File.2 雀と餓狼と錆鉄乙女

〈事件調査レポート〉

 件名―違法薬物製造、拉致監禁事件ニツイテ

 被害者―四名(負傷無シ)

 容疑者―科学者(本名不明)、ナマハゲ(名無シ)

 退魔拾弐本家、日辻 完二ニヨリ撃退、解決。シカシ膨大ナ魔力反応ガ確認サレタ為、調査続行。


 追伸―我々千羽組ノ敵トナル存在ナラバ、相応ノ対処ヲ行ウ所存。


 チチッ、チチッ、チチチチッ。青天の空に響くさえずり、日の射す無人の生徒会室。眼前には卵焼きとミートボールの詰まった手作り弁当。嗚呼、なんて素晴らしい昼休みだろう。

「―と、浸っている所に申し訳ありませんが失礼します。どなたかいらっしゃいますか」

「べべべ別に浸ってないよ!?………って、有希かぁ。今日は昼から登校?」

「有希か、とは失礼ですね。今日は御社に昼食のお供としてご紹介したい商品がありまして伺ったのですが」

「…う、うん?取り敢えず、ご足労どうもぉ。何を売りに来たのかなぁ?」

「喧嘩」

 前言撤回。昼休み開始早々、爽やかな笑顔で言い放つ乙女に無言で扉をぴしゃりと閉める。成程、どうやら自分は酷く疲れているらしい。そうだ、これは幻覚だ。昨日の一件が響いているのだろう。一先ずは椅子に座って―

「ちょ、日辻!?鍵掛けないで欲しいのだけど!?」

「現実逃避中ですぅ!喧嘩売りに来たとかふざけてるのかなぁ!?」

「失礼ね、今回は本気なのだけど」

 余計タチが悪い。そう心の中でぼやく。

 生徒会室の扉の向こうで抗議の声を上げているのは、幼馴染である羽生 有希。目元まで無造作に伸びた焦茶色の髪に加え、眼鏡を着用している為に外見だけならば学内でも特に目立たない部類に入る。…外見だけならば。

 彼女を一言で表すならば、傍若無人。遅刻早退サボり行為は日常茶飯事、他校の不良との喧嘩―彼女の場合は一方的な蹂躙と呼ぶ方が適切だろうか―に走る事も。つまるところの不良少女である。

「…ところで、日辻?中に誰かいないのかしら」

「今は僕以外には誰も。…もしかして」

「まぁ用があったのは根住の奴なのだけどね。…ほら、昨日の件で。まぁ貴女でも構わないけれど」

 昨日の件、とは長野県で発生していた女子高生連続失踪事件のこと。四人目の被害者となった有希はあろうことか犯人を返り討ちに、共犯と思われる巨躯の怪物も自分が容易く撃破した。

 …しかし、事件には謎が残る。組織ぐるみの犯罪の可能性に、なまはげと呼ばれたあの妖怪。事件解決、とは言えないのが現状だ。

「…私、退魔士こっちの世界には疎いから。事件の関係者として、せめて基礎知識くらいは知っておきたい」

「…有希ってば暇潰し感覚で飛び込もうもしてない?言っとくけど妖に関わるって事は相応の危険が伴うって事で、命だって保証は出来ないんだよ」

「承知の上よ。…お願い、日辻」

 眼鏡の奥の焦茶の瞳は真っ直ぐと前を見据える。普段の無気力な彼女とはかけ離れた、芯の通った視線。久しく見せなかったその本気に、諦観混じりに息を吐いた。

「…オッケー。どーせ断っても聞かないんだし、取り敢えず中に入って。生憎お茶くらいは出すから」


 前提としてこの町、千羽町は人間と妖怪―あやかしと呼ばれる存在が共存している。妖はその性質こそ多様であれど、多くは妖力ようりょくと呼ばれる異能を備えていると語られる。

 そんな彼等に術式を以て対抗するのが〈退魔士たいまし〉と呼ばれる人間だ。かつては陰陽師おんみょうじ、異国ではエクソシスト等と呼ばれた彼等は、形式こそ違えど魔力まりょくと称される異能を操り、人に仇なすモノを討つ事を生業としている。

