File.1 そこに希が有るのなら

 ―その少女は、才能を惜しまれた。

 定期考査では常に満点、運動神経も抜群。雑学もあり、容姿も少女ながら整っていて。傍から見た彼女は才能の塊で、ある者は彼女の素養を『現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ』と喩えた。つまるところ、その呼称に相応しい程には彼女は多才であった。―たとえ、実際にはそうでなかったとしても、見誤った誰かの評価が独り歩きする。

 ―同時に彼女はこうも評価された。『万能足りて一心足らず』と。確かに少女は万物の才能に秀でてはいたが、気性だけは難儀であったのだ。正確に言えば、彼女は達観し過ぎていた。

 学校の授業は知っているから意味が無いと無断欠席、遅刻早退を繰り返し、恵まれた運動神経も他校の不良達との喧嘩に用いていた。優れた才覚も極度に面倒を嫌う性質が祟って活かす事は殆ど無く、興味を持つは活字とオカルトのみ。そんな彼女に、多くは奇異の目を向けていた。

『彼女は惜しい。真面目でさえあれば、天才であったのに』

『彼女は惜しい。従順でさえあれば、出世出来ただろうに』

『彼女は惜しい。自らの立場を理解しない彼女は、惜しい』

 ―なんて。嗚呼、本当に五月蝿うるさい連中だ。お前達が望むのは、ただの優秀な駒だろう?欲するのは私では無く、私の才覚だろう?そんな輩の戯言なんて聞くものか。私は私だ、この捻くれに捻くれた性格ありきの私なんだ。そこから目を背けようとする奴等は、本当に―


「―苛立つわね」

「…羽生はぶさん?」

 私立千羽せんば高校、その職員室の真ん中で、少女は不快を吐く。数名の教職員に取り囲まれた中で、焦茶の瞳で目前の女教諭を睨みつける。

「―貴女、自分が説教されている事、解らないんですか?」

「…あぁ、ごめんなさい。余りにも益の無い言葉ばかりだったから、考え事してました」

 そして不敵に笑みを浮かべ、苛立つ教諭を煽ってみる。焦茶の髪と眼鏡の奥から瞳を覗かせ、愉しそうに嗤ってみて。

「…そうですか。ではもう一度、言いますね」

 あら、つれない人。心の内で教諭に息を呑み、彼女の説教にもう一度、今度はきちんと耳を傾ける。否、拘束時間だとか、今日の昼食について思考を巡らせながらなので、『きちんと』なんて表現は適切では無いのかもしれないけれど。それでも彼女にしては比較的真面目に教諭の言葉を聞き入れる。

