第2話 青鷺侯爵の指向の思考
青鷺侯爵の領地は風光明媚な土地で、王家の別荘もある。
兎公爵の領地は果実を栽培するのに適していて、一年中様々な実が芳醇な香りを漂わせているのに対し、青鷺侯爵の土地はお茶の産地としても有名だった。
青鷺侯爵自身も茶葉の品種改良から、加工に至るまで至極研究熱心だった。
「土もいいけど、水が最高だ」と、獅子王も言う。
「その水を使ってお茶を入れるんだから、最高でしょう」
「なんだよ、その自画自賛」
青鷺侯爵は獅子王と遠縁であり、幼馴染であり、学友にも選ばれていた。ふたりだけでいるとお互いかなり砕けた雰囲気になる。
獅子王には幼なじみの6人組がいる。青鷺侯爵自慢の仲間でもある。地位云々に関係なく6人が集まると何でも出来そうな気になれる。特別な立場に就いている者もいるが、その仲間でいる時は、立場など関係なく語り合え、笑い合える。
尤も、その立場ゆえ6人全員が集まれる時はあまりない。
「麒麟公は相変わらず旅暮らしですか」
西の辺境台地からの手紙を読みながら呟く。
青鷺侯爵も旅暮らしには憧れなくもない。ただ、自分の性格的にいって「旅行」はできても「旅」は無理だと理解していた。
「野宿なんて無理無理」
いつか麒麟公爵の冒険譚を聞きながら言った。
「そもそもキミみたいにドラゴンライダーの素質もない。誰かの力で高いところにいるなんてゾッとするね」
「まぁ僕も君には旅暮らしは勧めないね」
麒麟公爵は日に焼けた顔をくしゃくしゃにして笑った。
その麒麟公爵は5日後には青鷺侯爵の領地に来るという手紙だった。
「食糧とお茶と水の補充準備しておきますか」
青鷺侯爵は久しぶりに会う友人の長い睫毛に覆われた大きな黒い瞳を思い出していた。
麒麟公爵が自分の領地の管理を次期領主である甥に任せて旅暮らしを続けるのは理由がある。
この世界を形成している5匹のドラゴン(神龍)の「実体」の確認をするためが第一の理由だった。
魔導院法皇はドラゴンと精神的に繋がることで、この世界の全てを知り、獅子王の国の繁栄に大きな影響を与えてきた。だが初代黒豹法皇以外は5匹全部と繋がりを持つことができなかった。
獅子王の母と麒麟公爵の母は双子の姉妹である。鳳凰の一族は女性にのみ一族の特徴が現れる。鳳凰の一族は巫女として、魔導院にて法皇に使える。法皇は妻を娶ることはない。他の法皇の一族や法皇に近い一族との婚姻により子を産み、代々の法皇を支えることもまた鳳凰の一族の使命でもあった。生まれた子どもが男子ならば、父親の一族の特徴を受け継ぎ、その家を継ぐ。獅子王の一族と黒豹の一族、そして麒麟の一族はこの世界において神聖なる五大龍の次に位置する一族だった。
未来を映し出す鳳凰の一族、今を統べる獅子王の一族、それらの時を繋ぎ、人々とドラゴンを繋ぐ黒豹の一族。そして、麒麟公爵の一族は、ドラゴンの言葉を理解できる能力と、5匹のドラゴンの僕である翼龍に騎乗できるだけの運動能力を持ち合わせていた。かつては獅子王の一族と権力闘争を繰り返していた時代もあったらしいが、初代黒豹法皇によってそれぞれの天命を示され、獅子王は世界を統べるもの、麒麟公は世界を知るものとして、この世界を治めることとなったといわれている。
現黒豹法皇は初代以来、いや初代をも上回る能力の持ち主と噂され、5匹のドラゴン全てと繋がることはもちろん、人並み外れた数々の能力を持っていた。
ドラゴンは人知れず転生を繰り返して「永遠」に存在し続ける。だがその転生の最中は世界のバランスが崩れる。その不安定な間は魔導院の僧たちが祈りによって世界を支える。
現法皇になるまでは、ドラゴンの転生を見逃すこともあり、その度世界に様々な厄難が起きた。麒麟公の一族は法皇と繋がることができないドラゴンたちを見守る必要があった。ただ、同じ時代にドラゴンの言葉を理解できる麒麟はひとりかふたりしか現れないから、ドラゴンの言葉を聞く者は絶えずドラゴンのもとをあちこち駆けることになる。
