第3話 兎公爵の疑念

兎公爵は「古の書」を読んでいる。

腑に落ちない。

兎は何故今は自分たちの一族しかいないのか?

底辺にいながら数は多かったとされる兎。一族は全て獅子王についたはずなのに。

獣の姿しか持たないものにも兎はいない。

兎はどこへ行ったのか?

「猊下はご存知なんだろうな」


兎公爵家は少し特殊な事情を抱えている。

公爵を名乗っている事情も、他の一族とは違う。

それゆえに、現公爵家の頭領が黒兎なことも一族の中には異常に気にする者もいた。

古の獅子王を助けた白兎こそが兎公爵家の始祖なのだ。

遠い昔、王家である獅子王の一族の親族である黒豹の一族と姻族である麒麟の一族が「公爵」を名乗っていた。やがて黒豹の一族から、五大龍と繋がることのできる初代魔導院法皇(当時は魔王と呼ばれ恐れられていた)の登場で、王家とのパワーバランスが崩れかけた。だが、魔王は国を治めることは自分ではないと、魔導院の奥に引き籠った。当時の王は大いに悲しんだ。自分の力が足りない故、国民に不必要に不安を与え、稀に見る強大な力を持つ魔王に辛い思いをさせてしまっている。

だがそれは全て、王の立場と力を妬む錦蛇が人々を煽ってのことだった。

「無能な獅子王は王にあらず。異能を持つ黒豹こそ我らの王」

その声に踊らされ、人々は王の一族を攻めた。

魔導院の奥で心を塞いでいた魔王にドラゴンの王・黒龍が言う。

「この世界に、ドラゴン以外の言葉を持つ生き物を神が作った時、その生き物がこの世界を穢すことになったら、それら全てを滅ぼしてもよいと言われた。今がその時だと我々は思っている」

「駄目だ」

魔王は祈る。全ての国民が自分たちが信じるべき本当の王に気がつくことを。

「私の願いが叶うなら、私の全てを黒龍、貴方に捧げます」

黒龍は応える。

「おまえの祈りで人々の心が動いた暁には、その強大な力を我と共に未来永劫世の果てるまで共に」

「御意」

「おまえの祈りが人の心に届かぬ時は我々の力で一瞬にして世界を葬らん。その最期、おまえに見届けさせようぞ」

その言葉に黒豹は辛そうに目を伏せた。


獅子王の元には、麒麟公を中心とする、獅子王を信じる者たちが集まっていた。鳳凰、青鷺、木兎など獅子王の近在の者たちや、錦蛇に虐げられていた者たち、その中に兎がいた。

兎の一族は大昔から風の平原に住んでいた。

個体としては強い力を持たない一族だったが、迷路のようなコロニーを形成して、敵から自分たちを守る術を得ていた。

錦蛇に虐げられ逃げてきた者たちを兎たちは自分たちのコロニーに匿っていた。

彼らは今、獅子王の城の庭に居る。

城は城壁の外の堀まで、鳳凰や魔力を持つ者たちが結界を張り、外からは安易に入ることはできない。

獅子王は今更のように、寺院を城壁の外に作ったことを後悔していた。

寺院には今魔王しかいない。寺院自体はドラゴンの結界によって守られているが、彼をひとりにしているのを悔いていた。

「恐れ入りますが、王よ」

白兎が跪く。

「ドラゴンと魔王の会話をお伝えしたく」

「何?」

「我々は非力ゆえ、情報を得ることに、特に物音には敏感であります。耳を澄ますとかなり遠くの音が聞こえます」

「まさか、寺院にいる黒豹の声が聞こえたというのか?」

「実は寺院の近くにも仲間を派遣していたのです」

「何と!」

「その者から幾人を経て、私のところまで来たので一言一句完璧だとは言い難いのですが」

「黒豹は何と?」

獅子王は白兎の前で屈むと、白兎はそっと耳打ちをした。

「ドラゴンにその身を捧げても、この国を、獅子王の国を守るつもりでございます」

「なんと…」

獅子王は絶句した。

「獅子王」

側に立つ麒麟が言う。

「貴様が立たずして勝利はない」

「わかっている。しかし、無用な血は流したくない。それがドラゴンとの契約だ」

「しかし、錦蛇はすでにその契約を破っている」

「麒麟閣下」

白兎が言う。

「そのことは黒龍も腹を立てています。今にも、根こそぎこの国をを滅ぼさんと言っているのを、魔王がご自身の全身全霊を掛けての祈りで、人々の心を再びひとつにするとおっしゃっています」

麒麟は表情を厳しくした。

「獅子王、それでいいのか?全てを黒豹に任せて。それでは錦蛇の言うとおり、貴様が無力だと言っているようなものだ」

獅子王の瞳が赤く揺れた。


ここは城の塔だ。

一緒にいるのは木兎の奴だが、少しいつもと様子が違うように思えた。

僕は何をしている?

