マンドラゴラ殺人事件

2121

死因はマンドラゴラ


 死因はマンドラゴラによる悲鳴と推測された。

 ワンルームマンションの一室には白線で人型が象られている。それはこの場所でその体勢で人が死んだことを示している。横向きに倒れたその人は、耳からは血を流し、胸をかきむしりながら死んだと聞いていた。マンドラゴラの悲鳴による死因の場合、まず悲鳴により鼓膜が破れ、心臓麻痺を起こして死に至るため、検死からの報告はまだではあるが死因はほぼ悲鳴によるもので間違いないだろう。カバーの掛けられた鳥籠のカナリヤが止まり木から落ちていることも、理由を裏付ける証拠だ。

「なんで兄はマンドラゴラなんか……」

 白々しいとでも言うように同僚である西木暁子さいぎきょうこが目を細め、側で涙を絶えず流し続ける少女を冷たく見ていた。

 事件はとある住宅地で起こった。通報したのはマンションの大家で、『怪しい悲鳴が聞こえた』と朝方に警察へ電話した。警察である僕、日ノ隈真琴と西木が現場へ向かうと、まず部屋の異様な光景に目を奪われた。リビングのよく日の当たる場所には植木鉢が十個ほど並べられていた。それらは全て同じ植物で、側に落ちていた根からすぐに種類は知れた。醜悪に歪んだ顔のような見た目のその植物はマンドラゴラだった。

 被害者は那須アトリという二十八歳の男だ。アトリはマンドラゴラを収穫し、その悲鳴が原因で絶命したと考えられる。窓枠のカナリヤは巻き添えを食らったのだろう。

 本部へ報告し、大学で授業を受けていたアトリの妹、那須スズに連絡を取る。

 スズはマンションへやって来てからずっと泣き続けていて、僕としては心が痛い。彼女の身内と呼べる人はもうこのアトリさんしかいなかったのだと言う。しかし西木はその涙が嘘泣きだとずっと疑っている。女の勘だと僕に耳打ちしたときには、そんな理由で疑うなんてと思ったが、疑う要素は他にもいくつかあった。彼女は経験則からも彼女を犯人だと疑っているのだ。

 まず統計的に犯罪は身内によることが多い。そして金銭の関わることによる犯行も次いで多いということ。その二つが彼女に当てはまるのだ。

「あなたはお兄さんから多額の借りがあったようですね? 大学の学費も生活費も、アトリさんからの資金だったとか」

「学費も生活費もいずれは返す予定でした。なぜ私が疑われないといけないんですか? 身内が死んだんですよ? 悲しむ時間さえもくれないんですか?」

「状況的にあなたが疑われることは仕方無いんですよ。それにお兄さん、多額の保険金もかけていたそうですね」

 そしてもう一つ、彼女が疑われる理由がある。

「しかもあなたは、大学で植物学について学んでいるとか。マンドラゴラについても詳しく、入手困難な植物を取り寄せることも容易だったのでは?」

「それはそうですけど……だから私が犯人だって決めつけるんですか!?」

「すいません、可能性を潰すためという理由もありますのでご理解いただけますか? 西木もちょっと落ち着いて」

 睨み合う二人を宥めるように僕は言う。可能だからといって証拠になるわけではない。まだ犯人と決め付けるのは早計だった。

 不可解なのは、アトリさんがなぜこんなに大量のマンドラゴラを育てていたのかということだ。スズさんが贈ったものだったとしてもマンドラゴラで殺すのであれば、一つで事足りる。しかもアトリさんは大事に育てていたようだ。なぜこんなに大量に育てていたのだろう?

 声を荒げたせいか、スズさんがひどく咳き込んだ。絞り出すようなその咳は苦しげで、そのまま座り込んでしまう。

「スズさん、大丈夫ですか?」

「すみません、ちょっといいですか」

 カバンから手のひらサイズのプラスチックの笛のような物を出すと、彼女はそれを咥えて吸った。吸ったそれを肺の奥に溜めるように一呼吸置いて、ゆっくりと息を吐く。

「肺を病んでいるんです。たまに発作が出るので、薬が手放せなくて」

 どうやら吸引式の薬だったらしい。落ち着いた彼女はまたポロポロと涙を溢した。悲しみはしばらくは尽きそうに無い。

「兄も同じ病でした。植物学を学んでいるのも、それが理由です」

「よろしければ、病気についてお聞きしても?」

「はい。これは土地の病で、自生する植物の微小な種が呼吸によって肺に入ることで引き起こされるんです。種が肺胞へと辿り着くと芽を出して、じわじわと突き破ります。育つスピードが極めて遅く、宿主が死ぬと枯れて粉状になってしまうために死因は中々特定できなかったのですが、数年前に原因が分かりました」

 以前ニュースで見たことがある。その地域に住む人達は必ず肺を病むがずっと原因不明で、長らく遺伝的な物であるとされていたという。

「あの集落の出身者だったんですね」

「そのせいでうちの集落はみんな短命で、両親も同じ病で死にました。私たち兄妹は原因が特定されたことを期に集落を出たんです。生まれ住んだ土地を離れるのは名残惜しかったですが、もう親戚もみんないないですからね。忌み嫌われた土地にはもういたくなかったですし、居続ければ病は加速していきます。手術で除去することも困難で、一度かかれば治ることはありません」

