千アヤ外伝譚 蛇巫女の詩

織部けいと

壱・覚醒前夜

序章 その少女、サボり魔につき

 授業とは、実に退屈な物だ。教科書に載っている内容をわざわざ口頭でも説明され、書き写せとまで命じられる。教科書だけで十分な筈なのに、何度も何度もネチネチと。意味が分からない。否、意味なんて何処にも無いのかもしれない。

「はい、羽生はぶさん。この式が解りますか?」

 教師という存在も理解に苦しむ。言葉を並べ、チョークを走らせるだけで、生徒の事なんて見てもいない。勿論、そのような人間ばかりでは無い事も承知している。けれど、そういう奴が多いのも事実である。

「羽生さん?………寝てるのかしら」

 だから、些細な反抗をする。

「全くもう、寝てないで―――え?」

「先生?どうかしました?」

 嫌がらせの方が、授業なんかよりよっぽど有意義だ。だから、私はそれに全力を尽くす。簡単に引っ掛かる阿呆の顔を想像しながら、私は町を歩いていた。

「………やられた。人形を身代わりに逃げたみたい」

 

「もぉ。有希ちゃんったらまた逃げて来たの?」

「簡素な人形と私を間違える方が悪いんですよ」

 町の小さな純喫茶で、少女はふふっと笑みを浮かべる。目元まで伸びた焦茶の髪、その間から覗く黄金の瞳。平日の昼間にも関わらず制服姿で喫茶店に居座るその少女の様子は当然ながら奇異に映る。けれども、今この場所にはそれを咎める者はいない。私―羽生 有希ゆうきにとって、それは非常に心地の好い物であった。

「はい、どうぞ。熱いから気をつけて」

「ありがと、はるさん。あ、ナポリタンもお願いします」

「はいはーい。でも、ここに居るのバレたら怒られるんじゃない?」

「そうですね。けど、神や英雄じゃないなら全く怖くないですよ」

 喫茶のマスターとの何気ない会話に、つい頬が緩んでしまう。私とマスター、そして一人の店員しかいない店内に流れる空気とラジオの音。平穏だが退屈では無いこの時間は、学校なんかよりもとても有意義だ。

 学校…か。今頃奴等は私を捜し回っているか、それとも諦めたか。どちらにせよ滑稽に映るだろう。けれど、少し可哀想に思う。そうさせた私が言える事では無いけれど、少しだけ後悔はしている。

「まぁ、ここに来る事は無い筈…」

 そう呟いた刹那、喫茶の店員が入口を見遣る。視線の先の硝子がらすは、来客の影を移していた。

 ―そして、扉がベルの音を奏でながら開いていく。

「すみませーん。羽生さん、来てますか?」

「…嘘」

 はぁ、と店員は溜息を零す。その視線の先には、千羽のセーラー服を着た艶やかな黒髪の女性が立っていた。

 

「えーっと、牛若うしわか アリアさん、でしたっけ。ブレンド、淹れときますね」

「…黒羽くろはね君。その女にはセンブリ茶で十分よ」

「…なんでこんなに印象悪いのかなぁ」

 カウンター席で項垂うなだれている黒髪の女性、牛若に対して「仕方無いんじゃないですか」と黒羽と呼ばれた店員が苦言を呈す。

 ―牛若 アリア。私立千羽せんば高等学校、そこで生徒会副会長を務める二年生。彼女は確か、現生徒会長と共に開店休業状態だった生徒会を立て直したとか。文武両道、才色兼備と言った言葉は彼女の為にあると語る生徒も多い…らしい。

「…そんな女が、何でここにいるのよ…」

「もしや、牛若さんもサボりですか?はい珈琲どうぞ」

「いいえ、学校の依頼で生徒会の仕事を。あ、これ美味しい」

 生徒会の仕事、と言った単語に首を傾げる黒羽に、私はこほんと咳払いしてから無知な彼女に説明する。

 ―千羽高校の生徒会はボランティアや中学校への広報活動等、学外の活動も多い。その為、会員特典として、活動と授業が被った場合には活動の優先が許されている。なお、千羽の生徒会は立候補による加入では無く、生徒会メンバーによって有用な生徒をスカウトする事によって面子を集めている為、サボり目的での加入はほぼ不可能に等しい。

「…つまり、生徒会の仕事中に小休止くらいは許されている、って事。実質サボりの黙認よね」

「ちーがーいーまーすー!私は羽生さん、貴女に用があるのですから」

 嫌味混じりの私の言葉に、牛若はむぅと頬を膨らませて反論する。その様子に困惑するマスター、「羽生さんまた何かやらかしたんですか」と目で訴える黒羽。私も堪らず牛若に本題を述べるよう急かすと、彼女は少し考え込んでから言葉を紡いだ。

「羽生 有希さん。貴女、サボり過ぎです。このままだと停学、及び退学処分が下されます」

「…だと思った」

 彼女の発言に、私は深く溜息を溢す。そして彼女の言葉の真意を悟り、すくりと立ち上がった。

「それで?牛若、貴女は伝えに来た事はそれだけじゃあ無いでしょう?言っていいわよ、貴女の用意してるであろう交換条件を」

「…気付いてましたか。えぇ、交換条件は用意してます。…羽生さん、生徒会に入りませんか?」

「………は?」

 牛若の突拍子も無い発言に、私は疑問の声を上げる。成績は優秀な部類だが超が付く程の面倒くさがりの私を、生徒会が必要とする理由が分からない。一年生には私以外にも優秀な人材はいる筈なのに。

