学校の大火

増田朋美

学校の大火

学校の大火

冬と言っても、静岡の冬は、雪が降ることはない。其れは当たり前の事であるけれど、太平洋側の地域の宿命的なものが乾燥である。そして、その乾燥のせいで、必ず起こるものと言えば、江戸時代からよく言われているもの。そう、火事である。

その日も、杉ちゃんと蘭は、買い物のためショッピングモールを訪れていた。お昼の時間になったので、モールの食堂へ行って、食事をしていたが、その時、何処からか、消防車のサイレンの音が聞こえてきたので、杉ちゃんたちは、ショッピングモールの窓の外を見た。窓は換気のために開いていたので、消防車の音も、見物人の声もよく聞こえてきた。

「やれれ、又火事か。最近多いよな。空気か乾いているからだろうな。本当、よくあるねえ。」

と、杉ちゃんがつぶやくと、消防車は続けて五台もショッピングモールの前を通り過ぎていった。

「ずいぶん大きな火事だな。消防自動車が、五台も続けてくるなんて。」

蘭は、そうつぶやく。けが人でも出たのだろうか。救急車も飛んできた。

「ねえ、今の方角って、遊郭のあったところ?」

杉ちゃんが言う通り、消防車が走っていった方向には、スナックのようなものは確かにあるのだが、大規規模な、遊郭というようなものはない。そのうち、何人かの人間が消防車の後を追いかけて走っていくのが見える。多分きっと、やじうまで、火事現場を見にいく人だろう。

「ということは、なにが火事になったんだろうかな。」

杉ちゃんが、首をひねる。個人の家ならこんなにたくさんの見物人が登場したりしないはずだ。公共の建物が火事になったのかと蘭は思っていると、外を歩いている人たちが、こういっているのが聞こえてきた。

「ほら、学校が燃えているらしいぞ。なんでも、藤東高校だそうだ!」

学校が火事というのは、なかなか聞いたことがない。其れに、今日は日曜日で、学生たちは、学校に行っていないはず。誰か、たばこでも落として、其れが火事につながったのか、それとも放火なのか、見当もつかないが、見物人たちは、どんどん増えていく。杉ちゃんたち車いすの人間がその間を通って行くのは危険なため、杉ちゃんたちは、火事が鎮火するまで待つことにした。外では警官による交通整理が行われ、車はものすごい渋滞になっていたし、黒山の人垣ができて、まさしく物々しい感じだった。その黒山が解散したのは、夕方遅くなってからだった。つまり、五時間近く、火事が続いたということになる。やっと、杉ちゃんたちもタクシーに乗って自宅へ帰ることができた。

「一体、今日の火事は、どこで起きたのでしょうか。」

と、蘭は、タクシーの運転手に聞いてみると、

「はい、あの名門の藤東高校から火が出て、学校が全滅してしまったそうです。」

と、噂話大好きな、運転手が言った。

「それにしても残念ですね。藤東高校が、火事なんて。」

蘭は、一寸残念そうに言った。確かに藤東高校と言えば、富士市内でも有力な、名門の公立高校である。

「その残念というのは、一寸差別じゃないか。藤東高校が焼けると残念で、もしほかの高校で火事が在ったら、平気な顔しているのかい?」

杉ちゃんにそう突っ込まれて、蘭は、

「いやあ、そういうわけではないけど、学校で火事っていうと、やっぱり残念だよ。」

と、返したのであるが、誰でも無意識に藤東高校が災害に会うと悲しくて、ほかの高校がそうなっても平気という考え方は持っているのかもしれなかった。ある意味で学校というところは、社会的身分に近いものを持っていることは、疑いない事だからである。

「それにしても、ずいぶん、大きな火事だったようですよ。消防自動車が、何台も行きましたから。やれやれこんな大きな火事になって、藤東高校の生徒さんたちは、どうするんでしょうね。」

話し好きな運転手は、そういうことを言っていた。やっと夜になって、火事が鎮火したという放送が流れた。

その翌日から、藤東高校の制服を着た生徒たちが、富士駅近くにある私立高校に入っていくのを蘭は偶然目撃した。多分、校舎が燃えてしまったので、ほかの高校の空き教室でも貸してもらって、授業をしているのだろうと思われるが、公立高校と私立高校という、普段敵対しあっている高校が協力し合うとは、前代未聞の光景であった。噂によれば、火事が起きた時、日曜日であったため、学校には生徒も教師もおらず、犠牲者は誰も出なかったという。それにしても、学校というところで、こんな大火が起きてしまうとは、蘭も早く、原因がわかってほしいと思わずにはいられなかった。