何かを見ている。いや、見ているのは木兎で、僕は聞いている。

あそこにいるのは誰?

「錦蛇っていつ見ても好きになれない」

木兎が言う。

ニシキヘビって誰?あ、古の書に出てくる謀叛者の錦蛇?

あの絵が本物にそっくりだとしたら、あの目は嫌い。古の書に寄れば謀叛の先導した錦蛇は獅子王によって粛正されたという。錦蛇側に付いた者たちを獅子王は咎めなかったが、五聖龍が「ヒト」としての姿と言葉を奪ったという。それがこの国の始まりにあった最大の国の危機だと古の書にはある。

「おまえもきちんと聞いておけよ。ここであったことは未来永劫この国に生まれくる者たちに伝えなければならない」

あれ?木兎の奴、いつになく厳しい表情してるじゃん。

「おまえ、目は悪いんだろう?その分耳を澄ませよ」

何言ってんだよ。そりゃ、そっちが極端に目がいいだけじゃん。でも、あれ?なんだかよく見えない。

「え?」

目を擦る手が白い。

「え?どういうこと?」

まじまじと自分の手を見る。両手とも真っ白い毛で覆われている。

「え?何?」


「と、思ったところで目が覚めたんだ」

兎公爵がお茶を飲むのも忘れて、青鷺侯爵に語ったというのに、青鷺侯爵は「ふうん」と気のない相槌を打つだけだった。

「なんだよ。人の話を適当に聞き流すなよ」

「ちゃんと聞いてるよ。人聞きの悪い」

青鷺侯爵は焼き菓子をつまむ。お菓子作りがストレス解消という兎公爵の持参の品だった。

「君さ。古の書の読み過ぎだよ」

「そうかな?」

兎公爵も自分が焼いてきた菓子をつまむ。

『古の書』とは、この国の成り立ちと、如何にして獅子王がこの国の統治者になったのかが記されている。獅子王と麒麟公で二分されていた世界がドラゴンの意思によりひとつになった。ドラゴンと世界を繋ぐ黒豹。鳳凰の指し示す未来に向かうべく、獅子王は今を統べる。麒麟はドラゴンを守り、獅子王とドラゴンを繋ぐ。獅子王と麒麟公の争いが終結したからといって簡単に世界がひとつにまとまったわけではない。いくつかの試練があった。そのひとつが錦蛇の反逆だった。それらを乗り越えて、今の世界=国ができたと、古の書には記されている。

