弐・朝日は曇天に覆われて

File.5 生徒会ストラグル

 ―魔法使い、或いは魔術師。現代社会に於いて幻想だと吐き捨てられようと、未だ残る神秘の残滓。この国に於ける魔力持ちの人間は、その異能を振るう事を生業とした。一人は先を視る魔力で吉兆を占い、一人は癒やしの魔力で民を救い、またある一人は焔の魔力で敵を屠った。この日本に於ける魔力を持つ人間は〈陰陽師おんみょうじ〉として政治にも関わったと云う。

 彼等の活躍は飛鳥時代から平安時代までのものが主となる。有名所は安倍晴明あべのせいめい蘆屋道満あしやどうまん等だろうか。その道に於いて圧倒的な天才、或いは秀才の陰陽師達が頭角を現す中、対して欲望のままに力を振るうならず者同然の魔力持ちも多く存在したと云う。

 しかし、其処にある若者が現れた。若者は都の守護の為に力を用いて魔力持ちの人間を束ね、怪異―アヤカシに対抗する為の組織を作り上げたのだ。そして若者を含む拾弐の家が代表となり、今現在〈退魔士たいまし〉と呼ばれるようになった人間を纏める〈退魔拾弐本家たいまじゅうにほんけ〉を設立したという。

 そして現代、魔力や妖力といった神秘そのものが薄れ衰退しつつある二〇一七年時点に於いて、拾弐本家は日本の退魔士全体を纏める総本山と成った。


根住ねずみ牛若うしわか寅居とらい卯野うの辰宮たつみや蛇神へびがみ相馬そうま日辻ひつじ猿渡さわたり犬飼いぬかい鳥谷とりたに宍戸ししど。本家成立に携わったこれらの家は幹部として本家の運営に携わっている。退魔士のお偉方って表現が判りやすいかもです」

 ホワイトボードいっぱいの説明に目が眩む。千羽町の一角に位置する廃倉庫、そこで教鞭を執る少女の声を聴きながら、私は夢の世界に旅立とうとしていた。

「…はいそこ寝ない。知識を付けたいって言ったの羽生さんでしょう?」

「思った以上にしっかり講義してくれたものね…。流石に私でもキャパオーバーよ」

「…どうしても妖やら退魔士やら神秘に生きてるのは伝統とか歴史の積み重ねとかに拘りますからね。これでも大分前置き省いたんですけど」

 溜息を零しながら教壇代わりのコンテナボックスとホワイトボードを片付けるマフラーの少女姿に苦笑する。あまりにも密度の高い三十分程の講座は要点をなるべく絞って構成されていて、退魔士の世界に縁の無かった私でも理解しやすい良質なものだった。高校の授業もこのくらいは得るものが多いと助かるのだが。

「それにしても、黒羽君。貴女もあっち側とは離れてる筈なのに詳しいのね」

「拾弐本家の話に関しては妖にとっては常識に近いですからね。この拾弐の家の退魔士にだけは関わるな、っていうのは殆どの妖が親から聞かされる話ですから。……今となっては身に沁みて理解出来ますね」

 微笑みながらも影を落とす少女に声が詰まる。かつて彼女の故郷を焼いた宍戸の退魔士、先日の誘拐事件や霊獣襲撃に関与していると思われる蛇神の退魔士。実際に危害を加えてきた退魔士を知る身としては、当然ながらその存在に嫌悪を抱いている。

「……ま、僕はあっちに戻るつもりは無いんですけど。でも一応、嫌な予感するので忠告だけしておきます。…日辻さんみたいな退魔士って絶滅危惧種ですよ」

「…そうね、肝に命じておくわ」

 ―新緑の季節は終わりを告げた。待ち受ける嵐を越える為に、錆鉄の乙女は立ち上がる。




「……あのぉ、有希?」

「何」

「……もしかしてぇ、機嫌悪いのぉ?」

無気力ダウナーなのはいつもの事よ。今は敵を見極めるのに忙しいの」

「敵ってぇ…あぁ、この前のバケモノ?」

「いや、生徒会貴方達だけど」

 教室の空気が凍り付く。新品のアンダーリムフレームの眼鏡と錆鉄色の前髪から覗く蛇の瞳に、糸目の青年は返す言葉を見失ってしまう。

 ―私を取り巻く世界が変わったのは一月前。連続失踪事件に巻き込まれ、その裏で蠢く退魔士と妖の悪意を知った。私利私欲の為に他者を踏み躙る〈蛇神〉と呼ばれる外道、その存在を知った私を消そうとする悪意害意。簡単に命の灯火が消え果てるこの世界で、私は退く事無く前に進む決断をした。卑怯卑劣を見て見ぬ振り出来る程、賢くなんてなれなかったのだ。

