第6話 サクリファイス(お題 犠牲)

「兄ちゃーん」

 ふり向くと、にこにこと笑いながらその子はこちらにかけてきた。

与一よいちか。どうした」

 僕がそう言うと、うれしそうに抱きついてくる。

「…今日も遊べる?」

 まろいほっぺを赤くしながら首をかしげてそう聞いた。

「母ちゃんの手伝いがだいたい終わったからいいぞ」

「わーい!」

 彼は嬉しそうに跳びはねている。

 この子はうちの近所に住んでいて、年も3,4つくらいしか変わらないのでよく遊びに来たりしている。僕も慕ってこられるのが嬉しくて、一緒に遊んでいるのだった。


「なにして遊ぶ?」

「そうだな……かくれんぼとか?」

「わかったー」

 そうやってその日も1日が暮れていくのだった。


***


 ある日、村人の1人がつぶやいた。

「……雨がなかなか降らないな」

 彼の言うとおり、ここの所まったく雨雲を見かけないのだった。

 そのうち降るだろうとみな思っていたようだがひと月、ふた月と経つうちにだんだんと深刻な顔になっていった。


「え――」

 それを聞いて僕は唖然としていた。

「今なんて……」

 母ちゃんにもう一度聞きなおす。

「だから、与一君が選ばれたんよ。人柱に」

 僕は耳を疑う。

「だって……あの子はまだ八つにも……」

「だからよ。人柱は数えで十になる前の男の子が選ばれるから……」

 言いながら気が引けるのか、目を反らして続ける。

 僕は、ぽかんと口を開けたまま母親の話を聞いていた。

 干ばつが続くと、村から小さな男の子が1人選ばれて人柱にされる。

 その事は前から知っていたけれど、実際に身近に起こるといまいち実感がわいてこない。


「そんな…あいつは本当に小さいのに……まだ何も分かってないんだぞ…」

 そう言いながら、どこか他人事ひとごとのような気がしていた。


***


 母親からその話を聞いてから、まだ一度も与一とは会っていなかった。

 どんな顔をして会ったらいいか分からなかったし、あの子もふさぎ込んでずっと家から出ていないらしい。心配だったけれど、僕にはどうしようもなかった。


 そして、ついに儀式の日が訪れた。僕はそんなものになど出たくなくて、ずっと閉じこもっていた。本来は村の者全てが参加しなければいけなかったが、僕とあの子の仲を皆知っているのか、無理に行かせようとはしなかった。

 何もせず、じりじりとただ時だけが過ぎていく。

 昼も過ぎた頃だろうか、不意に子供の泣き声がしたような気がした。

 それは聞き覚えのある声だった。

「……与一!」

 僕はそう言うと、家から出て外へ走り出す。

 半里ほど全速力でけ続け、息が切れて肺が痛み、もうこれ以上一歩も進めないと思ったころ、雨乞あまごいの儀式を行っている場所へたどり着く。


 そこには、ほぼ村の人々が全員集まっていた。

 僕はふらつく足で人の波をかき分ける。誰かに呼び止められそうになったが他の者にたしなめられたのか、それ以上誰にもとがめられなかった。


 ――その先には、彼の姿はすでになかった。

 目の前にはただ、地面の土が3尺あまりの長さでこんもりと山になっているだけだった。


「…………」

 僕は思わず立ちつくす。

「どうして来なかったんだい」

 そう声をかけられ、振り返る。

「母ちゃん……」

「あの子はずっと待っていたよ。あんたの事を」

「与一は……」

 僕はのろのろと聞く。

「あの子はどんな様子だった……?」

「別にどうもしやしないよ。ただだまって運命を受け入れていた。穴が掘られて、そこに入れられる時になっても」

 彼女は言葉を続ける。

「ただ一粒、涙を流しただけだった。」


 僕はそれを聞いて視界がグラグラとゆれた。立っていられなくなり、思わずひざをつく。

「……お前も最後のお別れをしてやればよかったのに」

 そう言われて、茫然ぼうぜんとする。

 ……そうだ。もうあの子のまろい頬も、兄ちゃん兄ちゃんと呼ぶ声も、二度と目にする事も耳にする事もない。

 そう気づくと、ふいに視界がぼやけた。


 僕はうずくまり、顔を腕にうずめ声を上げて泣いた。

 涙は、後から後からあふれてきてきる事を知らなかった。


  了

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