File.4 勇気を持て、羽生有希

 ―私は、家族と云うモノを知らない。

 父親は世界旅行が趣味の放蕩親父、母親は専業主婦だったが父に愛想を尽かして離婚、当時二歳の私を児童養護施設に預けて蒸発したという。厳密には養護施設の大人がそんな話をしていただけで、今となっては事実かどうかも解らないのだが。

 とはいえ、両親がいない事は別にどうでもよかった。施設にいた私の周囲には同じような境遇の子供ばかり。家族が恋しいなんて気持ちは湧いてくることがなかった。


 月日が流れ、一部の子供達には引き取り手が現れる。そして四歳となった私にも、里親になりたいと申し出る男が現れて。

『…君が、有希ゆうきちゃんだね。私は蛇神へびがみ、これから君の父親になる者だ』

 ―蛇神と名乗った男の顔は覚えていない。ただ、私の本能は男の顔を見た途端に警鐘を鳴らしていた。丁寧で柔らかい口調とは裏腹に冷めきった瞳は、私をヒトとして見ていなかったのだ。

『…せんせい、わたし、このひときらい』

『大丈夫よ、有希ちゃん。蛇神先生はね、東京でも名の知れたお医者さんなのよ?とっても優しい人なんだから』

『いやいや、そんなに対した者では。…私はただ、子供の笑顔が好きなだけですよ』

 幼い私にとって蛇神という男は恐怖の象徴だった。このままだと私はあの男に連れていかれて、きっと虫みたいに腕を千切られて弄ばれる。あの男が去ってからも、そんな妄想が何日も何日も私に取り憑いた。


 ―そして、私は逃げ出した。

 ある冬の日、施設に宅配便を届けにやってきた大型トラックの荷台に私はこっそり忍び込んだ。

 ただあの施設から、私を引き取りたいと宣うあの男から逃げなくては。何処でもいい、私もアイツも知らない遠くに行くならそれでいい。魚の生臭い匂いが染み付いたダンボール箱に潜り込み、齢四歳の童女は行く宛の無い旅に出た。


 暗い。寒い。夏だというのに冷蔵庫の中みたいに冷たい。暗闇の部屋は揺れて、揺れて、揺れて。右に曲がって左に曲がって、進んで止まってまた進んで。氷に囲まれたみたいな部屋の中、冷たくて寒くて今にも凍ってしまいそう。

『…いやだ、まだしにたくない。にげて、にげて、いきのびて。だって、わたしは』


 三時間程経って、ようやく光が差し込んだ。ただ温もりが欲しくて凍えた身体を引き摺った。ダンボールを降ろす配達員の目を盗み、何処かも分からない未知の場所に足を付ける。

『………ん?今何か乗ってなかったか?』

『ハッ、冷凍車に積んでたマグロが生きてましたってか?んなアホな』

『だよなぁ。東京から長野まで運転したから疲れてんのかなぁ』

 談笑する大人の目を掻い潜り、温もりを目指して道を征く。足下は冷たい白に覆われ、空からは見た事も無い白くて冷たい何かが降っている。

『…どこか、あたたかいところ…』

 童女は歩いた。歩いて歩いて歩いて、けれどすぐに限界が訪れた。長い間氷点下に晒された童女の体力なんてとっくに尽きていた。朦朧とする意識の中、とっくに感覚の無くなった足を前に進める。

『…でも、もう、だめかも…』

『おや、雪ん子かと思ったらめんこい嬢ちゃんじゃないか。こんな雪の日に何してるんだい?』

 誰かが声を掛けるけれど、もう反応する気力さえ無い。血に塗れた手と足だって、思ったように動かせない。

『…待ってな、すぐ暖かいところに連れてくからね。…完二かんじ、綿出せ綿!』

 …駄目。もう、眠すぎて…―




 ぴっ、ぴっ、ぴぴぴっ。

「…るっさい」

 午前七時を告げる不快音を拳で黙らせる。先刻まで見ていた嫌な記憶を遮れたはいいが、それはそれとして目覚まし時計の音はやはり苦手だ。否、そもそも不快音で叩き起す為の器具なのだから文句を言ったところでどうにもならないのだが。