「…あの、有希?確かに僕も蛇神と同じで拾弐本家の退魔士だけど、だからって有希の敵になるつもりなんて…」

「日辻の事は信用してるわよ、それなりに。けれど貴方も組織に身を置く以上、その組織が私の敵かどうかは見極めないといけない。何処から何処まで敵なのか、或いは何処まで私の利になるか。拾弐本家も、生徒会もね」

 淡々と述べる。現状や勢力図に不明瞭な点が多い以上、最初に求められるのは明瞭化だ。組織の在り方、方向性、主目的を洗い出し見極める。私にとっての『敵』の討滅といった利害が一致する相手か、或いは損得抜きで手を取り合えるのか。それとも協力を望めない相手か、彼等も『敵』となり得るのか。私の道にとって損となるか益となるか、この魔眼でしっかりと見定めなければ。

「………ところで、前に乳牛馬鹿うしわかが生徒会に勧誘してきたって話、してたかしら。ほら、退魔士を集めてるとかなんとか」

「うん、聞いたよぉ。なんなら会長も顔出してくれると助かるって言ってたしぃ。…あ、絶対入れって事じゃないからねぇ?立場上は生徒会だけどぉ、僕もあの人達好きって訳じゃないしねぇ…」

「当然よ、私だって嫌いな物を好きになんてなれないし。ただ、折角だし『挨拶』しなきゃと思ったくらいよ」




 私立千羽高校生徒会―その活動は大きく分けて二つ。一つは名前通りの生徒会活動、即ち学校行事の企画、運営や学区内のボランティア等だ。これが多くの学生、及び町民が認識する『表の顔』だ。

 そしてもう一つ、『裏の顔』としての活動が学校近辺に於ける対怪異事件への対処―即ち悪しき妖、退魔士の討伐である。

 前提としてこの町、千羽は人間と妖が共存する特異な町であり、他の地域と違って退魔士による妖の殺害は基本的に禁止されている。それは逆もまた然りであるのだが、時折ルールを破って人間を害する妖、妖を害する退魔士が現れる。そういった妖、退魔士絡みの事件への対応を生徒会が担っているのだ。

「…何が生徒会よ、ただの退魔士詰所じゃない」

「あはは、否定出来ないなぁ…。会長達には話通してるから、準備出来たらドア開けてね」

 放課後、説明を終えて苦笑する日辻と共に生徒会室の前に立つ。扉の向こうに立つ六つの魔力、この境界を開けば退魔士の群れと相対する事になる。もしお相手の側から敵と見做されたならば閉所で取り囲まれるのがオチだ。けれど、それでも引き下がる理由は無い。私はこの目で奴等を見極めると決めたのだから。

 ―――こん、こん、こん。三度響かせたドアの音に、どうぞと曇った女の声。改めて眼鏡と学生鞄を掛け直し、私は引き戸をがらりと開いた。




「失礼します。一年一組の羽生 有希、それと日辻 完二です」

「連れてきたよ、会長。…揉めないでねぇ?」

 頭を下げ、長い前髪と眼鏡で隠れた視線で周囲を見渡す。実習教室程の広さの部屋、その奥に片付けられた円卓テーブルと来賓用のソファー。そして私達を取り囲むように部屋の端に配置された五人の退魔士―修道服の乳牛馬鹿うしわかに柄の悪い不良男子、ツインテールと白衣の女と変なポーズで突っ立ってる片目隠れ、それとリクルートスーツを着た青年―私は間違えてコスプレ会場にでも入り込んでしまったのだろうか。

「…日辻、場所合ってる?」

「あー、皆仕事着で来てたんだぁ…」

「…帰っていいかしら」

 嘆きながら意識は部屋の中央に向ける。あのコスプレ退魔士共の真ん中で爽やかに微笑む鼠色の青年、彼が噂に聞く生徒会長だろう。絵具を乱雑に混ぜたような魔力の色に、警戒心を解く事なく相対する。

「ご足労感謝するよ、羽生君。改めて、俺が第三十一代千羽高校生徒会長を務める根住ねずみ 大吉だいきちだ。そこの修道服が副会長の牛若 アリア、白衣の彼女が書記の卯野うの かえで―」