「ここまでは大丈夫ぅ?」

「…いや、半分くらい初耳ね。流石に退魔士と妖の存在は判るのだけど歴史は興味無いし…。あ、ミートボール美味しい」

「それ僕のなんだけど!?………まぁこの辺りは然程重要じゃ無いんだけどねぇ。重要なのはここからだから」

 続けよう。前述の通り、この町は人間と妖が共に在る。それは千羽特有の条約ルールありきのものだ。

 一つ。人間は罪を犯さぬ妖を殺してはならない。

 一つ。妖は罪を犯さぬ人間を殺してはならない。

 一つ。これらの条約ルールを破った人間、及び妖は罪を犯したものとして扱う。

「ここでの罪は重犯罪とかそういうのだよねぇ。…勿論、人間が人間を殺しても、妖が妖を殺すのもアウトになるよぉ。流石に軽犯罪は入らないけどぉ」

「成程、悪人罪人なら殺してもいいですよー、と。…一応知ってたつもりではいたのだけど、随分と無茶苦茶言ってるわね」

「まぁ退魔士も妖もやろうと思えば簡単に人を殺せるような能力チカラとかあるからねぇ…って、その辺り、有希は良く解ってるか」

 日辻の言葉に無言で返す。魔力妖力の程度はあれど、力は使い方を違えば凶器と化す。何処かの退魔士が妖に喰い殺されたとか、何処ぞの妖が退魔士に討伐されたとかはよく聞く話だ。…聞くだけではなく、実際に見た事も。

「…あぁ、これって牽制なのね。互いに好き勝手しない為の条約ルールってところかしら」

「ご明察。…けれど、やる奴はやるからねぇ。僕等退魔士はそういう奴等に対処してるって事だよぉ。以上、説明終わり」

 妖の町、不殺ころさずの条約、自警団の任を務める退魔士達。改めて面倒臭い―訂正。独自のシステムを築いた町だという事を再確認する。中立地帯のような環境での共存が如何に難しいかがよく判る。とはいえ、牽制というより冷戦のような状況な気がするが。

「…まぁ、現状はそんなに悪くないよ。千羽の退魔士を纏めてるリーダー…此処の生徒会の根住ねずみ会長とかは退魔士側の不正にもちゃんと目光らせてるし、妖のお姫様も良識ある方って聞いてるし」

「…妖の、お姫様…?」

「そう、千羽此処の妖を束ねる任侠組織ヤクザの娘さん。…まぁ、あそこ自体が例の事件と関わってるぽいから、完全には信用出来ないんだけどね」




 ―姫様、此方は〈スズメ〉。現時点で異変はありません―

 ―了解、観察続行願います。…もう一度確認ですが、魔力反応は日辻の退魔士の物では無いのですね?―

 ―彼の魔力量そのものは確かに膨大ですが、出力自体は然程ですから。私としては隣の羽生という女学生が怪しいかと―

 ―羽生…確か昨日拉致されたという彼女ですか。けれど彼女、退魔士登録表リストには登録が無いようですが。…そも膨大な魔力反応自体が気の所為でした、なんてオチは笑えませんからね?―

 ―…首が飛ぶのも覚悟で申しますが、私の観測が間違いだとは思いません。結果が出るまで任務を遂行致しますので、暫しお待ちを―




 結局、生徒会長の根住に問い詰めようとした事は全て日辻から聞き出せた。問答を終えた頃には昼休み終了前、教科書を読み上げるだけの下らない授業が目前に。教科書の内容を全て暗記している彼女にとって、授業とは実に退屈なものなのである。

 特に面白く無いのは次の授業である数学だ。何せ教師の講義に創意工夫が無い。教科書と同じ数式を解くだけの単調かつ意義の無い時間。あの教師は頭の中身も毛髪もすっかすかなら講義内容さえもすっからかんらしい。いや、外見のディスリスペクトと内面を関連付けるのは宜しくないのだが。