しかし、現法皇は違う。全てのドラゴンと繋がることができるから予めドラゴンに転生を告げられ、それに合わせて麒麟公爵が無事に転生を終えられるか見守るためにドラゴンに会いに行くという、効率のよいものだった。
だから今までの麒麟のように一年中旅暮らしをしなくてもいいはずなのに、麒麟公爵は殆どの時間を旅にあてている。
それは、彼の大事な人にヴィジョンを送るためだった。
魔導院とそこに繋がる獅子王の城以外に行くことを許されていない黒豹法皇へ、世界のあらゆる光景を送るためだった。西の辺境台地にしかいない珍しい虫とそこに咲く花を収めたフィルムを持って獅子王の城に向かう途中にここに立ち寄るらしい。
「今この国が平和なのは猊下がいるからなんだよね」
青鷺侯爵は独言る。
みんなが猊下を「大事にしたい」という思いでひとつになっている。誰かが猊下を自分のものだけにしようとしたらきっととんでもないことになる。本当は誰もが自分のものにしたいと思っている。自分だってそうだ。でも、稀代なる最恐の力を持つ黒豹法皇は誰かの手に余りある存在なのだ。
青鷺侯爵は黒豹とは名ばかりの新雪よりも白い猊下の姿を思い出す。いつも黒い法衣を纏っているが、先程の生誕祭の青い衣はとても似合っていた。あの深く青い瞳に見つめられると、誰もが彼の足元に跪きたくなる。でも彼はそれを望んでいない。
白い翼龍が舞い降りた。
「彼に美味しい水を」
出迎えた者たちに麒麟公爵は言う。
「お疲れ様」
ゆっくりと後ろから青鷺侯爵が姿を現す。
「悪いね。急に」
「いや、立ち寄ってもらえて嬉しいよ」
滅多に会えない友人に会えるのは嬉しいことだった。
「君に是非とも渡したいものがあって」
自分に会うことが目的というのが、青鷺侯爵は素直に嬉しかった。
「まぁ、まずは中に。ゆっくりしてくれ」
「ありがとう。君の淹れるお茶が貰えると嬉しいよ」
麒麟公爵は計算してものを言うような男ではない。青鷺侯爵は麒麟公に会う時は自分自身も飾らずにいられることが好ましかった。
立場上、本心を晒すことはなかなかない。幼馴染の仲間たちの中でも麒麟公爵は黒豹猊下とは違った意味で安らげる相手だった。
「久しぶりにお湯に浸かれたよ。生き返ったよ」
「旅慣れている君でもそうなんだ」
「水だとね。のんびりと浸かっていられないよ」
「そりゃ、そうだ」
応接ではなく青鷺侯爵の私室でふたりは寛いでいた。
「西の台地はどうだったんだ?」
「初めて行くわけじゃないけど、あそこはドラゴンじゃないと行けないよ。あそこに住んでいる生き物は、最初っからあそこにいるものばかりだから、古い姿のままなんだ」
西の台地は土地が垂直に隆起していて、台地の上に立つと雲を下に見るほどである。そしてその西の台地で白き龍の転生がなされる場所でもある。麒麟公爵が前回、西の台地に出向いたのはその転生を見届けるためだった。しかも、ドラゴンの転生を見届けるのは2度目。ひとりで見るというのは最初のことだったからとても緊張していた。それに比べて、今回は実地調査的なもので気が楽だった。
「君への土産があるんだ」
麒麟公爵は側に置いていた木箱を開ける。
旅に出る時に必要な物を入れて翼龍に付ける木箱は麒麟公爵の家に代々伝わる代物だった。
小さい袋と、透明ケースに入ったアイボリーの色の花だった。
「僕からというより、白龍、ムーンストーンから君に渡すようにいわれたんだ」
「名前はない花。ムーンストーンしか知らない花だからね。いい香りだろう?」
ケースの中の花は生きていた。摘まれてもいない。水に根を伸ばして花を咲かせている。
「ここの水でなら咲かせることができるんじゃないか?って」
「ドラゴンが?」
「そう。君なら咲かせることができるんじゃないか?って。綺麗な水の泉に咲く花だそうだ」
