10 マンダリン


 1


「しっかし、まさか3体目まで用意されてたとはねえ」

 月曜日の朝は、”日曜日の夜のあと”というよりも遥かに”金曜日の次”である。

 学生時代の名残なのか、曜日に関係のない仕事をしている今でも、南城には僅かながらまだそんな感覚が残っていた。実際今週の彼はといえば金曜日が休みで、土曜から今日まで三日続きで仕事をしている……はずなのだが、どうも月曜日になったというだけで全世界がグラデーション的に仕切り直されたような気分になる。それはその年最初の雪の朝のように見違えたものでもあり、しかし徹夜で飲み明かして店を出たときの朝日のように容赦のないものでもある。

「ちょっ、アキさん。そんなところに置いてたらコーヒーこぼしますから」

「だってよお。倉敷さん何にも言ってくれてなかっただろ?あの人昔っからそうなんだよなあ」

「そこもだめですって。なんで普通のとこに置けないんですか」

 朝の情報番組に新しいレギュラーが加わったとか、通勤途中の工事が先週で終わっていたとか、衣替えとか、転入とか、新学期とか。金曜日までのどこかが何らかの変化を遂げてから、その事実を可視化・認識できる最初の日、それが月曜。だから火曜から金曜、土日祝とはまた少し違う種類の魔法がかかっている。そんな気がする。

「で、次のは何色なんだろうなあ」

「えっと、確か……」


 そしてここTWISTにも今週、その魔法が新しい変化をもたらしていた。


「ステラマンダリン装着者に選任されました、七尾瑠夏と申します!」

「女性装着員か。立派なもんだな」

「アキさん、今日び性別なんて関係ないです。”女性装着員”なんていう職種名はないんですからね、取材とかマジで気をつけてくださいよ」

 感心しただけなのに叱られるとは、生きにくい世の中になったもんだと対馬は伏せ腐れた。悪気がないのもよくわかるのだが。

 それはそうと、七尾瑠夏。ベイエリア宇宙センターで働いていた、24歳の研究員。それが、TWISTに所属する一旦最後の新規メンバーだという。

「…ってことは、ステラは全部で三体なんじゃないんですか? もう増えないってことでしょ?」

「知らねえよ。それよりマンダリンって何色だよ」

 こそこそと無声音でつつきあう二人を杏樹が目線で黙らせ、七尾に自己紹介の続きを促す。

「光栄な仕事を任せていただいた誇りを胸に、一生懸命がんばります! よろしくお願いしますっ!」

 ものすごく元気で丁寧だ。なんというか、淀みがなく、擦れてもなく、純でストレート。溌溂、という言葉がもっともよく似合う。

 一定の時間を生きてきたいわゆる大人にとって、"無邪気"というのはなかなか相容れない言葉だ。人と摩擦し合う中で、"邪気"が"無"である人などあり得ない。それでも、それに限りなく近いか、限りなく近く見える人のことを無邪気と呼ぶならば、彼女はちょうどそれだと南城は思った。

