第15話 生命の灯り

文章デッサンです。ある方の漫画を小説に書き起こしました。



 目の前に子犬がいる。キラキラした瞳でこっちを見ている。それはまるで、光から生まれた生き物のように見えた。

 蓮井はそれにあてられて、魅入られたようにそれを見つめている。


「その子はとっても人なつこいんです」

 おりの前に座り込んでいる彼に、団体の職員の女性が人当たりのよさそうな笑顔で話しかけてきた。

「好奇心旺盛で、遊ぶのが大好きなんですよ」


 蓮井はせわしなく動き回る仔犬から目を離せずに、ぼんやりと店員の話を聞いている。ここは、保護された犬や猫の譲渡会で訳あって足を運んでいた。


「ああ、おひとりでいらっしゃるんですね。成犬か小型犬なら」

 少し残念そうに彼女は説明を続ける。

「お部屋も片付けていただいて、決まった時間にお散歩したり…

 それと失礼ですが、経済的に余裕はおありでしょうか。

 やはり命ですから」


「そうですね」

 半分あきらめの境地で彼はあいづちを打った。

「灯がともったように見えますね。……生命って」

 自分の家の様子を思い返す。

 たくさんの絵筆、工具、そしてキャンバスに張る前の帆布はんぷ。どれも無造作には触れてはいけないものだし、柔らかい物は爪を持った動物にかかればズタズタにされてしまうだろう。自分の希望とは相いれない環境を脳内に浮かべ、一人ため息をついた。


「──先生?」

 はっと我に返る。

「ああ、すみません」

「どうかされました?」

「いえ、大丈夫です」

「そうですか。えっと今回の個展では30号サイズ5枚、50号2枚、100号を1枚でお願いしたいんですが……

 それからどうでしょう? 提案させていただいたモチーフの

 犬や猫を書くというのは」


「そうですね……」

 蓮井は考え考え、返答を探す。

「教えて頂いた譲渡会も行ってみたんですが『描く』となるとこう、ピンと来なくて」

「まあそうかもですねー。ただ、動物のモチーフはやはり売れ筋なので、ぜひ前向きにご検討いただきたいんですが。

 先生的にも新境地になりますしー。無理強いではないですがもし気が向かれましたら」

 クライアントは薄っぺらい笑顔を浮かべながら、愛想のいい言葉を並べ立てる。

「そうですね。挑戦するのはやぶさかではないんですが、やはり命なので」


 ***


「いらっしゃーい‼︎」

 玄関のドアを開けると、賑々にぎにぎしく温かい言葉で迎えられた。久しぶりの元教え子たちの笑顔に、彼の心は少しだけほころぶ。

 ここは千春とナカムラと英治が同居するマンションだ。元々は千春の家だったが、なんやかんやあって同期の二人も一緒に住むようになったらしい。異性も交じっているが、そういった事は気にせずに仲良く暮らしているようだ(ちなみに英治は同性愛者という噂)。


「お邪魔します」

 蓮井は一言挨拶あいさつすると部屋へ上がる。

「みんなたまたま用事がなかったので。先生が料理を作ってくれるなんて嬉しいですよ~」

 千春がニコニコしながら言う。彼女とは浅からぬ縁だが、屈託なく話してくれ有り難い気持ちになる。


「そんなん言うてますけど、作れますのん?」

 意外と不躾ぶしつけなセリフを京都弁で英治がかけてきた。

「失礼な。これでも離婚してから自炊してきたんだぞ。

 自慢にもならんがな、」と返す。

「何か作りたくなったし腹も減ったんだが、なぜか急に動けなくなってな。

 米さえ炊く気にもならなくて」


 うんうん、と英治たちがうなずく。

「だから食べてくれる人たちがいる所に来たのさ」

 そう言って、買ってきた材料を袋から取り出した。


「まずはカブと小松菜のみそ汁を作ろう。

 カブは皮をむき、くし切り。小松菜は土を洗って5㎝くらいに切る。

 今日は出汁だしは昆布でとる。かぶと一緒に水から煮て、沸騰したら昆布を取り出して小松菜を入れる。

 少しつゆの素を入れ、具に火が通ったら味噌を半分の量入れて、火を止めてから味見しつつ残りの味噌を入れる」

 手際のいい様子に、まるで絵を描いているようだと千春は思う。

「次にもやしとほうれん草のナムル。ほうれん草を軽く茹で、水を切って5㎝ほどに切る。ゴマ油、ガラスープの素、すりおろしにんにくを混ぜた後温かいうちにもやしやほうれん草とえる。これで2品できあがった。

