File.7 悪食鴉のフッケバイン
高校のグラウンドで体操服の群れがぐるぐる回る。竹刀を持ったガラの悪い教師の下、体育の授業という名目で走らされる少年少女。学生相手に威張り散らす大人というものは、どうしてこうも嫌悪を覚えるのだろう。
「おい羽生!やる気あんのか!」
「…るっさいなぁ、ゴリ先」
「誰がゴリ先だ!
とはいえ、不良少女と呼ばれる私だってたまには真面目に授業を受ける事だってある。教師は嫌いだが別に勉学自体が嫌いな訳ではない。そもそも学生たるもの授業の出席は必要なものだ。そこまで怪訝な顔をされても困るのだが。
「下手にサボったり抜け出したりしたら謹慎伸びるもんねぇ、有希」
「…授業中よ、日辻。というかお前のほうが謹慎長いでしょ」
「気にしてるんだから言わないで欲しいなぁ…。帰ってからもババ…ごほん。ウチの曾祖母さんにこってり絞られたしぃ」
悪態を吐きながら苦笑し並走する彼の言葉を華麗に受け流す。謹慎とは言っても中身は真っ直ぐ学校に行って真っ直ぐ帰って、後は喧嘩や退魔士の事件に首を突っ込まずに大人しくするくらいのものだ。つまるところ、サボらないという一点を除いては今までの生活と特段何か変わる訳ではない。
「…ま、寄り道はするなって冥さんに釘刺されたのだけどね。はぁ…喫茶のケーキセット、一週間お預けかぁ…」
「喫茶って喫茶アヤカシだっけぇ?僕は行った事無いけど美味しいのぉ?」
「美味しいも何も世界を獲ったバリスタの店よ。珈琲もだけど、紅茶もケーキも軽食も一級品。こんな辺鄙な田舎じゃなくて都会に店舗構えてたらすぐに星が付いたでしょうね―」
「そこ!私語うるさいぞ!」
「お前の方がうるさいわよ」
「よーし止まれ。今から指導してやる。実刑だ」
―そう、変わらない。ただサボりという逃げ道を塞がれただけ。校舎を縄張りとする害獣のストレスの捌け口にされる日常だって、決して変わりはしないのだ。
「………有希ぃ?生きてるぅ?」
「…無理、やっぱ教師ってクソね」
帰り道で蛇眼の乙女らしく毒を吐く。六時限目の授業を終える頃には、私の心の内に再び嫌悪と拒絶とその他諸々の負の感情に埋め尽くされていた。
原因は当然ながら教師との衝突。五、六時限目を担当した
「…普段から罵詈雑言ばかり吐き捨てて、歯向かえば暴行と。…よく告発されてないわね、あの暴力教師」
「あー、一応告発とか相談は上がってるし生徒会も何回か対応してるんだけどねぇ…。濁川、教育委員会に伝手あるらしくて全部揉み消されててぇ」
「ふぅん。…ところで日辻、トイッターみたいなSNSとかってやってなかったっけ」
「見る専、フォロワーゼロの鍵アカだけ。…有希が思ってるような拡散は難しいし、何より被害者のプライバシーまで割れるようなリスクがある以上、それに頼るのは最終手段だからねぇ?」
「………あぁもぉ!それなら私のこの眼で…!」
「一般人への魔眼は普通に駄目。というか退魔士の戦いじゃないんだから暴力を暴力で抑えても何も解決しない」
提案の尽くを一蹴する無慈悲な幼馴染に頬を膨らませて抗議する。理不尽を撒き散らす屑の大人に未成年の私達が取れる手段は数あれど、その殆どは望む結果を伴わずに終わる。寧ろ状況が悪化する可能性もあるのなら、実行さえも慎重になるしかない。
「…焦らない方がいい。別に生徒会だって何もしてないワケじゃない。ちゃんと事例を積み上げて積み上げて、逃げ場を塞ぐ準備をしてる。だからそれまでは」
「………耐えろって?バッカじゃないの、体罰問題は自殺者も出るケースだってあるわ、心が壊れる様を放置なんて悪手も悪手よ」
「だからって逸ると今までみたいに揉み消される。せめてもう少し記録事例を増やすか、何か起こってからのアクションじゃないと今までと何も変わらない。寧ろ恨みを買ってエスカレートする」
「………なら、どうしろって言うのよ」
諭すような、それでいて冷め切った声に対して絞り出した声は悔しさに震えていた。
暴力に訴えるのは簡単だ。暴力教師濁川の罵詈雑言は喉を潰せば止められる。殴る蹴るの暴行は四肢を千切れば止められる。効率を求めるなら縊り殺すという択もある。そうすれば多くを傷付けた言葉も暴力も二度と振るえない。