「女の子だ〜! 嬉しい!」

「男性の比率が多い職場だけど、決して男社会ではないわ。居やすいように居てもらって大丈夫よ」

「ありがとうございます!」

 高槻と杏樹に最初の歓迎を受けたあと、視線はごく当然な流れで南城の方へ向く。

「南城李人さん。最初のステラ……ジェイドの装着員の方ですよね」

「あ、ああ。よろしく」

「大先輩だあ! よろしくお願いします! 勉強させてもらいます!」

 七尾はずいっと顔を前に出し、にっと笑って南城の前を去る。

「おいおい照れんなよ南城」

「誰がですか。っていうより……なんなら気圧されてる、かも」

「……まあ、わからんでもねえな」

 南城と対馬は苦笑い——しかし穏やかで、ほっこりとした笑みを浮かべた。ふと彼女を追う視線の先、七尾が次に挨拶に向かった相手は滝沢のようだ。

「ああ、滝沢っす。瑠夏ちゃんでいい?」

「何でもこいです!」

「ああ、あはは……ういっす」

 あの滝沢が苦笑い。ペースを握るつもりが握られている。珍しい虫でも見かけた少年のように、二人はその光景を物珍しげに見つめた。

「勉強させていただきます! よろしくお願いします!」

「ああ。まあそれはいいんだが…」

 しかし、必ずしもそうではないと二人が察するまでに、そう長くはかからなかった。滝沢が何かを思い出したように堰を切る。

「……マンダリンについては、俺も聞いた」

「そうですか! それなら——」

「…くれぐれも、命だけは落とすんじゃねえぞ」

 え? という間もなく、滝沢はその場を去った。自分に残された言葉の意味を知ろうと滝沢の方へ振り向くが遅かった。すぐにその姿を消した滝沢に、七尾は戸惑いの色を浮かべ立ち尽くす。

 もちろん、ステラマンダリンのことは南城たちも大まかながら聞かされている。

 “ステラマンダリン:パルプ・スプラッシャー”。

 ジェイドのような肉弾戦闘型でもない、セルリアンのような遠隔攻撃型でもない、それどころか戦闘そのものを主目的としない戦術分析特化型の個体。高度な演算能力で現場の分析と他スーツの補助を行いつつ、自身の迎撃は12基のファンネルが自動で行う。技術部門の人間たちが”着る機動室”と呼ぶ、既存の二機ともまたさらに性質を異にするスーツなのだ。

「滝沢さん……今の、一体……」

「まあまあまあ、あいつちょっとスカしすぎなんだよなあ! あれでも激励したつもりになってんだろ」

「七尾さん、気にしなくていいから。……あれが初日にかける言葉かよ…」

 そんなマンダリンが一体どうだというのか。たまらずフォローに出た二人だが、七尾のみならず、南城もその言葉を濁ったまま胸に残すこととなった。


 2


《…先程の速報でもお伝えしましたが、ルナローブ犯罪を取り締まるタスクフォースTWISTは今日、通算三体目のステラシステムを導入したことを発表しました》

「…ん?」

 南城の友人・渡嘉敷陣の朝は早い。

 しかしその分、ちゃんと定時には帰れる。残業もゼロではないが、少し前の時代とは違い、残業を美徳とした文明は今や衰退の一途を辿っている。定時を過ぎてもやるべきことを終えられていないのは恥ずべきことで、学校給食を昼休みまで頑張って食べている小学生さながらの様相となっていた。

《TWISTの倉敷本部長は今日の発表で、”凶悪化と増加の一途を辿るルナローブ犯罪を一日も早く撲滅するため、戦力増強を行った”とし、ルナローブ取り締まりの強化に意欲を見せました》

 ルナローブという単語はもはや”違法IPSuM”を指す呼称として関係機関のみならずメディアや市井でもすっかり定着しつつあった。

 今日もまた彼にとっては給食を時間内に平げる……もとい定時退社が叶った日だった。シューズデバイスIPSuM Goのローラーユニットがアスファルトを滑るさなか、街頭ビジョンに映し出されたそのニュース映像が彼を引き留め、その滑走をいっとき休ませるに至ったのだった。

「ほえー。ツイスト…ってのも、随分予算あるんだなあ」

《最初はどうかと思いましたけど、いつも体張って頑張ってくれてますし、機械もそんなに危ないモンでもないんですよね? いいと思います》

《緑の彼、一人でやらせちゃ可哀想でしょうよ。何で最初から三人揃えないんだろうねえ。現場仕事ばっかり一生懸命で、運営側はちょっとだらしないんじゃないの?》

《頼もしくなっていいと思います。応援してます!》

 街頭インタビューの映像に、渡嘉敷はいつしか釘付けになっていた。

 ほんの少し時代が違っていたら、こうはならなかっただろう。世の中の役割の一部を担って、誰かの役に立てる幸せを噛み締めながら、その報酬で自分の人生をそれはそれでしっかり豊かにする。そんなことが叶わない時代があった。あるだけの時間を返上し、労働に時間を費やすほど美しく誠実である。社員は会社に食わせてもらって、住ませてもらって、遊ばせてもらっているのだと唱えられる時代。それらを全て否定するのではないが、渡嘉敷にとっては今の時代の方が好みだった。まさにいわゆる”戦士の休息”でさえ時代が時代なら許されず、そして何よりこうして定時で帰ることも間々ならなかったのだから。