「…えーっと、確か昨日は喫茶の外で妖にぶっ刺されて、入院して、その後ライブハウスで妖のお姫様と会って…」

 寝ぼけた頭で濃密にも程がある一日を思い返す。誘拐事件の次は殺されかけて、その日の内に私を刺した奴の上司と会合して。ドラマや小説でもここまで充実した一日はそうそうあるまい。

「…えぇ、今出来る事は昨日済ませた。後はお姫様のアクション待ちか、それとも」

 情報より先に事件があるか、なんて嫌な空想を振り切って着替えを手に取る。鋭い瞳を眼鏡と前髪で隠し、手早く纏うセーラー服。黒地に黄色のリボンが映えるレトロなデザインは時代錯誤のステレオタイプだと批判する声も多いけれど、変に奇をてらったデザインじゃないのだから問題は無いと思う。寧ろステレオタイプの方が華のある女学生という雰囲気が出ていて好きだったり。

「…さてと。それじゃ、行きましょうか」


 通学路に響く雨音、塀を縫うように進む傘の群れ。雨天はそこまで嫌いじゃない。傘が体を、雨が音と温度を遮ってくれる。周りに人を感じない環境は心地よい。この二日間で疲れきった心が洗われるよう。

「おはよぉ、有希。珍しいねぇ、君がちゃんと朝から登校するなんてぇ」

「雨の日はちゃんとするって決めてるの。…目標も定めたのだし、今日は気合い入れてくわよ」

「昨日の…って、あぁ。千羽のお姫様と協力して事件追いかけるって話だねぇ。…白部の妖が動く前に、って話だったんだけどなぁ」

「…日辻?」

「んーん、なんでもない」

 誤魔化す幼馴染を問い詰めようとするが傘が視線を遮る。否、問い詰めなくとも予想はある程度付いている。恐らくはあの乳牛馬鹿うしわか達の生徒会―という名目の退魔士連中が何かを企んで私に接触しようとしていたのだろう。けれどその前にあの雀―白部の妖が私に奇襲を仕掛けたせいで計画は良くて見直し、悪くて御破算といったところか。

「でもぉ、本当に有希が無事で良かったよぉ。コンテナに連れてかれたって聞いた時、本当に焦ったんだよぉ?有希が怖がってたら、寒がってたらどうしよってぇ…」

「…は?怖がるはまぁ分かるのだけど、寒がるって何よ。今五月なのだけど」

「…気にしてないなら大丈夫だよ」

 困ったように笑う日辻に疑問符を浮かべながら水溜まりを飛び越える。アスファルトに作られた水面は雨粒一つで波紋を浮かべ、子供に長靴で鏡面を蹴り破られる。雨天はそこまで嫌いでは無いと先程述べたが、私の姿を映す小さな鏡を作り出す点に関してはどうしても苦手だ。

「ほら、もうすぐソコだから…って、あれぇ?」

「何よ、日辻」

「…校門前に警察がいる。なんだろ」

 警察、と聞こえた途端に傘で前方を遮る。この二日間の諸々を考慮すると、奴等の目的は大体解る。校門の左右に二人、正門から真っ直ぐ登校すれば確実に見つかって面倒な事になる。かといって此処まで来たのに引き返せば怪しまれてアウト。皆して傘を差しているせいでこの距離であっても不審な動きをする傘があればすぐに見つかるだろう。

