閑話 朝日は曇天に覆われて

 ―七年前、千羽町の鴉天狗は絶滅した。

 千羽の霊山に集落を構えていた夜峰よみねと名乗る鴉天狗の一族の殆どは、八年前に退魔拾弐本家が一つ、宍戸ししどの退魔士が率いる一団との交戦により殆どが死亡。集落は焼失、霊山は交戦の影響故か土地ごと枯れてしまったこの事件は、災禍事変さいかじへんと呼ばれている。

 生き残ったのは族長であるおろしの子息である夜峰 はぎという男とその家族。彼はつゆという名の人間の女を娶っており、妻との間に二人の子、姉のしずくと下の子のまといを設けていた。妖と人間の間の子、即ち半妖と呼ばれる存在である。

 妖と人間の一家は枯れた霊山の麓に新たな居を構えたが、一年後に萩は何者かによって首を切られ殺害、妻の露と雫は首吊り死体として発見。纏の死体は胸元に包丁が刺さった状態で確認されたという。これにより、千羽の鴉天狗の血は途絶えた、そう思われていたのだが。


「…鴉天狗の絶滅から程無くして、千羽で一つの噂を聞くようになりました。死んだ鴉天狗の怨念が夜叉となり、恨みを晴らさんと悪人を喰い潰すと。…事実、およそ二年に渡り犯罪者を狙った未解決事件が多発していました。我々千羽組はこの事件の犯人を〈夜叉鴉やしゃがらす〉と呼称、調査を続けましたが…結局は姿さえ捉えられませんでした。全く、嘆かわしい話です」

 夜闇に少女は一人語る。透き通るような白の髪、値の張りそうな彼岸花の着物。そして、自らが人ならざる者だと示す獣の耳と尾。淑やかな雰囲気とは裏腹に何処か冷酷さを秘める少女は、まるで誰かに語り掛けるように言葉を紡ぐ。

「…一週間程前の話です。今になって卯野と蛇神が夜叉と呼び討伐を依頼したのは、ある喫茶の少女でした。結局は蛇神の言い掛かりとして討伐の話も無くなったのですが」

 白き獣は話を切って闇空を睨む。それを合図としたように風が吹き、舞う木の葉と共に人影を視界に入れる。

 黒に煌めく長い艶髪、影に溶け込むような黒の和服。そして、素顔を隠す天狗の面。獣の前に浮かぶ影は、透ける脚を獣に向けて。

「…わざわざ私を呼び付けたのです。代金として価値のあるお話、聞かせて貰いましょうか」

「勿論。そのつもりで君を呼んだんだ、白部のお姫様」


「…改めまして。私は千羽の主の娘、白部 響です。貴女は…夜叉鴉、で相違無いでしょうか」

「厳密には『七年前に噂になってた』夜叉、だけど。黒羽とかっていう、この前君達が追い掛けてた夜叉とは別人」

「…それでは、貴女は一体」

「気軽に纏って呼んで。正確には亡霊の残穢に近いけど」

 纏、と聞いて一瞬止まる。纏、即ち夜峰 纏。七年前に死体として発見されたという、鴉天狗の半妖。町の住人が噂として語っていた鴉天狗の怨念というのは、間違ってはいなかったのだろうか。亡霊の残穢とすると、成仏した後の残留思念のようなものなのだろうか。その割にはしっかりとした意思があるような気がするが。

「…さて、急に手紙で呼び立てた理由だけど。まず最初に一つ、昔に夜叉って呼ばれた私とあの黒羽って子は無関係だから。そっちの話は一切出来ないってこと、先に断っとくね」

「…本当に関係は無いのですね?」

「少なくとも私の方からは無い。あの子が夜叉の噂を知ってたかどうかは知らないけど、そもそも私もあの子も夜叉って名乗った覚えはないから。似てるからって同一人物扱いはやめてほしいな」

「そ、そうですか」

 年頃の少女らしく語る夜叉に拍子抜けする。怨念に狂った亡霊とは思えない程に落ち着いた態度、淡々としながらも柔らかい口調。天狗の面で顔は見えないが、きっと面の奥では少女らしい笑みを浮かべているのだろう。