「…貴女は学業の面では非常に優秀なんですから。サボるの、少し考えては貰えないでしょうか」

「そうですね。先生方が親身にお説教してくださったので…取り敢えず、今日の所はきちんと受講します。…明日以降は、知りませんけど」

 言って、少女は職員室を後にする。待ちなさいと引き止める声も何処吹く風、苛立ち混じりに戸を開く。

「それでは、失礼します」


「…全く聞く耳持ってくれませんね」

「あのガキ…!全国模試一位だからって調子に乗りやがって!」

「…落ち着いてください、濁川にごりかわ先生。むしろ有希さんが職員室に来てくれただけ良かったじゃないですか」

「良いわけがあるかっ!授業に飽きればすぐサボり、先週はサボりついでに東京まで行ってたんだぞ!?」

「でもお土産美味しかったですよねー」

「黙れ半田はんだ!奴は成績がいいだけのただの不良だ!弁が立つ上に喧嘩ばかり、そんな奴はやはり拳で分からせて―」

「…時代遅れですよ、ゴリラ先生」

「誰がゴリラだ!」


「…本当、莫迦バカばっかり」

 職員室で鳴る雑音に、盛大に溜息を溢した。こんな大人だからこそ、私は反抗したくなるのだが。全く、信頼なんて無いに等しい教師の言う事など、誰が聞くものか。

「チッ」

「…苛立ってるねぇ、有希ゆうき

 刹那、呼び止める声がする。反射的にその方向を向くと、学ランを着た糸目の青年が心配そうな表情で立っていた。

「あら、日辻ひつじ。待っててくれたのね」

 日辻 完二かんじ。私の幼馴染で、町の商店街の酒屋の息子。普段はぼーっとしているけれど、本当の意味で私を見てくれている、貴重な人。…なんて、絶対口にはしないけど。

「…大丈夫ぅ?何か酷い事言われなかったぁ?」

「さぁ、忘れた。…昼食のこと、考えてたもの」

「有希の昼食てゼリー飲料…」

「しー、内緒」

 とぼけ、彼と共に自教室へ足を向ける。その道中でも此方の顔を心配そうに覗き込む日辻の様子に、思わず溜息が溢れ出た。

「…貴方は何か言われたの?」

「うん、有希のブレーキ役として機能してくれって…」

「ああそう。ま、貴方にブレーキ役とか無理でしょうけど」

 酷いなぁと抗議する日辻を余所に私は自教室へと踏み入る。それと同時にチャイム音が鳴り響き、今日の授業の始まりを告げられる。机から教科書類と筆記用具を取り出して席に着き、教師を薄っぺらい笑顔で出迎えた。


 四限目が終わり、昼休憩時間の教室はいなごの群れのように騒音を上げる。そんなやかましい蝗共が喰らうは、稲穂では無く弁当箱の中身なのだが。

「ねぇ、最近ここいらで誘拐事件あるらしいよ」

「あー、なんか神隠しかもーって言われてるらしいねー」

「マージー?ま、ウチらには関係無いっか」

「だねー。大体神隠しなんてあるワケ無いし」

 …五月蝿い。貨物列車より騒々しい。年頃の学生というのは、この世で最も喧しい生物なのかもしれない。全く、一応は人間なのだから食事時くらいは静かに出来ないのだろうか。そんな事を考えながら、私は雑音から逃れる為に教室を後にする。とはいえ、この時間で昼食を済ませなければいけない為、行く先はあってないようなものだが。

 階段で四階まで登り、さらにそこから『立入禁止』と書かれたバリケードテープを潜り抜けて屋上に繋がる扉を開く。

「…ふふっ、静かね」

 澄み渡る青い空、頬を撫でる初夏の涼風。鳥の唄だけが鳴るコンクリートの楽土に、ゆっくりと五体を投げ出して。全く、閉鎖されているのが勿体無いくらいだ。否、こんなに心地好い空間が開放されてしまえば、此処も喧騒に呑まれて本末転倒だろうか。

 エネルギー飲料で昼食を三十秒で済ませ、スマートフォンで最近のニュースを確認する。政治の話に天気の話題、それらの記事をスクロールしていくと、

「女子高生連続失踪、不明者はいずれも長野出身…ねえ」

 他人事では無い被害者像に、私はその記事を表示する。それによると、三日連続で立て続けに発生している失踪について、それらの共通項から事件性が見出されたらしい。現時点では犯人像も失踪時の状況も不明らしいが。

「…そういや、さっきの子達が言ってた神隠しって」

 途端、背筋に寒気が走る。思わず身体を起こすと、屋上の扉の磨硝子すりガラスの向こうに、黒い影が―

「―此処で何してるんですか、羽生さん」

「…なんだ、乳牛馬鹿うしわかか」

「今ひっどい呼び方しませんでした?」

 …神隠しの方がまだマシだった。眼前に立つは此処、千羽高校の生徒会副会長である牛若 アリア、規則に厳しい面倒な女だ。嗚呼、そう言えば風紀委員として見回りしてるとか聞いたことがあるような。…風紀?その胸肉ブリスケで?何それ、突っ込み待ち?