 ―キーン、コーン、カーン、コーン―

「…はい、それでは皆さん、気をつけ」

 ともかく、私にとっては対して重要な授業では無い。私の興味は別の方向に向いているのだ。

「せんせー、所用で早退しますねー」

「お、おい羽生!どうせサボりだろう―」

「重要参考人として警察に呼ばれてますので。それではー」

 勿論建前である。善は急げ、目的を果たすならすぐにでも。


「―という訳で、抜け出して来ちゃった。あ、珈琲、ケーキも付けてくれるかしら」

「…という訳で、じゃないですよ羽生さん。ちゃんと授業受けてくださいな…。あ、マスター、ケーキセット入りました」

 呆れた様子の店員と静かに笑う眼鏡の乙女。ピークを過ぎた喫茶店の客は彼女一人、鳴るは窓の外の鳥の歌。学校を飛び出してのティータイムは、最早恒例になっていた。

「…前に牛若さん、だっけ?あの子もこの前注意しに来てたし、向こうもそろそろ堪忍袋の緒とか切れそうなんじゃない?」

「あら、マスター。それについては問題ありませんよ。ほら、うちの学校て自主性重視だから。そも理事長はテストの成績オール満点だから出席自由でいいよーって言ってくれていますもの」

「…それでいいのか、とも思いますけどね。あ、注文のブレンド珈琲と本日のケーキです。いちごのショートケーキ、甘いですから珈琲はブラックで飲むことをオススメします」

 カウンター越しに店員が渡した珈琲に口を付ける。此処、〈喫茶アヤカシ〉の店主マスターである黒羽くろはね はるは、何でもバリスタの世界大会で優勝した経験もあるとか。そんな彼女が何故こんな辺鄙へんぴな田舎町で喫茶を始めたのか、乙女としては甚だ疑問である。

「…心の安らぐ味ね。美味しい」

「だって、なぎ。私褒められちゃった」

「…マスターは余計な事しか言わないんだからさっさと厨房に帰ってください。接客は僕の仕事ですから」

「えー?私だってカウンターで有希ちゃんと楽しくお喋りしたいんだけどー?あ、天気いいし鳥さんも歌ってるし今からピクニックとか―」

 刹那、何かが切れた気配がした。変わる空気の流れ、苛立つように荒ぶる空調。―訂正、切れたものは堪忍袋の緒。誰のが切れたかなんて、そんな事は目に見える程にはっきりしている。

「僕の仕事モノだって聞こえなかったんですか年増店主。そんなに外が好きならどうぞお一人で水平線の彼方まで。もしくは片道切符で地獄旅行でも行ってくれば如何です?」

「酷いっ!?有希ちゃん今の聞いた!?愛しい我が子が反抗期なんだけど!?」

「…そも血繋がってないわよね、貴女達」

「有希ちゃんまで!?」

 …騒がしい。この件に関しては虎の尾を踏んだ晴に非があるとしか言う他に無い。寧ろ滅多に感情を露呈させない彼女を激昂させる事は一種の才能ではないだろうか。

「…失礼、取り乱しました」

「構わないわよ。…普段からそんな感じでもいいのに」

「…そういうの、苦手なので」

 エプロンを直し、業務に戻る凪。彼女は私の幼馴染で、今は晴に拾われて喫茶の手伝いをしながら暮らしている。凪もかつて退魔士絡みの事件に巻き込まれた過去があり、私と同じく妖や退魔士の世界から身を引いている。正直、自分の事情に巻き込みたくないのが本音だ。

「…それで、何の話でしたっけ。警察に顔出すんです?」

「…まぁ、行かなきゃなのだけどね。それとは別に、会いたい人もいて」

 言って、珈琲カップに手を付ける。煩いくらいに歌う鳥に不快感を覚えながら、負の感情と共にカフェインを流し込む。

「…羽生さん、黙らせましょうか?」

「放っておいて大丈夫だと思うけど。喚くしか能が無いなら喉が潰れるまで喚かせるが吉、ってね」

 言って、窓の外を見遣る。小馬鹿にするような私の言葉に鳥はぴたりと独唱を止め、電線の上から喫茶を睨む。

「…成程、今ので確信した」

「あー…やっぱり関係ですかぁ…」

「…という訳で、黒羽君。あの雀、やっぱり黙らせてくる」

 え、と引き止める暇も無く私は店を飛び出る。黒羽君も同じリアクションを取ったということは、つまり『そういう事』なのだろう。思えば昼間からずっと私の側で鳴く鳥なんておかしいに決まっている。ソレに気付くまで遅かった私は鈍いというか、少し常識的に生きすぎたと言うべきか。

