第10話 お題 毒

 俺の今までの人生は、考えてみると本当にろくでもないものだった。物心つく頃には、この世にはありとあらゆるものが数えきれないほどあって、俺はそれに圧倒されていた。数を数えられるようになると、ますますそれに苦しめられるようになった。

 俺は必死で耐えていたが、ある日とうとう我慢できなくなり、家にあった電動ドリルを衝動的しょうどうてきに頭に突っ込んだ。そうすれば、頭の中にぎっしりと詰まった数字が少しは抜けていくかもという期待と、半ば自棄やけの自殺というのもあった。

 ガリガリと頭蓋骨ずがいこつをけずる音がして、鮮血せんけつき出る。激痛が体中を駆け巡った。それでも、もっと突っ込めば楽になるかもとさらに両手を引き寄せた。


 ――気がつくと、俺は床に倒れていた。もしかしてあの世に来たんだろうかと一瞬考える。けれど、意識をなくす前とそう周りの風景は変わっていない。死ねなかったとがっかりしたが、ふと気づくと以前より数字が気にならない。というか目に入ってきても、数えなければという強迫観念が薄らいでいる。


「…はは…」

 俺は笑いだす。なんだ、こんな簡単なことだったのか。それならもっと早く実行すればよかったなどと思いながら、再度気絶した。


 ふたたび目を覚ますと、日の光の色が変わっていた。たしか昼過ぎだったような気がしたが、今はチュンチュンと小鳥のさえずる声がする。

 ――朝か。ぼんやりした頭でそう思う。今までの事は夢だったのかと思うが、頭の右側のズキズキした感じと周りに飛び散る血痕けっこんで、現実だと言う事が分かる。


「とりあえず、止血しないと…」

 俺はふらふらと立ちあがって服を着たまま頭だけシャワーで流し、適当にぐるぐると包帯を巻いた。


 それから何度か手当をしていたら、傷が開きそうだったので家にあった糸で縫合し、穴は相変わらず開いたままだったけど、気分は前よりだいぶマシになった。

 数字が気にならなくなる事がこんなに快適だったなんて。俺はあの日から、生まれ変わったような気分だった。なんて素敵なんだろう。おれは世界に感謝する。

 ――そうだ。

 俺はいい事を思いつく。

 きっと俺みたいな人間が、この世にはたくさんいるだろう。頭の中に余計なものを詰め込まれ、鉛のようになったそれを抱えて苦しんでいるに違いない。それを助けてあげよう。おれは天にも昇る気持ちになった。

 この幸せを、他の奴らにも分けてあげるんだ。

 …その時はそう思って、行動に移していったのだ。


 俺はそれから何度か適当な人間を見つくろって穴を空けていったのだが、そうすると伝えると皆顔色を失って命乞いし、俺はそれを聞き流して敢行した。けれどたいていの奴は絶命してしまい、生き残る人間はほとんどいなかったし、いてもどこかへ行って行方が分からなくなってしまった。

 そんな日々を送っていたら、ある女の子の警察官にあっさりつかまり、俺は妙な機関に搬送はんそうされた。

 てっきり裁判にかけられると思っていたし、処刑されるだろうと覚悟していたから当てが外れたけど、そこでは意外な出来事が俺を待ち構えていた。


 俺はそこで陰気な顔をした男に出会った。初めは暗いただの変な奴と思っていたが、ある夜独房のベッドで横になっていると、何やら話し声が聞こえてきた。

 ただの雑談かと思ったが途中で調子が変わり(どうやらそれは例の男の声だった)まるで呪詛じゅそのようなそれでいて甘い調べのような、けれど静かなのに絶叫しているような不思議な音色だった。

 思わず聞き耳を立てていると、喉が詰まるような別の声もかすかに聞こえて、不審ふしんに思ったがやがてその声は静まり、甘やかなそれもいつの間にか消えてしまっていた。それで気にせずにそのまま寝入ったら、翌朝刑吏官けいりかんたちがあわただしく走り回っていて、俺の斜め前にいた妙に鼻筋の通った男は姿を消していた。


 ――もしかして、これは。

 俺はある事に思い当たる。あの時、その男の声をかすかだが聞いたような気がした。あの陰気な男は、手を使わずに奴を殺したんだろうか。

 その考えに思い至ると、俺の身体は喜びに震えた。

 …そうか、あいつか。

 おれは思わず笑いだす。こんな近くに救いがあったなんて。


 あの自宅での出来事で俺は救われたと思っていたけれど、やはりそれは中途半端なものだった。気にならなくなったと言っても、数字は少なからず俺を苦しめたし、あいかわらず孤独だった。


 けれど、あの男は。

 あいつも人を救っている。彼をこの世という苦しみから解放した。

 ──そして、あの声の響きは。

 俺は知っている。あれは、何かに絶望した者しか出せない音だ。あの男も心に穴が空いていて、言葉だけで人を殺すことができる。

 あの声は甘い毒だ。を耳に流しこむとそれで脳内がいっぱいになり、死に至る事ができるのだ。

 なんて素晴らしいのだろう。俺は踊りだしたいような気分になる。


 けれど、あの男は不愛想ぶあいそうで声をかけてもまるで反応がない。

 …まあ仕方がないか。

 俺は少々手こずっている事にかえって楽しさを感じて、今日も男にちょっかいをかける。

 楽しい事は、少しでも長い方がいい。

 ──いつか、を俺のために使ってくれ。その日が来るのを心待ちにしている。

 俺はそう心の中で彼に語りかけた。


 了

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