File.6 私の価値、魔眼の価値

 その乙女は、喧嘩というものに慣れていた。退魔士としての戦は経験無くとも、人間としての戦いには人一倍向いていた。

 それは単に殴る蹴るの喧嘩が強かっただけではない。凶器や兵器、体術のような戦闘技術に関する知恵は勿論、作戦構築や情報戦のような搦手にまで精通した、言わば戦闘のスペシャリストと呼べるものだ。

 無論、世間的には決して褒められるような力ではなく、当然ながら望んで会得したものでもない。乙女の敵に抗う内に身に付いた、負の産物のようなもの。この眼と同じで行使しないのが一番の呪物。決していたずらに振るう力ではなく、悦楽の為に振るう技ではなく。


 ―けれど、仕方無いでしょう?暴力に綺麗事を訴えたところで止まらないのだから。




 乙女の視界を紅が舞う。骨を砕く音と共に八十二キロの巨躯を打ち上げる掌底、砕け散った教室の備品。つい五分前まで整頓されていた生徒会室は、今や竜巻の通った後のようにボロボロで。

「…クッソ、このアバズレ…!何処にそんな力があるってんだ…!」

 吹き飛ばされながら吐き捨てるとらの退魔士。たつうまの青年は多量の綿に拘束されて行動不能、うしうさぎの少女は戦闘に向かない為に避難。ねずみひつじの退魔が静かに見守る戦いは、最早喧嘩と呼ぶより蹂躙に近く。

「あーあ、有希を怒らせるからこうなるんだぁ」

「…このっ…放せ日辻…!生徒会への反逆だぞ…!」

「…先に騙したのは君達でしょお、相馬。有希の喧嘩の邪魔されても困るから大人しくしててねぇ」

「無駄だよ相馬君。この辰宮の魔力も君の魔力も、日辻君の綿からの脱出は不可能だ」

 退魔士同士の魔力には相性があるという。例えば植物を操る退魔士が炎の退魔士に手も足も出ないように、魔力の相性によっては格上相手だろうと敗北を喫する事もある。辰宮の魔力も相馬の魔力も、日辻の『合成綿』による拘束を抜けるには些か不都合であるらしい。

 それでは、私の喧嘩はどうだろうか。日辻によると相対する寅居の魔力は『獣人化』、自らを虎のような獣人の姿に変える魔力。その筋力と瞬発力、鋭い爪による近接戦闘を得意とする、千羽の退魔士の中でも上位に入る実力者だと聞く。

「テメェ!さっさと俺の爪に引き裂かれろッ!」

「…はぁ、愚直ね。というか愚鈍ね?」

 ーそんな他称強者の攻撃を、嘆息と共にゆらりと躱す。獣の如きはやく鋭い猛虎の如き猛攻は、既に私の敵ではない。

 生憎、獣相手の戦ならつい最近経験した。その速度には対応出来る、その一撃は予測出来る。レンズを通さずに見る世界なら、私の眼は広く機能する。

「…それにしても、彼女。寅居君の行動、全部見切っているね?」

「そりゃ眼鏡無しだからねぇ。…有希の魔眼は止めるだけじゃない、魔力の流れだって視えるから」

 教室を荒し回る寅の退魔士、その動きは実に単調だ。撹乱するように外周を回りながら様子を伺い、時を見計らって一撃を狙う。単純ながらも理に適った戦法のようにみえて、結局はアクションゲームの中ボスのようなパターン化された行動ルーチン。力を籠める瞬間の魔力の流れを視れば、攻撃のタイミングや動きは簡単に見切れるものだ。

「ナメやがって…!いい加減に喰らいやがれッ!」

「…もう飽きた。そうね、そろそろ終わらせましょうか」

 故に、反撃カウンターだって容易く狙える。飛び込んで来る獣人の爪を跳び上がってひらりと躱し、瞬間にその背に掌底を添える。敵の速度に私の一撃を載せたソレは、最大威力の破砕と転ず。