「話が少しずつ進んでいるよね」

青鷺侯爵が言う。兎公爵は、パッと青鷺侯爵の顔を見た。

「わかった?っていうか、前話したのを覚えていてくれたんだ」

「そりゃあね。もう随分前から何度も聞かされているし」

「木兎はちっとも覚えていてくれないんだ」

兎公爵は続けざまに焼き菓子を頬張った。

「彼と一緒にしないでくれよ」

青鷺侯爵は本当に嫌そうに顔を顰めた。

「ねぇ、こうやって繰り返して見る夢って何か意味があるよね?」

「君が古の書を繰り返して読んでいるからじゃない?」

「あのさ、僕の先祖が白くて僕が黒いじゃない?」

「それが?」

「古の書にある初代魔王、魔導院法皇が黒豹で猊下は白い」

「皆まで言わなくていいよ」

青鷺侯爵は先程よりもっと嫌そうな顔をした。

「君と猊下に特別な繋がりがあるんじゃないか?って言いたいんだろう?」

「そう!よくわかったね。君もそうおも」

「思ってないし、全然関係ないよ」

食い気味で青鷺侯爵は否定した。

「君の家系には時々黒い毛や茶色や灰色が出てくるんだろう?」

「まぁ、そうだけど」

「うちの親戚の白鷺の家にも時々僕らに似た色も出てくるし、僕らの家系にも黒い子が出ることもある」

「へぇ、そうなんだ。そういえば黒鷺家には?」

「そう。黒鷺の家には黒しかいない。黒豹の家にも全身が純白なのは猊下しかいないという話だ」

「そうなの?」

「瞳の色も大抵は金色か緑色。猊下のようなコバルトブルーの瞳は今まで記録にないそうだ」

「綺麗だよね。君の瞳も青っぽいけど猊下のとは全然違う」

「当たり前だよ。猊下と同じ色だなんて恐れ多い」

「木兎の瞳は緑だし、麒麟公は金色。あぁ、麒麟公も白いよね。猊下ほど真っ白じゃないけど」

「そういえば、獅子王の瞳は赤いよね。君とお揃い」

「やめてくれよ」

今度は兎公爵が嫌そうな顔をした。

「彼の眼はどちらかというとオレンジだよ。一緒にしないでくれよ」

フフンと鼻で笑う青鷺侯爵はどこかしてやったりといった風だった。

兎公爵は獅子王に似ていると言われるのが嫌いだった。同じ従兄弟でも麒麟侯爵に似ているといってもあまり嫌な顔はしない。そして彼らよりかは遠い親戚に当たる黒豹猊下に似ていると間違っても口にすると、それはもう機嫌が良くなる。だから青鷺侯爵は絶対に「猊下に似ている」は口にしない。もっとも、はなっから侯爵は「ふたりはどこも似ていない」という認識である。

