発動したのはセルリアン。先の対分身戦で急襲を弾き返した、セルリアンの全身に備わるいくつもの装甲組み込み型銃撃ユニット。これを全て起動し、一斉掃射を可能とするのが彼のフルブラストだ。バッタの荒波に飛び込むジェイドの混沌とした視界を、セルリアンの超火力が後方から徐々に晴らす。

 自らもブレードを振るいながら勢いのままに突き進むジェイド。しかしその鬱陶しいバッタの大群で阻まれる視界の影に、コマンダーの攻撃の目が光る。光線エネルギーをじりじりと充填し、その隙が見えるのを待っているのだということが、注意を張り巡らせていたマンダリンにはわかった。

 元来、スーツに供給するための全エネルギーを貯蔵するセントラルユニットが変形してできたコマンダー。それが発する光線となれば、凝縮された高密度エネルギーはステラの装甲を貫いて、肉体を損傷させることも不可能ではない。南城が危ない——!

「ヴィヴィッド・キャリブレーション!」

 そうしてマンダリンもフルブラストを発動した。無謀な戦いに身を投げ、杏樹へがむしゃらに発動許可をねだった、この間の無策な七尾とは違う。自らの使命と役割を充分に理解し、すでに許可されていたフルブラストを、その目でしっかりと見極めた的確なタイミングで発動したのだ。

 ヴィヴィッド・キャリブレーションの効果は、PSマンダリンファンネルのパフォーマンスレベルを最高値まで引き上げること。肉眼では追うのも難しいほどの目まぐるしさで動き出した六基が、コマンダーが狙いを定めていたジェイドの左胸の前で六角形に並び、エネルギーシールドを展開。時を同じくして発射されたコマンダーの光線は、エネルギーシールドに妨害・吸収され、コマンダーの狙撃を不発に終わらせた。

「南城さん!」

「喰らえええぇ‼️」

 翡翠色の閃光が真っ直ぐに、コマンダーを芯で捉えて貫いた。加速の勢いを両足で懸命にブレーキしながらジェイドが着地。

 ジェイドを妨害し損ね、そのまま周辺地域へ離散しようとしていたバッタたちを逃さず全て焼き払うセルリアンの掃射の中、SSジェイドブレードの斬撃を受けたコマンダーもまた、なおかつひときわ大きな爆発の中に砕け散った。


「うっ……うう」

「あ、起きた!」

 失意と屈辱、そして激痛の中に目を覚ました蓬田。その視界に最初に入ってきたのは、目の前でこちらを覗き込むステラマンダリンだった。一瞬ぎょっと目を見開いたが、まもなく自身のばつの悪さを認識し、視線を逸らした。

「蓬田芳樹くん、ですよね」

「…そうです。自分の弱さに負けて逆上した、不良です」

「ふふん」

 マンダリンは笑った。嘲笑ではない。その声を聞く限り極めて暖かく、優しい笑みだった。

「どんなに弱くっても、人は勝てますよ」

「…え?」

「蓬田くんには、蓬田くんにしかできないこと、蓬田くんのやるべきことが必ずある。それを果たそうとするときの蓬田くんは、きっと誰にも負けませんよ。こんなものがなくっても」

 マンダリンがその手につまみ上げ、放り投げたのは、少し前まで蓬田自身が身に纏っていた、焼け焦げた一匹のバッタだった。

 マンダリンが言わんとしていること、自分がやったこと、自分が本当にやらなければならなかったことが溢れるように浮かび上がり、それらはすべて大粒の涙になって瞳からこぼれ落ちた。

「…私みたいにね」

 到着していた管轄署員に現場を委ね、三人の戦士たちは颯爽と、蓬田の前から姿を消した。

【第二部・完】

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