「いつもお勤め、ご苦労さんですっ」

 彼らが果たして実際に現場でやっているのかどうかはいざ知らず、それっぽい敬礼を街頭ビジョンに向け、爽快な気持ちで渡嘉敷は再びIPSuM Goを滑らせた。

 渡嘉敷の勤める会社の中でも、最近はステラの賛否をめぐる相撲取りは沈静化しつつあった。このまま休戦・終戦に向かう日もそう遠くはないかもしれない。


 ◇


 ようやくタイマー音が鳴り響く。同時に南城の腕は崩れ落ち、脱力した全身がマットに沈んだ。

「あーっ…! ……きっちぃ……」

「おいおい、無理すんなよ」

 南城と滝沢は、メインルームに併設されたトレーニングブースに入っていた。

 レイブン戦で露見した、自らの慢心と油断。得られた反省と戒め、そして今後の課題を胸に深く刻み込み、南城はこれまで以上にハードな鍛錬の日々を送り始めていた。勉強・トレーニングともにメニューは一段と厚みを増し、空き時間という空き時間を全て注ぎ込んで取り組んでいるらしい。きっかけを与えた張本人とはいえ、滝沢もやや心配な様子で見守っている。

「無理してないです。それに言ってるじゃないですか、自衛隊ゆずりの特別メニュー作って欲しいって」

「今のお前を見たらますますお断りだ。死んじまうだろ」

 一方の滝沢も滝沢で鍛錬を怠らない。現役時代に作り上げたのであろう精悍な体躯で、南城以上のハードなメニューを平然とやってのけている。もうそれ以上の強化を要さないようにすら見えるが、曰く鍛錬を怠った途端みるみるうちに身体は弱くなっていくものらしい。南城と違うのは、必要な量を終えたらそれ以上はやらないこと。暇さえあれば鍛錬に全て注ぎ込む南城よりもメリハリがはっきりしている。

「…お二人とも、すごいです!」

 そんなトレーニングブースへ寄ってきたのは、くだんの七尾瑠夏。葛飾によるステラシステムのチュートリアルと基本調整を終えメインルームに戻ってきたところ、汗を流す彼らの様子が目に入ったようだ。

「七尾さん、お疲れ。どうだった?」

「バッチリです。いつでも行けちゃいます!」

 組織編成と同時に事件発生に見舞われ、一刻一秒を争うなかで急遽臨場した南城と違い、状況次第ではあるが七尾には実戦出撃まで幾分余裕がある。すでに試験装着やシミュレーションも経験しているようで、七尾のコンディションはその言葉、そしてその語気の通りだった。

 彼女の視線は、しかし、なかなか真っ直ぐに滝沢の方へ向かない。当の滝沢本人はなんら心当たりもなさそうに、七尾の様子も意に介していないらしいが、彼女としてはやはりどことなく気まずさが残っている。それもそのはずだ。出会ってまもない上司に、命がどうのこうのと警告されてしまっては。

「七尾さん…」

 いてもたってもいられず、南城は立ち上がる。

「あの、滝沢さん。こないだ七尾さんに言ってた——」

 メインルーム壁面に走る緑のラインが総じて赤く塗り替わったのも、それと全く同じ瞬間だった。

 ルナローブ出現の緊急通報が届いた証。最悪のタイミングだ。

《コード01。これより、機動室はESMに移行する。ローブ鎮圧はジェイド、セルリアンで実施。マンダリンは戦闘の実地見学を兼ねつつ、周辺状況の援護を主とする》

「りょ…了解!」

「了解っす」

「ああもう…了解!」

 七尾は緊張に表情を強張らせながら、滝沢は顔色を変えないまま、そして南城は間の悪さに頭を掻きむしりながら動き出した。


「お、来ましたね」

 待ってましたと言わんばかりに、ガレージルームで待ち構えていた葛飾。マグカップを右手に椅子に腰掛ける白衣姿は、安楽椅子探偵のように聡明でいて、危機的現状を一瞬でも忘れさせるほどに悠長だ。ルーム奥に佇む三基のコンバインステーション、その一基にはオレンジ色のパーツ、ステラマンダリンがスタンバイしている。

