002:戦場へ



“スペルビア侯国”

ファーティゲルマ世界帝国より諸侯を送られた町単位の小さな諸侯国。


8年前よりファーティゲルマの侯爵ファラーが諸侯とされ、広大な未開拓地スペルビア大陸の中の唯一の“国”として起動している慎ましやかな領域である。

未だ無政府状態である広大な領域外の集落の開拓し、その領土を広げることを期待されていた。

だがつい先月、ファラー侯自身が突然ファーティゲルマに対して侮辱的な言葉を綴った手紙をエルヴィナの元に送ってきたのだ。


当初、エルヴィナはひどく困惑していたのだが、皇帝として相応しく冷静に振る舞い、ファラー侯へ丁寧な言い回しで、彼の激昂に対する理由を尋ねた手紙を送った。

しかしファラー侯はそれに対して返事を送り返すことなく、スペルビアにあったファーティゲルマの要塞を襲い、要塞の従事に当たっていた中隊の首を全てはねたのだ。

その行動は謀反だと捉えられた。当然だ。多くの兵士の命が無残にも奪われたのだから。

ファーティゲルマに対する謀反はその国を治めるセスの子エルヴィナに対する謀反。更に言うなれば、そのセスの子に統制を命じたこの世界の創生主である賢者に対する謀反である事を示す。


エルヴィナの率いるファーティゲルマの上層部はファラー侯への鉄槌を下すことを決定し、ファーティゲルマ軍は出撃要請を受理。

ファーティゲルマ軍の最高司令官でもあるエルヴィナの代行としてアーサーが出陣することとなった。


「申し上げます」


そして今、スペルビアまでの道中に立つファーティゲルマ帝国の最後の要塞内にて。

明後日に迫ったスペルビアとの交戦の作戦を、参謀長であるカーラインと共に話し合っていたアーサーの元に最新の情報を手にした斥候が入ってきた。


「敵軍、こちらの進軍に対して全軍撤退。ファラー侯の城へ向かっている模様です」

「ご苦労。下がってもらって構わないよ」

「はっ」

「やはり、籠城を選びましたな」


新鮮な情報を持ってきた斥候の口から語られる敵国の動きについて、すでに予知していたかのように、参謀長カーラインは落ち着いた様子で語った。


アーサーが率いるファーティゲルマ軍が祖国の帝都オーベロンを出て12日目。

大きな海と島で隔てたスペルビアの大地に向かうには、ファーティゲルマの一番の従属関係にあるクラブレ諸侯国連邦の南側を横切り、スペルビアの地へと入らねばならない。

本来であれば海の上を渡れたら良いのだが、今となってはそれができない。であれば例え時間が掛かったとしても大陸を歩いて渡るしかない。

ようやくスペルビアの領域への手前である最後の要塞に辿り着いたのは、今日の昼前であったと記憶している。明後日に控えた戦いの為、アーサーは兵士たちに充分な休息を取るようにと命じてそれぞれに充分な食事がとれるように手配した。

気づけば、要塞の上空には大きく覆いかぶさるように美しい夜空が広がっていた。

要塞周辺に民家はなく、広大な自然に包まれたこの建物には、草を掻き分けてきた涼しい風が優しく通り抜けている。

夜風に揺れるカーテンをそっと見ながら、アーサーは煎れてもらった温かい紅茶に口をつけた。

同じく紅茶をぐっと飲み、カーラインはあごひげを触った手でスぺルビアにあるファラー候の屋敷周辺の地図を指でなぞった。


「ファラー侯の行動は軽率すぎましたな。まあ、スペルビアの大地を統制できていない時点で、あまり賢い男とは言えませんでしたが…」

「しかしこれで判ったよ。ファラー候は、まだ理性的な判断が出来る男だと」

「それは、殿下がこちらにいるのを知って撤退したから。ですかな?」


カーラインの言葉に、アーサーはゆっくりと頷いて、紅茶のカップを机に下ろした。


「もし、本当に突発的で自暴自棄になっているのであれば、セスの子である私が居たとしても軍を進めて攻めてきていただろう。そうならなくて本当に良かった」

「さあどうでしょうな。油断はできませんが…」


そう言いながらカーラインは、幾世紀もこの世に伝わり続ける賢者の言葉を思い返していた。

『賢者に選ばれた者であるセスの子の命を奪うものは、賢者によって即座に裁かれ、消滅する』という伝承だ。

久遠の昔から伝わるその伝承は真実である。確かにセスの子を手にかけた者は即座に処される。

そう古くもない過去において、世界はその伝承の真実味を実際に目の当たりにしたのだから、賢くないファラー候であっても、その事は承知済みのはずである。

だからこそ、アーサーが軍の中にいるという事を知って戦わずして引き返していったのだろう。

当然といえば当然の行動だが、セスの権威者であるエルヴィナ様に対しての目も当てられぬ愚行の数々を重ねてきた彼が真っ当な選択を出来るのか。という不安は少なからずあった。