「待ってなさい、捕まえて焼き鳥に―」

 ―そう、私は鈍くて常識に囚われていた。あんな小鳥くらい私に掛かればどうとでも、なんて油断と慢心が招くものは破滅の路。それさえ無ければ、血を見る事なんて無かったのに。

「―――え」

 腹を貫いたのは鈍色の刃。その雀は―先刻まで雀の姿をしていた女は、一瞬で私の腸を抉ってみせた。


 ―此処は千羽町、人と妖が共に住まう町。未だ神秘の巡るこの土地で、常識なんて通用しない。




「羽生さんっ!?」

 倒れる私に駆け寄る声。腹綿抉られて随分な深手、けれど意識は明瞭で。否、焼けるような痛みが意識を手放してくれないと表現するべきか。

「大丈夫ですか!?すっごい血が…!」

「…大丈夫よ、黒羽君。私は、まだ、立てるから」

 喫茶から医療箱を運ぶ凪の声に応えながら、膝を付いて眼前の敵を睨む。其処に立つのは背から翼を広げる女の剣士。刀を塗った赤を拭きながら私を見下すその姿は、まるで悪魔だとか死神の類。…否、そっちの方が慈悲があるか。

「…貴様、転んだな」

「転んだというか倒れたのだけど。そもそも急にお前が―」

 其処まで言ってようやく気付く。雀の姿をした敵、喧しく付いてきた鳴き声。そして、転ぶ。嗚呼、成程。今の状況はまさに絶対絶命、本当にまずい。

『転ンダナ』

 刹那、背後から向けられる殺気。前が雀なら後ろは狼、あっちの世界なら常識だ。アイツは恐らく『送り雀』。送り雀の前で転んだならば、その者は『送り狼』に喰い殺されるとされる。即ち―

「危ないっ!」

 途端、凪に身体が突き飛ばされると同時に牙の鳴る音。振り返るとそこには巨躯の狼が―恐らくあれも妖―アスファルトの地面を噛み砕きながら聳え立つ。成程、やはり送り雀と送り狼で確定か。どうやら私は学校から、もしくは朝からあの連中に狙われていたらしい。

「っぶな、掠った!」

「…ありがとう、黒羽君。おかげで助かったわ」

「…どういたしまして。というか羽生さん何処に喧嘩売ってきたらこんな事になるんですか…」

「知らないわよ。挨拶も無しに腹抉られるレベルで恨み買われるような事、何もしてないのだけど」

 凪の応急処置を受け、伸びた前髪と眼鏡越しに現状を整理する。昨日巻き込まれた誘拐事件、現場に現れたが日辻が返り討ちにしたなまはげとかいう妖。そして今、私に刃を突き付ける雀と狼。…嗚呼、成程。予想は恐らくなまはげの敵討ち、もしくは逆で私をデカブツの同胞と睨んでの奇襲。どちらにせよ筋違いなのが腹立たしい。

『そこの小娘にも見られたか。スズメ、二人とも殺すか?』

蒼狼ソウロウ、そっちのセーラー服は生捕りとの命令だが抵抗するなら死んでも文句は無い。紫の娘は………見ろ、足震えてるガキだから放っといても大丈夫だろ」

『邪魔をするなら』

「邪魔なら殺せ。大義名分さえあればひびきの姫様は何も言わんさ」

 対の妖は殺意を以て此方を睨む。奴等の狙いは私一人、あの子は邪魔なら白昼堂々始末すると。全く、あまりの非道ぶりに溜息が溢れる。晴さんと凪の喫茶の前で荒事は避けたかったのだけど。

「黒羽君、貴女庇いながら立ち回るのは流石に無理。大人しく離れてて」

「…判りました、喫茶で待ってます。…死なないでくださいね」

 …覚悟を決める。あの昼行灯の日辻さえ身命を賭すこの世界に踏み込むならば、必要なのは覚悟の二文字。姫様とやらの命令だか何か知らないが大人しく捕まる筋合いも無ければ逃げる心積もりも無い。というより逃げる余裕も無い気がするけれど。