「それぞれができることには限りがあります。各自、補い合って、市民を守り抜いてください」

 葛飾の言葉に頷くと、三名の装着者はそれぞれ脚部装甲に足を収め、コンバインステーションに踏み込んだ。

《承認下りました!》

 高槻の声に呼応するように、三人はステラシステム装着プロセスを実行。

「セルリアン、ブートアップ」

「ジェイド、ブートアップ」

「…マンダリン、ブートアップ!」



 3


 高槻と根室の分析データの蓄積から、実戦前にカメラでルナローブのおおよそのステータスを分析するというのが少しずつながら可能となってきていた。

《今回のローブは高い運動能力を持っている模様。飛行……というより跳躍に近いかも》

《ウサギはこの間南城さんが倒しましたから、今回はバッタじゃないでしょうか。小さな羽も持っていますし、羽音のようなノイズが聞こえたとの報告も》

 その精度にはまだ伸びしろを残しているが、さしあたり今回は三人に最低限の情報は提供できたらしかった。市中を滑空しながら、三人は通信でその情報を受け取る。彼らが今ほかに把握しているのは、現場が高校の敷地内であるということだけだ。

「装着者は?」

《まだ割り出せていません。今日出席していない生徒や非常勤講師の可能性を見て調査中です》

「身内ならまだいい。外部からの無差別な襲撃って可能性もある。最悪だけどな」

「誰でも止めなくちゃです。急ぎましょう!」


 ◇


 そのローブは事実、バッタを思わせる造形が禍々しくも明瞭に施されていた。

 元は視覚、上半身、下半身などとそれぞれ独立して販売されているはずのIPSuM製品を寄せ集め、組み立て、内部的な改造を施しただけなのだから普通なら当然そうはならない。その流通元であるヴォーグ社による、邪悪な意味での”遊び心”が、個々の特性に見合った造形を与え、コンセプトを醸し出しているのだ。此度の、いわばホッパーローブとでも呼ばれるであろうそれもやはり、その悪趣味なプロダクトの数々に連なる代物だった。

 そのスーツにとっては幾分窮屈な廊下は地上2階。授業も中断され、教室内の生徒がパニック状態で階段へと流れ出してゆく。黙々かつ悠々と、どこか一箇所を目指すかのように闊歩し続けるホッパーローブは、逃げ惑う中で自身に接触したり躓いて足元に転けてしまったりした生徒たちを容赦なく払い除け、傷と恐怖を与えていく。まるで手に入れた力を誇示するかのように。

 そんな支配感を打ち破ったのは、鼓膜をつんざくようなガラスの破壊音。そこから転がり込んでくるやいなや、ローブの動きを制止したセルリアンとジェイドだった。

「…ステラ」

「お、聞いたか。さすが南城先輩、おかげでステラもすっかり有名らしいね」

「言ってる場合ですか。行きますよ…!」


 かたやマンダリンは作戦通り、地上で生徒や教員らの避難誘導にあたっていた。本来その責を担うはずの教員らでさえ、世間を騒がせる脅威を目の当たりにしては動揺と混乱を抑えられない。彼らを落ち着かせ、冷静に移動させるのは、実戦ほどではないとしてもやはり彼女の手には余る任務だった。

「みなさん大丈夫ですから! 落ち着いて! 押さないで!」

 ジェイドとセルリアンの動向を見つつ、マンダリンは人々を校庭へ送り届けては校舎へ戻り、動揺して閉じこもってしまっている人や不安症状で立てない人、ローブの攻撃を受け怪我を負った人などを順に運び出してゆく。 

「絶対助ける…! 任せてもらったんだから…!」


「あんた誰なんだ? 学校に恨みでも?」

 教室に流れ込んだステラとローブは、散乱した机を挟んで睨み合っていた。SSジェイドブレードを片手に、黒板を背にして立つジェイドがホッパーローブに詰問する。その背後には、教卓を盾にして援護射撃の準備を整えたセルリアン。

