第6話・あだ名

 目の前にいる少女は仮にも女神。本来であれば尊ぶべき、敬いの念をむける存在だ。その容姿も麗しく、八重歯がその健康的な美しさを強調するブロンドの美少女。


 ……そんな存在が俺にとって悩みの種となっている。どうしたらこうなるのか、誰か説明してくれないかな?


「んぐんぐんっぐ、……ぱっ!! 美味いわねえ、ウィスキーはロックに限るわ。」

「ん、んん!! ゴキュゴキュゴキュ!! 美味しいですねえ、お姉ちゃんも酔っ払っちゃう!! キャハハハハハハ!!」

「…………あ、ウェイトレスのお姉さん? 俺には……薄めのカクテルを適当に見繕って下さい。」

「汐おおおおお!! 何を生ぬるい事を言うのかしらね……。男なら黙ってウィスキーの樽飲みでしょおおおおおお!!」

「ガイアちゃんの言う通り!! 汐さんは、この二十年もののウィスキーを一気飲みです!! 私とガイアちゃんからの口移ししか認めません!!」


 ウェイトレスのお姉さんにジト目でアイコンタクトを送る俺。そして、それを無言で察してくれるウェイトレスのお姉さん。さらには、そんな俺を憐んでいる周囲の冒険者たち。


 ……この食堂は地獄だ。


 俺は、一昨日まで日本で高校生をしていたんだぞ? 酒は飲んだ事がない。だから少しでも悪酔いは避けねばと思う、……ちょうど目の前に悪いお手本がいるからね。2000年も生きておきながら醜態を晒す女神っぽい何かと、その彼女にお姉さんぶる無垢な少女。


 こいつらは……ダメ人間だ。


 ウェイトレスのお姉さんは「お待たせしました、薄ーーーい!! レモンハイです。」、と強調しながらグラスを俺の席の前に置く。本当に……すいませんです。


 ん? ガイアが俺をジト目で俺を見つめている。……それも肩肘を立てた手を頬に押し当てながら、もう片方の手でグラスに入っている氷でカランコロンと音を立てている。


 君って女神だよね? 銀座のジャズバーでお酒を嗜むOLじゃないでしょ?


 頼むから『無駄』に色気を出さないでよね、君は胸だけは大きいんだから。そのせいで周囲の男性冒険者たちが、君が酒を飲む度に生唾を飲み込んでるんだよ!!


「……はあ。お酒って本当に美味しいわよね。……あ、忘れていたわ。」

「ガイア? どうしたのさ。」

「うん、二つほど忘れてたの。一つはあなたを追放した事に対する特典の話。」


 ガイアは本当に『無駄』に色っぽいんだよな。……ロリっ子女神のくせに。


 俺が彼女と会話をする度に、食堂の隅にある冒険者のゴミ山から歯軋りが聞こえるんだよ。あいつらは、ロリコン決定だな。後であいつらの仲間たちに告げ口しておこう、……特に女性冒険者を中心に、徹底的に。


 だが、今はそれを差し引いてでも聞くべき価値のある話がある、と判断した。


「特典て具体的には?」

「伝説の武器よ。ほら、これ。」


 ガイアはどこから出したのか、周囲の冒険者やウェイトレスまでもが驚く、まさにマジックショーを披露しながら、立派な剣を取り出しいる。


 俺は彼女に促されるままに、その剣を手に取る。その価値は手に取っただけで分かる。確かにガイアの言う通りで伝説の武器なのだろう。……だが。


「これって包丁としては大き過ぎでしょ?」

「はあ、汐は私の話を聞いていないの!? それは武器よ、ぶ・き!!」

「いや、武器だと戦闘にしか使えないじゃん。俺が欲しいのは包丁なんだよ、ガイアは俺のスキルを見たよね?」

「あんたは魔王を倒すんでしょうが!! だったら必要なのは包丁じゃなくて武器でしょ!!」


 何度目の光景だろうか、テーブル越しにガイアが俺の胸ぐらを掴んで抗議を始める。良く良く見たら、彼女が俺の胸ぐらを掴むと、胸が上下に揺れるんだな? 周囲の男性冒険者が俺に血の涙を流しながら、羨望の眼差しを送って来るものだから、今になって気付いた。


「だから、俺はその魔王が悪さをしたところを見てないんだってば。何も知らないのに『よっしゃ! 魔王を倒すどー!!』、とか言えないでしょ? まあ、一応は貰うけどさ。」

「ああ、使わないのなら返しなさいよ!! ちょっと、私の手が届かない高さに持ち上げるなああああああああ!!」


 俺は貰った剣を持ち上げた。すると俺の態度にご立腹したガイアは、その剣を奪い返すべく俺の前でピョンピョンと飛び跳ねる。するとガイアの大きな胸が盛大に揺れるのだ。


 俺は空気を読む男だ。周囲からの羨望の眼差しに危機感を感じ取って、その幸せをこの食堂にいる男性冒険者の皆さんにお裾分けをすることにした。


 ……まあ、若干だが女性冒険者からの評判を下げてしまったが、それは後で修正するとしよう。


「で、これって何か特殊な武器なのかな?」

「それは! 柄のところに付箋を! 貼ってるから! 後で読みなさい!! って、だから剣を返せえええええええええ!!