「うっわ、すっごい嫌そう…」

「嫌そう、じゃなくて嫌なの。…まぁでも、自然体装って通り過ぎるしか無いわね」

 言って、一歩を踏み出した。珍しく始業前に登校してしまったせいで校門周囲は他の生徒で一杯、下手に逃走すれば周囲を巻き込む。ならば、聴取される前提で進むしか。

 ―眼鏡を直す。覚悟を決めろ、羽生 有希。私はとっくに、面倒の待ち受ける道を選んだのだ。

「…そこの君。羽生 有希だね?」

「あら、国家権力の犬共。無能だからか知らないけれど随分と暇そうにしてるわね?」

「なんで変な方向に覚悟決めるかなぁ!?」

 眼鏡と前髪越しの鋭い瞳で喧嘩を売る。そうだ、自分を曲げてなるものか。下がればそこに付け込まれる、ならば踏み込んで威を示せ。私の邪魔をするならば、ソレは。

「二日前の誘拐事件の件で任意同行を求めたい。容疑者の山川という男が君に殺されかけたと言っているんだ」

「私だって誘拐された、殺されかけた。正当防衛よ」

「過剰防衛の疑惑がある。署で詳しく話を聞きたい」

「嫌よ。というか警察だというなら手帳出してから筋通しなさい。通報するわよ、偽物共」

 警官姿の二人組に敵意を突き付ける。相手が誰だろうと関係無い、私の邪魔をするならばソレは敵だ。ヤクザだろうとバケモノだろうと国家権力だろうと牙を突き立てる、それが私。

「嘗めるなよ、クソガキ!」

「やめろ。お前も出すんだよ、手帳。…手順が逆だったな、羽生 有希」

 当然よ、と言いながら所作をきちんと観察する。雨で汚れた警官服、どちらも外見から見れば三十代前半男性。制服のサイズはどうだ、体格とサイズが一致しているか。手帳に不備は見当たらないか。

 そう、私は奴等を何一つ信用していない。私は初対面から不用意に誰かを信じるようなお人好しでは無いのだ。

「改めて、私達はこういう者だ」

「あっそ、どうも。…日辻」

「…判った」

 隠れてハンドサインで合図する。これ以上疑惑を掛ければ今度は私が追い込まれる。ならばここらで一度妥協して様子を伺うのが賢明だろう。

「これで信用したか」

「…しつこい。いいわよ、任意同行受けてやるわよ。けれど条件二つ。一つ、私一人じゃなくてそこのゆるふわ頭と一緒じゃないと無理。あとも一つ、通学路は迂回していく事。目立つの嫌なの」

「判った。ついてこい」


 ―先の誘拐事件に於いて、確かに私はあの禿頭の科学者―千羽のお姫様が闇商人と呼んでいた男を檻の下敷きにした。だが禿ハゲは私を誘拐、そして薬を打ち込もうとした。そんな下衆から逃れる為に力押しで脱出、その際に私が囚われていた檻で動きを封じただけ。それを過剰防衛と呼んだ奴等はきっとその事情を理解していない。

「…通学路から逸れると一気に人減るねぇ」

「…そうね、もう傘で顔隠す理由無いか」

 溜息を吐きながら折り畳み傘を鞄の中にしまう。

「ここから少し先にパトカーが停めてある。…全く、この町は車で通れる道が少なくて困る」

「知らないわよ、そんな事情」

 嫌悪を含んで吐き捨てる。そう、私は今も警官服の二人を信用していない。服のサイズも警察手帳の不備も無かったが、それでも信用はしていない。寧ろ、疑念は確信に到った。

 さて、私が示した条件は此処に成立した。人通りが少なく目立たない場所、そして日辻がいる。警官服の内一人は前を先導、もう一人は私達の後ろを付いて来ているこの状況ならば。

「言葉には気を付けろよガキ!業務妨害で逮捕すんぞ―」

 刹那、背後の警官服が吹き飛んだ。―訂正、私が手車ヨーヨーで吹き飛ばした。敵意を以て振り抜いた一撃は警官服の腹を捉え、そのまま電柱に叩き付ける。

「…何が逮捕よ、警官騙る偽物の方がよっぽど重罪に決まってるでしょ」

「貴様、一体何を―」

 当然、突然の凶行に前方の警官服は驚き焦り、私に警棒を振るう。けれどそれが想定出来ない馬鹿じゃない。不意を突いた時点で私の、私達の土俵に持ち込んでいるのだ。

「日辻!」

「オーケー、『綿綿ワタワタ』!」

 唱えた日辻の腕から伸びる綿がもう一人の警官服を抑え込む。当然警官服は藻掻くがその度に綿は増え続け、遂にバルーンハウス並みの大きさとなって敵を沈黙させた。

「…久々に見たけど改めてえげつないわね、貴方の魔力」

「いやぁ、僕の『合成綿』は攻撃性能皆無だからねぇ。防御か取り押さえるかが精一杯。有希の手車の方がよっぽど強いよぉ」

「…完封しといてよく言うわ」

 謙遜する日辻に思わず肩を竦める。確かに綿を生成し操るだけの魔力と聞けば強くは思えないかもしれないが、彼の綿は生成効率と生成速度が著しく高い。一瞬で人間一人を包み込める量の綿を生み出し、数秒あれば一軒家程の大きさまで膨れ上がる。そして生成そのものに使う魔力消費は極めて少ないという燃費の良さ。私から見れば強いなんて言葉さえ生温いものに思えてくる。

