第3話・痴話喧嘩
マイホームのドアを開けると誰もいなかった。俺は周囲を見渡すも、そこには確かに誰もいない。だが、『誰か』がこのドアをノックしたことも事実だ。俺の聞き間違いではない、そして聞き覚えの無い声を聞いたはず、……だった。
しかしマイホームの前には誰もいない、これも事実。俺は振り返ってガイアに視線を向けた。だが、そこには俺が渡した果物を必死の形相で噛り付くガイアの姿。……君は君で必死過ぎだろう。だが……。
——俺の聞き間違い?
いや、そんなはずはない。ガイアの悪戯だろうか? 俺はドアを開けたままで、自分の顎に手を当てて思案するも、答えは出てこない。そして再び振り返ってガイアに視線を向けるも、今度はキョトンとした彼女の仕草を見た。
……これはガイアの悪戯では無いな。
「ガイア、ちょっとだけ教えてくれない?」
「何でしょうか?」
「この森ってモンスターとかいたりする?」
「いないと思いますよ。どうしてですか?」
「……今さっき、人の声が聞こえたと思ったんだよね。」
「なるほど、それは汐さまの身長が高すぎるんですよ。」
ガイアはこの会話に興味が失せたようで、その視線を彼女の手にある果物に戻す。そして、再び果物を齧りつくガイアだったが、そこまで腹が減っていたのか。それにしても、ガイアの言った言葉の意味が良く分からないな?
「あ、…………あの。」
今日は疲れている、と俺は結論付けた。今日はこのロリっ子女神の我が儘で、バイト先のラーメン屋から天界、そしてこの異世界。三つの世界を股にかけたのだから、疲れていても不思議ではないだろう。それもこれも全て……。
「ロリっ子女神のせいだな。」
「汐さま、それって私のことですか!?」
「あ、…………あの。」
「スキルに書いてあったじゃないか。」
「私は立派な大人ですからね!! 大きな街に行けば、私の銅像とかが立ってるんですよ、それらは大人の私を見事に再現していまして……。」
「……どこの街かは知らないけど、その銅像の作者が憐れだな。因みにスキルって成長するとどうなるの?」
「変わりませんよ。だって私は女神だから成長する必要が無いので。」
「あ、…………あの。」
ガイアはサラリと言ったが、彼女は自分の言ったことを理解していないらしい。やはりガイアはポンコツだったか。成長する必要が無いと言う事は、……一生涯ロリっ子と言う事じゃないか。
確かガイアのスキル『ロリっ子女神』は誘惑効果がある、と説明が記載されていた。極端に範囲が限定されたスキルだ。……使えねえ。
「あ、…………あの!! 下を向いて下さい!!」
「ん? あ。」
俺は再び聞き覚えの無い声を耳にして、その声に従う形で視線を下に向ける。すると、そこには見知らぬ少女が今にも泣きだしそうな顔で立っていた。小さいな。
フードで頭を包んでいる少女は小刻みに体を震わせて、自身の無さそうな表情をしている。……この子は俺の知っている誰かに似ている。俺の直感だ、そして、この手の子はこっちから質問をして上げた方が良い。
「どうしたの? この周辺にある村の子?」
「い、いえ。そうじゃないんです。この周辺に村は無いと思いますし……。」
やはり、そうだ。この子は自信が無いから、自分から話を切り出せない。……俺の弟妹達に似ているのだ。家が貧乏で、多忙な両親は授業参観にも姿を見せない、周囲の子供たちと何もかもが違う環境から、自然とクラスでは浮いた存在となる。
だからこそ、必然的に自信が無くなっていく。目の前の少女が俺には他人には思えなかった。
「うん、ゆっくり話して良いよ。俺は汐、丸木汐。君は?」
「わ、私はカンナ・バロです。あの……一晩だけここに泊めて下さい。」
「ん? 良いけど、ごりょ……。いや、何でもない。」
「?」
カンナと名乗る少女は、言葉を濁した俺を怪訝な表情を浮かべて下から覗き込む。俺は危うく失敗するところだった。こんな薄暗い森で少女が一人、そして他人の家に宿泊を願い出ているのだ。それを聞いたら野暮だろう。
