第2話 アイドルとお風呂

僕はわけが分からないまま家に入ると、お風呂の準備をして部屋で頭を整理する。

 食事は空港で4人一緒に仲良く食べていた。


 かおりんとの接触は帰ってきてから一度もない。


 初めて家で会った時も空港で食事した時も、笑顔で会話をしてくれたから家族として受け入れてくれたのかと……


 コンコン!


 誰かがドアをノックしている。

 もちろんかおりんしかいない……


「ど、どうぞ」

「誰が密室で若い男女が2人きりになると思っているのよ?話があるからリビングに来てくれるかしら?」

「わ、わかった」


 あ、あれ?


 僕等の部屋は2階なので恐る恐る階段を降りて1階のリビングへと向かう。


 リビングでは、ちょこんと椅子に腰をかけているアイドルが……やっぱり本物だ。可愛い。


「そこに座ってもらえる?」

「……うん」


 笑顔で向かいに座るよう促されて、ちょっと警戒を緩める。

 正面から見ると、2倍、いや5倍可愛くね!?


 やっぱりさっきまでは夢でも見ていたのか。

 ファンに対していつでも神対応で有名なかおりんが、あんな態度になるとはとても考えにくい。


 トップアイドルでも中学卒業したばかりの女の子だし、きっとまだ親離れが出来ておらず不安でいっぱいなのかもしれない。

 ここは兄としてどっしりと構えておこう。


「じゃあ家族会議を始めましょう」


 家族会議……なんていい響きだろう。ああ本当にかおりんと家族なんだ。

 自然と顔が緩んでしまう。


「気持ち悪い顔はやめてもらえる?」

「……」


 か、神対応は……

 兄としての威厳はどこにもない。


「見知らぬ男女が同じ家に住むわけだから、ルールを決めておきましょう」


 ……ん?


「さっきもハッキリ言ったけど、わたしは例えファンでもオタクは大っ嫌いなの。だからわたしに構わないでくれる?」


 ……あれれ?


「でも僕達は家族だし……」

「悪いけどママの手前だからそう言ったけど、わたしは家族だと思ってないから」

「……」


 ……あ、悪夢だ。夢なら早く覚めてくれ。


「あ、学校でも絶対に話しかけて来ないでよね」

「え、学校って香織ちゃんは女子高でしょ?」

「チッ!?そんな事まで知ってるんだ。あなたの学校は芸能クラスがあってうちのメンバーもいるし家から近いから編入させてもらったの。前の女子校だと平日のお仕事が出来なかったのよ」


 ……アイドルに舌打ちされてしまった。


 こ、これは……ひょっとしたらかおりんに生で舌打ちされたのって僕が初めてかもしれない!


「な、なに喜んでるのよ気持ち悪い」

「ご、ごめん。でも学校で困ったことがあればいつでも言ってね」

「あ、それはないからご心配なく。そもそも学年も違うし一般クラスと芸能クラスは違うから接点なんてまったくないわよ」


 ……神対応のアイドルなんてどこにもいないのが現実じゃん!

 でも考えてみたらこれって僕だけのオンリーワンってやつだよね?喜んでいいんじゃね?


 オタクの僕はいつだってポジティブである。


 そもそも同じ屋根の下でかおりんと暮らせるだけで凄い。

 後ろの席の佐々木君なんか乳の垂れ下がったおばあちゃんと暮らしてるみたいだけど、それに比べたらかおりんの塩対応なんて僕には甘いくらいだ。


「話はわかったよ。あ、明日から家での食事とかはどうする?」

「しょ、食事は一緒に食べてあげてもいいわよ?」


 ……お?おおお?これはまた意外な返答が返ってきたぞ。


 今までの反応から、家畜と一緒に食べるくらいなら要らないわくらい言われる覚悟はしていたけど。

 たぶんキッチンの奪い合いは効率が悪いから譲歩してくれたのかも。優しい……


「朝はパンとコーヒーをお願いするわ」

「……」

「ちょっと聞いてるの!」


 聞いてるに決まってるでしょ!

 トップアイドルからのお願いだよ?

 嬉しさのあまりまた叫んじゃいそうになっちゃったけど、今日はそれで怒られてるからやめておこう。


「ちゃんと聞いてるよ。パンとコーヒーだね?かしこまりました。じゃあお風呂も沸いたみたいだし先に入る?」

「まだ話は終わってないわよ!あなたは1階のトイレを使ってちょうだい。私は2階のトイレを使うから。それとお風呂は私が先に入るけど、私が出たらお湯を全部捨ててから張り直してよね。あんたなら湯船のお湯を飲みかねないし」

「ば、ばかにしないでくれ!」


 つい大きな声が出てしまった。


「わ、悪かったわよ、軽い冗談のつもりだったんだけど……」


 ほんとばかにしないで欲しい。

 飲んだらすぐなくなっちゃうじゃないか。


 僕なら瓶に保管して、しばらくは観賞用に寝かせて置いて熟成してからチビチビいただくよ!