「誰でもいいじゃないですか。あなたたちには関係ない」

「大ありだねえ。こちとら仕事なんだ」

「なら尚更でしょう。これはプライベートな問題なんだから」

「逆だな。プライベートな問題で、大勢の人を怖がらせるもんじゃないだろう」

 互いが互いの言葉を食うような応酬。ジェイドの口調は決して引かず、しかし極めて冷静だ。

「…どうですか、高槻さん」

 舌戦の合間、マスクの外に漏れ聞こえないプライベート回線を使い、南城は機動室の高槻に問いかける。落ち着いた状態のまま話を引き出しているのは、機動室でローブの声紋を取り、身元を割り出すためだった。

《もう一声》

「…ほんと、あともう一声ぐらいが限界だと思うよ」

 滝沢が回線に介入し南城を庇う。その目はいつでもローブの急襲に応じられるよう、視覚モニターと同期したRPセルリアンマグナム・タクティクスモードのスコープで絶えずローブを捉え続けている。

「じゃあ単刀直入に聞こうか。目的はなんだ?」

「だからさあ……関係ないって言ってるのに‼︎」

 案の定、ホッパーローブは激昂した。強靭な脚力で踏み出したかと思えば、同じくその脚力でもってジェイドを蹴りつける。なんとか受け身で持ち堪えたジェイドの背後から、待機していたRPセルリアンマグナムの銃撃が浴びせられる。

「はい脇が甘いよー!」

 雨のような弾丸を全身に受け、その勢いに押されたローブは窓ガラスを突き破り、校庭へ放り出された。そこにいた避難済みの人々はもちろん、一緒にいたマンダリンも驚愕の声を上げた。

「えええ⁉︎ こっちきたぁ!」

「やっべ、やりすぎちった。南城先輩頼みます!」

「マジでふざけないでくださいよ…!」

 白々しくローブの始末を丸投げするセルリアンに、当然ながら半ギレのジェイドだが、そうは言っても仕方がない。

 体勢を立て直し、急いでその後を追う。校庭に避難した人々に手を出す前にローブを制さなければ。下にはマンダリンがいるとはいえ、初陣の彼女にその足止めを委ねるのは危険だ。

 誰もいなくなった教室で、セルリアンは割れた窓から援護射撃のスタンバイを始める。

「ウォールズ、スタンバイ!」

 スコープを覗き続けるセルリアンのフィンガースナップに合わせ、その全身から少しずつ武装が自動で分離・再構成し、四基の自律シールド・RPセルリアンウォールズとして駆動を開始する。

 後を追ってきたジェイドに止められまいと、避難済だった人々の方へ飛びかかったホッパーローブ、その眼前にウォールズは入り込み侵攻を妨げた。

「はっ…! 滝沢さんナイス!」

 ウォールズに激突し、跳ね返されたローブ。その隙を狙ってジェイドはブレードを再び握り、避難した人々から引き離すように止めどない斬撃を浴びせにかかる。

 着実に押しているジェイド。その斬撃の合間合間にセルリアンの援護射撃も介入し、目に見えて消耗していくホッパーローブ。ダウンもまもなくのように思われた。

「杏樹さん!」

《ええ。フルブラストモード、承認!》

「よし。サイクロン・スカッ——」

 しかし、ジェイドのフルブラストモード起動コールは、背後からの予想だにしない攻撃によって中断されてしまった。

 そこにいたのは——

 否。、ホッパーローブだった。

「なっ……どういうことだよ!」

「南城周り見ろ! こいつ…」

 滝沢の警告に促されて辺りを見回すと、今まで戦っていたホッパーローブと全く同じ姿をしたローブが、三体、四体——計五体がかりでジェイドを包囲していた。

「——分身しやがる!」

「そんな…!」

 程なく、本体を除いた分身体四体、うち三体は束になってジェイドを襲撃。フルブラストモードも起動できないまま、袋叩きが始まってしまう。そればかりか、分身体の残り一体はセルリアンの存在を察知。彼の元まで飛来・襲撃し、援護射撃を封じてしまった。

「くっ…がはっ…!」

《ジェイド、損傷率急上昇! 現在25%!》

「この野郎…! 邪魔すんじゃねえ!」

 プログラム上、近接戦闘を想定していないステラセルリアン。滝沢自身のフィジカルがものを言うことになるが、やはり運動能力を強化されているローブが一枚も二枚も上手を行ってしまう。