 名前の列挙に嫌な予感がする。根住、牛若、卯野、それに日辻。その苗字は以前黒羽君から聞いた退魔士共のそれと一致して。

「日辻」

「…あのぉ、そのぉ、えっとねぇ?有希って退魔士なら誰でも嫌いだから別に良いかなーってぇ…」

「………まぁいいわ、ついでに拾弐本家も見極めればいいだけだもの。…ところで会長サマ?私に話があるって聞いたら伺ったのだけど、用件は何かしら」

 言葉に混じる嫌悪が濃度を増していく。無論、私だって相手が拾弐本家に連なる退魔士という理由だけで対話を拒絶するような馬鹿ではない。重要なのは彼等が私に齎す利の大小である以上、歩み寄る意思くらいは持ち合わせている。当然、益が無ければ踵は返すが。

「…そうだな、早速本題に入らせて貰おうか。先日も牛若から話があったと思うが、俺は君を退魔士として生徒会に勧誘したいと思っている。君が先日会敵したような怪異に対抗する為、是非とも力を貸して欲しい。牛若には一度断りを入れたと聞いたが、今一度力を貸してはくれないか」

 嗚呼、吐き気がする。言霊、或いは言葉に乗った魅力だろうか。爽やかながら私を懐柔するかのような玉音紛いの音階に、魂の底から嫌悪を示す。

「…悪いけど即答は出来ないわよ。私を勧誘して貴方達に何の得があるのか、私に何の益があるのか。そこを説明してもらわない限りは首を縦には振れないわ」

「成程、損益か。これも牛若から話があったと思うが、生徒会の目的は戦力の拡充だ。君達が先日邂逅したという暴霊獣ボレズという魔獣や悪しき妖といった強敵を相手取るには俺達は人手不足でね。君のような戦闘向きの魔力持ちが協力してくれると助かるんだよ」

「…結局、会長も魔眼目的かよ」

 ぼそっと苛立つように呟く日辻をどうどうと宥め、彼の言葉を真摯に聞き流す。つまりあの牛若が以前に言っていた事と同じだ。申し訳程度の注釈が付いただけで中身は殆ど変わらない。引用だらけのレポートのような発言に辟易しながら、嫌気を一旦呑み込んで努めて冷静に口を開く。

「…戦闘向きの魔力、ね。それで?私には何の益があるの?」

「出席日数と単位の保証、そして退魔士の仕事を手伝う以上は手当も出る。危険な仕事も多いが、勿論支払われる額も相応だ。それでもまだ足りないと言うのなら、君の要望も可能な限り聞こうじゃないか。どうだろう、決して損は無いと思うんだが」

 生徒会長様の言葉を反芻して情報を整理する。生徒会が求めるのは戦力としての私、言い換えれば私の魔眼だ。その報酬として示されたのは学業面のフォローと多額の金銭、そして福利厚生の類。後者二つはともかく、遅刻早退授業放棄を繰り返している私にとって単位を補えるのは旨味が大きい。その辺りのしがらみを取っ払えるというのは、決して悪い提案ではない。そう、美味しい話のように見えるのだが。

「…成程ね。それじゃ、今度は私から二つ程。…まず一つ、私の魔力は決して濫用出来るものじゃないの。無理して使えば当然のように無理が祟る代物、軽く行使するだけでも無理の範疇に入るモノ。貴方達が私に定期的、或いは継続的な魔力の行使を求めているのなら、無理の一言だけ置いて帰るわよ」

「…そうか、やはり君の魔力はそういう物か。それで、二つ目は」

「二個目は大前提の話ね。…もし私が条件を呑んだ時、『お前達』は何を奪えたのかしら」

 刹那、室内の空気が重量を得る。最初から見抜いていたとも、私の前に垂らされた餌には針が付いていることくらい。損益の話で被る損が無いなんて、それは詐欺かマルチ紛いの悪徳商法かの二択に決まっている。

「ちょ、ちょっと待ってよ有希ぃ!?僕はそんなつもりじゃなくってぇ…!」

「判ってるから狼狽えないで、日辻。お前もあの溝鼠ドブネズミにとっては私を呼び寄せる餌だったって事よ。…まぁ、汚物臭い鼠らしいと言われたらそうなのかもだけど」

 焦る日辻を宥めながら眼鏡を外し、周囲から漏れ出る敵意に備える。全く、これだから退魔士は嫌いなのだ。我欲に満ち満ちた、目的の為なら不義も醜悪も晒す自己主義者エゴイスト。これでようやく見極めた―見極めるまでもなかったと自身ごと嗤うべきか。私にとっての生徒会は、紛れも無い『敵』なのだと。