それを知ってか知らずか、目の前のアーサーは地図と睨めっこしながらも、視線を動かし続ける。

青い目がふいにカーラインを見つめた。


「どうだろうカーライン。先生は、籠城戦を選んだ多くの人間は他の者への救援を依頼するというが、ファラー候に力を貸す可能性がある国などは…」

「有り得ませんな」


食い気味なカーラインの返事に、アーサーは思わずきょとんとして彼を見つめた。

アーサーのその表情を見て、陛下の発言を遮るとは大変失礼な事をしてしまった。と、ひとつこほんと咳き込んでみるカーラインだったが、その目は変わらず冷静な様子で、ほんの少しだけ人を寄せ付けない冷たさも感じた。


「殿下もご存じの通り、セスの子へ刃を向ける者は賢者に刃を向ける事と同義。異教徒のディアシェヴの人間であればセスの子である貴殿方へ刃を向ける事に躊躇のない人間ももしかしたら居るでしょうが、この世界に生まれたほとんどの人間であればセスの子を手に掛け、賢者の怒りを買おうとする命知らずな者など居らぬでしょう」


さも当然、何の疑いも含まぬ真っ直ぐな言葉は少し鋭い剣のように感じた。だが、その鋭さはこの男のセスの子に対する深い敬意が表れているのだ。それでもなんだか厳しい物言いに感じてアーサーは小さく苦笑した。

それに、とカーラインは手に取った紅茶を一口飲み下してからまた口を開く。


「スペルビアは古来より呪われた大陸と呼ばれ、国を追われた者たちが住み着く未開拓の大地。ファラー候が彼らを従えていればまだしも、あの土地に住む獰猛な民がファラーの要請を受けるとは思いませんなぁ」

「…獰猛な民?」

「スペルビアに住む者たちのことです。人の寄り付かぬ地へ逃げてきた者たちの多くは、生計を立てるために傭兵として各国の戦場へ赴いておるのです。スぺルビアの未開拓の地を、傭兵の国と呼んでいるのはそのためです。しかし、あまり行儀の良い者たちとは言えません。彼らを従えるのは非常に骨の折れる作業でしてな…無政府状態であれば、仕方のないことでありますがね」


そうだった。とアーサーは思い出していた。

スぺルビア侯国について、これまでアーサーはあまり詳しい話を聞いたことがなかったが、この道中に多くの者たちが口にしている言葉を耳にしていた。

歴史の浅い、無政府の土地。傭兵の国。呪われた地。謎多き国。

実に噂の絶えぬ国であることは理解したが、実のところはどうなのだろうかとアーサーはいつも疑問に思っていた。

道中、カーラインや自分の護衛役である男に尋ねてみたのだが答えてくれず、カーラインも詳しくはわからないと言うことが多かった。

それにしても、あまりにもわからないことが多すぎる。

我が姉の管轄下である従属国をここまで理解していないのは、少々まずいのではないだろうか。

一抹の不安を感じながらも、アーサーは再び地図と睨めっこを始めた。


「まぁ、今はファラー候の話でしたな」


こほんと一つ咳をして、カーラインは話を戻した。


「ファラー候が籠城戦を選んだとすれば、我々は城を囲み降伏するよう使いの者を差し出すことも可能でしょう。しかし、その使者を殺し、城から攻撃を仕掛けてくることも容易にあり得るでしょう」

「うむ…それは嫌だな。遣わした者を殺されては、その者の家族に申し訳ない」


囁くかのように静かに、アーサーはそう言葉にしてまた地図を見つめた。

そんなアーサーを、カーラインはじっと見つめていた。


初陣としてこの度の戦いの指揮を取ろうとしているこの若き殿下は、どこまでも純粋な少年なのだ。

穢れを知らぬ若き皇太子は、人間という者の醜さを知らない。人は皆、殿下のように純粋な人間ではない。

そんな人間に情けを掛ける必要性はない。そんな人間に、殿下をお命を危険にさらせるくらいならば、自分たちはいつでも自らの命を犠牲にする覚悟はできている。

…だが、殿下はそれを望まない。たった一人の名も知らぬ兵士の命をも犠牲にしたくないとおっしゃるのだ。

地図から少し顔を上げ、視線をこちらに向けてアーサーは口を開く。


「卿は、この城をどう攻略しようと考えていたのだろうか?」

「私でしたら、城を囲んだ後使者を遣わし、その反応によってはすぐに攻め入りますな。次のクラブレへの遠征も控えておりますし、あまり悠長に彼らに付き合うつもりはありません」