「…何を笑ってるの」

「嗚呼、ごめんなさい。それで?生徒会副会長ともあろうお方が、私に何か?」

「…此処、立入禁止の筈ですが」

「そうなの?知らなかったわ」

 両手を広げてとぼけてみせる。嗚呼、何故に此処が閉鎖されているのか判ったような気がする。十中八九、私みたいな人がいるからだ。けれど高校側も高校側で鍵くらいはしておくべきだったと思う。入学から一月半程、ずっと使える状態なのはそちらの問題では?なんて、棚上げできる立場ではないのだけれど。

「…仕方ないか。戸締り、した方が良いわよ」

 という訳で、牛若の横を通って屋上の出入り口に足を向ける。癪には触るが、愚図って面倒事になるよりは幾分もマシだ。無論、昨日の一件の怒りを忘れた訳ではないが。

 ―思いっきり、コンクリートを蹴る。牛若が認識できないほどの勢いで跳躍、笑みを浮かべてフェンスの向こうに身を投げ出した。

「な―――」

「それじゃあね、乳牛馬鹿うしわか

 傍から見ればただの身投げ、突拍子も無い自殺行為に映るだろう。新体操のような落下中のひねりも見受けるが、無論加点だとかそんなものは当然ない。校庭からの高さは大体二十五メートル、普通なら人間の身体は肉塊に成り果てるだろう。

「やめなさい!」

 女の声がむなしく響く。見下ろす先には、少女の姿は映らない。何故なら―


「ただいま、日辻」

「…有希。何で飛び降りて戻ってくるのさ」

「…階段で降りるのが、面倒で」

「皆びっくりするから止めてって言ってたでしょ…」

 彼女は五体満足で自教室にいた。青年に叱責されながら、少女は左中指に巻いた糸を手繰り寄せる。眼鏡の奥に映る焦茶の瞳は、ばつが悪そうにそっぽを向いていて。

「…ところで、どうやって此処に飛び込んできたの?」

「アンテナに手車ヨーヨー巻き付けて体支えて、あとはターザンみたく」

「ヨーヨーってそういうのじゃないと思う」

他人ヒトの思い通りとか嫌いなのよね。道具だって使いようよ」

 窓の外から手車を回収する有希に、日辻は呆れた様子を見せる。因みに彼女のダイナミック入室はこれで三回目。クラスメイトも段々と慣れてきている節がある。否、こんな奇行に慣れては行けない気がするが。少なくとも、クラスメイトに迷惑を掛けることはしていない(本人曰く)ので、気にしてはいないと思われる。

「…それでいいのかこのクラス」

 日辻の諦めるような声も、雑多の音に搔き消された。


 午後の授業が終わる頃には、有希は夢の中にいた。日辻は彼女の肩をとんと優しく叩くが反応は無く、それは終業のチャイムが鳴っていても同等だった。

「えー、最近は女子生徒を狙った事件も多いので気を付けて。…日辻君、羽生さんお願い出来る?」

「りょーかいでーす、せんせー」

 日辻は手慣れた様子で有希の荷物を纏め、彼女の身体を起こして背に乗せる。すうすうと呑気な寝息を髪で受けながら、慎重に教室を後にする。

 普段は気難しく他者との交流も少ない有希だが、日辻とは付き合いの長さや彼自身の気質もあって関係性は良好。数少ない理解者として周知されているため、有希の監督役やブレーキ担当を任されることも多い(彼がその役割を果たせているかは別として)。彼女の運搬役などは日常茶飯事だ。

「ほら、有希。帰るよぉ」

「むにゃ…えう…姉様…あと五分…」

「―うん、ゆっくり寝てていいからね」

 夢現の有希を背に、朱に染まった帰路を行く。千羽町は長野県の山間に位置する比較的広い田舎の町で、町の大部分が田畑や山林である。中心部や南部はある程度発展しているが、小規模な商店街と炭焼き小屋がある程度。自然豊かで長閑のどかといえば聞こえは良いが、観光するようなところは特に無い。四年前に純喫茶が建って以来は、何ら変わり映えの無い町だ。十分歩いても小麦畑しか目に付かないと、流石に退屈になってくる。

