第19話・魔族の子孫と竜の分岐
目の前に真っ白なドラゴンが前のめりの姿勢で倒れ込んでいる。巨大な一体のドラゴンだ。
このドラゴンとの長期戦は鬼門、カンナが俺に助言してくれた事だ。仲間の助言だから俺は迷う事なく信じる、と決断した。……だがその結果が仲間に犠牲を強いてしまうとは思わなかった。
「パベル、俺が言えた義理じゃないけど大丈夫か?」
「大したことないよ。それにさっきも言っただろ? 汐が死んだら俺だって死ぬんだ。」
「……ありがとうな。パベルのおかげ助かったよ。それとガイアもな。」
「汐おおおおおお!? 初めて汐が私のことを褒めてくれた!!」
そう言えば俺がガイアにお礼を言ったのなんて、この世界に来てから初めてだな。それにしても泣くほどの事なのかな? 俺はまたしても混乱してしまう、……さすがは駄々っ子女神だよ。
「でだ。マザードラゴンにはトドメを刺すのかい? そうしたら汐は晴れて『ドラゴンスレイヤー』を名乗れるわけだが。」
「ドラゴンスレイヤー?」
ドラゴンスレイヤー……、直訳するとドラゴンを討伐せし者か。言葉の意味は理解できる。だがパベルがわざわざ口にしたからには何かしらの意味があると思うのだが。
「ああ、殺せばマザードラゴンの力を手に入れられるんだよ。……なんだい、カンナのお嬢ちゃんは反対かい?」
「……この方は私の両親と知り合いなんです。」
カンナが初めて自分のことを口にした。俺はこの子に言いたくなったら言えばいい、と言ったがこのタイミングとは思いもしなかった。
現状で確認すべきことは『どうしてここにマザードラゴンがいるか』、なのだが。カンナのことも並行して確認した方が効率は良いのかな?
「カンナ、もしかして君はこのドラゴンがここにいる理由を知っているの?」
「……いや、汐。それはないだろう。今回のクエストを受理したのは俺たちなんだ、このお嬢ちゃんが現状のギャップを知るわけがないだろう?」
「……私が知っているのはこの方の能力と性格です。私の父がマザーの『融合者』でした。」
「融合者あ!? マザーに選ばれた人間がいたってのかい!?」
「パベル、俺が話についていけない。ドラゴンスレイヤーはなんとなく分かるけど、融合者って何さ?」
「あ、ああ。そうだね、汐にはそこからか。融合者ってのはドラゴンと融合した人間のことさ。結果的にはドラゴンスレイヤーと同じなんだが、融合者は融合後にドラゴンと会話ができるらしいんだ。頭の中でね。」
そうか、ドラゴンスレイヤーはドラゴンを殺してその能力を手に入れるから、その場限りの関係というわけか。そしてカンナのお父さんはその融合者だと。
「……父は転移者でした。日本と言う国からこの世界にやって来て、マザーと融合したと聞いています。」
「日本!? カンナのお父さんは俺と同郷なのか!?」
「え、汐さんも日本人なんですか!? 私の父は万屋雷太(よろずやらいた)と言います!!」
「雷太!? 俺の親友の名前だ!!」
————万屋雷太。
俺の学校の同級生で、ある日を境に姿を消した俺の親友。あいつは両親を失い高校生にも関わらず、妹の風香ちゃんと手を取り合いながら生きていた逞しい奴だった。
誰にも頼らず、媚びることなく生きていたあいつは、俺が気兼ねなく話すことができた唯一の男だった。だけど、あいつが消息を立った理由が、まさか異世界転移だったとは。
俺はガイアに冷たい視線を向ける。すると、そんな俺の視線の意図に気付いたのか、ガイアは駄々っ子女神全開で俺に抗議を始める。
「汐おおおおお!! 私じゃないから!! 天界はそんなにホイホイと異世界人を呼ばないから!!」
「……実績がないから何とも言えないかな? いや、ラーメンを小馬鹿にした実績はあるか?」
まあ、ガイアが嘘をつく奴ではないことは既に知ってるんだけどね?
