File.3 決意の音は白雷と共に
「…早速だが、今から生徒会会議を始めたいと思う。
「はい、会長。議題は一年一組の問題児、羽生 有希の処遇について。…皆様の意見をお聞きしたいのですが」
私立千羽高校は三階、生徒会室。夕陽の朱が射すこの教室で生徒が七人、円卓テーブルを囲んで顔を見合わせる。その内の一人である艶やかな黒髪の生徒、副会長の牛若 アリアは淡々と会議の進行を務める。しかしその顔には少しばかりの曇りが見受けられた。
「…副会長は、羽生が嫌いなのか?」
「議題に私情を持ち込むつもりはありません。ですがサボりに遅刻早退の常習犯、それに学内生徒への脅迫の噂もある以上、厳重な処罰が必要かと」
「それはあくまで噂だろう。事実確認は大事だと思う」
「…
「そもそも俺と羽生には面識が無い。品位を貶める態度は謹んだ方が良いかと、
「はいはーいそこまでにしようねぇー。というか性格の推測とかしなくてもいいと思うんだけどぉ」
嗤う金髪のソフトモヒカンの男に努めて冷静に返す黒髪の青年。その二人が分かりやすく火花を散らす前に間に割って入ったのは穏やかそうな糸目の生徒。生徒会とは名ばかりの統率の取れない集団に、思わず溜息が溢れそうになる。
「…全員揃ったと思ったらこれ…?何でこんなに変人奇人揃いなのウチの子達は…」
「仕方あるまいよ、
「辰宮君は変人奇人の筆頭だからね…?というか今は朝」
「…本題に戻るよ、諸君。…日辻君、君は彼女と友人だったな?学外の彼女について教えてくれないか」
「…教えてって言われてもぉ、大体はさっき言ってた通りだよぉ。噂通り深夜徘徊も他校の不良やチンピラと喧嘩もしてるしぃ、人助けとかしてるのも事実。有希ってば常に正しく在ろうとしてるからねぇ」
「正しく?不良行為のオンパレードの彼女の何処が」
「はいはい副会長は喧嘩腰にならないでぇ。この正しくっていうのが自分本位っていうのは否定しないよぉ。でも有希が手を出す時は殆ど誰かを守る為。善人には絶対に手を出さないしぃ、面倒くさがりだけどちゃんと筋は通すしぃ。有希が学校サボるのもだってぇ…」
のんびりと説明する日辻に寅居と呼ばれた青年は
「…成程。自ら進んで害を為す事は無いと。…そうだな、彼女の処遇はあの方向でいいだろう。牛若君」
「根住会長の仰せのままに。それでは、羽生 有希を引き入れる方向で」
「動くなら早めの方がいい。
「…オッケー、連絡入れとくねぇ」
―静寂が流れる。診療室の前で一人、鞄を抱えて待つだけの自分。付き添いの
三時間前、見知らぬ怪異に腹を刺されて診療所に運ばれた彼女は今になっても出て来ない。千羽の片隅の小さな診療所、それでも設備も人員も整っている。なのに何時まで経てど治療が終わらないとなると、彼女はもしや―
「…いや、大丈夫。わたしはただ信じていればいい。多少の無理無茶無謀くらい、心配しなくても」
自分に言い聞かせるように静かに呟く。どうせ彼女は殺したって死ぬような人では無いのだから、待つ側はただ待てばいい。必要なのは笑顔で迎える準備だけ、それ以外の余計な事なんてしなくていい。
―うん、頭では理解してるんだけど、やっぱり難しい―
『着信ダヨ!着信ダヨ!』
「なっ、何!?」
刹那、静寂を破るバイブレーション。彼女から預かった鞄の中で鳴動するそれは、電話の通知を判りやすく、そして喧しいくらいに繰り返す。
「…着信音ひっど―個性的。えーっと、非通知…?切るには確か赤のマーク押せばいいんだっけ―」
ふと、スマートフォンの持ち主の言葉を思い出す。もしかすると『取引』の連絡かもしれないから代わりに応対してほしいと言伝を受けていた。機械の操作は苦手だが何しろ彼女に頼まれたのだから断るわけにはいかない。コホンと咳払いし、恐る恐る緑の受話器のマークを押す。