「有希背負ってると、流石に疲れる…」

「ほらほら、挫けない挫けない。あと五分で私の家だから」

「起きてるなら自分で歩いてくれないかなぁ!?」

 悲鳴を上げ、有希を背から降ろす。有希は眼鏡を掛けなおし、不満そうに頬を膨らませて抗議の声を上げた。

「全く…。もう少しくらい背負ってくれてもいいじゃない」

「そもそも教室出て丁度五分で起きてたでしょ…。寝てるフリしてるの判ってるからねぇ?」

「それは…。好きな人の背から離れたくなくて…」

「本音は?」

「『便利な道具として』好きな人の背から『歩くの面倒だから』離れたくなくて」

「省略部分が本当ひどいやぁ」

 悪い笑みを浮かべる有希に呆れ混じりの溜息を溢す。そして彼女の鞄を投げ渡し、「ここからは歩いて帰ってよね」と訴える。対して彼女は心底面倒そうに下を向き、暫く経ってから仕方ないかと呟いた。

 ―本当なら、彼女を置いてけぼりにしてもよかった。いくら事件が多いからという名分はあっても、それだけでは有希を連れて帰る理由にはならない。そもそも、下手に起こしてしまっては、最悪日辻の首が飛ぶ。比喩とかではなく、物理的に飛ぶ。だから本当は、そっとしておくのが最善の対応なのだ。

 ―けれど、それでも。


「ありがとね、日辻。それじゃ、また明日」

「うん、また明日ぁ」

 呑気に手を振り、帰路行く夕暮れ。有希の自宅は町の外れ、田畑に面する襤褸ぼろい古民家―のような建物。築六〇年のものを半年前にリノベーションし、彼女好みに改修されている。水道、ガス、電気完備。浴室や化粧室は勿論、書斎もある豪華使用。惜しむらくは、一人暮らしの身には些か広すぎることくらいか。

 そんな安息の地を目指して歩みを進める。あと五分とは言ったが、彼女に掛かれば三分で辿り着く。先刻までの気怠げな態度はどこへやら、その足取りは軽快で。

 しかし、ふと足を止める。自宅の玄関の前に、大きな人影。誰だろう。少なくとも、知り合いにはあんな大柄な奴はいない。郵便?まさか。何かを注文した覚えも無ければ周囲に配送車も見当たらないので選択肢から除外。ともすれば、悪質セールスか宗教勧誘か。どちらにせよ、ろくな相手ではない。

「…あの、何か御用ですか」

 ―まぁ、結果から言えば。

「―嗚呼、やはり上質だな」

「………は」

 ―予想の斜め上を行くロクデナシだったのだけど。


 最初に、首筋を走る痛覚で目が覚める。レンズ越しの視界は暗闇、何も見えない。一先ず身体を起こそうとして、再び首に痛みが走る、と同時にじゃらりと鎖の音。

 ―成程、首輪と鎖―

 犬猫の類じゃないのだけど、と苛立つ声を寸前で抑える。現状が不明である以上、下手に声を上げる訳にはいかない。最も優先するべきは、現状の確認だ。少なくとも私の身体には、首輪以外に目立った異変は無い。手枷足枷も、目立った外傷も特に無し。身体の違和感も何ら問題は無し。

 次に、周囲の確認。段々と闇に慣れる視界がまず映すのは、首輪の鎖が繋がれた鉄格子。その向こうからは微かに薬品臭と―

「おねがい、おうちに帰してよぉ!」

「…嫌だ、わたしまだ死にたくない…!」

「許して…、許してぇ…!」

 ―若い、女の声。悲鳴と鉄格子を揺らす音が、一、二、三。この暗闇では流石に顔の判別までは行かないけれど、多分は齢十五から十八くらいと推定。私含めて皆、同年代と思われる。