「どうしたんだよ。」

と、蘭を見て、杉ちゃんがそう聞いてきた。どうも最近ぼんやりしてしまうことが多い、蘭であった。

「いやあねえ、この間の大火でさ、高校生たちどうしているのかなあと考えちゃって。生徒さんたちにはいい迷惑だと思ってさ。」

蘭がそう答えると、

「いや、大丈夫だ。火事と喧嘩は江戸の華。よくある事じゃないか。」

と、杉ちゃんは言った。

「そうだけど、江戸時代の火事とはわけが違うよ。被害にあった、高校生の事考えてよ。」

「まあねえ。確かに、明暦の大火見たいに、日本は火事が多いよねえ。」

蘭がそういうと、杉ちゃんはまたそういうことを言う。

「もう杉ちゃんさ、明暦の大火なんて大昔の事持ち出さないでよ。そんなの、学校制度がなかったころの話でしょ。早く原因がわかってほしいなとか、そういうことは思わないのかい?」

「ああ、まあねえ。でも、根本的には、明暦の大火と同じなんじゃないの?あれだって、ちゃんと理由がわかってないでしょう。ちょっとしたことで、ものすごい大火になった例は、いくらでもあるぜ。」

杉ちゃんはいつまでたっても明るいのであった。ちょうどその時、玄関のインターフォンが、ピンポーンと音を立ててなる。

「おーい杉ちゃん。聞いてくれ。」

と、やってきたのは華岡だった。なぜか知らないけれど、華岡は、時折杉ちゃんの家にやってきて、愚痴を漏らすことがある。よくわからないけれど、何か話したいという気持ちが、華岡にはあるらしいのだ。

「どうしたの華岡さん。」

と、杉ちゃんが言ったのと同時に、華岡は、杉ちゃんの家に入ってきてしまった。なんだかしょんぼりとした表情で、何かどうしても話したいことが在るようであった。

「あのなあ、杉ちゃん、この間、藤東高校で大火があったよな。」

華岡はため息をつきながらテーブルに座った。

「うん、あったねえ。蘭にも言ったけど、火事と喧嘩は江戸の華っていうじゃないか。それくらい頻繁にあるもんだよ。だから気にしないの。それに、犠牲者が出たとか、けが人が出たとか、そういうことがなくてよかったじゃないか。」

杉ちゃんが平気な顔をしてそういうと、

「まあ確かにそれはそうだ。其れはそうなんだけど、現在藤東高校の生徒たちは、別の学校で授業をさせてもらっているか、あきらめて別の学校に転校した者も多い。実はそれのせいで、俺たちのところにも、たくさん苦情が来ていてねえ。」

華岡は変な話を始めた。なんで警察に苦情が寄せられるのだろうか。

「実はその藤東高校の生徒たちのマナーの悪さに、近所の住民から苦情が寄せられて居てね。自転車を二人乗りして道路を平気で走るとか、青信号が点滅しているにも関わらず、横断歩道を走ってわたるとか。大体のものが、藤東高校の制服を着ているので、すぐにわかってしまうそうだ。」

「はあ、そうか、高校生の癖に、そのくらいのマナーは守ってもよさそうだがな。」

華岡の話に杉ちゃんは相槌を打った。

「だろ?住民が注意すると、高校生たちは、藤東高校の生徒だから自分には関係ないと言って、全く反省している様子も無いんだそうだ。」

「はああ、そりゃどういうこっちゃ。なんだか、藤東高校の生徒だから、何をやってもいいとでも思っているのだろうか。」

「そうだよ杉ちゃん。そこ、よく気付いたな。藤東高校の中で、どんな教育が行われていたのかは知らないが、いずれにしても、変なやり方をしているのには、疑いないよ。そういうマナーというものはなにも教えないで、進学率しか考えない、勉強しかしてこなかった奴らだろう。」

杉ちゃんがそういうと、華岡がすぐそこに反応した。

「まったく、其れじゃあ、社会的に何の役にも立たないじゃないか。其れに、一番かわいそうなのは、生徒がそのマナーの悪さに気が付いていない事だよな。」

杉ちゃんは一つため息をつく。

「成績優秀だということで、いいやつとか、すごい奴とか言われ続けて、社会のルールとか、マナーとか、そういうことを、教えてもらえないやつらだぜ。そういうやつは、一生かかっても、罪を償うことはできないだろうね。海外の最貧国でも行くことになったら、又違うんだろうけどさ。まあ、そういう奴らが役に立つと言われるように、教育されちまうから、おかしくなるの。」