「―『無手逆流ゼロアクト』!」

 一撃に伴い鳴る轟音、穿つ床板。ついでに衝撃に依って割れる窓ガラス。粗野な言葉ばかり放つ寅の口は、いとも容易く塞がれた。

「…何が…起こった…?寅居先輩が身体強化無しで沈められるなんて…」

「…成程、発勁はっけい。白部の幹部も斃したというのは嘘では無さそうだ」

 ―発勁、中国武術に於ける「気」を発する技術。相馬の言う身体強化とやらは使えない私でも、喧嘩場に立つ為の心得くらいは身に付けている。魔眼の停止に頼らずとも、このくらいは余裕なのだ。

「…ふぅ、準備運動くらいにはなったかしら。…それで?全員縊る気でいたのだけど、そこの狐クン黙らせてる間に数減ってない?」

「牛若先輩と卯野先輩は直接戦闘向きじゃないから避難したよぉ?相馬と辰宮は見ての通り僕が抑えてるけどぉ…あとそれ狐じゃなくて寅居先輩ねぇ?」

「狐でしょ、虎の威を借りてる」

「…なるほど、言えてるねぇ」

 眼鏡を掛け直し、改めて現状を確認する。この寅居とかいうソフトモヒカンは沈黙、相馬と辰宮は意識こそあるが日辻の魔力綿に絡まり行動不能。あの乳牛馬鹿うしわかと卯野とかいう白衣が避難したとなると、残るは動じる事無く眼前に立つ子の退魔士一人。私の友を騙し、私の価値を侮蔑した仇敵に敵意を隠すことなく向けてみる。

「…随分派手に壊してくれたね。これだけ暴れれば満足かい?」

「ハッ、まさか。まぁ日辻を騙した件と私を侮辱した件、ちゃんと謝ってくれるのなら考え直してあげても構わないのだけど?」

 ―本当ならば、今すぐ根住も縊ってやりたい。けれど彼の魔力の性質上、このまま突っ込めば最悪の状況に至る可能性もある。

 根住は自身の魔力を『拝借』、他者の魔力の性質を借り受けると称していた。私の魔眼をも求めた事から拝借の数に限りは無く、恐らくは生徒会全員の魔力を行使出来るのだろう。この推察が正しければ、このままだと。

(日辻。根住もお前の魔力使えるの?)

(…口車に乗せられる形で獲られた。別にオレが魔力使えなくなる訳でも無いんだけど、『拝借』って言うだけあって返すかどうかの権利は向こうにあるんだよ)

(…やっぱり綿持ってんのね。大問題じゃない、ソレ…)

 日辻と目線で会話して、当たって欲しくなかった推理の的中を知る。勿論日辻が魔力を無断で借りられているのも気に食わないが、この状況において一番嫌なのはその先だ。

「謝るのならそれでおしまい、謝らないなら日辻が抑えてるそこの二人もお前も、ついでに退避してる残りも縊る。賢明な生徒会長サマならどっちが適解か判るわよね?」

 ―お願い、頭を下げて。寅居を完膚無きまでに叩き潰した私に恐れをなして。辰宮と相馬は日辻がすぐに仕留められる、それはお前だって理解している筈。人質の意味を理解している賢人であって。もし交戦の道を選ぶ愚者であったとしたら、私は。

「…脅しのつもりか?」

「手加減なんて出来ないって話よ。…お願い。これ以上、私の殺意を煽らないで」

 刹那、眼鏡の奥の魔眼に痛みが奔る。灼けるような、崩れるような痛み。魔眼封じの眼鏡が無ければ今にも暴走寸前の、敵意に満ちる魔力の流動。

 ―そもそも、私は退魔士という存在が嫌いなのだ。我欲の為に他者の命を、幸せを食い物にしてきた屑ばかり見てきた私の本能が、その存在を嫌悪する。彼等が眼前にいるだけでも嫌気吐気がするのに、私の価値を、友の純粋性を侮辱した。それでとっくにツーアウトだったのにまた奴は私の琴線に触れた。謝罪の一つでも無ければ、これ以上の自制は無理。

