第11話 日々の食卓


 辻仁成さんのエッセイ教室に参加したので(募集を見た時点で締切しめきりはとうに過ぎていましたが)「日々のごはん」というお題に挑戦しました。


「今日の晩ごはん、何にしようかなあ」

 私はつぶやきながら、いつものようにスマホで料理のレシピを検索する。家族は朝食はパンなど軽いもので済ませ、昼は給食や外食なので、いつも夕飯をメインに作っている。


 最近よくお世話になっているのは『力尽きた時のレシピ』というサイトだ。自分の余力に合わせて料理を探すことができ、手順や食材などもそれほど手間がかからない。調理器具は電子レンジがメインだが、なるべくフライパンや鍋を使うようにしている。

 そして手抜き料理のように見えるのに、近頃子どもたちから「おいしい!」という言葉をもらえて嬉しい。

 私は一人暮らしを始めて以降はたいてい自炊していたので、時間はややかかるが料理のはほどほどに自信はある。それでもほとんどおいしいね、という声を聞いた事がなかったので(わりと簡単な物を作る場合が多いが)感想を言って貰えると、嬉しい反面少し複雑な気持ちもある。何かを作る事は好きだし、人より得意な方だと思う。元々そういう気質なのだろうが、おそらく生まれ育った環境も影響しているだろう。


 私の実家――というか実母は、いわゆるメシマズだった。他にもいくつか問題はあったが、今は料理に焦点を当てようと思う。

 ある事情があってうちは貧乏だった。そのため、食費にかける予算もろくになかったようだ。家の畑で成った小さいジャガイモやしなびたニンジン、青い芽が出た玉ねぎなどで料理を作っており、健康のためなるべく薄味にして肉類もほとんどなく、使っても鶏のひき肉など安価なものだった気がする。

 そんな材料で美味しいものはおろか、普通に作るのさえ難しかったのだろう。実家のご飯が美味しかったという思い出がほとんどない。お菓子も市販のものは禁じられ、生協で注文したのを食べていた。

 なので、小さい頃の私はいつもおなかを空かせ、甘いものに飢えていた。

 だから幼い時から自分でお菓子を作るようになった。今はもうほとんど作らなくなったがクッキーなどは定番で、ホールケーキやアップルパイ、高校の頃はシュークリームなども作っていた。

 大人になったらケーキ屋さんになりたいなどと思っていたが、他に夢ができてそちらを追いかけるようになってしまった。


 それでも、家庭を持ち子どもができると、自分の小さい時には食べさせてもらえなかった料理を色々食べてほしいし、作ってあげたいと思う。

 そうする事で、子供の頃にひもじくて泣いていた私を少しはなぐさめられるような気がするのだ。たとえそれが、綺麗事きれいごとや単なる気休めだとしても。

 食というものは生きていく上で大事な基本だし、人生の楽しみの一つなのだから。


  了

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