第9話・魔王の側近候補

 なんの前触れもなくカンナが口を開く。そして、今までは決して……就寝時さえ外さなかったフードを俺の前で取ってみせた。そこにあるものは……猫耳か?


 これがカンナの素顔か。あどけなさが抜けない大きな目に小さな口。クセのあるブラウンカラーのボブカット。そしてこの子の頭部でピクピクと動く猫耳。……可愛いじゃないか。


「カンナ、その言葉の意味を教えてくれる?」

「……汐さんは獣人に偏見が無いんですか?」

「会ったことがないから。」


 俺は素直に真実だけを答える。それしか言葉が思い浮かばないからだ。そしてカンナの真剣な表情を見てしまえば、嘘を吐く理由が思い付かない。嘘を吐きたくない。


「……汐。この世界はね獣人は差別の対象なのよ。」


 ガイアが真剣な様子で背中から俺に話しかける。しかし、なるほど。そう言うことか。


「カンナ、俺は君にも事情があると思って何も聞いてこなかった。それはこれからも変わらない。言いたくなったら、自由に言えば良いさ。だけど、一つだけ答えてくれないかな?」

「はい。……何なりと。」


 「何なりと。」か、この子は何を聞かれても、俺の質問に答えると言っている。それは覚悟を決めた、一人の人間としてのものだ。


 ガイアの口調から、カンナの正体がこの世界のでは決して軽いものではないと察することは容易。11歳の少女には酷な事実なのだろう。だからこそ…俺はカンナの意を汲みたい。


「カンナが獣人、それがこの山岳地帯の変化にどう繋がるのかな?」

「……動物たちが不安がってます。何かに怯えている様な、……空気を可笑しいです。」

「汐。獣人の感覚は常人の比じゃないわ。」


 なるほど、カンナの言葉の意味が理解できた。つまり、この子は『私の言葉を信じて。』、と言っているのわけだ。


 確かになんの前触れも無く、こんな事を言われたら誰も信じないだろう。……だが。


「カンナも分かってないね。」

「え? どういう……。」

「もう仲間なんだから、そんな前提が無くても信じるのに。」

「汐さん……。」

「それで、もう少しだけ具体的に状況を教えてくれる?」


 出会ったばかりのカンナのおどおどした態度、今しがた見せた決意の目、それにガイアの言葉が全て繋がった。であれば俺がカンナにしてあげられる事は俺たちの関係を口にする事。


 俺の言葉の真意が伝わったのだろう、カンナは涙を滲ませながら、その小さな体で俺の顔を下から覗き込む。この子は頭の良い子だから。


 俺は不要な言葉を口にしない。俺は無駄が嫌いだから。カンナも表情だけで気持ちを俺たちに伝える。次第に場は静寂に包まれていく、にも関わらず騒がしさが残る。……原因は俺の背中にいるロリっ子女神だ。


 先ほどからガイアが盛大に独り言を呟いている。いや、叫んでいるのか? とにかく煩いのだ。


「え!? いきなりそんな事を言われても……、いや、でも汐はまだ戦闘経験も無いし、訓練すら皆無なんですよ!! って、もしもし? もしもーし!! ……切れちゃった。」

「ガイア、遊んでるならここに放置するよ?」

「違うわよ!! 天界から通信が届いたの!!」

「天界から? この状況よりも重要な事?」

「……この付近に魔王の側近候補がいるらしいわ。動物たちが怯えてるのは、おそらくそいつが原因ね。」

「ガイアちゃん、それってどう言うこと!? ……汐さん?」


 俺は静かに周囲を見回す。それはガイアの言葉から、少なくとも俺たちは警戒をする必要がある、と悟ったからだ。


 以前、俺は魔王を倒す理由がない、とガイアに言った。だが、だからと言ってこの状況を警戒しない理由もない。……何しろ魔王だからな。


 ————右前方の木から数羽の鳥が飛び立った。


 すると同じタイミングでカンナも俺と同じ方向に視線を移す。これは確定だろう。


 ……あそこに魔王の側近候補がいる。


 本当に戦うかはまだ判断できない。だが、ギルドで手に入れた情報、それは魔王が残虐の限りを尽くす人物だと言う事。


 ガイアは魔王を倒してこの世界を救済しないと天界に帰れないらしい。俺には関係のない話ではあるが、それでも既にガイアは俺の仲間だから。釈然とはしなくとも、でき得る事はしてあげたいとも思う。


 魔族の子孫である俺が?


 俺はあらゆる状況を想定して、自分の武器を確認するしかない。俺が杞憂に更けていると、その結果はシンプルな形で現実のものとなった。


 俺とカンナが視線を向ける方向に人影を確認した。すると、その人影が大きく跳躍して、俺たちにその正体を表す。


 すると、この人物は静かに口を開いて俺に話しかけてくる。


「俺は魔王軍のパベルだ。神の使徒はお前かい?」


 俺は直感した、せざるを得なかった。……戦闘は避けられない。


 パベルと名乗る人物は真っ直ぐな目つきで俺を睨む。


 ————強い。


 この人物と、パベルとの出会い頭で素直に感じた事だ。だが魔王軍と言うからには、もう少しグロテスクな奴を想像していたが。俺はスライムとかアンデットの出現を覚悟していたが、彼の見た目は普通の人間とさして変わらない。敢えて言えば、耳が少しだけ尖った形状をしている程度。


 そして細身ながら鍛え上げられた体は、服の上からでも判断がつく。肩まで伸びた髪が特徴の中性的な顔立ちだが、……女か?