「そうだねえ。藤東高校というと、やっぱりすごい!ってなるからな。それは、この辺に住んでいたらまず、変えることはできないとおもうよ。それを、ただ高校にいるときだけしか通じない特権としてみてくれることができたなら、一寸は違うんだろうけど、日本というのは、そういうことはできないところだからね。ヨーロッパとか、そういうところは、また違うのかなあ。結局、日本の学校ってのは、隔離されている、宗教団体と似たようなところあるよ。俺、そういうやつらをいっぱい知ってるからさ。結局、そういう人間にならないためには、若いうちから、離脱しておくことしかないんじゃんないかなあ。」

華岡は、杉ちゃんの話にそう返すが、蘭は、そうは思えなかった。日本の高校というものを経験してこなかった彼にとっては、藤東高校というと、あこがれの高校ということは間違い無かった。それは、ある意味、蘭だけではなく、ほかの一般的な富士市民であれば、誰でも思うことだと蘭は勝手に解釈していたのだが。すくなくとも、華岡はそう思っていないようだ。そして杉ちゃんも。蘭は、もしかしたら、藤東高校の生徒は、成績が良くて、運動もできて、性格もよくて、リーダーシップがとれるという、戦前によく言われていた妄想を、持っていたのかもしれない。

「いずれにしても、良い高校に行ってとか、そういう神話は時代遅れだ。其れよりも、どうやって、若い奴らに自信をもって行動してもらうか、がカギだよな。それが一番だと思う。」

「そうだねえ。」

華岡と杉ちゃんがそういうことを言っているのが恨めしかった。

そのころ、竹村さんが主宰している瞑想研究所では。

ある、一組の母子が相談に訪れていた。相談者は女性で、まだ16歳くらいの女性である。そのくらいの年代だと、大体の子は高校に行っていると思われる。中卒で働く何て、よほど特殊な職業についていなければ、まずないだろう。でも、彼女は制服をきていなかった。

「えーと、まず、相談内容は、学校を変わりたいということでしたね。どうして学校を変わりたいとお思うようになったのか、話してくれませんか。」

と、竹村優紀さんは、そう話しを切りだした。

「ええ、かいつまんで言いますとこの間、藤東高校で大火がありましたね。」

と、彼女は、恐る恐るそう話し始めた。

「ええ、ありましたね。」

と竹村さんが言うと、

「実は、その藤東高校の大火のせいで、私の学校にも、藤東高校の生徒が来訪するようになったのですが、その生徒さんたちの態度が、どうも威圧的と言いますか、なんといいますか、そういうところがあって、もとにいた私たちの方が、部屋の片隅に追いやられているというか、そういう状況なんですね。元々、藤東高校の人たちは、えらい人たちだから仕方ないのかもしれないですけど、空き教室を使うにしても、ここは私たちの部屋で、入ってこないでと主張するとか、、、。其れで、私の娘は学校に行けなくなりまして。それで、もう学校を変わりたいと思うのですが。先生なら、うまく学校を

変われる方法を教えていただけないかと思いまして。」

隣にいたお母さんがそういうことを言った。竹村さんも困ってしまう。このような相談を持ち掛けられたのは前代未聞だ。

「それでも、もともとその学校にいたのは、あなたなんですから、藤東高校の生徒さんが、何か行ってきても、ここは私の学校だと主張することも大事なのではないでしょうか?」

と、竹村さんは言った。でも、其れはもう昔の考えだとすぐに思い直した。なぜなら、目の前の彼女は涙を流しているからだ。そういうことをしている彼女に、前向きに立ち向かえと教えてはいけない。其れをさせると、かえって、障害を悪化させてしまうかもしれない。そうなったら、人生一貫の終わりであることは、竹村さんはよく知っている。

「失礼いたしました。今の言葉は、もう古いですよね。わかりました。どうやって学校を変われるか、安全な学校を調べておきましょう。幸い藤東高校の生徒を受け入れなかった高校もありますから、そういう安全な所を、一寸調査してみます。」

竹村さんはすぐに発言を訂正し、彼女の意向にそってやることにした。そうしてやることが今は一番の彼女への支援だと思った。

「逃げるということは悪いことではありません。むしろ、今の時代は、逃げるいう事をしないと、正常に生きることはできないのかもしれない。正常に生きるということの大切さが今ほど強調されている時代はないでしょう。」