 ここから主菜、」と蓮井は腕をまくる。

「酢豚は豚肉、ヤングコーン、玉ねぎ、パプリカ、ピーマン、ニンジン、エリンギを4㎝程の一口大に切る。アスパラは根元を取り下半分の皮をむき、3㎝程に切ったら沸騰したお湯で2分でておく。

 切った豚肉はチューブにんにく、チューブ生姜しょうが、しょうゆ、ごま油で下味をつける。豚肉を漬け込んでいる間に酢、砂糖、しょうゆ、酒、ケチャップ、片栗粉、水の調味料を混ぜて甘酢を作る。

 味がしみた豚肉に片栗粉をさっとまぶして……油で揚げる」


 薄井が豚肉を鍋に放ると、ジュウウウ……! と美味しそうな音がキッチンに広がった。

「ニンジン、玉ねぎ、ヤングコーンも素揚げする」

 再びいい音と美味しそうな匂いが漂ってくる。

「油で揚げた具材をフライパンで炒めて甘酢あんをからめ、とろみがつくまで火を入れる。アスパラは彩りなので最後に加えてさっと炒める」

 あっという間に3品できてしまった。


「生野菜も食うか。きゅうりと水菜を切ってレタスとエンダイブをちぎる。

 酢豚、もやしとほうれん草のナムル、かぶと小松菜のみそ汁、サラダ」

 テーブルにトン、トンと大皿で盛って供される。どれもできたてで、ほかほかと湯気が立っていた。


「いただきまーす‼」

 3人はうきうきと氷水の入ったグラスを合わせ、ごちそうに飛びつく。舌を火傷やけどしそうな熱さにはふはふと息をしながら、口に運んでいった。


「うまーい!」

 みんな笑顔でほおばっている。

「味つけがしっかりしとるから、野菜がぎょうさんでも食い手があるなあ」

「先生が酢豚なんて作るとは思わなかった」

 ナカムラがそう言うと

「君たちに寄せたんだよ」とさらっと言われた。


「工程が手間だからなかなか作らないよね。それなら2品作れちゃうし」

 千春が言うと

「面倒な事がしたかったんだよ。他人のために」

 蓮井がぼそっとつぶやく。


「犬をね、見に行ったんだ」

 犬⁇ と3人はキョトンとした。

「絵のモチーフとしてね、勧められたんだ。最近、何を描いたらいいのか悩んでいて……いや、いつも悩むんだけどさ。

 なんだかずっとくらい所に自分がいる気がして」

 そんな時に、犬を見たら。

「――光が集まっているようで……まぶしすぎた」


 3人は共感するような表情を浮かべる。

「そして、僕はその尊い命を養うには不適切らしい。

 ……分かってはいたけど」

「それを言うなら私たちも、」と千春は言う。

「世話を必要とする生命の責任は負いきれないよね」

 ナカムラも同意した。

「僕もナカムラに飼われるのはイヤかなー」と英治が冗談交じりに言う。


「……自分以外に生命の気配がない家で、ごはんを作る気がしなくなったんだ。ひとりぼっちで。

 なので、ここにお世話をしにきました」

 という事は、と3人は考える。私たちは犬の代わり?

 いいじゃんいいじゃん、犬になってお世話してもらおう! と笑顔になった。


「自分ひとりのために何かをし続けるには、

 一生は長すぎる」

 蓮井がぽつんとつぶやく。

「そうですね」

と千春。

「観葉植物買って帰ろうかな──」

「いいですね、それ」

「毎日の水やりくらいならできそうだし。ついでに自分も水分補給できる」

「お水大事!」

「干からびちゃうもんねー」


「また作りに来てくださいね」

と千春は薄井に頼む。

 そうして、僕らはまた一緒に「ごはん」を食べるのだ。


                          了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る