「…はい、此方は羽生 有希の携帯です―」
『…午後十時、繁華街のライブハウス〈ホワイトラジオ〉で』
聞こえてきたのは少女の声。随分と落ち着いた口調だが恐らくは十代半ば程だろうか。それとなれば正体は大方見当が付く。
「…えーっと、ごめんなさい。羽生は現在治療中でして。私が代わりに伝言お伝えしても?」
『判りました。妖の姫から連絡があった、と伝えて頂ければ』
「…あぁ、それともう一つ。彼女に謝罪があれば受け付けますけど―」
『ツー、ツー』
「…はぁ、謝罪はナシか」
十数秒で切れた通話を思い返し、確信する。成程、確かに妖のお姫様だ。齢も口調も性格も、よく噂で聞く千羽のヤクザの御令嬢と一致する。それにしても、ライブハウスで秘密の会合とは。彼女は
「…いや、妖が絡んでるんだから
「そんなのこっちが聞きたいわよ。誘拐された次の日にコレだもの、私だって状況の理解できてないのよ」
「ですよねー…って、急に会話に入って来られてもいい反応なんて出来ませんよ、羽生さん」
「あら、つれない子。『羽生さん!?いつから其処に…』みたいなリアクション期待してたのに」
「…そんな軽口叩けるなら傷は大丈夫ですね。…それじゃ、これからの方針考えますか」
―さて、状況を整理しよう。
まずは昨日、私―羽生 有希は放課後の帰り道に誘拐事件に巻き込まれた。あまりにも急な事だったので正確に覚えている訳では無いが、目立った外傷が無かった事から薬品の類で眠らされたのだろう。私は犯人の不意を突いて脱出、及び撃退し、犯人と手を組んでいたと思われるなまはげと云う妖も駆け付けた日辻に撃退された。
そして今日、というよりは今朝から私は妖に目を付けられていたらしい。あの煩く鳴いていた雀の妖は私を監視し続け、昼間になってようやく違和に気付いた私の腹を突き刺した。間髪入れずに増援の狼の妖も現れたが、そちらは私が撃退、雀の妖との勝負はお預けとなった。
「…で、あの雀が仕えてる姫様だか誰かからの連絡がさっきあったと。…それにしても、午後十時にライブハウスって。妖のお姫様はバンドでもやってるの?」
「…正直、嫌な予感しかしないんですけど。防音で暗くて取引場所に指定されるような場所って、どう考えても
「私を呼んでるのって妖のお姫様なのよね?日辻は良識のある妖だって言ってたけれど」
「…その日辻って奴も白部のお嬢様も何処まで信用出来るんだか。…それに、羽生さんは部下の狼アスファルトに埋めてるんです。落とし前だとか報復だとかってオチも十分あるかと」
幼馴染の
「…優しいわね、黒羽君は」
「話聞いてました?相手が何人いるかもライブハウスの規模も判らない、そもそも目的が本当に取引かどうかだって。一人で出向くのは蛮勇以前に馬鹿だって事を言いたいんです」
「…一人で、か。まるで誰かもう一人居るなら問題無い、みたいな言い方ね?」
言葉尻を捉えて静かに笑う。そうだ、凪も妖の世界から身を引いているとはいえ荒事に対しては全くの素人では無い。寧ろ本来は私よりも腕が立つ凪もいるならば正に百人力と呼べるのだけれど―
「…わたしは、何も救えないから。何かを為そうとして失うくらいなら、わたしは」
「…………ごめんなさい。失言だったわね」
―それ以上、何も言えなかった。凪の過去はあまりにも壮絶で、救いが無くて、残ったものは壊れた心とトラウマだけ。この子から全てを奪った退魔士の、妖の腐った世界になんて、戻りたくないに決まってる。
「…あ、ある程度のお手伝いはしますから!流石に荒事は無理ですけど、戦闘以外ならなるべく協力しますので」
「…ありがとう、でもあまり無理はしないでね」
「わっ」
そっと優しく深紫の髪を撫でる。私に逃避の道を非難する権利なんて、正義を謳う権利なんて何処にも無い。ただ、壊れてなお優しさに満ちた彼女への祈りを菫の艶髪に静かに込める。