「…恐慌状態。怖い目にあったのね」

 ふと、昼間に見たニュース記事を思い出す。長野出身の女子高生の失踪事件。一日一件、三日連続で続いていた。三件目を昨日とするのならば、四件目の失踪者は。

「おやおや、御目覚めかね。我が華麗なる宝石達よ」

 刹那、声と共に光が射し込む。そこに立つのは、白衣姿に不似合なサングラスを身に着けた禿頭の―マッド・サイエンティストと呼ぶに相応しい男。

「いやっ…いやっ…!」

 男を見た少女達の声が震える。許せない。年端も行かない少女達を怯えさせるなんて、全く以て許せない。

 …いや、感情的になっている場合では無いか。折角部屋が明るくなったのだ、今の内に周囲の状況をはっきりさせなければ。

 まず一つ、此処は恐らくコンテナの中。全体の空間から察するに、貨物列車等の輸送用として扱われる大きさだ。

 二つ、薬品臭の原因は此処に積まれた袋の中だ。ご丁寧にパッケージまでされているそれは、恐らく禁止薬物ドラッグに類する―それも、恐らくは如何いかがわしい用途を主としたもの。要するに惚れ薬とか、そういう手合いのものである。

 ―そして三つ。私達を攫った連中の脳味噌は、随分と阿呆の方向に振り切れているらしい。

「嗚呼、そんなに怯えないでくれたまえ。いずれはその恐怖の声も、甘い色に染まるのだから」

「うっわエロ親父」

 …色んな意味で嫌気が差す。流石に私があの莫迦の類に不覚を取る訳が無い。私を攫ったあの影は共犯者と見るのが当然だ。とはいえ、自分が囚われの身である現状に変わりは無い。

「…おや?君は初めまして、かな?彼が送ってきた割には貧相―にも程があるな。まあ特殊な趣味には売れるだろう」

 待て誰が貧相だ。貧相て言ったか貧相にも程があるって言ったか。よし決めた殺す絶対殺す死ぬまで殺す。首輪さえ無ければ、奴さえ見れれば―!

「…いえ、冷静に振る舞うべきね」

 そうだ、今の私にはどうする事だって出来ない。手足は自由だが格子に繋がれた首輪のせいで動きが制限される。鞄は―コンテナの入口、流石に届かない。あのハゲを仕留めるだけならまだしも、脱出するには、彼女達を助けるには一手届かない。