「…溝鼠か、少し傷付くな。俺はただ、生徒会長として君の力を借りたかっただけなのに」

「生憎、私はモノを貸す優しさなんて持ち合わせて無いの。それこそ私の友人騙して呼び立てるクソ鼠になんて、一銭足りとも貸してやらないわよ」

 ―黒羽君の長ったらしい講義、聞いておいて良かった。力を用いて退魔士を束ねた若者の話、それが頭の片隅にあったからこそ罠の仕組みに気付きを得られた。返事をした者を吸い込む瓢箪ひょうたんがあるように、根住の魔力も似た条件で発動するものなのだろう。そこから得られる解は、即ち。

「―承諾を得た相手の魔力チカラを借り受ける魔力。力を貸してと聞いたのは、それが発動条件トリガーだからかしら?」

「ご明察。…やはり捨て置くには惜しいな、その眼」




 ―判っていた。警告も受けていたし、当然ながら警戒もしていた。彼にも言ったが私の目的はあくまで挨拶、奴等と仲良し小好しの関係を築く為に訪ねた訳じゃない。それでも、私の戦いの為に使い潰す程度の有用性はあるのだろうかと興味を持った結果がこれだ。

 他を道具として見ているのならば、己もまた然り。綺麗事の裏にあるのは権謀術数、その他諸々の汚い感情。成程、退魔士の世界というものは私が思っている以上に腐敗しているらしい。

「…いや、恐らく誤解されているだろうから少しだけ訂正させてほしい。俺の魔力は厳密には『拝借』、許可を得た相手の魔力の性質を借りる魔力だ。羽生君の魔力―確か『魔眼』だったか。拝借しても俺が魔眼を行使出来るだけで、別に君の魔眼が封じられる訳じゃない。あぁ、借りる時に手数料として少しだけ消耗するかもしれないが、その分はすぐに回復―」

 刹那、生徒会室に轟音を鳴らす。腐りきった生徒会共の視線を一様に私の背後―たった今手車で吹き飛ばした扉に向けさせ、苛立ち混じりにこほんと咳払い。予備動作の無かった一撃にあたふたする日辻を尻目に、私は怒気を重ねて言葉を綴る。

「…あのねぇ、クソ鼠。私、長話とか嫌いなの。要約出来ない馬鹿の証明でしょう?」

「羽生さん、発言の撤回を求めます。根住会長への暴言に誹謗の数々、看過する訳にはいきません」

「それと人の話を聞かない馬鹿も嫌い。そこの修道女柄の乳牛からも同じ話された、それで私は断った。なのにまた代わり映えしない話題って。腐ってるだけじゃなくて若いのにすっかりボケてるみたいね?そもそも鼠やホルスタインに学習能力なんて求めて無いけれど」

 畳み掛ける罵詈讒謗に部屋の空気がだんだん険しくなる。後ろに控える生徒会連中から鳴る舌打ち、敵意と共に向けられる魔力。正しく一触即発と呼べるこの状況で、私は挑発を止める事無く眼鏡を外す。

 ―もう、お前達と手を取り合うつもりは無い。だからと言って踵を返してハイ終わりで済ませるつもりも無い。お前達もいつかの蛇神のように私のこの魔眼を欲すると言うのなら、その為に私の友を騙し利用したのなら、それには相応のお返しが必要だ。

「…相馬君。これは拙いのではないか?」

「向こうがそのつもりなら此方も対処するまでだ。日辻、彼女を抑えろ」

「…ごめんねぇ、ここまで地雷踏み抜かれたら有希はもう止まらないからぁ。それにぃ」

 そこまで言って視線を交わし、敵と見据えた六人に向き直る。相手は名高き退魔の名家、けれどそんな事は心底どうでもいい。彼女を軽視し、オレを騙し、友人を侮辱した以上、もう赦す道理は無い。

「…有希だけじゃない。オレにだってお前達ブン殴る理由があるんだ」

「なっ!?日辻君、我々を裏切るというのか?」

「あのだな、辰宮。オレはいつだって有希の味方だ。…合わせるから好きに暴れていいよ、有希」

「へぇ?随分格好良い事言ってくれるじゃない。なら遠慮無く」

 侮蔑には憤怒と嫌悪で返す。崇高な理由を掲げている訳じゃない、友の為なんて綺麗事は必要無い。言うなれば、ただの喧嘩なのだろう。けれど、それでも、私達は。

「…『勇気を持てハヴ・ア・ブレイブ、羽生有希』。それじゃ、全員纏めて縊ってやるわ!」


 己が為に、拳を握るのだ。

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