「ま、私は黒羽って子の事知らないからここまでにして。…さて、本題だけど」

 固唾を呑む。あの夜叉がわざわざ私に伝えたい事とは、一体。一言一句聞き逃さぬよう、獣の耳を傾ける。

「………君達は暴霊獣を甘く見てる。アレは発生してから片付けるモノじゃない、根本から対処すべきモノ。放ってたらこの町滅びるよ」

「滅びる!?どういう事ですか、ソレ―」

「伝えたい事は伝えたから。それじゃ」

「待ってください!貴女は何を知って…」

 刹那、からんと面が落ちる音。其処に夜叉の姿は無く、元々消え入りそうだった妖力の気配さえ綺麗さっぱり無くなって。まるで狐に化かされたかのような感覚を抱きながら、獣の姫は天狗の面をそっと拾う。

「…聞き届けました、夜叉鴉―いいえ、纏さん。白部の姫の名に於いて、全力を以て対処致します」




 翌午前七時、喧しい雨音に耳を傾けながら珈琲を飲む朝。喫茶アヤカシの店内には私と客がもう一人、そして店主のはると店員の四人だけ。ラジオ放送が大雨洪水と暴風警報を伝える中、店員はそっと静かに立ち上がる。

「…あの、今日臨時休業なんですけど」

「仕方無いじゃない、黒羽君。学校も休校になって他に集まれる所無いのだもの」

「休校って家で大人しくしてろって意味ですよ。何準備中って札無視して入り浸ってるんですか」

「まぁまぁ、凪。折角遊びに来てくれたんだもの、ゆっくりして貰ったらいいじゃない」

「…あのですね、店主マスター。僕だって鬼じゃありません、この豪雨の中わざわざ訪ねてくれた幼馴染を突っ返す真似はしませんけど。…けれどですね」

 凪と呼ばれた深紫の髪の店員はエプロンを畳みながら溜息を溢し、そしてテーブル席に居座るもう一人の来客―ショートケーキを突く糸目の退魔士に視線を向けながら嫌悪を籠めて言葉を続ける。

「…友人でもなんでも無い奴を迎えられる程、優しくなんてなれませんよ」

「もぉ、お客さんにそんな事言わないの」

「休業中の店内に押し入ってきた奴は客と呼べません。さっさと追い返すべきです。というか追い返そうとしたのにアンタが許すから調子乗ってんですよあの日辻とかいう退魔士」

 ―どうやら凪は日辻の事がどうにも嫌いらしい。元々退魔士と妖というものは相性が悪いのだが、あの子が此処まで露骨に嫌悪を示す相手というのは久々に見た。一応二人共私の理解者であるのだから仲良くして欲しいとは願うのだが、そう上手く事が運ばないのが現実である。

「あっ、僕の話ぃ?お構いなくぅ」

「構うよ帰れよ偶蹄目!日辻の婆さんも空気読まないが曾孫も曾孫かよ邪魔なんだけど!」

「…黒羽君、ヒツジは鯨偶蹄目よ」

「あぁそうですか知識不足でごめんなさいね!というか僕羽生さん以外の退魔士心底嫌いなんだけどなぁ!?配慮が足りないと思うのですが改善願えますか!?」

 不満をぶつける凪をどうどうと宥める。凪の討伐依頼騒動から一週間、ようやく事後処理が片付いて平穏な日々が戻ってきた。二週間の謹慎を言い渡されていた日辻も今日付で復帰、こんな豪雨であっても普段と変わらぬ日常というものはある意味で心地良い。

「…ま、改善はまた今度ね。…日辻が戻ってきた以上、私達にはすべき事があるの。今日は喫茶を借りてやるべき事をやるって話になって、晴さんにお店貸して貰ったのよ」

「そういう事。…凪にも関係ある話みたいだから、今日くらいは我慢してね」

「…僕にも関係あるって…嗚呼、成程。それなら仕方無いか」

「助かるわ。…それじゃ、そろそろ始めましょうか。皆大好き、秘密の作戦会議と洒落込みましょうか」


「…それじゃ、最初に現状の整理ね。

 私達を取り巻く問題、それの根幹に関わるのは〈暴霊獣ボレズ〉と呼ばれる人造の魔獣、そして〈魔力妖力暴走薬シンカロン・ブースター〉という暴霊獣を生み出す薬。以後暴走薬ブースターと略すけど、これを魔力を持たないモノに打ち込む事で魔力を与え、暴霊獣という魔獣を発生させる。コレは白部組しらべぐみが関係者から絞り出した情報で、事実として私達が最初に交戦したのも発電機を核とした獣型の暴霊獣ね。…続き、日辻お願い」