「まだラーメンの恨みが遺恨になってるの!? 私の中華まんで勘弁してよおおおおおおおお!!」
自分の胸を『中華まん』呼ばわりするんじゃないよ……。パベルが左目をピクピクと痙攣させながら引き攣った笑顔を見せているじゃないか。駄々っ子女神は色々と業が深過ぎるんだよな。
……そもそもガイアには『巨乳女神』の称号があるから、俺も誘惑されそうなんだよ。 俺だって男だからそう言うのは好きなんだよ!!
「へえ……。ガイアのお嬢ちゃんは苦労して手に入れた筋肉よりも、ポテチを食べて手に入れた脂肪の方が偉いってのかい?」
「へ? ポテチじゃないわ、牛乳を飲んだら大きくなったのよ。」
「……ガイア。もう止めておけ、喋るなよ。」
むうう、ガイアにはパベルの嫌味が通じないのか。……俺とパベルは頭を抱えてしまう。さすがは駄々っ子女神だ。カンナは話の意味を理解できずに首を傾げているが、これも混乱効果なのか?
ステータスは育たないのに胸は育つのかよ!! 使えねえ……。
「あ!! ……マザーが目を覚ましましたよ。」
カンナがマザードラゴンの目覚めを俺たちに知らせてくれた。最初は大きな声で驚きつつも、徐々に声のトーンが下がっていくカンナ。俺も静かにマザーの目がゆっくりと開く様を観察し始める。
このドラゴンからは神秘性を感じる。他の種類のドラゴンを見たことがない俺にとっては、この感覚がドラゴン族全体に備わっているかまでは分からない。
……そう言えばガイアがこの世界で神の気配を有するのはマザードラゴンだけだとか言っていたな?
目が完全に開き切ったマザードラゴンと俺は目が合った。このドラゴンは話の通じる神様なのだろうか?
「……ガイアの混乱効果は恐ろしいものがありますね? 目覚めには少々堪えます。」
「とりあえず自己紹介しとこうか? 俺は丸木 汐だ。」
「冷静な青年ですね。私はマザードラゴン、ここサウザンディ王国の母です。」
冷静なものか。俺は未だに臨戦体制を解いていない。それは、このドラゴンが負けを認めたのか判断ができないからだ。……細めつつも俺を覗き込む彼女の目が何を意味するのか、俺には検討もつかない。
「マザー!! 私は万屋雷太の娘でカンナと言います。カンナ・ヨロズヤ・バロです。」
カンナが何かを訴えかけるような表情でマザーに名を名乗っている。うーん、『ヨロズヤ』ね。……これは俺にとっての訃報を覚悟する必要があるのだろうな。
その覚悟をしておきながら俺は未だに冷静さを保とうと努力している。……俺は薄情な人間なのだろうか?
「……落ち着きなさい。雷太の娘、あなたもこの青年と同様にガイアによって混乱させられているのです。」
これもガイアの称号が原因かよ!! こんのポンコツ女神、……だからお前は自分の中華まんを揉んでんじゃねえよ!! かああ……、混乱と誘惑が融合されて頭がおかしくなるわ!!
「で、マザードラゴンの『立場』としてどうするんだい? 俺たちともう一戦交えるってんなら俺たちもそれ相応の覚悟をするわけだが。」
「魔族の娘よ、それはこの青年の答え次第です。……丸木 汐。あなたは魔王と戦うか迷っているように思えますが?」
「魔王の噂は聞くよ、良くない噂だ。……だけど見たこともない奴を噂だけで判断するのはね? 噂だけで判断してたら俺は雷太とは連んでない。」
日本で高校生だった時の俺と雷太の評判は『貧乏』と『親なし』。その手の噂は一般的な高校生たちには負の連鎖でしかない。俺の弟妹たちがそうだったように、いじめの対象になってもおかしくない。
周囲と何かが違うと言うだけで生まれる負の感情、俺はその感情が嫌いだ。負の感情は他人の心に連鎖していく、そして連鎖した感情はコントロールが効かなくなってしまう。人間が口々に話す魔王の噂は本当に正しいものなのだろうか?