「…俺には生徒会長という立場が、そして退魔拾弐本家の跡取りという立場がある。下手に頭を下げてしまえば、多くを失望させてしまう」

「…あっそ。なら、死んでも知らないから」

 刀を抜く眼前の退魔士に対し心を研ぎ澄ましてゆっくりと眼鏡を外す。蛇の瞳は黄金の色から珊瑚の紅に、その性質も停止から変わり。

「…日辻、止めなくていいのか」

「止めたいなら相馬が止めればいい。…オレはいつでも有希の味方だから」

 ―嗚呼、やはり最悪の状況だ。ここまで来た以上、この魔眼は止まらない。遥か昔の怪物のようにただ一時の情の為に多くを殺し屠るのだろう。けれどもそんな事はどうでもいい。これは私の、日辻の誇りを守る為の力なのだ。人間の命なんてどうでもいい。お前達はただ、怪物の手向けとなればいい。

「…俺の仲間を巻き込むつもりなら、全力で斬る」

「魔眼、解放。…みんなみんな、私の為に死ねばいい!」

 刀が振り下ろされる寸前、力を込める。私の瞳は、世界を灰に染め上げる―




「はい、喧嘩そこまで」

 瞬間、視界に入ったのは碧一色。聞き覚えのある少女の声が根住との間に入ったかと思うと、視界が翡翠色の布に覆われていた。

「…この声、まさか―」

「…貴方も止まって、生徒会の方。…小刀で抑えるのもしんどいんですよ」

 視界を覆う布地を解き、籠めた魔力を解いて世界を視る。手にした布はマフラーとして声の主に繋がり、その彼女は振り下ろされた筈の根住の一撃を小刀で止めていた。

「早く」

 訴えかけるような菫色の瞳に力を緩め、刀をゆっくりと鞘に収める。私達の殺し合いの間に割って入った紫髪のその少女は、喫茶で良く見た顔だった。

「黒羽君!?どうして此処に―」

「…僕だけじゃないですよ、羽生さん。保護者の方も来てます」

「保護者って―」

 どごん。聞き終える前に脳天を奔る衝撃。私のみならず順番に退魔士の頭を叩いて回るその背の威圧に思わず血の気が引いていく。全く、黒羽君はなんて人を連れてきてくれのだろうか。

「有希!大吉だいきち!あと完二かんじ!ガキの癖に殺し合いなんざしてんじゃないよ!」

「…チッ、ババァか」

 舌打ちする日辻に怒号の主である銀髪の老婆は睨みを利かせる。御年一二五歳とは思えぬ気力と魔力、そして歴戦の猛者の如き気迫にボロボロの生徒会室内はしんと静まり返っていた。

「…まさか、日辻家当主のめいさんとは。生徒会に一体何の御用です?」

「アンタらが暴れてるって聞いて老体に鞭打って来たんだよ。子供の喧嘩に介入するつもりは無いが、喧嘩の範疇に収まらないなら出張るしか無いだろ?」

 怒りの混じる冥と呼ばれた当主の声に黒羽君を除くその場の全員が姿勢を正す。一人ずつ拳骨を戴いたお陰でこれから起こる出来事は大体把握出来た。即ち、お説教の時間である。

「…牛若、卯野。殴り合いは終わってるから出ておいで。喧嘩の流れを教えてくれるかい?」

「は、はいっ。えーっと、まずですね…」


「…つまり、事情を隠して羽生さんの魔力を手に入れようとしたのが根住さん主導の生徒会。それに憤慨して喧嘩を打ったのが羽生さん。その時に牛若さんと卯野さんは避難、寅居さんは率先して喧嘩を買ったが負けたと」

「…つまりどっちもどっちって事かい。…さっきも言ったけど、子供の喧嘩に口出しするつもりは無いんだけどねぇ」

 呆れるような日辻の当主の声に悪寒が走る。ようやく冷えた頭で経緯を省みてみれば、確かに私も随分と短期で動いてしまったのだろう。寅居とやらを鎮めた後は冷静になるタイミングもあった筈なのに、相手を理由に自身の怒りを正当化しようとしてしまった。悲しいかな、「ああすれば良かった」なんて反省と後悔はいつだって付き纏うものらしい。

「…有希はちゃんと理解して反省してるみたいだね。アンタは昔っから視野が狭くなりがちだからねぇ、もう少し長い目で動いてもいいんじゃないか」

「…ごめんなさい、冥さん。誘拐とか魔獣とかで冷静さ失くしてました」

 しおらしく下げた頭を皺だらけの掌が優しく撫でる。きっと立て続けに発生した事件のせいで自分のペースが判らなくなっていたのだろう。私もこれを期に一度腰を降ろしてみるべきだろうか。