白龍・ムーンストーンと呼ばれる龍は、光を受けると七色に光る美しいドラゴンだった。ドラゴンの中で一番穏やかで、どこか黒豹猊下に似ている雰囲気を感じることがあった。青鷺侯爵はいつも遠くでしかドラゴンを見たことがなかったが、白龍は彼のことを認識していたことに驚いた。
「瑠璃にも見せたいし、それにね、この花も葉も美味しいお茶になるんだ。不調法な僕でも美味しく淹れられるから、君ならもっと美味しく淹れられるんじゃないかな」
小さい袋からは種子らしきものが出てきた。
「あ、ちょっと待って」
麒麟公爵は「確か…」と言いながらまた箱の中をごそごそと何かを探しはじめた。
「あった」
ロウ引きの紙で包んでいる物を取り出した。
「今、言ってたお茶。これは単純に葉を摘んで軽く乾燥させたものと花びらを混ぜただけなんだけど」
包みを開いて青鷺侯爵に渡す。
受け取った瞬間、なんともいえない甘い香りがした。
「これは…」
「飲んでみる?」
「是非とも飲んでみたい」
青鷺侯爵は自分が久しぶりにワクワクしていることに驚いた。
初めての香りを前に、好奇心が動き出している。
ティーポットに葉を入れてお湯を注ぐ。
麒麟公爵は野宿で火を起こし、お湯を沸かして、お茶を飲むという。
「だからこれといって作法もない。どの状態で淹れると一番美味しく飲めるのかも君に訊きたいくらいだよ」
とりあえず麒麟公爵が普段飲むのとあまり変わらず、蒸らし時間を短めで飲むことにした。
みず色は淡い緑。香りは先ほどより濃くはなったが柔らかい。
「香りがいいね」
充分に香りを堪能して、一口飲む。
「え?」
青鷺侯爵は思わず声が出た。
「甘い!」
砂糖のような甘さではない。例えることのできない心地よい甘さを感じる。青鷺侯爵はゆっくりと二口目を飲む。
「だろう?」
麒麟公爵は手柄を誉められたかのように嬉しそうな顔をする。
青鷺侯爵としては自分の好奇心・探究心を誰かに唆されるのは嫌だった。
「瑠璃にも飲ませたいんだよね。これを飲むと本当に気分も安らむしぐっすり眠れる。多分ムーンストーンも同じことを思って、僕にこの花を教えてくれたんだと思うんだ」
瑠璃、黒豹猊下の名を出されたら断るわけにはいかないではないか。裏表のないこの男は本心でしか言わない。それほどまでに自分を信頼してくれているのだ。
「任せてくれ」青鷺侯爵は言った。
「西の台地の気候を詳しく教えてくれないか?環境を整える」
「もちろんだよ。承知してもらえて嬉しいよ」
麒麟公爵は本当に嬉しそうに言った。
3日間滞在して麒麟公爵は獅子王の城へ向かった。
あの翼竜のスピードだと小一時間ほどでついてしまうだろう。
「よくここで3日も辛抱したよ」
見送った青鷺侯爵は呟いた。本当は少しでも早く黒豹猊下に会いたいに違いないのに。絶えずそばにいる獅子王以上に麒麟公爵は猊下に執着している。青鷺侯爵はそう思っていた。猊下も麒麟公爵への依存は大きい。
「ふたりともさっさと妃を娶って子どもを作らないとならないのに、いつまでも猊下に夢中だもんな」
永遠ではない命。いつかは猊下も命尽きる時がある。そしてまた猊下の魂を持ってこの世に生まれてくるものがいる。その時にまた自分の命を持って生まれてきたものが支えていくのが使命だと青鷺侯爵は思っている。そのためにも自分は自分の血の繋がる子孫を残さねばならない。青鷺の一族の繁栄を維持していくことこそが自分の使命だと思っている。
「猊下とは永遠にも似た長い付き合いをしていくことが、僕の幸せなんだよ」
麒麟公爵の運んできた花が揺れる。
「しかし、自分も妻を娶る前にこの可憐な花を咲かせることが最優先事項なんだよね」
青鷺侯爵は幸せそうに微笑んだ。
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