「ふむぅ…、やはり、そうだろうなぁ」


アーサーは、カーラインのその答えを予期していた。

カーラインのその作戦は、最も正しい作戦だと理解していたからだ。

しかし、納得はしていたが、それでもアーサーには何か一つ違う手を使いたいという気持ちがあった。

その心は一つ。この戦いを如何に平穏な終結を迎えることが出来るか。ということだ。

ファラー候の過去の言動は許しがたいこととはいえ、これ程までに見境のない悪行を起こしてしまうほどのなにか原因があったに違いないのだ。

セスの子への反逆とは、それほどまでに異例で異常なことなのだ。

幾ら理性が保てぬ状態になったとしても、反逆など考えもしないはずなのに…。

アーサーだって、その事は理解していた。

だからこそ、ファラー候自身にその言動の理由を聞きたかった。

一体、どういう理由があって、このような言動に出たのかと。

話を聞くためには、ファラー候にも生きてこの戦いを終えてもらいたい。

それに、遣わした使者の命も殺めないでもらいたい。

ファラー候に話し合いの場を設けると伝え、殺されない使者…。


「あ」


アーサーはひとつ、妙案を思いついた。

しかしどうだろう…。怒られてしまうかもしれない。

突然楽し気に声を上げたアーサーのほうを見つめるカーラインに、アーサーは先程とは違い申し訳なさそうな表情を浮かべて口を開く。


「カーライン。私の作戦を聞いてくれるだろうか?」


例え、戦の経験がなかろうと。

例え、子供の夢物語のような理想染みた話でも。

目の前の参謀長は、優しく笑って聞いてくれるのだ。


「えぇ。お聞かせください殿下」



◆◆◆◆◆


―――スぺルビア侯国。

未開拓の地スぺルビアの広い大陸の中で、唯一ファーティゲルマの支配を受ける小さな国。

この国の諸侯であるファラー候の屋敷は、高い壁によって囲まれている。

それは外敵からの攻撃から守られるための城壁のようなものであるが、果たしてそれが本当に自分たちを守ってくる物なのかと、屋敷内にいる人間は疑問に思っていた。

なぜなら、現在その城壁の周りには、数えきれないほどの敵兵が旗を掲げて囲んでいるからだ。

敵軍の掲げる旗は赤。紋章の形はハート。

世界を統べる世界帝国ファーティゲルマの旗であることは、城の中にいる人間ならば誰もが知っていた。

圧倒的な数の兵士たちは、ただ黙したままこちらをにらみ上げている。

ファラー候の屋敷にいる兵士たちの数と比べれば、彼らの数はざっと見ても数倍。

この数の兵士たちに対抗するには、こちらの兵を増やさねばならない。

なれど、ファラー候には援軍要請を送る事のできる場所はひとつもなかった。

世界帝国の支配下であるこの星の元、自分たちのような小さな反逆者とレッテルを張られた者たちに手を貸そうなどする者はいないし、屋敷のあるスぺルビアの大地にいる傭兵たちも、今まで自分たちがしてきた言動故に助けてくれるわけもない。