「…一つ質問。私が投降すると言えばこれ以上の危害は加えない?」

「抵抗しないならな。連行した後も尋問に答えぬなら痛みは増すと思え」

「…抵抗するなら?」

「黙らせて連れて行く。命の保証はしない」

「…そ。ならも一つ質問。今ここで、お前達を返り討ちにすると言ったら?」

 懐から手車ヨーヨーを抜く。大丈夫、私だって相応に腕は立つし奥の手だって備えてる。眼鏡越しの敵二匹くらいなんてことはない、赴くままに縊るだけ。

『貴様ッ………!我等を誰だと………!』

「ねぎまとワンちゃん」

『アァ!?』

「待て蒼狼!逸るなっ!」

 刹那、狼がアスファルトの地を駆り飛び込んで来る。どうやら妖といえど獣のナリである以上はその在り方に引っ張られるらしい。ならば此方の動きも立てやすい。

「『一手揚々シングルアクト』―」

『その減らず口ごと噛み砕いてやる!』

 殺意を籠めて牙を剥く狼、けれどアイツはどうやら莫迦だ。自分の勝利を信じてやまないタイプの莫迦。そういう奴が、一番最初に足元を掬われる。

「掛かった―」

『グルァアアア!』

「―『張網ネット』!」

 突き立てられる牙、けれどそれは私に届かない。あやとりのように絡ませた手車の紐が、蜘蛛の巣の如く狼の顎を捕らえてみせる。

『ガルァ!?』

「…ワンちゃん、裏番舐めちゃ駄目よ」

 口枷を嵌められた藻掻く餓狼、けれど藻掻けば藻掻く程紐は絡む。何だ、図体デカくて言葉を介するだけの犬ころ程度、本当にどうにでもなってしまいそう。このまま抑える事も、今すぐ決着を付ける事だって!

「…と言うわけで。命乞いとか…って、それじゃ喋れないわね」

 手車の網を解き、瞬時に顎を縛って放り上げる。私の身の丈以上の巨躯だろうと、この手車に掛かれば千切れる事なく砲丸投げのように振り回せる。二周、三周と遠心力に任せて勢いを増す狼の身体は、ごうんごうんと風を切り。

「…潰れろ、『野槌蛇ノズチ』!」

 振り下ろす巨躯がアスファルトを割る。錆鉄色の髪の乙女、羽生 有希は瞬く間に餓狼を仕留めてみせた。




 送り雀の剣士は戦慄した。この千羽町の闇を統べる千羽組、その六幹部の一人である送り狼の蒼狼ソウロウが、無名の女学生に一撃で仕留められた。それも妖相手に退魔士特有の魔力を使わず、手車と己が身体一つで武勇を示してみせたのだ。否、厳密にはあの手車が特殊な武具であると見受けたが、巨躯の獣を振り回して叩きつけたあの筋力は自前だ。眼前の細身の女は身体強化の術も使わずして幹部の一角を沈めてみせたというのだから、その実力は正しく規格外と呼べるだろう。

「…ったた、流石に肩外れかけたわね…。も少し体力付けなきゃかも…」

 ―否、そもそも身体強化の術すら知らない素人と云う可能性も。しかしそれなら余計にタチが悪い。退魔士でもない人間に千羽の幹部が打ち倒されるなど、醜聞にも程がある。

「…何者だ、貴様。本家の退魔士ではないようだが」

「…言う義理無いわよ。それと出来たらさっさと帰って欲しいのだけど。貴女も相当手練みたいだけど、これ以上やるなら多分どっちもタダじゃ済まないわよ?」

「試してみるか?素人一人程度、すぐにでも―」

「無理ね。貴女に私は殺せない」

 怒気を孕ませた剣士の声に乙女は煽るようにに返す。目元まで無造作に伸びた髪の奥、眼鏡のレンズのさらにその奥から敵を見据える瞳は蛇のように鋭く睨む。

 ―雀と呼ばれた翼の剣士は、このような敵と相対した事は無い。腹を刺されてなお気丈に立つその姿が、刃を向けられてなお笑ってみせる余裕が恐ろしい。まるで身も心も鋼鉄で出来ているような乙女を前に、気付かぬうちに脚が竦んでいた。