「あの、僕、もう子供じゃ」
「まだ子供じゃない。それに年下」
「…まぁいいですけど。…話戻しますけど、一人で行くの本当に危険ですからね?晴さん連れていけば身代わり程度にはなるかと思いますけど」
「…数多かったら身代わりにもならないわよ、あの人。それに、別にアテが無いわけじゃないし」
言って、スマートフォンを手早く操作する。確かに千羽の妖を束ねる白部の妖の存在さえ知らなかった私一人で敵地に挑むには不安要素が多過ぎる。ならばどうするか、単純に味方を増やせばいい。私より妖の知識に精通し、数的不利さえ覆せる程に実力の伴った人間。当然、信頼の出来る相手というのが絶対条件。それこそ、連絡をすれば一瞬で此方まで飛んでくるような人間が望ましい。
「…羽生さん?空以外に腕の立つ知り合いとかって―」
「有希!?妖に刺されて入院したって本当!?僕が生徒会で会議してる間に何が―」
「げっ」
「牧羊犬みたいな速度で来てくれて助かるわ、日辻。それじゃ、早速お願いがあるのだけど」
人間と妖が共存する町、千羽。未だ神秘に満ちたこの町は、昼と夜で大きく姿を変える。日中、他所から来た者を含む多くの人間の目に映るのは、小規模な商店街がある程度の
―けれど、日が落ちてから町の様子は一変する。提灯の明かりが点いたかと思えば、其処は賑わう繁華街と化す。道には多くの出店が並び、月明かりと共に店が暖簾を掲げる。夜空の下を行くは妖、妖、妖。狐の顔の婦人とか、一つ目姿の子供とか。
「…やっぱり奇異に映るかしら、私」
「そりゃこんな夜中にセーラー服の女の子いたら目立つよぉ。…ところで、あの黒羽君、だっけえ?あの子は…」
「お留守番。というかこんな所に友人連れてく訳にはいかないでしょ…」
―そう、本来は人間が赴くような場所では無い。そもそも退魔士の人間と妖は敵対関係にあるのだから、私や日辻のような魔力持ちが妖の領域にいるだけで気が立つのは至極当然と言えるだろう。仮に私がセーラー服以外の装いだったとしても周囲の目を惹いていたと思う。
「…というか、今も事態把握できてないんだけどぉ…。午後の授業サボったと思ったら妖に刺されて、回復したと思ったら妖のお姫様からの呼び出しってぇ…」
「…何回も聞いたわよ、その文句」
目的地前で愚痴を溢す日辻を横目に、私はライブハウスへと繋がる扉に手を掛ける。荒事に対する覚悟を決め、日辻と共に敵地へ進む。
「いらっしゃいませ、羽生様。奥のテーブルへどうぞ」
入店早々、受付のスタッフの案内を受ける。店内に響くハードロックバンドの演奏に気圧されながらも辿り着いた先には、黄色のパーカーを目深に被った少女が其処にいた。
「…ご足労有難うございます、錆鉄の方。…お連れ様も一緒という事は、随分と警戒されているようで」
「ご挨拶どうも、お姫サマ。貴女の所の雀にぶっ刺された後で用心しない方が無理な話と思いますけどね、私は。あぁ、邪魔ならコイツ帰らせますけど」
「…いえ、構いませんよ。折角です、何か飲み物頼まれては?」
「あ、僕ジンジャーエールで」
「…呑気ね。お金無いわよ、私」
「呼び付けたのですから私が持ちますとも。折角ですしアルコールとか」
「生憎と未成年なの。…コーラフロートとかあるかしら」
フードの下でお姫様は無邪気に微笑む。白い髪に黄色の瞳、あどけなくも落ち着いた表情。外見年齢は恐らく十四、五といったところか。妖の姫と聞いて魔獣のような巨躯を想像していたが、思ったよりも随分と可愛らしい少女の姿で拍子抜けしてしまう。
「…それにしても、驚きました。うちの幹部を倒した錆鉄の乙女が、まさかこんなに若い方だなんて」