 まったく……これだからアイドルは世間知らずで困る。


「あと呼び方なんだけどさすがにあんた……はちょっと。さっきみたいにナツお兄ちゃんは―――」

「はぁ~?あんなの演技に決まってるでしょ!あんたはあんたよ。じゃあわたしはお風呂に入るからちょっと悪いんだけど2階に行っててくれる?シャワーの音を聞かれるだけでも落ち着かないから。お風呂から上がったら部屋のドアをノックするわ。絶対に覗かないでよね!」

「分かってるよ。2階でDVDでも見てるからゆっくり入って」

「私達のDVDは絶対に今は見ないでよね」


 ……今度はするどいな。

 仕方がないから写真集で我慢することにしよう。


「み、見ないよ」


 僕は答えると疑いの目線に耐えらず、2階の自分の部屋へ逃げ帰ってきた。


 ……やばい。


 ……超絶やばい。


 かおりんとたくさん会話しちゃったよ!


 しかもだ!オタクは嫌いって罵られちゃったよ!

 もうこれだけでご褒美でしょ!?


 問題はアイドル相手だから敬語で話すべきか、義妹だしタメ口で話すべきか判断がつかない。

 タメ口で話しても怒られないからこのままでいいのかな?


 少し気持ちを落ち着けるか……あっ!?そういえば!


 あんなに苦労して買ってきたCDをまだ聴いてないじゃないか。

 僕はいそいそとCDを開封して早速鑑賞を始めた。


 こ、これヤバ!!

 マジ天使の声が聞こえてくる。

 しかもさっきまで話していた声が……


 写真集を見ながら何度も何度もCDを聴き返した。


 気付けば2階に上がってきてから1時間近くが過ぎている。


 ……かおりんさすがに遅くない?


 かおりんの部屋をノックするけど返事はない。


 僕は怒られる覚悟で階段を下りていく。

 リビングには誰もいない。


 心配になりお風呂場へ向かう。

 さすがに義妹とはいえ、アイドルのお風呂を覗くわけにはいかないので脱衣所に入るドアの前で声をかけてみる。


「かおりん大丈夫ー?なにかあった?」

「だ、大丈夫じゃない……タオルと着替えどっちも忘れちゃって……でもあんたに頼めないし、裸で出るのも無理だし、脱いだのをもう一度着るのは嫌だし……それにかおりんって呼ばれたくないし」


 途切れ途切れで弱々しい声が聞こえてきた。

 それでもかおりんて呼ばれたくないとはどんだけだよ?


「ひとまずタオルだけでも持ってくるから。そしたら僕は部屋にこもってるから部屋で着替えなよ」

「そうさせてもらう……」


 僕は新品のバスタオルを後ろを向きながら浴室を覗かないように脱衣所におくと、急いで出ていく。

 そしてかおりんの部屋の前にスポーツドリンクをおいて、部屋で待機していた。


 しばらくするとドアをコンコンとノックする音が聞こえてきた。


「わ、悪かったわね待たせちゃって」


 ドアの隙間からほんの少しだけ見えるパジャマ姿のかおりんは破壊力抜群だった。


「か、家族として当然だから気にしないで、今度は湯冷めするといけないからゆっくり休んで」

「家族じゃないっつの……お風呂さ、かなり待たせちゃったから今日は特別にお湯はそのままで入っていいから。じゃあおやすみ」

「お、おやすみ」


 うおおおおおおおおおおお!


 スーパーアイドルからおやすみいただきました!

 普通なら悶絶もんですぐに布団に入るけど、お、お、お風呂、同じお湯に入っても……いいの?


 今日のすべてがドッキリでテレビ出てこないよね?

 頭が混乱してきた。ひとまずお風呂に入ろう。


 喜びのあまりお礼も言われてない気もするけど、まったく気にならない。



 ……有頂天で脱衣所に入ると事件が起きた。


 もしかして……

 もしかしなくても……

 これはまずいでしょ?


 急いであ・る・物・を洗濯ネットに入れて洗濯機を回してお風呂に入る。


 ドタ、ドタ、ドタ!バタン!


「わ、わたしの洗濯物がない!あんた取ったで……きゃー!変態!」


 パシッ!


 ……理不尽だ。


 下着が脱ぎっぱなしだったから洗濯機をまわしただけなのに頬を叩かれるなんて。

 でも少し嬉しいのはなぜ?ひょっとして僕はかおりんの前ではドMになってしまう体質かも。


 いやん……

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