俺は魔王と戦う理由と意味が欲しい。例えガイアやパベルが魔王を倒すと決意しても……。
「……雷太は楽観的でしたが、あなたは事実しか興味がないのですね?」
「雷太は良い奴、事実だろ? そしてマザーは俺のことを知らない。」
マザーは俺の言葉をどう受け止めたのだろうか? ……彼女が細めた目には俺がどう映ってるのやら。
「雷太は魔王によって殺されました。それ故に融合していた私は必然的に彼から解き放たれることになりました。今の私は彼の意思を受け継ぐ者を探すだけのただのドラゴンです。」
やはり雷太は魔王に殺されたのか……、だが。
「……あの雷太が俺に仇を撃ってくれと望むとは思わない。例えマザーが俺を薄情だと思っても、俺は自分の道を進む。それが俺なりのあいつへの弔いだ。……俺は『マザー自身の恨み』に付き合う気はない、何より『俺の仲間たち』をお前の恨みに付き合わせる気もない。」
このドラゴンは俺に魔王を倒して欲しいのだろう、それは間違いないはずだ。
だが俺もお前を知らない。お前のために動く義理はないんだ。
……ガイアが俺を申しわけなさそうに見つめている。彼女も俺を無理やり生まれ育った世界から追放してこの世界に押し込んだからかな、……こんな状況下でも俺を混乱させるなんて、パベルの言葉を借りるなら、ガイアは本当に大物だと思うよ。
俺とマザーは互いに目を覗き込みながら、沈黙の時間が継続される。沈黙が長引くほどに空気が重くなっていく。そして重苦しい空気が俺に決断を迫ってくる。
俺は仲間を失いたくない。そして仲間の期待に応えたいとも思っているわけだが。
「マザー、俺が魔王と戦うとすれば、それは俺の仲間のためだけだ。……だから俺はお前の力は要らない。」
「汐、お前はドラゴンスレイヤーの称号を捨てるのか!? しかも相手はマザードラゴンだぞ!!」
「パベル、俺はカンナの悲しむ顔は見たくないよ。それにガイアとも顔見知りみたいだし、後味が悪過ぎるんだよ。」
「あ……。それは確かに。」
パベルが申し訳なさそうに頭を掻きながらそっぽを向く、するとガイアとカンナが小さく微笑みだす。……これが今の俺が手にした仲間との日常。既に当たり前になった俺が送る日々。
……そして日本に残してきた俺の日常はどうなっているのか、と考えるも、現状と比較をしたくはないとも思うわけで。
すると真っ白なドラゴンは微笑みながら翼を広げて、飛び立つ準備を始めていた。そして穏やかな表情をしながら俺に一言だけ残して、空の彼方へ飛んでいくのだった。
「わざわざグリーンドラゴンに化けてまで待った甲斐がありました。……丸木 汐。いつの日かあなたと道が交わることを祈っていますよ。」
……グリーンドラゴンの討伐クエストはマザーが誘導したものだったのか。確かにそれなら彼女は待ってるだけで強い奴と出会えるかもしれないが。まさに藁にもすがる思いって事なのかな?
「パベル、もしも討伐対象がマザーだったら今回のクエストは受けてたか?」
俺の言葉にパベルが首を横に振る。まあ、そうだろうな。……それは今しがた体感したから。
「汐さん、マザーはグリーンドラゴンとは格が違いますから! ……無茶はしないで下さい。」
カンナも見上げながら俺に注意をしてくる。そんなカンナが可愛く思えて、俺はこの子の頭に撫でるように手を置く。
マザードラゴンの翼の羽ばたきは周囲の砂を巻き上げて、俺たちを砂まみれにするのだった。しかしマザーは下手をすると彼女が望む人間に出会えない可能性もあったはずだ。どうやら、あのドラゴンには確率論と言う言葉は意味をなさないらしい、……あまりの辛抱強さに脱帽してしまうな。
「……今回のクエストも失敗じゃないか。」
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