「それは俺のことだろうね、名前は丸木汐。なるかどうかはまだ検討中だけどね。」

「……どう言う事だ?」

「俺は勝手にこの世界へ押し込まれたんだ。世界を救済しろ、と言われても実感が湧かないんだよ。魔王の事も噂でしか聞かないからね。」

「……本人を見て……判断すると?」

「そうだね。君は話が早くて助かるよ。君から見た魔王の感想を聞かせてくれないかな?」


 今の会話は挑発だ。そのつもりだった。パベルの肩書きは魔王の側近候補。弱いはずがない、だからこその挑発だった。それを理解したのかパベルの表情は歪みだした。


「魔王ね……、あいつは本当にケチな男だよ。」

「へ?」

「いくら俺が新参者だからって、給料が出来高なんてありえるかい?」

「ほ?」

「俺だって固定給さえ貰えれば、それなりの働きだってするさ。」

「は?」

「それを懐が寂しくなるこの時期に、だ。ボーナスカットだなんてブラック企業も良いところさ。」

「ひ?」

「……お前さんはよく見たら良い男じゃないかい。」

「ふ?」

「俺を愛人にしてくれれば、毎日伽放題だよ? ……ペロリ。」


 ヤバい。これはヤバいぞ? 何がヤバいかって? それは俺の仲間達の反応がヤバいんですよ。


「あんたあああああ!! 私の汐をなんだと思ってるのよ!! ……ビッチが。ぺっ……。」

「汐さんに不潔な視線を向けないでくれます? カチカチおっぱいのオバハン。」


 ガイアとカンナがパベルに向かって想像を絶する悪態を取っている。


 カンナもあれだけ良い子だったのに、明王様みたいな表情をしているじゃないか。……どうしたんだろうか? 俺の目の前でキャットファイトの様相が広がっている。


 ガイア、そもそも俺は決して『お前の汐』ではないぞ?


「小娘共が、どっちも乳臭そうじゃないか? 神の使徒はロリコンなのかい?」

「違うし!! 俺はロリコンじゃないからね!!」

「汐……。もう少し素直になっても良いんだからね? むぎゅ。」


 うおおおおおお!! ガイアが俺の背中に豊満な胸を押し付けてくるじゃないか!! 君はお願いだから俺の背中で舌なめずりをするんじゃないよ!! カンナもわざわざ俺の体によじ登って、耳元で吐息を吹きかけるんじゃありません!!


 これは明らかにカンナがガイアの影響を受けている……、俺って本当にロリコンじゃないよね?


 この状況に頭を抱えこそする俺だが、それでも雰囲気だけは。パベルという女が発する雰囲気はヤバい。


 俺は魔王を知りたかった。だが現状はその部下がその陣営に不満を抱いている。客観的に見れば悪い流れではないはずだ。


 だが、それでもこの状況は良くない。相手は明らかな戦闘態勢を取っている。俺はこの状況をどう受け止めれば良い? 俺が勝ったらこっちに付く、という事だろう? だが、それは……。


「俺と戦うことを躊躇ってるね? 俺は『まだ』魔王軍の所属だ。戦ってしまえば、魔王に対する明らかな敵対行為だ。」

「俺が嫌がったら引いてくれると?」

「それは無いね。お前さんが勝てば俺を仲間にして、魔王と敵対。負ければ、ここで全員死亡。簡単だろ?」


 俺は挑発とも虚勢とも取れない態度になる。それほどにギリギリの状況。俺の勝敗の問題ではない、俺のスタンスに繋がる話だ。それに、このパベルがどうしようもなく悪いやつでは無さそう、という事も問題なのだ。


「どうして魔王軍を抜け出そうとするんだ? そもそも、それが俺と戦う理由になるのかな?」

「俺も色々とワケありでね。お前さんと戦う理由は抜け出すキッカケが欲しいのさ。」

「随分と自分勝手な理由だね、話し合って解決しないのかな?」

「ふう……。勇者は戦いに意味を探すタイプかい? 俺はお前みたいな奴は嫌いじゃないけど……今はそうじゃないんだよ。」

「……駄目か。」


 俺は今後よりも現状の打開に向けてパベルとの戦闘を優先すべき、とようやく結論付けた。そしてガイアから貰った剣から加工した槍と短剣を手にする。俺も戦闘体制に入った、と言う事だ。


 だが、このパベルはそこまで甘く無かったらしい。いや、俺の決断が遅かった。俺はパベルの次の行動でそれを思い知らされた。


「……お前さんには俺に敵意を持って貰おうか。こう言うのは好みじゃないんだけど、ね!!」

「きゃあ!!」

「ガイアちゃん!?」


 パベルがガイアを攻撃したのだ。そして、それに悲鳴をあげて後方に吹っ飛ばされるガイア。俺はその様子を視線で追うことしかできなかった。……カンナはガイアに駆け寄ってくれていると言うのに? 俺は一歩も動けなかった。

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