「まあ、とにかく入って。外は寒いから。」
「あ、ありがとうございます!!」
俺の言葉に深く頭を下げて感謝の気持ちを伝える少女、……どこかの女神っぽい何かとは大違いだ。
カンナはマイホームに足を踏み入れると、キョロキョロと可愛げのある仕草で内観を見渡す。こういう仕草が可愛くて、……ついついガイアに憐みの視線を向けてしまう。彼女にも、もう少し可愛げがあれば良いのと。
「ん? 汐さまはどうかしましたか?」
「いや、ガイアが憐れに思ったんだ。それとガイア、さっき渡した果物は明日の朝食込みだかね。」
「ええ!? そう言う事は先に言って下さいよ、と言うか、少なすぎません!?」
「仕方が無いじゃないか。……まさか、女神なのにカンナに食事を出さないとか言わないよね?」
「うっ!!」
「それにガイアには味噌ラーメンの恨みだってあるんだからね? 天界の新聞に女神が下界でホームレスになりましたって記事が一面に載っても、俺は知らないよ?」
天界にテレビとかニュースが存在するかは知らないけど。いや、あるな。俺は確信した。何しろガイアが果物を喉に詰まらせるほどに驚いているのだから。彼女はやはり女神っぽい何かだった。
そして、そんな女神っぽい何かが俺に詰め寄ってから、昼間と同様に胸ぐらを掴んで抗議を始める。……話が進まないんだよね。
「お願いしますから、それだけはご勘弁を!! 私には後が無いんです!!」
「何の?」
「次、天界新聞の記事に載ったら、女神を解雇されちゃうんですよお!! うわああああああああ!!」
「はあ!?」
思わず間抜けな顔を晒してしまった。そして俺が頭を抱え込むと、心配そうに俺の顔を覗き込んでくるカンナと目が合ってしまう。分かってはいたが、知りたくなかったこと。……やはりガイアは不良物件だったらしい。
「はあ……、出来ることなら天界にクーリングオフを使いたいな。」
「だからお願いしますってば!! 私は崖っぷちなの!!」
「知らねえよ!! 自業自得だろうが!!」
「……そこまで冷たく扱われるなら、私にも考えがあるんだからね。」
「へ?」
先ほどまで泣きじゃくっていたガイアだったが、突如として泣くことを止めて俺に冷たい視線を向けて来た。……これは嫌な予感しかしないな。もしかして俺は彼女を弄り過ぎたのだろうか?
「……大きな街に行って、汐にいやらしいことをされたって言ってあげるわ。」
「へ?」
「無理やりファーストキスを奪われたのだって事実なんだからね? ねえ、……ロリコンの汐さん? この辺りだと大きな街と言えば、トリーの街ね。あそこなら自警団もそこそこの規模だから、幼気な少女が辱められたって話になったら……、ねえ?」
ガイアにはもはや女神の面影はなかった。元々そんなものは無かったが、それでも俺はやり過ぎたらしい。ガイアの温かみを感じさせない表情に俺は、自分の背中から大量の汗が滴り落ちるのを感じた。……ガイアめ、ロリコンと言っても2000歳じゃないか。
「はあ……。もうガイアを生き埋めにするしかないか?」
「何でそうなるのよ!! 汐は私が天界に帰るために魔王と戦わなくちゃいけないの!!」
「それこそ知らねえよ!! 俺はその魔王が人間に迷惑を掛けてるところなんて、実際に見てないんだからな!! そもそも俺って魔族の子孫なんだろ?」
「うわあああああああん!! ロリコンの汐にファーストキスを奪われたあ、舌をねじ込まれたあ!!」
げえ!! この女神っぽい何かは、ウソ泣きしながらカンナの前で何を口走ってるんだよ!!
「あ、あの? 汐さんは……ロリコンなんですか?」
むうう!! カンナは純粋な目で俺を見つけている。そして、そんな俺たちの様子を女神らしからぬ悪い笑顔で覗き込むガイア……。ガイア、お前のどこが女神だと言うのだ。寧ろ悪魔じゃないか!!