「でもでもぉ、有希ぃ。どうしてこの警官達が偽物だって判ったのぉ?」

「マトモな警察ならあの禿の妄言真に受けないわよ。だから偽物って煽ってみたら図星だったみたいに声を荒げて確信した。後は一般人相手に高圧的だったりやたら信用を気にしてたり。…要するにガバいのよ。魔力だけは綺麗に隠し通したつもりだったみたいだけど」

 制服の裾を整えながら説明する。補足するなら隠していたつもりの魔力も視えていた。あの隠蔽率なら普通の退魔士や結界くらいは誤魔化せるだろうが、それでも私の眼を欺くには至らない。全く、ここまで雑な対策立てられて襲われてると思うと腹が立ってくる。

「…やっぱりこのタイミングで狙ってくるって事はアレだよね、前のなまはげの…」

「どちらかと言えば禿頭の方だと思うのだけど。人間だし退魔士だし。…本当ならさっさと本物の警察に引き渡したいのだけどね」

 嘆息と共に眼鏡を掛け直す。嗚呼、本当に雑な襲われ方で腹が立つ。何の目的で私を狙っているのか、何処まで私の事を嘗めているのかなんて知らないけれど、浅知恵と力押しだけで私を抑えられると思われているのはこの上無く不快。

「…ねぇ、有希。なんか囲まれてない?」

「数の暴力なら勝てると慢心してるわね。…どうする?逃げるか全員縊るか、それとも何処かにいる指示役捜してぶっ叩くか」

「こいつ等止めながら上を潰す。…有希、行ける?」

「当然!蹴散らしてさっさと済ませるわよ!」




 遡る事少し前、千羽町に佇む大きな屋敷、白部邸。千羽軍属の妖の本拠地にして、任侠組織ヤクザの本家。そこに集う荒くれ者を纏め上げる千羽のヌシと呼ばれる妖、その跡取である獣耳の少女は牢獄の前に立っていた。

「…吐きなさい、罪人。お前達の目的は何」

「私の事はどうでもいい。今日はクライアントの話でも紅茶の話でもしようじゃないか、雷鳴のマドモアゼル?」

「気取るなハゲ。黒焦げになりたいの?」

「私は至って真面目だとも。…拷問に折れたのだよ、私は。だから雇い主クライアントの話だ。私達が開発している薬は多岐に渡ってね。どんな毒でも治す解毒薬から俗に媚薬と呼ばれる薬物まで作っているのだが」

「…そこに関しては把握済みです。何せ押収されたのはそういう薬なので」

「…実のところ、押収されたブツに関しては別件でね。クライアントの依頼は実験台の納品とそれに使用する薬の納入。その薬に関しては既に納入していてね。…なんだと思う、マドモアゼル」

 余裕の笑みに嫌悪を示す。白部組としては自分達の管轄シマ違法薬物クスリを流されていただけでも忌々しいのだが、その正体を考えると悪寒が走る。もしソレが人道に反した―否、妖さえ巻き込む現世の理にさえ反するモノだとすれば。

「答えろ。黙るなら焼死体にして棄ててやる」

「だから拷問に折れたと言っただろう。だから電流を迸らせるのをやめたまえ」

 咳込み、再び口を開く禿頭。それと同時に千羽の姫は―白部 響という少女は理解してしまった。千羽町の、退魔士と妖の世界の転換地点ターニングポイントは、悪意によって既に越えてしまった事を。

