第3話 3
待ち合わせに向かう途中で、依頼人とスマホで交わした昨日のやりとりを思い出していた。
『京介さん……急な依頼で申し訳ありませんが明日はよろしくお願いします』
『いえ、指名していただきありがとうございます。こちらこそ明日は1日よろしくお願いします』
会話で分かる通り彼女はなんと1日レンタルを希望してきたのだ。
1時間単位でレンタルするだけでもバカにならない金額なのに、1日となるとかなりの金額がかかる筈だ。
しかも、彼女はすでに『別れさせ屋』の件でもかなりの費用を支払っている。
美咲さんと今回どのような契約が成立したか分からないけど、俺にはその金額は知らされていない。
理由としては余計なプレッシャーにならないよう美咲さんが配慮してくれたことと、『レンタル彼氏』の支払いをカード決済にしているからだ。
これには少し驚いた。
なぜなら彼女はまだ大学生で同じくらいの年齢なのだ。
ショッピングや食事以外の目的でクレジットカードを使うならある程度の収入や財産がなくてはあまり使用しないはず。
ましてや今回は普段の生活で必然性がまったくないレンタル彼氏なのだから。
そういえば前回の依頼でヒアリングした時に、いい家柄のお嬢さんだったことを思い出していた。
別れさせ屋の件に関しては明確な事情があればお金を出してくれる可能性はあるけど、さすがに恋人代行にお金を出してくれる親がそうそういるとは思えない。
そうこう考えている間に待ち合わせ場所である駅の改札口に到着した。
早めに駅に着こうと思っていたので、予定通り待ち合わせ時刻の30分前である。
「京介さんこっちです!」
改札口を背に待機しようとしてすぐに、ひときわ大きな女性の声があたり一帯に鳴り響いた。
日曜日の午前10時という事もあり、これから行楽地に出かける子供連れの家族やカップルで人も多く、みんなの視線が一斉に京介と声のする方角へと注がれた。
京介も自分の名を呼ぶ方向へ振り向くと……
改札口の中から満面の笑みを浮かべながら、真っ白な手を小さく振る今日の依頼人である
「あっ……」
周りからも注目されている事にようやく気付いたのか、うっすらと頬を赤らめ俯いてしまった。
しかしこの時の彼女は京介を呼んだだけで、なぜここまで自分が注目を集め続けているのかまったく分かっていなかった。
大きな声で呼んだことがきっかけになったものの、大多数の人が彼女の容姿に見惚れてしまったのだ。
モデルのような美しい顔立ちに、顎下でふわりと動く優しい雰囲気を作り出すミディアムヘアはまさに完璧な美少女。
服装はブルーのプリーツスカートにホワイトノーカラーコート、そして白のスニーカーで仕上げた大人可愛いコーデは彼女の魅力を存分に引き立てていた。
どこからどう見てもお上品なお嬢様であり、はっきり言って存在するだけで高嶺の花なのだ。
改札を通り、気恥ずかしそうにする水樹さんに近づいていくと……
「き、京介さん……意地悪です……」
「えっ!?」
他のギャラリーと同じように見惚れしまい、返事も反応もせず放置してしまい助け船を出さなかったことに対して拗ねてしまったのか、頬を少し膨らませながら呟いた。
その仕草までもが可愛すぎてさらに周りの目を引いている。
参ったな……
これじゃまるで本当のカップルみたいだ。
しかも事前の連絡でいくつか要望を聞いているので、応えなくてはならない。
「ごめんごめん。陽菜の洋服と髪型がすごく似合っているからつい見惚れて声をかけるのも忘れてしまったよ」
「!?」
ようやく落ち着いてきた彼女の肌の色が、この一言でより一層ピンク色に染まっていく。
これには訳があった。
レンタル彼氏の要望の中に、敬語は使わず名前で呼んで欲しいと事前に伝えられていたのだ。
そして今回の仕事はレンタル彼氏。
別れさせ屋ではない。
指名を受けて最初は無理だと思ったけど、仕事として割り切ってしまえば特に問題はない。
俺の嫌いな嘘さえつかなければいいのだから。
別れさせ屋の時も矛盾はするけど嘘ではなく、仕事上の演技と割り切っていた。
他人に嘘をついているような存在のレンタル彼氏だけど、どこまで境界線があるのか難しいところでもある。
「もう……自分から言い出したことですけど……不意打ちなんてやっぱり京介さんは……意地悪です」
陽菜は怒った素振りを見せるとプイっと後ろを向いてしまった。
レンタル彼氏としての初仕事で緊張している京介には、ニヤけてしまった表情を見られまいとしている彼女の仕草に気付くはずもなく……
「さっきからほんとにごめん!なんでもするから機嫌を直してもらえないかな?」
このままでは満足してもらえず報酬がもらえないかもしれない。最近ではサービスに満足出来なければ料金全額をお返しするのも当たり前の時代だ。
スタートから失敗しちゃったけど、ここから頑張れば巻き返せるはず。
必死な言葉に反応してくれたのか、くるりとこちらに向き直り、「怒ってないから大丈夫です」と言って満面の笑みで手を差し出してくる。
仲直りの握手……などではきっとないだろう。
もう怒っていないから手を繋ごうとの意思表示と思われる。
はぁ……こんな予定はなかったけど背に腹はかえられない。
昨日の今日で彼氏と別れたばかりで寂しいのか、レンタル彼氏を存分に満喫する気なのかは分からないけど、機嫌が直って本当に良かった。
いつもの別れさせ屋とは勝手が違うからか、京介はまったく気付いていない。
陽菜が最初から一言も怒っているとは言っていないし、そもそも機嫌を悪くしていないことに……
「嫌じゃなければ手をつないでもいいかな?」
「……はい、嫌じゃないです」
あとから訴えられでもしたら面倒なので、念のため確認をとったもののここで予想外の事が起こっていた。
え?嘘をついている?
ここで自分の特技に頼りきっていた京介の思考が空回りする。
自分から手を差し出してきたのに、嘘をつくほど嫌がっている。
レンタル彼氏がどんな対応を見せるか俺を試したのか?
その結果、積極的に体に触れようとする軽薄な男と認識されてしまったのかもしれない。
しかしこの嘘は、手を繋いだこともない超がつくほど奥手の彼女が、自分から要求したことに恥ずかしくて仕方なくついたものだった。
やっぱり恥ずかしくて嫌……と。
つい昨日男と別れさせた相手が、手も繋いだことすらないとは誰だって思いつくはずがない。
彼女が返事をしたにも関わらず、いっこうに手を繋いでこないどころかフリーズしている京介を見て、陽菜もまたいろいろ考え込んでいた。
「や、やっぱり初めてのデートだから無理せず徐々に距離を縮めていこうか?」
「……はい」
ガッカリしたような、でも安心したような反応を示す陽菜を見て京介は思う。
少しずつ距離を縮めようと言ったものの、この関係で次があるかは依頼人次第なのだと。
まだ会って数分だけどもう疲れてしまった。
大丈夫かな俺……
レンタル彼氏は始まったばかりである。
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