 だから薬は手放せなくて、と彼女は続ける。

「ただ言い伝えがあって、紫色の肺を食べれば治るとか、ある植物を食べれば治るとか、そんな眉唾ものの話は伝わっていました。それでもしも可能性があるならと植物について詳しく学ぼうと思ったんです。紫色の肺ってなんなんでしょうね?」

 体の中で不調なところがあれば健康な同じ部位を食べれば治る、という同物同治は昔からある治療法だ。紫色、というのは分からないが。

「最近は兄も体調が悪くてよく咳き込んでいましたし、手足も痺れるとは言っていましたね。どちらにしても近く死ぬ運命だったのかもしれません」

 そのとき僕のスマートフォンに電話がかかってきた。電話は警察本部からの物だった。用件を聞き、二人に向き直る。

「マンドラゴラの入手ルートが分かりました。お兄さんは自分でマンドラゴラを取り寄せていたそうです」

「つまり自殺……?」

「自殺にしては回りくどい方法ですよね」

 マンドラゴラの悲鳴で死ぬのは、苦痛が少ないとは聞く。けれどわざわざマンドラゴラを取り寄せてまで自殺をするだろうか?

「しかも取り寄せたのは一年も前だそうですよ。しかも買ったのは三十株だとか」

「そんなに前から、そんな量を……?」

 では、消えた二十株はどこへいった?

 他に何か手掛かりは無いだろうかと部屋を見渡した。すると西木が何か見付けたようで、本棚を指差して彼女に聞く。

「お兄さんは、山によく登る人だったんですか?」

「いえ、そういったことは聞いたことはありません。なぜそんなことを?」

 西木は本棚から該当の本を抜き取り、スズさんに見せた。野草の調理法が載っている本だった。

「では、料理が趣味とか?」

「料理は苦手なはずですよ。一人暮らしなので最低限は作れますが、基本的に玉子料理ばかりで」

「バリエーションを増やすため、とか?」

「だからって、野草の本を買うものですかね……?」

 マンドラゴラの専門書もあり、僕はパラパラとページを捲る。茶色く日に焼けた古い本ではあったが、マンドラゴラの育成方法から利用方法まで事細かに書かれていた。

 そして僕は気になる記述を発見する。

 曰く──マンドラゴラは微量を継続的に食べることで。またそれは

 思い至った僕はすぐに検死官に連絡を取り、アトリさんの死因を確認する。

「死因はマンドラゴラの悲鳴を起因としたものではありますが、直接の死因では無いそうです」

 スズさん、と僕は呼び掛ける。

「スズさん、アトリさんの肺を食べる意思と勇気はありますか?」





 僕たちは諸々の用事を済ませた後、スズさんの病室へとやってきた。

 あの後、スズさんはアトリさんの肺を食べるために警察病院へと向かった。同物同治は今でも治る見込みのある場合のみ行われている治療法である。認められない場合が多いが、今回に限ってはスズさんとアトリさんが親族であること、同じ血液型で拒絶反応が出る可能性が低いこと、アトリさんの肺がマンドラゴラにより有用な薬に成りうると立証されたため許可が下りた。

「……食べましたとも。兄の肺」

 咳の出なくなったスズさんが、後悔しているような、安堵しているような、複雑そうな顔で言う。

「兄の死を無駄にしないためには食べる選択肢しか無いじゃないですか」

 アトリさんはスズさんと同じ病を患っていた。アトリさんの主治医に確認したところ、もう余命も短かったとのこと。そこでアトリさんはかつて故郷で聞いた言い伝えを元に調べ、マンドラゴラを摂取し続けることで肺を変質させ薬にすることに辿り着いた。

 普段マンドラゴラを収穫するときには、耳栓をして近所迷惑にならないようあのときカナリヤにかけていたカバーの中でマンドラゴラを収穫していたらしい。カナリヤは危険を可視化するために飼っていたようだ。鉱山でカナリヤをガス探知機として用いていたのと同じ要領で、マンドラゴラの悲鳴で気絶して、悲鳴が終わり耳栓を外すタイミングをカナリヤが起きることで指標にしていたのだ。

 ちなみに手足の痺れは病による症状ではなく、マンドラゴラの神経毒によるもの。野草の調理法の本は、マンドラゴラを少しでも美味しく食べようとするために読んでいたらしい。

 そうして妹のために一年かけて自らを薬に代えて、寿命が尽きる直前に大家に発見されるようにマンドラゴラを抜いて自殺したのだ。

 尚、自殺であるために保険金は下りなかった。アトリさんとしては、マンドラゴラの悲鳴による事故死として処理されて保険金と自分の肺の両方を妹さんに残したかったのだろう。

「血を抜いた肺は紫色をしていましたよ。調べたらマンドラゴラの花の色と同じ色みたいですね」

「言い伝え通りということですね」

「あとカナリヤは生きていました。カバーを掛けていたので、死ぬまでには至らなかったみたいですね。今は動物病院に預けています」

「残されたのはカナリヤとマンドラゴラだけということですね。カナリヤは育てるとして、残り十株のマンドラゴラはどうしましょうか。やはり研究に使うしか無いかな。マンドラゴラの有用性について調べるのも大いにありですね」

「お兄さんの肺も、でしょう?」

 もう泣いていない彼女が、前向きに言う。

「はい、これからはずっと一緒です」     

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