けれど、それは日辻が言ったように全てを解決出来る手段ではない。暴力を死傷で黙らせるのは、恐怖を取り払うのではなく別の恐怖に塗り替えるという事。それがどんなに恐ろしい事か、私は嫌になるくらいに理解している。これは最後の手段にしてもいけない、選んではいけない道なのだろう。
「………わかった。僕は謹慎中だから卯野先輩に話通してみる。でも準備とかで一週間は掛かるだろうから、それまでは」
「…えぇ、焦らないし逸らないって約束する。…お願いね、日辻」
了解、と返された言葉を聞いて彼と別れ、稲が植えられたばかりの水田を見遣りながら帰路を行く。退魔士としてではなく、一人の平穏を願う学生としての戦いが、今此処に幕を開けた。
―――そして、その演劇幕は壊れたように落ちて行く。
「…人を探しています。濁川
「あぁ?ガキが来るところじゃねぇぞ、帰れ帰れ!」
手当たり次第に男を探す。妖が闊歩する夜の千羽、その繁華街でメモ帳片手に進める人捜しは、想像以上に難航していて。
「…
「うわあああああん!やっぱり妖は怖いですう!」
「………貴女、一応退魔士ですよね」
理由の一つは仕事相手のメンタルの弱さ。眼前で涙目になっている空色のツインテールの少女、生徒会に所属する退魔士の卯野
「…怖いなら帰っていいですよ。人捜しなら一人でも出来ますし。例の暴力教師探し出してボロ出させるくらいならどうとでもなりますから」
「い、いいえ。日辻君に頼まれてますから。私も先輩として頑張らないとっ」
「そうですか。…まったくもぉ」
震える手を胸に当てる退魔士に嘆息で返し、再びメモ帳とボールペン片手に調査に赴く。全く、昨日の喧嘩の仲裁に協力した見返りとして彼女に帯同して欲しいだなんて、日辻の婆さんは何を考えているのだろうか。
「あ、あのっ、
「はい。何か手掛かりありましたか」
「…その、手、握っていいですか。まだ、その、怖くて」
「………貴女、本当に拾弐本家の退魔士なんですよね?」
再び盛大に溜息。確か彼女も退魔拾弐本家に名を連ねる卯野家の息女である優秀な退魔士である筈なのだが、その割には弱気が過ぎるというか。そういえば卯野と牛若とかいう退魔士は昨日の喧嘩では早々に避難していと聞いた。恐らく普段は現場に出向かない裏方寄りの立場なのだろう。
「…取り敢えず、一度場所を変えましょうか。歩きっぱなしで疲れたでしょう」
「…そ、そうですね。取り敢えずどこかでご飯でも食べながら休憩しましょうか」
進展は無し、というよりマイナスに傾く結果になった。妖の領域に退魔士が赴くだけで警戒されるのに、聞き込みまでしようものなら拒絶が待っているのは目に見えていた。それでも有希や日辻の婆さんのように強気に出られるなら成果を出せたかもしれないが、弱気な卯野では対話さえ難しかっただろう。とぼとぼと歩く彼女の後ろ姿を見遣りながらそんな事を考えて、三度吐く息と共に憐憫を向ける。
―けれど、僕だって能力に見合った仕事が出来ているかと聞かれれば自信は無い。マフラーを靡かせる少女の影は不安になるくらいに小さくて、先刻の調査でも童女の姿に小馬鹿にするような態度で返されて。他人の成果を笑えない程度には、僕も結果を出せなくて。水溜りに映る似姿を苛立ち混じりに踏み抜いて、泥水の飛沫を撒き散らす。
「…おい、そこのガキ。よくも俺の着物を汚してくれたな」
嗚呼、本当に嫌になる。日辻の婆さんには面倒を押し付けられて、卯野との調査は先が見えなくて。その上、何か嫌な気配も感じるときた。今日は厄日か何かだろうか。
「…あ、あの。黒羽さん」
「あ、すみません。卯野さんの服汚してしまいましたか」
「いや違います違いますって!その、黒羽さんの後ろにいる人が…」
「ナメやがって!俺を誰だと思ってやがる!」
唯一の救いは卯野さんの服が汚れていない事くらい。退魔士は苦手だが仕事相手に迷惑を掛けるのは本意では無い。良かった、泥水飛んだのが彼女の方向ではなくて。
「そんな事より何食べるか考えましょう。炭火焼きは多分外れ無いと思うんですけど―」
「馬鹿にしやがって…!もういい、テメェは俺の服を汚した罪と無視しやがった罪で死刑だ、今すぐ殺してやる!」
四度目の歎息は影の中で。少女の影に覆い被さる巨躯の輪郭は正に腕を振り下ろさんとする。全く、今日はどうしようもないくらいに厄が降り注ぐ日らしい。
「逃げて!死んじゃいますよ!?」