「でもさ、なんか気になるんだよね」兎公爵が言う。

「あの夢は、単純に古の書をなぞっているだけかな?」

「夢だからね。君の願望も含まれているんじゃない?」

「願望とも違うんだよなぁ」

古の書には、獅子王がドラゴンの力をもって錦蛇を倒した。獅子王に対峙した者たちはやはり五聖龍の力によってヒトの姿と言葉をを失い獣として生きている。

兎公爵は夢の中でのドラゴンと魔王のやり取りが気になった。

古の書には記されていない。

おそらく現法皇は全てを知っているのだろう。

でもそれを訊く勇気がない。

もしも、自身の身もドラゴンのものだと言われたらと思うと怖くて訊けなかった。

部屋の扉がノックされた。

「旦那様、宜しいですか?」

扉の向こうから、青鷺家の執事である鴫の声がした。

「どうした?」

「魔導院から御使者様が見えられて、法皇様からの御伝言とお使いの品を届けていかれました」

「なんだって?」

侯爵は急いで立ち上がると、自ら扉を開けた。

兎公爵も思わず立ち上がった。

「なんだって先に連絡しなかったんだ」

「御使者様もお急ぎのようでしたので」

鴫は頭を低くした。使者は続けて木兎侯爵ところに行くのだという。

「こちらを」

小さな包みをふたつ差し出した。

「薄紫のが旦那様。赤いのが公爵様のものだそうです」

「え?」

兎公爵も慌てて扉に近付いた。

「先日の御生誕の儀の際のお礼だそうです」

ふたりはそれぞれの包みを受け取った。

「伝言は?」

青鷺侯爵が訊ねる。

黒豹猊下の伝言は、声がそのまま届けられる。

鴫は恭しく内ポケットから白い小さな花を取り出した。

青鷺侯爵はそっとそれを受け取る。

「それでは失礼致します」

鴫は静かに扉を閉めた。

「ねぇ、はやく」

兎公爵が急かす。

「なんで君にも聞かせなくちゃならないんだ?」

「だって、これ、僕の分もあるということは、ここに僕がいるのを知っての伝言だってことだよ」

確かにそうだ。青鷺侯爵は渋々その白い花を振った。

黒豹猊下の姿がふわりと現れた。黒い法衣姿だったがフードを被っておらず、自分たちよりも幼く見える素顔が見える。

「プレゼントありがとう。あの子がいないと眠れなくなっちゃったよ」

普段の少し舌足らずな口調だった。

「もう少し城に遊びに来てくれてもいいんじゃない?」

少し拗ねたように言葉が続く。

「獅子王に遠慮は要らないからね」

そういうとフフと笑って「お願いがあるの」と言われてふたりは思わず身を乗り出した。

「アオが来る時に金木犀のお茶を持ってきてほしいの」

「お持ちいたしますとも」

そう答える青鷺侯爵に兎公爵が舌打ちをする。

「クロにもお願いがあるの」

「なんでも言って」

今度は青鷺侯爵が横目で兎公爵を見る。

「木の実のたくさん入った焼き菓子を持ってきて。木の実がいっぱいだと、獅子王あんまり食べないから独り占めできちゃう」

顔の前で手を合わせ、小首を傾げてのおねだりだ。

「任せて」

その声が聞こえているかのようににっこりと笑う。

その笑顔を見ながら、そういえば花のお茶も獅子王はあまり好まないことを青鷺侯爵は思い出した。

「じゃあ、またね」

そして、スッと表情が変わると「ドラゴンの祝福を」と言って青い瞳を閉じる。黒豹猊下の姿が柔らかい光とともに霧散した。

「どうやら獅子王と喧嘩しているようだね」青鷺侯爵が言った。

消えてしまった黒豹猊下の姿を追うようにしばらく立ちすくんでいたふたりだったが、包みを持って、先程までいたテーブルに戻った。

「どうせ獅子王が要らないヤキモチとか焼いてるんだよ」

「誰に対して…あ、麒麟公かな?」

「だろうね」兎公爵が頷く。「麒麟公には敵うわけないのに」

あのふたりの繋がりはひどく特別なものだと兎公爵は思っている。

ふたりはそれぞれの包みをを開けた。

小さな丸い透明な石だった。

光に透かすと、中に白くて薄い鱗のようなものが入っている。

「まさか、ドラゴンの護り?」

ドラゴンが転生する際に落ちた鱗を結晶の中に閉じ込めたお守りは、それを持つものを全ての厄難から守るといわれている。鱗を拾うことができるのはドラゴンの転生に立ち会った者だけであり、それを結晶に閉じ込めることができるのは魔王と称されるほどの能力を持ち合わせていなくてはならない。

「初めて見たよ」兎公爵が言う。

「僕もだよ」

博物館にはかつてドラゴンの護りだったという欠片と、五大聖龍の鱗だといわれているものはあるが、完璧なドラゴンの護りは簡単に手に入れることができない。その時代にドラゴンの転生がなければ、まず無理なのだ。

「猊下に無理させちゃったかな」兎公爵がポツリと言う。

「無理はしてないさ」青鷺侯爵が言う。

「案外、猊下にとってこれを作るのは大したことじゃないのかもしれないよ」

「そう・・・かなぁ」

兎公爵の耳は垂れたままだった。

「だって、歴代の法皇なんか比べ物にならないくらいのチカラだよ。魔王と匹敵するかそれ以上かって言われてるくらいなんだから」

「うん」

「心配するな、とは言わないけど、猊下の、彼の笑顔を信じてあげようよ」

「うん」

「ほらほら、シャキッとして。猊下のリクエストにお応えしなくちゃなんないんだろう?」

なんだかんだ言ってこうやっていつも自分に発破を掛けてくれる、この年上の友人を、兎公爵は好いていた。でも、それを素直に口に出すことはしない。

青鷺侯爵も、こうやって他人を思って、自分の心を痛める友人のことを良く思っている。やはり侯爵もそのことは相手には告げない。

言わないことも聞かないこともお互いのプライドと、信頼だった。


「用事も済んだし、帰るよ。お菓子作らないと」

兎公爵は身支度を整えた。

胸の内ポケットに「ドラゴンの護り」を丁寧に仕舞った。

「じゃあ、君の依頼は確かに。次に獅子王の城で会うまでには間に合わないかもしれないけど」

青鷺侯爵が言う。

「大丈夫。そのへんは猊下もわかっていらっしゃるはず。あと、麒麟公にも」

「わかってる。近日、またこっちに寄るようだから、伝えておく」

「よろしく頼む」兎公爵は厳しい顔で言う。「木菟にも動いてもらわないと」

木兎の情報網は馬鹿にできない。

「自分たちの知っている古の書が偽物だなんてね」

「猊下の記憶違いでなければ、古の書は改竄されている」

兎公爵はそう言いながら、古の書の中身と現在の状況との間の不自然さを思い出していた。

「本来の古の書を、今の猊下は読んではいらっしゃらないのだから猊下の言葉だけを鵜呑みにできないのだけど、書を読んでいなくてもドラゴンから記憶を得ることができる。その記憶と齟齬があるとおっしゃっているのだから間違いはないだろう」

青鷺侯爵も表情を固くする。

「ドラゴンがわざと嘘を猊下に伝えていなければの話だけど」

兎公爵が赤い瞳を眇めた。

「そこは麒麟公も気にしていた。でも、嘘を伝える必要性がないことも、麒麟公は話していた」

「なるべく早くに猊下には会わないといけないな」

ふたりは無言で頷き合った。

「ともかく、猊下のリクエストにはお応えしないと」

青鷺侯爵がそう言って、ふっと笑った。

「もちろんだよ」

兎公爵も口角を上げる。

「じゃあ、また」


外は霧雨だった。

遠くの景色が霞んでいる。

「折角、目がよくなったというのに役に立たなきゃな」

兎公爵は霞んだ景色を見てつぶやいた。

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