淹れ方は忘れた

寿退社

寒い

 午前9時、早起きだと思う。昨日の仕事が深夜2時に終わり、眠りについたのが多分、午前4時頃だったか。だからかなり早い。

 ああ眠い。起きるんじゃなかったと完全に起きてから後悔する。

 コーヒーが飲みたいと思った。

 特別でもなんでもない。ただただ不味いだけの眠気を覚ますためだけの意味しか持たないコーヒーを私は飲みたいと思った。

 窓の外には小鳥たちがいて、私を見ることなく飛び立っていく。

 インスタントコーヒーがあったかしら?

 台所に目を移すも、それらしきものは見当たらず、溜め息が漏れる。不味い。飲んでもないのにそう思った。

 

 1週間前、2年間付き合った彼氏と別れた。

 彼はいつも仕事に追われていた。できる人だったのだ。そもそも職場で出会った人で、一緒に働いているうちに好きになって、私から告白したのだが、反応はさらっとした感じ、取引先の人間に対してよく見せるようなつまらない笑顔で、「分かった」とだけ言った。

 何が分かったのかよく分からなかったが、何となく時間は流れて、結婚を意識しだした時期に急にフラレた。

「お前のことが分からなくなった」とだけ告げて部屋から出ていった背中は仕事のときに見る背中と何一つ変わらなかった。

「分かった」と言って付き合って、「分からなくなった」と言われて別れた。

 何を彼が分かって、何を分からなくなったのかは良く分からなかったけど、好きではなかったことは分かった。

 最初からそうだったと「分かった」

 

 あった。見つけた。つい最近、仕事終わりに寄ったスーパーで買ったものがバッグに入ったままになっていた。

 お湯を沸かす。そういえば彼もこんなふうにコーヒーを淹れてくれていたんだった。

 彼は淹れ方にこだわりがあって、これは何分でこうしてああしてだの、口うるさく言っていたが何一つ覚えていなかった。

 急に彼のコーヒーが恋しくなる。

 こんなふうに思うならちゃんとした淹れ方、教わっておけば良かったな。

 適当に淹れたコーヒーを少し冷ます。

 湯気が立たなくなった頃を見計らって一口すする。

 不味い。不味いな。

 舌に残った苦味が鬱陶しく感じ、マグカップのコーヒーをベランダから捨てた。

 不味い。やっぱり不味いな。

 そう呟いてもう一度布団に潜り込んだ。

 コーヒーの苦味はもう消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

淹れ方は忘れた 寿退社 @kotobuki333

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