第13話 幸福な木(お題 植物)

 ある町のマンションに、一組の夫婦が住んでいた。結婚して数年経っていたが仲睦なかむつまじく暮らしていた。夫はわりと忙しい仕事についていたが、休日になると二人は仲良く連れ立って出かけていた。手に手を取って歩いているのを近所の人たちはよく見かけた。

 けれど、幸せな時間は長くは続かなかった。運命の手は容赦なく彼をさらって行ってしまう。ある日、急スピードで横断歩道に突っこんできたトラックにねられてしまったのだ。そのしらせを聞いて、妻は急いで病院へ駆けつけた。


「あの、沢木といいますが、朔也さくやさんは……」

「奥さまですか? どうぞ地下の霊安室へ」

 彼女は耳を疑った。けれど、案内された部屋へ行くと布団に寝かされている人物がいた。震える手で、顔をおおっている白布をめくると、青白い顔をした夫がそこにいた。

「あなた…‼」

 彼女は足が震え、ガクガクとその場に崩折くずおれた。

「奥さん、大丈夫ですか?」

 通りがかった看護師が声をかけた。彼女は声もなく、ぽろぽろと涙をこぼした。

 嗚咽おえつする背中を遠慮がちにさする手があったが、全く気がついていなかった。


 ***


 その日以来、彼女は別人のようになってしまった。よく笑い、くるくるとコマのように働いて快活な性格だったのに、ふさぎ込んでぼんやりするようになった。あまり出歩かなくなり、一日中家にこもっている事もしばしばだった。友人が心配して遊びに来ても、言葉少なに「ええ」とか「そう」などとしか言わないので、あきらめてみな早々に帰ってしまった。


 葬式が終わってしばらく経ったころ、彼女の母親が

朔也さくやさんの物も少しずつ片づけないとね」

と言った。

「それはだめよ‼︎」

 彼女は珍しく大きな声で言い返し、夫の物を何一つ捨てようとしなかった。

 けれど、放っておくと食事もしない事があるため、母親や妹の舞香まいかが時々様子を見に行った。けれど、彼女は回復するきざしは見えず、日に日にやつれていった。


 ***


 ある夜、彼女がいつものように眠れずにうとうとしていると、誰かが自分を呼ぶ声がした。

「…美……由美」

 その声は、夫のそれのように聞こえた。

「だれ……?」

 おそるおそる声の方へ歩いて行くと、彼が窓のそばに立っていた。


「ああ…… あなた‼」

 感嘆の声をあげて、そばへ走り寄った。彼はほほ笑んで両手を広げる。

「よかった! 今までの事は夢だったのね」

 夫をひしと抱きしめた。その瞳に涙が浮かんだ。


「──!」

 ハッと気づくと、彼女はベッドで眠っていた。けれど、さっきの事があまりにもリアルに感じられて夢とは思えなかった。のどが渇いていたので、水を飲もうとキッチンへ行く。


「!!」

 彼女は驚きに目を見張り、立ちつくした。視線の先に窓際の観葉植物があった。それは、ここに越してきた時に夫が気に入って購入したものだった。そのたたずまいは、さっきの夢の夫のようだった。

朔也さくやさん……」

 呟くと、涙を流しながら近くに寄る。

「あなたなの?」

 そう聞くと、ベンジャミンの葉が風もないのにカサ、と揺れた。

(やっぱり…!)

 彼女は確信し、植物にすがって声をあげて泣いた。


 ***


 彼女は少し元気になったように見えた。たまに笑顔も見せるようになり、家事も少しずつするようになった。

 彼女の友人や親兄弟は安心したが、母親は気になるようで週に一、二度は様子を見に行っていた。


 ある日、母親は彼女の妹を呼び出した。

「どうしたの? お姉ちゃん、元気になってきたんじゃない」

 喫茶店で待ち合わせ、遅れて姿を見せた彼女が母親にそう言った。

「そうなんだけどねえ」

 母親はため息をつきながら妹にこぼす。

「なんだか様子がおかしいのよ」

「おかしいって?」

「一言では言いにくいんだけど……色が薄いっていうか……」

「どういう事?」

「見れば分かると思うんだけどねえ」

 じゃあ今から行ってくるよと、妹は彼女と会う事にした。


「はーい」

 玄関のチャイムを押すと、明るい声が聞こえた。ドアが開き、笑顔の彼女が現れる。

「突然来ちゃってごめんね」

と手土産のシュークリームを渡す。

「いいよー。今はパート辞めちゃったし」

 またどこかで働きたいんだけどね、と言いながら受け取った。

「そっか。その方が気晴らしになるかもね」

 言いながら、あ、余計な事を言っちゃったかなと思う。けれど姉は気に留めなかったようで、そうねと流してリビングへ戻る。

 妹の舞香まいかの目からは別段べつだんおかしい所はないように見えた。けれど、髪の色が少し薄く……というかアッシュグリーンにしたような……そして肌が前よりも白くなった気がする。

「おねえ、美容院とか行った?」

「? 髪を切りには行ったけど」

「ヘアマニキュアなんかはしなかったの」

「そういうのはしてないよー」

 そういうのもいいかもね。アハハ、と彼女は笑う。元のような姉を目にして舞香はほっとした。

 なんだ、いい方に変わったって意味だったのかな。早とちりしちゃった。

 二人はしばらく雑談をした後、実家に連絡を入れた。


「お母さん、お姉大丈夫そうじゃん」

「そうかな──」

「心配しすぎ」

「でもねえ、あの子ずっと何かを気にしてるのよ」

「何を?」

「よく分かんないんだけどねえ。リビング以外はあまり行きたくなさそうなのよ」

 気のせいじゃない? また実家に行くねと言って舞香は電話を切った。


 ***


 その後も母親はたまに様子を見に行った。彼女はまた、様子がおかしくなって行った。

 何かに取り憑かれたように、片時も観葉植物のそばを離れなくなってしまったのだ。母親は心配だったが、自分の生活もあるので毎日行く事はできない。用事がしばらく立て込んで、やっと時間が空いたので急いで彼女の家へ向かった。

「由美?」

 インターホンを押しても誰も出ない。もう遅い時間だから、いないはずがないのに……

 何度押しても返事がないので、借りていた合鍵でドアを開ける。真っ暗で何も見えない。手探りで廊下をぬけ、リビングの照明のスイッチを押す。パッと明かりがついた。


「あ……」

 部屋には誰もいなかった。ただ、窓際に同じような観葉植物が二鉢、立っているだけだった。それらは月明りを葉に受けてつやつやと光り、互いに寄り添うように生えていた。


  了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る