「今までサボっていた分、生徒会として働いて貰う。そうして頂ければ、停学、及び処分は免れるかと。…それに」

 牛女の言葉に私は唸る。確かに生徒会への加入は私にとってメリットの方が多い。下手な授業よりも生徒会活動の方が余程有意義であると思われ、更に肩書は何かと役に立つ。…けれど。

「私は見込んでいるのですよ。貴女の、退魔士たいましとしての素質を」

 その言葉で、喫茶の空気が凍りつく。マスターはやれやれと頭を抱え、黒羽は深い溜息を溢す。無論、私も隠しきれない程度には気が立っているだろう。

 ―退魔士とは、魔力を保持する人間の総称。古来より彼等は伝承に登場するような妖怪―あやかしを祓う事を生業としてきたと言う。

「貴女も知っているでしょうけど、この町には妖が多い。いくら共存する為のルールを設けているとはいえ、妖は悪に他なりません。時に人間を襲い、暴れ回る。私達生徒会―退魔士は、万が一の際には生徒を護らなければなりません。その為に」

「退魔士を集めていると」

 淡々と語る牛若を睨む。そう、私も一応は退魔士、魔力を保持してはいるのだ。無論、妖による事件が此処、千羽町で多発している事も理解している。

「その通りです。…さて、お答えをお聞かせ願えますか」

 そう、理解はしているのだ。けれど、私は知っている。妖は皆が悪では無い事を。退魔士は皆が善では無い事を。そして、何より―

「…信用出来ないわ」

 そう言って、私は喫茶を後にする。店を出た後は逃げるように必死に駆けた。情報で頭が一杯になった。感情で心が一杯になった。そんな心を捨て去るように、私はひたすら駆け抜けた。


 翌日、一年二組の教室。十中八九辛気臭い表情をしていたであろう私を、ベージュの髪の男子高生、日辻ひつじ 完二かんじが心配そうな表情で見てくる。コイツは私の幼馴染なのだが、話も遅い上にいつもモタモタしているから時折心配になる。

「日辻、言いたい事があるならはっきり言いなさいよ。ジロジロ見てるだけじゃ私じゃない限り嫌われるわよ」

「うぅ、酷いやぁ。僕だって頑張ってるんだよぉ」

「なら私しか話し相手いないの何とかしなさい。同じ生徒会の人とか…」

 言いながら私ははっとする。確か日辻も入学早々に生徒会に誘われ、渋々ながら加入したと話していた。しかし、生徒会の面子は如何せん曲者揃いだと聞いている。良く言えば個性豊か、悪く言えば協調性の欠片も無い面々。私が生徒会への加入を即答出来なかった理由の大部分がそれなのだ。そのような者達が集まる生徒会にも、彼の居場所は無いのかもしれない。

「ねぇ、日辻。生徒会って全員クズなの?」

「そうだねぇ。有希の言うクズが僕と合わない人って意味なら、根住ねずみ先輩以外は当てはまってしまうねぇ」

「根住…確か三年に会長の仕事を押し付けられたって噂の」

 強張っていた私の頬が少しだけ緩む。根住 大吉だいきち、名前とは違って不運な男。常に貧乏クジを引かされているが、その状況にすら活路を見出だす姿から生徒達の間で信頼の厚い青年。カリスマ性であれば百年に一度の逸材だとかと評されていた記憶がある。

「…それでぇ?生徒会の話が出てくるって事はぁ」

「入る訳が無いでしょう!乳牛馬鹿うしわかに勧誘されたのだけど、しっかり断ったわよ!私の友人馬鹿にしてる奴の組織になんて…あぁ腹立ってきた!」

「ご、ごめぇん…ハッカ飴いるぅ?」

 寄越しなさい、と彼の出した飴を奪い取って口に入れる。全く、生徒会の癖に他者を軽視しているなんて信じられない。…いや、古臭い体制の退魔士の中では普通に入るんだろうけど。それにしても、あの女。次に会ったら必ず絞める。

「牛若先輩、味方内には優しいんだけどねぇ」

「嫌いな相手なら何しても構わないとでも思ってるのかしら。乳牛の癖して気性は闘牛ね、あの女」

「…慎まない有希も有希だけどねぇ」

 日辻が溜息を溢すが、私は悪いとは思っていない。妖全体を悪と見なす者は一つの側面しか見ていない者か、憎悪に呑まれた者か。それとも、何かの改革を目指す者か。ともかく、座敷童ざしきわらしを見ても同じ事が言えるかどうかが知りたいものだ。

「でも、有希も退魔士を嫌いすぎだよぉ?」

「…それは否定しないわ。己を律しないと貴方でも殺したくなるもの。それこそ、遺伝子レベルで嫌いなのでしょうね」

「………それって」

「あら、そろそろ朝礼」

 日辻の言葉を遮るように私は言った。そしてほぼ同時にチャイムが鳴り響き、教師が入ってくる。日常の風景だが、そうだとするなら私は毎度のごとく脱走した事を咎められるのだろう。しかし、

「おはようございます。…あ、羽生さんと日辻君は職員室に行ってきてくれる?大切な話があるの」

「…大切な、話?」

 教師から発せられた予想外の言葉に腑抜けた声を上げてしまう。訝しげに日辻と顔を見合わせながら、仕方なく教室を出る事にした。


 ―これは、千羽が戦乱に巻き込まれる、一年程前のお話。

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