《まずいわね…》

「そんな…!」

 何が、誰が狙いなのか、じりじりと避難者たちの元へと迫り来るローブの本体。同時に五体のローブを相手にする経験は、先輩であるジェイドやセルリアンにもまだない。動けるステラは、もうマンダリンしか残されていない。

《杏樹さん、マンダリンは…》

 格闘能力で完全に形勢を持って行かれたセルリアンは、ローブの馬乗りと、顔面への殴打の連発を許してしまう。

《マンダリンが戦闘力で二人に大きく劣ることは根室くんも知ってる通りよ。ここは避難を最優先して、あとは…》

 手も足も出ず、ただただ無惨に痛めつけられ、スーツを損傷してゆくジェイドからはもう叫び声も聞こえない。

《撤退……しかない……?》

 機動室の絶望的な声を聞き、マンダリンの拳が震える。

 せっかくステラになったのに、自分は役立たずで、現場は絶望的。

 期待されていない。誰もそれをすることができない。

 当の自分にも、自身のステラの性質や、機動室の気持ちは十分にわかっている。

 でも、それでも——

「——杏樹さん」

《七尾さん?》

「私……逃げるなんて嫌です!」

《な…ちょっと七尾さん⁉︎》

 震える声でただ叫びながら、一目散にローブ本体へと駆け出すマンダリン。そのまま両腕を広げると、彼女の周囲に十二基の専用武装・PSマンダリンファンネルが出現。情報解析能力とレーザー狙撃機能を併せ持つ球状自律ユニットがローブを解析し、有効な箇所を見破って狙撃を開始する。

「っ! なんだよ、どいつもこいつも鬱陶しい…!」

「絶対やらせない! うわああああぁ…!」

 マンダリンは思い切りローブに飛びかかる。バランスを崩させ、ファンネルの攻撃が命中するようローブを押さえつける。先輩二人より圧倒的に低い身体能力ではあるが、がむしゃらなマンダリンの拘束をローブはなかなか破れない。

「くそ……くそ! なんなんだよあんたは!」

「ううっ…!」

 狙い通り、ファンネルの狙撃は見事ローブを痛めつけていく。しかし必死に抵抗するローブとの揉み合いで、レーザーの一部はマンダリン自身も被弾している。機動室のモニターで示されるマンダリンの損傷率は上昇の一途を辿っていた。

「杏樹さん! 私にも許可してください! フルブラスト!」

《いい加減にしなさい! あなたまだ初戦よ⁉︎ 私は離脱しなさいと言ってるの!》

《しかし杏樹さん、このままでは三人とも……それに生徒さんや教員さんも》

《セルリアン、通信機能破損、受信不能です》

《しかし………うっ⁉︎》

 杏樹の言葉を遮ったのは、突如として突き刺さったノイズ。葛藤し混乱する室長・オペレーター陣の注意を再度現場へと戻させたのは、引き続き聞こえてきた痛ましい破壊音と爆発音だった。

《今度は何が…!》

 土煙の向こうに、シルエットが浮かび上がる。

 その実体は、困憊するホッパーローブと、彼に首根っこを掴まれて戦意を失っているマンダリン。周囲には猛威を振るっていたはずのPSマンダリンファンネル、その全基が無惨に転がり散乱していた。

「余計な手間を…。許さないぞ……」

 一方のホッパーローブも、マンダリンを屈服させたとはいえかなり息が上がっている。自らの損傷の甚大さを察したのか、分身体を消し去り即座に撤退してしまった。


《……七尾さん、応答して! …七尾さん!》

《…おそらく、羽音のノイズで衝撃波を発生させ、ファンネルを撃墜、まもなくマンダリンに反撃したものと》

 痛手を負ったスーツの中で、声にならないうめき声をあげる南城。損壊したマスクを脱ぎ捨て、荒い息遣いと苦悶の表情を浮かべる滝沢。そして、反撃により大破してしまったマンダリンと、意識を失った七尾。

 虚しく舞う土煙の中には、彼らの沈黙と、取り残された生徒や教員たちの動揺だけが漂い続けた。

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