「ありがとうございます。」

と、彼女も彼女の母親もうれしそうな顔をした。竹村さんは、大火の影響というのは、こういう風にやってくるということを、初めて知った気がしたのであった。

そのころ、製鉄所でも似たような変化が起きていた。普段、こういうところを利用なんかすると、おかしくなってしまうと言って、ほとんどやって来なかった藤東高校の生徒が、製鉄所にやってくるようになったのである。なぜかというと、藤東高校で設けられていた自習室が焼失してしまったので、ここで勉強させてもらえないかという依頼でやってくるのだ。こういうところへ来るのは大体教育困難校に通っている生徒が多いのだが、まさか藤東高校の生徒が、やってくるとは思わなかった。それで製鉄所の雰囲気はまた変わってしまった。ちょっとでもおしゃべりしていると、藤東高校に通っている女性たちが、うるさい、勉強ができないと言って、それをやめさせてしまうのであった。理事長のジョチさんは、そういう生徒たちに奉る必要はない利用者たちに呼びかけたが、其れができるのは、理事長の権限がないと出来なかった。ただでさえ、コンプレックスの塊のような利用者たちは、藤東高校の生徒たちにおそれをなして、怖がってしまうのだった。かと言って、利用者たちにはほかに居場所があるわけでもないので、いつも通りに製鉄所にやってくるのであるが。

そんな中で、水穂さんは、相変わらず、寝たり起きたりして過ごしていたし、利用者が彼の世話を世話をするという姿勢も変わらなかった。時々、天童先生やブッチャーが手伝いに来るのだが、それも、何だか来辛いという雰囲気になってしまった。

ある日、布団に寝ていた水穂さんがひどくせき込み始めるという事件が起こった。本人には枕元にある吸い飲みをとろうと試みても、せき込んでいるせいで、出来ないのだった。せき込みながら、手を伸ばしても、どうしてもそのせいで届かない。かろうじて、呼び鈴を押すことは成功したのであるが、利用者たちを呼んでくることはできなかった。というのは、既存の利用者たちは、藤東高校の生徒たちを恐れて、外へ出ていってしまっていたからである。

水穂さんは、せき込みながらもう一度、呼び鈴を押した。それでやっと人が来てくれたのであるが、其れは、藤東高校の制服をきた女性だった。女性はせき込んでいる水穂さんを見て、こういったのである。

「なんだ、大したことないわ。せき込んでいるだけじゃ、そのうち止まるでしょうし、それに、明治くらいは死因のトップだったでしょうけど、今は大したことないわよ。」

と言って、彼女は部屋を出て行ってしまった。

「あたしは、勉強のほうが大事だし、人の世話なんかしている余裕なんかないわよ。」

そんな言葉が、平気ででてしまう何て、なんという教育を受けているのだろうと誰でも思うことだろう。でも、それは、藤東高校にいると、必要なくなってしまうということだろうか。

女性が行ってしまったあと、直ぐにブッチャーと天童先生が、水穂さん、いも切干買ってきましたと言いながら入ってきた。二人はせき込んでいる水穂さんをみて、直ぐに四畳半に飛び込んだ。すでに、布団の上は真っ赤に染まっていることと、薬の入った吸い飲みが、ひっくり返っていることを確認する。天童先生は、水穂さんの背中をさすって、出すものを出しやすくしてやった。ブッチャーは急いで、吸い飲みに水を入れて、枕元にあった粉薬を出して溶かした。まもなく天童先生の持っていたハンカチーフは、真っ赤に染まってしまった。ブッチャーは、急いで、水穂さんの口に、吸い飲みを持っていき、中身を飲ませた。これで、やっとせき込むのは止まってくれたのであるが、枕元と、布団の上は、ひどい状況であった。掃除してやりたいが、水穂さんは眠ってしまうため、体を動かすことができない。仕方なく、天童先生が、布団にバスタオルを敷いて出したものを隠し、ブッチャーは濡れた畳を、急いで雑巾で拭いた。

「利用者さんたち、みんな出て行ってしまったのかしら。これだけせき込めば、誰でも気が付くはずだけど。」

天童先生が、水穂さんを見てそういうことを言うが、

「ええ、もう東高校の人たちに、乗っ取られてしまっているようですね。」

ブッチャーはいやそうな顔をしてそういうことを言った。

「まあ、確かに、あそこへ通っている人は、苦労していないから、こういう事もわからないのでしょうね。」

と、天童先生は、大きなため息をつく。

「俺たちも静かにしていましょう。せき込んでいる音がうるさくて集中できないと言われたら、たまったものではないです。」

と、ブッチャーが言うと、天童先生も、そうねとだけ言った。

「でも、なんだか、私の立場から言わせてもらうと、高等教育という名の、大きな詐欺事件に引っかかっているような気もしてしまうんだけどな。」

確かに、天童先生の言った通りかもしれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

学校の大火 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る