「死刑ェエエエエエエエエエエエ―」
「―――さっきから煩いなぁ中年野郎!」
―刹那、巨躯の影が三つに割れる。耳障りな絶叫と共に振り上げられた両の腕は、振り下ろされる事無く宙を舞った。決して隠喩でも直喩でも無く、男の身体から切り離されて鮮血を撒き散らしながら宙で回り。
「………ガアアアアア!?腕が、俺の腕がああああ!?」
ぼとり。男の眼の前に転がった一対の腕に、周囲の町人が男の絶叫に合わせるように騒ぎ立てる。多くが突如として目の当たりにした残酷な景色に逃げ惑い、或る者はソプラノコーラスのような悲鳴を上げ、また或る者は泡を吹いて倒れ伏し。一瞬で恐慌に包まれた繁華街の真ん中で、静かに短刀の血を払う。
「…く、黒羽さん?今、何を…」
「何って、自衛ですよ。殺意には逃亡か敵意で応えるかの二択です、この町では常識ですよ」
「だからって…ここまでする必要は…!」
「綺麗事では拳は止められませんよ。馬鹿なんです?」
丁寧に拭いた刃を仕舞いながら退魔士の声に何度目かの嘆声で返す。退魔士と妖が共存するこの魔境で生きる以上、常識も綺麗事も生存の枷になるだけだ。何処かの誰かは暴力を暴力で抑えても意味が無いなんて綺麗事を並べていそうだが、そんなものでは何も守れないし何も救えない。目には目を、歯には歯を。悪を潰すには悪意で応えるのは、法典でも良く聞く世界の道理なのだ。
「…さてと、そこの脚付き達磨。謝罪があるなら聞くけど」
「あ…あぁ…うで…」
「…はぁ、ショックで口聞けなくなったか。…それじゃあ卯野さん、コイツの件だけ片付けてから教師探しを―」
「大丈夫ですか濁川先生!待ってて、今牛若さんに連絡しますから―」
「………はぇっ?」
脚付き達磨に駆け寄る退魔士、恐慌したまま瞳を閉じる濁川と呼ばれた男。腑抜けた声から一拍置いて全てを察して、僕は返り血を拭いながら今日一番の息を吐いた。
「…おかしいな。退魔士ぽい気配した気がしたんだけど」
「………は?あの子が両腕を斬り落とした?」
『た、確かにこの目で見ました。自衛と言っていましたが、明らかに過剰防衛ですよ』
携帯電話の向こう側の卯野の声に不信を抱いて問い質す。曰く、まず初めに日辻が卯野に濁川の調査を依頼した際に日辻家当主の
『濁川先生、傷は治ったけど心の方はまだ治らないみたいです。…いくら相手が暴力教師だからって、個人が普通の人間を害していい理由なんて―』
「抵抗しなければ死んでいた。退魔士や妖の世界ではよくある事だと思うのだけど」
『…そうですね。なので本来は放置か白部組に任せるんですけど、今回は少し事情がありまして』
「………何よ、事情って」
息を飲む。こういう話の切り出しに続くのは大抵嫌な内容だ。本当なら今すぐにでも通話を切りたいが、今回ばかりはあの子が関わっている。面倒だの嫌いだのと苛立っている場合ではない。
『…実は、今回の件を本家に報告した結果、過去にも腕や四肢の切断といった類似事件が十数件確認されました。その事件の犯人はマフラーを靡かせる少女の姿をしていたとされていますが』
「…それって、七年くらい前よね」
『…ええ。ですが容姿も手口も類似しています。これを受け、卯野家は黒羽
「………は?」
―討伐?何を言っているの。あの子が自分の為に誰かを傷付けるなんてあり得ない。あの子はただの被害者で、ただの私の幼馴染で、そして私の恩人というだけで。救う為に生きるあの子を、退魔士は悪と断じて殺すというの?
『…羽生さんと日辻の当主様は彼女と交流がある事は存じています。ですが、気の向く儘に他を害する妖を放置する訳にはいかないのです』
電話口の卯野の声は至って冷静だった。その発言は虚言でも身勝手に満ちたものでもなく、彼女なりに手段を探った結果として綴った言葉なのだろう。事情も理屈も理解出来る。あの子の刃が罪無き側へ向くのなら、私にもそれを止める責任はあるのだろう。
…けれど、それでも。私にとってあの子は、纏は。
『…わかっています、なので返答は急ぎません。ですが、少しでも貴女に正義の心があるのなら』
―――そして、千羽町は少しずつ狂っていく。
『退魔拾弐本家より、〈
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