「…殺せない、だと?何を根拠にそんなことを―」

「だって貴女、『殺してこい』なんて命令されてないでしょう?」

「なっ!?」

 否、鋼鉄では無く錆鉄と呼ぶべきだったか。あの乙女は心があの髪と同じ赤錆に染まっているらしい。錆びた心で容赦なく琴線に触れてくるのだから、それでいて鋼のように強いのだから尚腹立たしい。

「…どうせ姫様だかに私を調べるように言われたのでしょう?もしそうならもう戦う理由は無いはず。後日私から大人しく出向くから、今日のところは引き返して。きっとそれがお互いの為よ」

 そう、あの女は容赦が無い。少ないやり取りと会話の中で此方の弱みを見つけ出し、納得せざるを得ない条件を突き付けてくる。まったく、何を食べたらそんなに性悪に育つのか。

「…錆鉄の乙女よ、名前は」

「羽生よ、羽生 有希。貴女の事は雀と呼べば?」

「構わぬ。…今日のところは蒼狼を連れて引き上げる。もし姫様が貴様から話を聞きたいと申し上げたなら、その時は」

「えぇ、なるべく応じるわ」

 快い応答に剣士は刀を収め、巨躯の狼を引き摺り踵を返す。後に脅威となるであろう若き戦乙女の名を胸に刻み、自らの居城へ帰還する。大敗を喫して帰す路には、冷たい風が無情に吹く。


「…良かった、帰ってくれた」

 私の口から付いて出たのは本日何度目かの溜息。腹の包帯に広がる赤を右手で抑えながら、そっとその場に座り込む。

 ―結果として、あの妖と接触出来たのは好都合だった。昨日のあの事件について、送り雀や送り狼の上官と思われる『姫様』に話を聞けるのならば願ったり叶ったりだ。そこでならきっと日辻や根住といった退魔士が持っていない情報を引き出せる。…それに、今後の身の振り方だって学べるかも。

「…っ、流石に痛むわね…」

「有希ちゃん、大丈夫!?」

「大丈夫に見えるんですかアンタは。負傷してんですよ」

「…マスター、それに黒羽君も。…ごめんなさい、お店に迷惑掛けたわね」

 喫茶から心配そうに駆け付けた二人、その前で気丈に笑う。生憎この身体だけは鋼のように頑健なのだから、そんな顔されても実際は大した事は無い。

「そういう話じゃないでしょ!?だって血が…」

「大丈夫、私ってば丈夫だもの。この程度なら一日寝れば治るわよ。悪いけど今日帰るからお代払うのまた明日で―」

 言った途端、再び何かが切れた音がする。やらかした、次は私があの子の地雷を踏み抜いてしまったらしい。

「なんですか莫迦なんですか錆付き過ぎて痛みも感じないんですか?というかあんなに大きいワンちゃんヨーヨーで振り回したら傷開くに決まってるでしょ?どうして毎度毎度アンタは無理無茶無謀通すんですか?」

「お、落ち着いて黒羽君?というか傷は不可抗力で―」

「言い訳は聞きたくありません。救急呼びましたのでじっとしててくださいね」

「でも」

「返事は『でも』じゃなくて『わかりました』しか認めません」

「………わかりました」

 あまりの威圧感に思わず肩をすぼめる。何故だろう、極悪非道の誘拐犯よりも、命を狙う妖怪よりも凪の方がよほど恐ろしい。私は言葉を噤み、静かに救急のサイレンを待ち続ける。

「…姫様、か。色々聞けるといいのだけど」




「…成程。羽生という方が。雀さん、事実ですね?」

「はい、姫様。蒼狼が一撃でやられたのです、此処は今一度緊急の会合を開くべきかと」

「………それは、ちょっと保留ですかね。だって彼女、正規の退魔士では無いのでしょう?」

「…まぁ、それは。昼間に日辻の退魔士にそもそも退魔士とは何かを訊いていましたから、恐らくはそうかと思いますが」

「なら大丈夫です。…でも、そうですね。次のアクションは早めにしましょうか」

「…姫様?一体何を…」

「お父様が動く前に動きます。…多分有用ですよ、彼女」

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