絶対絶命。

その言葉が、誰もの頭に浮かんでいた。

もはや、希望も救いもない。

その現実を誰よりも突き付けられたこの屋敷の当主であり全ての主犯であるファラー候は、目も当てられないほどに酷く取り乱していた。

がしゃん。と、飾られていた高価な花瓶が地面に打ち付けられて割れる。

花瓶にさしていた花があられもない姿で、赤い絨毯に倒れこんでいた。


「ここで消されるくらいなら、最初からスペルビアなど受け持つべきではなかった!」


屋敷の、皆が集まっている部屋にファラー候の叫び声がぐわんと響き渡った。

感情を花瓶だけにぶつけるだけでは足りないようで、彼は自分の座を力いっぱい振り払い、倒れた座を蹴り飛ばした。

酷く取り乱した彼の額には脂汗が浮かび、体を揺らすほどの荒い呼吸は息を奪われた野獣のようだった。

ファラー候のそのような姿に、彼の従者たち並びに家中たちはただただ不安な気持ちを増すだけだった。


「どうすればいい…どうすればいいのだ!降伏を受け入れれば、私は犯した罪の故にファーティゲルマへと引き摺られ処されてしまう。」


地面に崩れるように膝と両手を付き、頭を掻きむしりながらそう尋ねるファラー候に、声を掛けるような勇気のある人間はそこにいなかった。

その場にいた誰もが恐怖に駆られていたのだ。ファラー候だけではない。

ファラー候に仕えている自分たちだって、目の前で大げさに狼狽える主人への粛清は他人事では決してないのだ。

部屋中が張りつめた糸のような緊張に包まれていた。その時、廊下から誰かが走ってくる音が聞こえ、その部屋の扉が破られる勢いで開いて一人の兵士がなだれ込んできた。

ヒッ…と、誰かの息を飲み込むがした。兵士はもつれる足を動かし、必死でファラー候の前に跪く。


「も、申し上げます!ファーティゲルマ軍より、で、伝令がお越しになられました」


真っ青になった兵士の声に、ファラー候は頭を抱えた。いよいよ答えを出さねばならない時が来てしまった。

どちらを選んだとしても待ち受けるは己の処罰。云わば死。

どちらがより恐怖なく死ねるのか。自分はどう殺されるのか。それはどんなに苦しいのか。取り乱した頭は正常にも働かず、真っ白になる。

だからこそ、兵士の言葉の違和感にさえ気づいていなかったのだ。

兵士は、乾ききった喉にひとつ唾を下す。まだ心もとない喉の潤いであったとしても、伝えずには居られないことがあるのだ。


「そ、それが…伝令の方というのが…、!」


兵士の普通ではない焦り方に、ようやく数人の人間が異常事態に気づく。

何事かと彼に問おうと口を開く前に、部屋の外の廊下の方から数多くの足音が響いてきた。

地鳴りのようにも思えるかのような大勢の人間の足音に、ファラー候とそこにいる人間の背筋が凍る。

荒々しく扉が開き、雪崩込むようにファーティゲルマの兵士たちがやってきた。刃物のように鋭い目つきの男たちの睨みが肌を焼くように感じた。

伝令にしてはあまりにも数が多すぎるのではないか?明らかな違和感に、ファラー候は小さく短いヒッという悲鳴を上げた。しかしファーティゲルマの兵士たちは規則正しく並びはじめ、道を作るようにして両側に列を作った。

整列した兵士たちの間から、とりわけ目つきの悪い男が歩いてきた。ギロリとファラー候を睨みつける。

獲物を捉えた獣のようにギラつく翠色の瞳。しかしその彼でさえ口を開こうとはせず、道を譲るように脇によった。

翠の瞳を持った男の後ろから、周りとは全く違う雰囲気をまとった少年の姿が現れた。その部屋に居た者たちはその少年の姿に一瞬ぽかんとしてしまう。

だが、その少年が何者かを理解した者たちは一斉に青ざめ、地に顔を擦り付ける勢いでひれ伏した。そこにいる少年は、ただの少年ではない。


「アーサー様…ッ!」


ファラー候も慌てて頭を下げた。その部屋に緊迫した空気が流れる。

だが、その空気をはねのけたのは目の前の皇太子の屈託のない穏やかな笑い声だった。


「あはは。すまないファラー候。伝令というよりは、強行突破のような形になってしまったようだ」

「伝令…?」

「そうなのだ。こう見えて私自身が伝令係なのだが、たくさん護衛が着いてきてくれてね」


そういうアーサーは笑顔で穏やかであったが、その後ろにいる兵士たちは今でも鋭い目つきでファラー候を見ている。

目に見える景色にある両極端な状況に、ファラー候たちは目の前の出来事が本当に現実なのかわからなくなりかけていた。

そんな時、アーサーの手がそっとファラー候に差し伸べられた。ファラー侯はアーサーを見上げる。

こちらに手を差し出すアーサー皇太子は、穏やかに笑っていた。


「ファラー候。どうか卿の話を聞かせてはくれないだろうか。互いに臨戦態勢を解いて、平和の内に解決したい」

「私を、殺さないのですか…?」

「うん。まずは何よりも、卿の話を聞きたいのだ」


アーサーのその言葉に、その表情に、その声に、その差し出された手に。

ファラー候は崩れ落ち、そして泣き出した。


「お許しくださいアーサー様…。私は、ただ話を聞いていただきたかったのです…」


アーサーは頷いて、そしてまた微笑んだ。

こうしてアーサー皇太子の初陣は、誰の剣も欠けること無く幕を閉じたのであった。



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