「…いや、確かに錆鉄みたいな髪色してるけど…。というか私だって驚いたわよ、ヤクザのお姫様って聞いてたからてっきり敵意を向けられるものかと」
「先に手を出したのは雀の方ですし。…それに、私は貴女と仲良くしたいと思っていますから」
姫様はあくまで好意を口にする。いつの間にかテーブルに届いていたジュースを啜る日辻を尻目に、私は一呼吸置いて本題を切り出す。
「…一つ、聞かせて欲しいのだけど。先日あった誘拐事件になまはげという妖が絡んでいたわ。それについて、貴女達が何処まで絡んでいるか知りたいの」
「…それを聞いて、どうしようと言うのです?」
大音量の演奏に包まれながら、短刀直入に質問をぶつける。周囲の人間は皆演奏やアルコールに夢中、密談に耳を傾ける者は誰もいない。ただこの場だけが、重く冷たい空気を纏う。
「…そういや、僕も聞いて無かったんだよね。こっち側に関わろうともしなかった君がここまでムキになるなんて、一体何があったの?」
日辻の声が何時に無く真剣に聞こえる。そう、彼の言う通り私は妖や退魔士の世界になんて興味が無かった。…けれど、もう逃避の言い訳なんてしない。あんな景色を見てしまった以上、私は。
「…人間と妖が手を組んで、罪の無い女の子を泣かせてた。私利私欲の為に他人の幸せを奪うようなクズ共を、赦す訳にはいかないの」
そう、前を向いて口にした。私の願いが夢物語だって事くらいとっくに理解している。正しい人が泣きを見るような、卑怯卑劣が得をするような世界が赦せない。あの子のような被害者を増やさない為にも、私は赦す訳にはいかないのだ。
「…私には友人がいてね。彼女は何を為した訳でも無いのに故郷を、家族を、心を殺された。私はあの子のような―
「纏…確か七年前に滅びた鴉天狗の…」
「…改めて、お姫様。例のなまはげについて知ってる事を教えてほしいの。知ってどうなるって話じゃないのは判っているけれど、それでも!」
頭を下げる。プライドも誇りも私には無い、ただ必要だから頭を下げる。バンドの演奏が終わって静まる店内で、鼓動だけを静かに鳴らす。
「…頭を上げてください、羽生さん」
「…教えてくれるの?」
「えぇ。千羽の
「まず最初に、なまはげは千羽の妖ではありません。東北から此方にやって来たかと思えば、用心棒として闇商人の人間と手を組んでいた、紛う事無き悪党です。なまはげは私達千羽組が捕縛、尋問しましたが…闇商人の方に利用されていた、と呼ぶ方が適切でしょうか」
「…つまり、貴女達とは無関係?」
「そうですね。そもそも千羽組は
「………蛇神、って」
思考が止まる。コーラの上で溶け行くアイスクリームのように、頭が急速に冷えていく。今、何か嫌な名前を聴いたような。
「…流石にバックが大きすぎるので今の所はこれくらいしか。また何かありましたらお伝えしますが…その、大丈夫、ですか?」
「………ええ、心配無いわ。教えてくれて助かったわ、白部さん」
「…こちらこそありがとうございます、羽生さん。私も今の話で貴女の人となりが判りましたから。取引成立、ですね」
穏やかに笑う響に感謝を述べる。そう、知りたい事は知れたのだ、これ以上望む事は何も無い。取引に応じてくれた妖の姫に礼を述べ、コーラフロートのストローに口を付ける。
―見据える道は見定めた。後は歩む準備を整えるだけ。
「…さて、折角だし私達もライブ楽しみましょうか。中々来ないものね、こういう場所」
「そうだねぇ。あ、メロンソーダとか頼んでいい?」
「二杯目からは自腹でどうぞ。あ、羽生さんの分はいくらでも奢りますから!」
「そんなぁ」
「大丈夫よ、白部さん。私の分は日辻に払って貰うから」
「そんなぁ!?」
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