「…根住のせがれは…逸ったね、コレ。有希が白部の幹部と接触…だけじゃないか。蛇神の当主あたりに急かされたのかね?」

「…まぁ、大体合っています。俺はあくまで本家から急かされたという形ですが、日辻家当主が知らないとなると主語が大きくなっただけですか」

 根住の言葉にうんと唸る。私に対しての接触を急かすような相手なんて見に覚えが無いが、行動の早さを鑑みるに一つだけ心当たりがある。例の誘拐事件に魔獣出現、その裏で手を引いている可能性のある退魔の当主といえば、それは。

「…成程、お互い対話は試みてるけど最終的に殺し合い手前と。…相馬と辰宮の倅は交戦未遂で謹慎一日、寅居の倅は交戦と教室の損壊で謹慎二日。有希と大吉、アンタらは一歩遅かったら両方死にかけてただろうね。流石にやり過ぎ、謹慎七日」

「「…本当にすみませんでした」」

 横で正座する根住と合わせて頭を下げる。しかし、殺す手前で謹慎七日とは思った以上に軽い処罰のような気がする。これが普通の人間相手なら殺人未遂で刑事罰になると考えると、随分と情状酌量を汲んでくれたのだろうか。それとも同じ退魔士に甘いだけなのか。

「…良かったぁ、牛若副会長と私は処罰無しですね…。もしかして日辻君も…?」

「んな訳無いだろ卯野の嬢ちゃん。この馬鹿曾孫は有希を止めれたのに止めなかったから謹慎半月だよ」

「えっ」

 ………訂正、冥さんには甘さなんて存在しない。突如として一番重い処罰を頂戴した日辻の素っ頓狂な声に、当主の老婆は呆れた様子で言葉を続けた。

「…殺すつもりだって判ってるのに有希を止めるどころか肯定するのは退魔士以前の問題なのが判らないかい馬鹿曾孫。理解者だとか友人っていうのはイエスマンだけじゃ成り立たないんだよ」

「でも」

「…みんなあっちの世界に慣れ過ぎなんですよ。退魔士が立ってるのは切った張ったの横行してる世界なのは理解してますけど、そのせいで『殺す』って選択肢を簡単に選べてしまう。…良くないと思いますよ、そういうの」

 言い訳を遮るマフラーの少女の言葉にボロボロの生徒会室が沈黙する。

 そうだ、それは常識なのだ。例えどれだけ嫌悪するような相手でも、親の仇であろうとも、それらが生物であるという前提がある限りは命の存在が付き纏う。私達に知恵と理性がある以上、それを一時の感情で握り潰すという選択肢は本来選んではいけないものなのだ。私は人一倍それを理解していた筈なのに。我欲による殺戮を見た私は、奴等と同じに堕ちる道を歩んではいけないのに。

「…はぁ、猛省しないと」

「…ま、アンタら若いんだから大丈夫とは思うけどね。各々謹慎中にしっかり反省してくれればいいさね。それじゃ解散、ここの修繕は黒羽の嬢ちゃんがやっとくからさっさと帰んな」

「………はぇっ!?僕ですか!?」

 ―こうして、私達の喧嘩は幕を閉じる。結局私の立ち位置とか生徒会の退魔士との協力の話は宙に浮いてしまったけれど、きっと空中分解で終わるのだろう。謹慎期間を終えてお互い先に進んだとしても、私と彼等はきっと分かり合えないだろうから。

「…私の価値は、この魔眼だけじゃないのに」




『…それで?魔眼の女を引き入れる事には失敗したと』

『羽生とか言ったか。彼女も馬鹿だな、本家に仇なせば自らの命さえも危ういというのに』

『…それが、日辻の当主が出てきたと。白部の妖と共謀しているとの噂もありますし、後ろ盾が些か厄介かと』

『何、それなら我々も彼女と交友を築けば良いのです。簡単な話ですよ、各当主方』

『ほぉ?その物言い、何か策があるのか、蛇神の当主』

『えぇ、勿論。…我々の悲願の為に、必ずしやかの魔眼を手に入れてみせましょう』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る