「オッケー。元より魔力及び妖力を持つモノに打ち込めば、その性質を引き上げる…って薬の開発者は言ってたらしいけどぉ、実際のメカニズムとしては薬を打たれた対象の魔力妖力を暴走させる代物って事が発覚した。コレは僕の謹慎中にあった黒羽君の妖力を核とした鳥型の暴霊獣として一瞬だけ確認されたって聞いたけど…」

「…ま、僕はあの手のモノと相性悪いから分離出来たんだけど。…あの感じ、どっちにしろ『対象を核としてバケモノに変える』代物なんだろうね。千羽高校の教師も暴霊獣化してなかったとはいえ打たれてたって事は確定だし。…生物だろうと暴霊獣に変貌させて、恐らく何かしらの手段で投与から暴霊獣発生のタイミングを任意に操作、或いは設定出来る。…成程、随分と需要が明白だね?」

 凪の言葉に、セールスマンを名乗った退魔士が鳥型の暴霊獣に指示を出していた事を連想する。命令を聞く怪物、人間を怪物に変貌させる薬。加えてセールス、即ち商品としての提供。成程、この暴霊獣が齎すものは。

「…化学兵器によるテロリズム、か。蛇神の目的はテロを起こす方か、それとも暴走薬が齎す金銭の方か。どっちにしろ最悪ね。阻止するなり根本から潰すなり、対応は急がないと」

「…ま、そうなるんだよねぇ。ただ問題が色々あってぇ」

 頭を抱える日辻に凡そ察する。根本から抑えようにも相手は退魔拾弐本家が一つ、それも蛇神個人では無く派閥の退魔士ほぼ全て。はっきりいって多勢に無勢も良いところだ。私の魔力であっても制圧、及び殲滅は難しいだろう。

 ではテロそのものの阻止ではどうか。結論から言えば頑張れば何とか、運が良ければ何とか未然に防ぐ事が可能という話になってくる。即ち現実的では無い、と云うべきか。

「…一番現実的なのは蛇神家を告発、とかになってくるかなぁ。それでも拾弐本家の内半数を味方に付けないと…って話になるから結局厳しいんだけどねぇ…」

「…拾弐本家の内半数、となると六家ね。日辻の婆様さんは話通じるから良しとしてもあと五家…やっぱ無理じゃない?」

「そ、現状では無理。…けど、有希には拾弐本家の縁者と信頼を育むまたとない機会があるんだよねぇ」

「え」

 ―刹那、嫌な予感がした。つい二週間前に切り捨てたモノを、堆肥箱コンポスターの中に手を突っ込んで引き摺り出してくるような嫌悪感。利も益も無いと吐き捨てた択が、今目の前に再び現れる。

「…羽生さん、僕は推奨しませんよ。不快と嫌悪に満ち満ちたドブの道を征くくらいなら、当然迂回するべきです。それこそ退魔士の示す道なんて、碌な物じゃないと相場が決まってるじゃないですか」

「…迂回して被害増えるのはそれこそ本意じゃないわ。背に腹は代えられないもの、ソレで行きましょう」

 幼馴染の忠告を聞き入れ、けれど困難の道を征くと決断。その道が溝だろうが茨だろうが構わない。私の目的の為なら、あの蛇神に一泡吹かせられるなら、何が待ち構えていようと突き進むまで。

 ―それは、私が私である為に征くべき旅路。己が証明の為、羽生 有希という乙女は一歩を力強く踏み出すのだ。

「オーケー。なら雨止んだらもう一回行ってみよっか、生徒会に会いに」

 ―直に梅雨が明ける。私達の戦いが、本格的に幕を開けようとしていた。




「有希ちゃんと日辻くん、行っちゃったわね。もう少しゆっくりしていったら良かったのに」

「…次からは日辻の退魔士は出禁にしましょうね。やっぱり僕はアイツ嫌いです」

「あら、凪の私怨って珍しい。有希ちゃんと仲良くしてるから妬いちゃった?」

「妬いてませんから。ただ、何と言いますか―」


「―退魔士も妖も、自分自身も。全部嫌いなだけですよ」

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