「―『魔力妖力暴走薬シンカロン・ブースター』。魔力を持たぬモノに使えば魔力を与え、元から魔力、及び妖力を持つモノに使えばその性質を引き上げる。いずれは神の域にさえ届く発明だ」


『白部さんから着信ダヨ!白部さんから着信ダヨ―』

「ごめん今取り込み中!要件なら後にして―」

 十数名の退魔士を相手取る中、空いた右手で電話を取る。受け答えする余裕は無い筈なのにスマートフォンを握る乙女に、背を預けた日辻は嫌な予感を覚えていた。

『私です羽生さん!ハゲが吐いたんですが、羽生さんを危険な魔獣が狙っているらしく…ザザッ…とにかくそこから逃げてください!』

「だから今それどころじゃないの!今退魔士共の襲撃受けてて…というか接続悪くない!?」

『ザザッ…早く!未確認型妖魔個体―仮定名称〈暴霊獣ボレズ〉、来ま―』

「…まずった。日辻!とにかく撤退―」

『ハブ イタ』

 ―遅かった。電波障害で通話が途絶えると同時に土煙と雷撃がアスファルトを叩き砕く。私も日辻も、取り囲む有象無象の退魔士さえ巻き込む魔獣の一撃。規格外の衝撃で吹き飛ばされる中、雨粒と煙の隙間から一瞬だけ攻撃の主の姿を捉える―

「…何あれ、発電機ジェネレータ…?」

 ―目を疑った。眼鏡越しの私の瞳が映したのは、曇天に浮かぶ箱型の機械だった。


「痛ッ………!」

 身体が軋む。先程の一撃の余波で電柱に叩き付けられ、恐らく背骨にダメージが入った。けれどこの程度ならまだ動ける。骨が軋む程度で行動を止める訳にはいかない。

「有希、無事!?」

「身体は問題無い、けどスマホと眼鏡やられた!というかボレズって言ってたアレ、どうみても発電機…」

「有希には何が視えてるの!?異形の魔獣…としか言い様無いだろ!?」

 珍しく声を荒げる日辻の言葉の意味が理解出来ず、改めて周囲の状況を確認し、そして絶句する。そこには浮かぶ発電機なんて何処にも無く、放電を続ける黒色の魔獣が。五メートルを超える巨躯が、電柱を食い千切る姿が映っていた。

『デンキ ウマ ウマ』

「…ホント何アレ!?こんな妖見たこと無い…っていうか妖力じゃなくて魔力じゃない!?って事は退魔士―」

「寅居家の獣化でもこんな規模ムリだよぉ!ていうかここまでデカいと退魔士じゃなくてバケモノの領域だから!」

 黒の魔獣は雷の双眸で此方を睨む。雷獣のような電気を操る妖―ではないだろう。明らかに私を敵視しているが、何故か生命力が感じられない。だとするとやはり発電機を核とした九十九神ツクモガミ憑物ツキモノの類…否、それらも妖力を糧とする存在だ。溢れるような魔力となると、退魔士の領域になってくるのだが。

「…憶測並べても仕方無いか。日辻!状況は!」

「…マズい。オレ達を囲ってた退魔士は全員ぶっ飛んだ、でもやらかした。…ほら、あそこ」

「………嘘」

 腹を抑える日辻の視線の先には、倒壊した家屋が。…そして、考え得る中でも最悪に近い自体が起こっていた。

 ―血の匂いが鼻を突く。瓦礫の中から、人の腕が力無く垂れていた。

「………あぁ、どうして―」

『ウマ ヘビ ウマ』

「放心してる場合じゃないぞ!さっきのまた来る!」

 そして、私の身体を影が覆う。


 ―私は多くに命を救われた。いつか凍えそうな時には日辻が手を差し伸べたくれた。かつて命を狙われた時にはあの子が心を犠牲にしてまで救ってくれた。けれど私の魔力は徐々に強くなっていって、いつしか何もしなくても人を傷付けるようになってしまった。救われた筈の命が、ただ他を傷付ける事しか出来なくなってしまって。

「どうして、どうして―」

 それでも、お人好しの彼等は私を見放さなかった。私の力を抑える為の眼鏡までくれて、ただ私に笑って欲しいからと尽力してくれて。そんな彼等のおかげで、遂に私は守る為の道を進もうと決めたのに。