「奪い返す気なら、付箋のくだりは要らないと思うけど? で、二つ目は?」


 ガイアは突如として跳ねる事を止めた。すると、周囲の男性冒険者は俺に向かって舌打ちをしてくる。


 ……これはあくまで裾分けなんだよ? お前らはクズ野郎だな。


 だが当のガイアはと言うと、何やら顔を赤らめながらモジモジしているように見える。俺はこの様子を見て、自分の身に危険が近付いていると直感した。これは何かあるな?


 俺は即座に踵を返して食堂を出ようとすると、ガイアは俺の腕を掴んで離さない。そして俺の耳元でガイアはこの場にいる全員が凍りつくようなことを口走るのだ。


「……伽の話なんだけど。」

「…………へ?」

「ほら、食べ物を恵んで貰う時に話したあれよ。……代償は伽でって奴。」


 ほお……、俺は数え切れない数の殺気をその背中に感じている。これはカンナに伸された冒険者だけではない。おそらく男性冒険者だけではない、俺は女性冒険者にまで睨まれてしまったらしい。


 ……この背中に突き刺さる痛々しい視線の嵐、これだけで肩こりが治っちゃう気がするんですが?


「な、なんの話だよ!! ガイアにはスキルの件でチャラにしただろう?」

「あれえ? ……そうだったかしら、お酒が入って記憶がゴチャゴチャなのよね?」

「汐さん、伽ってなんですか? 私で良かったらお相手しましょうか?」


 カンナも良く分からないのに会話に入ってこないでよ。もはや、この食堂内で発生する数えきれない束となった怒りの感情に、俺はどうやって収拾をつければ良いのやら。……俺は席から立つことにした。


 そして、明日以降のことを考えなくてはいけない。二人のこの様子ならば、食堂の雰囲気ならば他の冒険者も絡んで来ることはないだろうから。それよりも、この場にいることで俺が不要なとばっちりを受けてしまいそうだ。


 周囲の冒険者たちに羨望と憎しみが入り混じった視線に、耳に届いてくる舌打ちと歯軋り。俺には命がいくつあれば足りるのやら。立ち上がった俺はため息混じりだった。


「とりあえず俺は街の中で空き地でも探すよ。マイホームを建てないとね。」

「え? 今日はこの街で宿を探すんでしょ?」

「ガイア、忘れているのか知らないのかは聞かないけど、俺たちはお金持ってないからね?」


 お? ガイアとのグラスを持つ手が固まった。そして、固まったかと思えば今度は小刻みに震え出してる。


 ……やはり、この女神はポンコツだな? カンナは酔っ払って寝てしまったらしい。でもカンナは良いか、可愛いから。……誰かさんと違って。


「汐? それを言うなら……さっきのレモンハイもタダじゃないのよ?」

「うん、知ってるよ。俺はガイアが鼻でバカにしてた『山草鑑定』のスキルを使って、薬草の原料を探しておいたんだ。」

「へ、へえ? でも、それはこの食堂のお勘定には関係のない話よね?」

「さっきギルドのクエストボードに、その原料採取の依頼があったんだ。初クエスト、完了しちゃった。」


 全身から汗を吹き出しているガイアを尻目に、俺は意気揚々とウェイトレスのお姉さんに話しかける。


「おねえさーん、お勘定お願いしまーっす!! 支払いは別々でしますから!!」

「汐おおおおおおお!! お願いしますから一括で支払いをお願いしますううううう!!」

「え? やだよ、だって俺は食堂で『待ってて』とは言ったけど、『飲んでて』とは言ってないし。」

「嘘でしょ? ここで私とカンナは無銭飲食で自警団に拘束されるの!?」

「カンナの分は俺が出すよ。」

「私だけえええええええええ!? どうしてえ、やっぱり体で支払いますから!!」

「うっさい!! そもそも、飲み過ぎなんだよ!! ……どうしたら食堂のビールが底を尽くしちゃうかな?」


 食堂に広がるガイアとカンナが開けたビールの樽、合計30樽。俺は目の前に広がる光景に人生で初めて口にしたアルコールに対して俺は学びを得た。


 因みに、俺たち三人は冒険者登録初日にしてギルドハウスであだ名がつく事になる。そして、そのあだ名に対して、後日ガイアは激しく憤慨することになるわけだが。


 そのあだ名とは、『ロリコール』。アルコールが大好物のロリっ子、だそうです。

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