「い、いや!! そんなことは無いよ。彼女はガイアって言うんだけど、ちょっと虚言癖があってさ。可哀そうな子なんだ!!」
「何よ、誰に虚言癖があるってえ!! 自警団に指名手配される日を楽しみにしてなさいよ!!」
こいつ……。完全にダメ人間だ、いや、ガイアは人間では無いか? ダメミイラだ。
「そうか。ガイアはミイラなんだから、アンデットだったな。」
「よりにもよってこんな美しい女神を目の前にして、アンデットって何事よ!!」
「ガイアって土属性だろ? じゃあ、土に還っちゃえよ。で、後任の女神さまは『味噌ラーメンの女神さま』でよろしく!!」
「うぎいいいいいいいい!! 汐おおおおおおおおおお!!」
この光景を客観的に見たら、他人には、ただの痴話喧嘩にしか見えないのでは無いだろうか? この状況において俺の唯一の憂いは、カンナに悪い影響を与えていたら、と言う懸念だ。明らかに純粋そうで無垢な少女には絶対に見せられない。いや、見せてはいけなかったはず。
俺はこの状況になったことを後悔しつつ、ゆっくりと無垢な少女に視線を移動させる。するとカンナの言葉が俺とガイアを硬直させることになった。
「あ、あの!! お二人とも、キスの一つや二つで騒ぎ過ぎですよ!!」
「「へ?」」
「そちらの女性はアンデットの娼婦さんなんですね……。死してなお働こうだなんて、ご立派な方なんですね。……そして、そんな人にさえ分け隔てなく接する汐さん。私は尊敬します!!」
「アンデットの……娼婦? 女神である……この私が?」
これは凄いな……、無垢な少女の純粋な心は女神をここまで追い込むのか。ガイアが糸の切れたマリオネットの如く、脱力していくのが良く分かる。これは、それほどの状況なのだ。そして俺は油断していた。何しろ、ここからカンナはガイアにトドメの言葉を投げかけるのだから。
「それとですね、ガイアさんのお名前は変えた方が良いかもしれません。この国でわりと信仰されている宗教のご神体の御名と同じなので。そのご神体、……何とファンクラブまで存在するんですよ?」
おお……。そうか、ガイアはこの国でわりと信仰されている宗教で祀られているのか。しかも、ファンクラブまで存在するとは、入会している信者たちも可哀そうに。……女神として崖っぷちなのに。
「ガイア、そのファンクラブの人たちに言いふらそうか? 君が崖っぷち女神だって。」
「いやいやいやいやいやいや!! さっきは調子に乗りました、ごめんなさいいいいいいいい!!」
「あ、あの。汐さん。」
「ん? カンナ、どうしたの?」
「私、何か悪いことしましたか?」
「いやあ、そんなことは無いよ? それよりも、そのご神体のファンクラブについて詳しく教えてくれないかな?」
「ええ? うーんと、詳しくは分からないんです。でも……。」
「でも?」
「ファンクラブの名前は聞いたことあるんです。確か『ガイア・ロリっ子・ジャンキーズ』、略してGLJです。」
しょうもな!! 恥ずかしい!! 俺だったら、そんな名称のファンクラブがあったら死にたくなっちゃう!! だけど、名称がそれってことは信者たちもガイアの事をロリっ子だと認識してるのね? 俺も思わず顔が引きつっちゃうよ、……これは後で顔の筋肉にマッサージが必要かな?
「へえ……。随分と変わった名称のファンクラブだよね?」
「仰りたいことは良く分かります。恐れ多いですけど、私だって同じ立場だったら生きていたくないですから。」
うわあ。さっきのカンナの言葉が本当のトドメになったらしい。ガイアは先ほどよりも、さらに壊れてしまったみたいだな。もはや、あれはマリオネットどころか役目を全うしたマネキンだな。
ガイアの変貌ぶりに驚くカンナ。そして、そんな様子のこの子に対して、俺は優しく頭を撫でる。するとカンナは擽ったそうな様子を見せる。俺はそんなカンナが可愛くて、つい微笑んでしまった。
「彼女ね、崖っぷちなんだよ。だからカンナももう少しだけ優しく接してくれると助かるよ。」
「……そうなんですね。ガイアさん、きっと良いことがありますよ。」
カンナの言葉にガイアは、全てを出し切ったボクサーを彷彿とさせるほどに真っ白になっていた。無論、俺の言葉など彼女の耳に届くことも無い様子だ。俺は静かになった不良物件の女神を放置して、カンナと一緒に床に就くのだった。
だがガイアはこのマイホームで一晩中独り言を呟き続けることになる。
「アンデット……娼婦……GLJ……アンデット……娼婦……GLJ……。」
うるせえなあ、頼むから安眠させてくれよ。
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