「有希!避けろ!」

『ヘビ カバ ヤキ』

「―どうして、私の道の邪魔するの」

 ―瞬間、全てが止まった。日辻も魔獣も、私以外の全てが止まる。私の視る世界そのものさえ停止しているような錯覚に、気付かぬ内に悪辣な笑みを浮かべていた。

「…ようやく、私は自分を通せる。『一手揚々シングルアクト』―」


「―『蛇噛バイパー』!」

 ―動き出した世界で、日辻は目を疑った。先程まで地に伏していた筈の乙女が瞬間移動したかのように魔獣の頭上まで飛び上がり、手車の一閃で黒の巨躯を大地に叩き伏せていた。

「有希、まさか」

「…随分と待たせたわね、日辻!羽生 有希、ようやく本領発揮よ!」

 乙女はにやりと牙を剥く。風に揺れる前髪から覗かせる瞳は、黄金の色に輝きを放っていた。

 ―有希の魔力は、文字通り人の身に余る力。既に現存しないとされていた、悪意害意で機能する呪詛の力。最も有名な魔力の一つであり、最も忌み嫌われる魔力の一つ。

 ―即ち、魔眼まがん。蛇の瞳は映す生命を停止させる。

『…グア イマ ナニ ガ』

「コイツは私がぶっ壊す。日辻はその人の救助お願い!」

「任された!そいつの雷撃、こっちに向かないように頼む!」

「オーケー!さっさと済ませるわよ!」

 ふらふらの状態で瓦礫の下の腕に向かう日辻を見送り、改めて手車を構える。蛇の瞳は鋭く冷たく、乙女の細腕は血に濡れて。錆鉄髪の蛇眼の乙女、英雄のように勇ましく。

『ズニ ノル ナァ!』

「『停止の魔眼ロックアイ』!」

 最早魔獣など脅威では無い。蛇の瞳で巨躯を再び停止させ、同時に手車を電柱に巻き付け飛び上がる。

 ―一瞬だけ見た発電機、きっとアレが核だ。今の私なら、その一点を狙って穿って貫ける!

「…『勇気を持て、羽生有希ハヴ・ア・ブレイブ』!」

 空舞う巫女は牙を剥く。ほどいた魔力を重ねて穿つ手車の一撃は、流星の如く鮮烈に。

「―星光となれ、『流星蛇リントヴルム』!」

 魔獣の脳天を穿つ手車。黒の巨躯を祓った乙女の瞳には、壊れた小さな発電機が映っていた。




 ―勝った。私は私の道を、そして威を示せた。トドメの一撃と共に魔獣を形作っていた魔力は霧散し、貫かれた核は墜落と共に砕け散った。そこまではいい。

 ―そう、そこまでは良かったのだ。魔獣の核を狙う為に手車を使って飛び上がり敵を仕留めたのは良い。だが、大きな問題が一つ残っていた。

「…日辻!」

「大丈夫、救助終わった!命に別状ないよ!」

「…そうだけど、そうじゃなくて!」

 油断していた。目の前の敵を斃す事に精一杯で他の事に頭が回っていなかった。その結果、今の状況は正しく絶対絶命だ。

「…有希、もしかして」

「………私、着地考えてなかった」

「馬鹿ああああああ!?」

 叫びながら慌てて生成された綿のクッションに墜落する。身体の痛みは無いが、何故か死の淵を垣間見た気がする。調子に乗って空高く舞った結果が墜落死とか、阿呆の末路にも程があると思う。

「…あー、死ぬかと思った」

「ホントだからな!?というか着地出来ないのにあんな飛んだのか!?」

「あの魔獣の死骸クッションにしようと思ってたら消えてたのよ…。そうね、黒羽君と違って跳べないものね…。ところで、被害、状況は…」

「その前に病院ね。流血多過ぎ」

「…そうね。…これで、ようやく私も…」

 錆鉄色の髪を靡かせ、乙女は雨で萎んだ綿のクッションの上で瞳を閉じる。激動の三日間は、ようやく終わりを告げて。


 ―そして、乙女は巫女と成った。

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