「おやおや、地味な見た目の割には反骨精神に溢れた娘だ。彼は最高の素材だと言っていたが…どれ。折角だ、少し試し打ちと行こうじゃないか」

 途端、がっと左腕を格子の外に引かれる。痛みで思わず顔をしかめるが、男はそれを気にする様子も無く懐から注射器を取り出した。

 ―くそっ、何でサングラス着けてんのよ…!―

 奴の目は見えない。見えないなら、どうしようも無い。

「案ずる事は無い。どうせ君等は売られるんだ、今の内に慣れて置いた方がいいだろう?」

 ふざけるな。誰がお前の思い通りになるものか。こんな所で人生を台無しにしてたまるものか。私は、私の好きなように生きると決めたんだ。だから―


『彼女は惜しい。真面目でさえあれば、天才であったのに』

『彼女は惜しい。従順でさえあれば、出世出来ただろうに』

『彼女は惜しい。自らの立場を理解しない彼女は、惜しい』

 ―煩い。たとえどれだけ惜しまれようと、私は。


「『If Hope is thereそこに希が有るのなら,Have a brave私の勇気を振り絞れ!』」

 瞬間、無意識に右腕が注射器を払う。勢いよく、相手の腕が腫れる程の勢いで、中の薬ごと吹き飛ばす。

「なっ…!?」

「…どうしてたんだか、私。諦観なんて、らしくない!」

 そして同時に自らの入った檻を蹴り上げる。揺れる、傾く。鉄格子が、白衣の男に影落とす。

「倒れろ!」

 どんがらがっしゃんと荒い音。格子の下敷きになった男の白衣から鍵を盗み取り、手早く首輪と檻の錠を外す。

「貴様…!何て事を…!」

「黙れ助平爺。悪いけどあの子達も返してもらうから」

 コンテナの入口で鞄を回収。良かった、この位置なら他の被害者の様子もはっきり見える。注射痕も薬の症状も見受けられない。良かった、危害は加えられていないらしい。

 ―終わりだ。このまま奴はお縄に、行方不明者は無事発見。事件は無事ハッピーエンドで片付きそう―

「…は、はは、はははははははははははははははは!」

「…何?計画頓挫で気でも狂った?いいわよ、ずっと檻の下敷きになってなさい」

「ははは、馬鹿め、馬鹿め馬鹿め馬鹿め!後ろだ、後ろだよマドモアゼル!」

 男の狂った声を、世迷言だと切り捨てる。しかしながら彼の笑い声は止む気配が無い。面倒ねと溜息を溢したその刹那。

「…本当、笑えるわね』

 コンテナを覆い尽くす、巨大な影が現れた。

『悪イ子ハ居ネエガァアアアアアアアアアアアアア―』




退魔拳法たいまけんぽう、『冥帝掌めいていしょう』!」

『―アアアアアアアアアアア!?』

 ―そして、その影は一撃で地に伏した。山のような怪物が、高校生程の青年の掌底一発で吹き飛んだのだ。地鳴りと土煙に包まれる空間で、少女は思わず吹き出した。

「ほんっともぉ!貴方はやる事為す事痛快ね、日辻!」

「笑ってる場合じゃないでしょお!?有希が帰ってないって聞いて心配したんだからねぇ!?」

 日辻と呼ばれた青年は青の瞳を見開いて有希に詰め寄る。面倒そうに返す有希に日辻は小言を続けるが、彼女が聞く耳を持つ筈も無く。

「…取り敢えず、説明してくれる?私も何が何だか判らなくて」


「…まず、前提として。僕達は退魔士たいましとして、超常的存在が絡むこの件を追ってたんだぁ。妖怪ようかいあやかしって呼ぶけどぉ、ソコの『なまはげ』って妖がねぇ」

「長い。簡潔に宜しく」

「ボク、コレ、オッテタ。ユウキ、ツレテカレル、モクゲキアッタ。キタラ、アヤカシ、イタ」

「…成程。居合わせたのは偶々なのね」

 むぅ、と唸る不良少女。被害者は全員保護、あの男は警察に連行された。そこのよく分からない『なまはげ』とやらは別の業者が処理するそうだ。―後に、あの科学者風の男は違法薬物の製造と誘拐・監禁、人身売買について罪を問われる事になるのだが、それはまた別の話。

「…待って。アレ、何なの」

「さぁ。僕はあの科学者が白部組しらべぐみ―この町を牛耳る妖の組織と繋がりがあるって聞いたから調査する積もりだっただけだからねぇ。何でアレがいたのかは、皆目見当も付かないやぁ」

 そう、と再び唸る。―知らなかった。私が悠々と生きている間にこの町は随分と変わってしまったらしい。少なくとも、あのようなよく分からない連中が怪異と手を組んで悪事に手を染め、彼女達のような無辜の人々が被害を受けている現実は、嫌でも脳裏に焼き付いた。…全く。此方側に戻ってくる積もりなんて、全く無かったのだけど。

「…日辻。おかしな事、言ってもいい?」

「もちろん」


『彼女は惜しい。真面目でさえあれば、天才であったのに』

『彼女は惜しい。従順でさえあれば、出世出来ただろうに』

『彼女は惜しい。自らの立場を理解しない彼女は、惜しい』

 ―惜しくて結構。たとえどれだけ惜しまれようと、私は、私の好きなように生きると決めたのだ。私に未来があるのなら、そこにのぞみが有るのなら。


「貴方の上司と、お話させて欲しいのだけど」

 ―これは、少女の才覚が芽吹くまでの怪奇譚。

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